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宮永俊一の名言

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宮永俊一のプロフィール

宮永俊一、みやなが・しゅんいち。日本の経営者。三菱重工業社長。福岡県出身。東京大学法学部卒業後、三菱重工業に入社。日立との合弁会社エムエイチアイ日立製鉄機械社長、三菱重工業執行役員、機械事業本部副事業本部長、機械・鉄構事業本部副事業本部長、取締役常務機械・鉄構事業本部長、副社長執行役員、社長室長などを経て社長に就任。

宮永俊一の名言 一覧

世界の競合は常に相手との差異化を図っています。少しでも努力を怠ると負ける。だから恐怖心を持ちながら必死に努力する。その謙虚さが成長につながります。国際的にビジネスをするには、こうした謙虚さは必要です。


すべてうまくいくわけじゃないし、やっても勝てるか分からないけど、やらなければもっと劣後した位置に追いやられる。


目標はコミット(約束)だから、やり抜いて達成しなければならない。言い訳をしてもしょうがない。


グローバルで戦うということは、常に危険があって当然なんだ。そう思わなければならない。ミスは起きるもので、起こった時にどう解決するのか。それが問題だ。


やっている人たちはプライドがあるから、何か聞いても「できます」と答える。でも、ちょっと変だなと思った時に、見極めてそこに手を入れていく経営の判断力が問われている。


自分が間違っているという不安感を埋め合わせるために、厳しいことを言ってくれる人となるべく話すよう心がけている。


うまくいかない部分があれば、なぜそうなったのかを考える。できていることと、できていないことを分析して、対策を取る必要がある。


世界で戦っていこうと言っても、日本の中さえバラバラではどうしようもない。


常に追いかけられ、今そこにある脅威だけに対応するようになると、人間は疲れちゃうから、組織がダメになってしまう。


常に客に対して可能性を提示し、客のニーズをこちら側からつくり出すような営業が展開できれば、必ず勝算はある。


三菱重工の歴史はずっと変化の歴史でした。造船から始まり、船のためのボイラー、タービン、陸上の発電機器、様々な産業機械、ディーゼルエンジンへと広げ、その時代、時代に応じて、主役となる商品も変えてきました時代のニーズに合わせて生きてきた歴史を持つのだから、これからも変化できるはずです。常にずっと「メタモルフォーゼ」というか、変身できる企業であるべきじゃないかと思います。


公正で実直な企業活動を行う。いかなる形であれコンプライアンス優先が存続の基本要件で、その上に企業の発展がある。


本当にプライドが高い人って、心に秘めるものじゃないですか。


内部で努力すればできることはしました。事業所が強いかつての体制を事業部制へとくくりを大きくして再編し、グローバルとリージョナルに経営資源を分ける絵を描きました。組織の最適化はできてきたと思います。


1990年代後半から製鉄機械の仕事が激減、歯を食いしばって頑張っていると、多くの人たちが助けてくれました。合弁会社(三菱日立製鉄機械)では日立の社員たちと一緒に働き、常に相手の立場になって考えるよう努めました。


私の座右の銘は「生は奇なり、死は帰なり」です。死は大地に帰ることであり、人生は仮の宿にすぎない、という中国の故事です。縁あって与えられたいまの人生、何事にも前向きに頑張りたい。


この数年間、急激な改革、変革が同時に起きた。そこについては「速すぎるんじゃないか」という声もある。戸惑う人も多く、現実には改革が十分に浸透しているとは思っていない。それでも三菱重工は変わっていく。変わっていく方向がポジティブだという考えは、三菱重工グループにいる多くの人たちが共有している。


自分よりもすごい経営者がいて、負けている、引き離されている、そんな恐怖心がある。それを補うために勉強していく。そうすれば間違える確率は下がる。大きなミスがなければ、生き残ることができるはずだ。


私は迷信深くないが、神に祈るような気持ちだ。自分で判断したことが、少しでも正しい道であってほしい。今、自分がやっていることは100点満点ではないし、そんなにいい点数ではないのではないか。常にそう思いながら、経営をしている。


退路を断つことによって、日立さんも、より一層頑張ってくれるのではないかという思いがありました。
【覚書き|三菱重工業と日立の合弁会社「三菱日立製鉄機械」社長になったとき、三菱重工業を退社したことについて語った言葉】


世の中が、日本社会が、どう変わっていくか意識していかないといけません。いつも謙虚で頼りになるエンジニアで、お客様の先のニーズを勉強しながら一緒にやっていける。いわゆる未来志向のバイプレーヤー(わき役)であればいいと思います。社会、経済、産業がどう変わっていくかです。こうあるべき、ではなく。大事なのはメガトレンドを一生懸命意識して、社会の進化に合った中で貢献できるものを探していくことです。


今、当面やるべき改革としては9合目くらいまでは来ているかなと。最後は来年の1月ぐらいにスタートさせるグローバル経営体制を築くことです。国内市場は飽和してきた。海外で大きな市場を形成しなきゃいけない。それぞれの地域特性に合った経営の体制を作り、環境変化に対応できるような組織に変えていく。そのスタートポイントをしっかり作ることができれば、今回の改革は終わります。


改革に対する社内の戸惑いは、最初は多かったですね。自分たちはどうなっていくのかといった不安はあったと思います。私たちには今までのやり方でうまく行き過ぎたところ、それでいいんだと思い過ぎたところがあったと思うんです。成功して褒められてきたから、どうしても井の中のかわず的なところが出てしまう。


私たちは自分たちの分野で必要となる総合的なシステム機能を設計するのが得意なんです。実際のシステム開発は専門の会社にお願いしますが。たとえば、サイバーセキュリティーでは我々が防御装置のコンセプトを設定し、NTTデータにシステムソフトウエアを作ってもらっています。これが一つのモデルですね。ITが本業の企業と真っ向から戦う気はありません。パートナーシップを結び、上手にITを使いこなしたいと思っています。


今の時代、「スーパーコングロマリット(超巨大複合企業)」というのはきついんじゃないでしょうか。一般的には(統合によって市場の評価が下がる)コングロマリットディスカウントになることが多い。結局はどんどん事業を切り離す方向にある。大々的にやると、マネジメントはとてつもなく難しくなる世界ではないかと。専業同士の合併でも統合後の経営は難しいですよね。おまけにグローバリゼーションだとか、ナショナルセキュリティー(国家安全保障)とか、いろいろなことを言っていたら大変でしょう(笑)。相互に補完できるシナジーのある事業同士がやっていくのは価値があると思いますが。


MRJ(三菱リージョナルジェット)など個別に残存する問題にはケリをつけないといけない。そこはある程度、私が責任を取ります。それ以外のことは若い人にどんどん任せたいと思っています。MRJ開発では私が主催する委員会を立ち上げ、月に2度くらい報告を受けています。週報はこの1年くらいすべて読んでいますよ。何が起こっているのかを把握し、納得ができ、課題も見えてきた。これならいける、と感じています。こういう難しいプロジェクトは指揮命令系統が1つでないといけない。コストオーバーを繰り返すと、みんな萎縮してしまいます。それを私主導にしたことでクリアになった。もやは晴れました。


宮永俊一の経歴・略歴

宮永俊一、みやなが・しゅんいち。日本の経営者。三菱重工業社長。福岡県出身。東京大学法学部卒業後、三菱重工業に入社。日立との合弁会社エムエイチアイ日立製鉄機械社長、三菱重工業執行役員、機械事業本部副事業本部長、機械・鉄構事業本部副事業本部長、取締役常務機械・鉄構事業本部長、副社長執行役員、社長室長などを経て社長に就任。