名言DB

9,557 人 / 112,978 名言

安川第五郎の名言

Facebookボタン  Twitterボタン  はてなブックマークボタン  新着 名言

安川第五郎のプロフィール

安川第五郎、やすかわ・だいごろう。日本の経営者。安川電機創業者。日本原子力発電社長。福岡県出身。安川財閥の創始者・安川敬一郎の五男として出生。東京帝国大学工科大学電気工学科卒業後、日立製作所での1年間の勤務、米国ウエスティングハウスでの研修を経て、兄とともに安川電機を創業。モーター電動機に事業特化して同社を大きく成長させた。そのほか石炭庁長官、日銀政策委員、九州電力会長、九州経済連合会初代会長、東京オリンピック組織委員会会長なども務めた経営者。

安川第五郎の名言 一覧

いいものをつくるなら多少値段が高いのは当たり前だ。安かろう悪かろうよりは、良いものを少し高い値で売るのが我々製造業の商売常識である。さらに経験を積めばそれだけコストが下がり、製品もよくなるはずだ。


新しいことをやるときは流行に乗って、やれテレビだ、洗濯機だといたずらに間口を広げるのには賛成しない。2、3年は赤字を出しても、経験を積めば次第にプラスになるような、底堅く将来性のあるものを選んでほしいと思う。


現在の事業でも、障害は山ほど横たわっている。しかし、これを闘争的に強行することは自分の性格上まずない。必ず迂回作戦をとることになるだろう。目標を失わないようにしていると、急速にはそこに行かないが、結果はそこへ行ってしまう。


私は中学に入る前、ずいぶん乱暴な連中と一緒だったが、自分では喧嘩をしたことはなかった。これはいまでも変わらない。仕事上でも人生上でも、何か障害があると、それと争って喧嘩をして突破するということは一度もなかった。喧嘩をしないで、そこを避けて通る。どうかすると180度くらい逆行して遠回りをする。しかし結局自分の思うつぼに行ってしまう。


現在、安川電機は電動機のみしかつくっていない。これを安川電機の社憲のように厳しく考えている人が社の中にいるらしい。だが、私としてはそんな窮屈な考え方はやめてくれと言っている。私がやったのは会社の浮沈の瀬戸際にいたからである。時代が変わったし社の基礎もあるのだから、いつまでもこの線を守るという理由もない。


会社浮沈の瀬戸際に来て、未練がましいことを言っていては何もできない。モーターの担当者を残した他は全部辞めてもらった。そのことが今日までの私の生涯中、一番苦難の絶頂であった。私は涙をのんで訳を話した。それを言い渡すときの苦しさはいま思い出してもぞっとする。しかし、みんな私の苦しさと私の考え方をよくくんでくれて、誰ひとり私を恨む者はなかった。その代わり私は辞めてもらった人たちをどこまでも世話をしてやった。
【覚書き|昭和5・6年の大不況で経営難に陥った当時を振り返っての発言】


人員整理をするとますます悪くなってきた。これは危ない。整理すればするほど縮こまるばかりで発展の機会は出てこない。整理するなら、やはりひとつの方針を立て、その方針に沿い目標に向かって整理しなければ、いくら人を減らしたって駄目である。
【覚書き|昭和5・6年の大不況で経営難に陥った当時を振り返っての発言】


私は経営上の経験もなければ経済上の経験もない。ただ父から「やってみろ」「では」という次第で始まったから、その考えたるや極めてコチコチだった。インチキな仕事は絶対にやらない。いいものさえこしらえれば人は買ってくれる。真面目に製品本位でやれば会社の経営は成り立つと思った。ところが世間はそうスムーズにはいかない。いいものをつくっても、製品の良し悪しを簡単に認めてくれようとはしない。


このとき、私はふと日本を出るとき言われた先輩の言葉を思い出した。「米国へ行ったら遠慮をするな。遠慮をすれば損をするばかりで徳はしない。受け入れられないことは仕方がないが、決して遠慮はするな」これだと思った。そこで、勇気百倍、元気を奮い起こして、いきなり重役に面接を申し込んだ。
【覚書き|米国の電機会社に研修に行ったとき、不景気でやる仕事がないと言われたときを振り返っての発言。兄の友人の重役に紹介を取り付けた】


小さな規模で大工場を向こうに回して、何でも来いと言ったところで、大工場には勝てるものではない。この工場として何を作るのが一番適しているのか、またそれが将来性があるかと品目を定め、その方に一路力を注ぎ、他の雑多な方面はいっぺんに整理すべきだと考えたのである。


事業に障害が出ても決して強行突破しない。必ず迂回作戦をとる。目標を失わないでいれば、急速に目標にはいかないが、結局はうまくいく。


安川第五郎の経歴・略歴

安川第五郎、やすかわ・だいごろう。日本の経営者。安川電機創業者。日本原子力発電社長。福岡県出身。安川財閥の創始者・安川敬一郎の五男として出生。東京帝国大学工科大学電気工学科卒業後、日立製作所での1年間の勤務、米国ウエスティングハウスでの研修を経て、兄とともに安川電機を創業。モーター電動機に事業特化して同社を大きく成長させた。そのほか石炭庁長官、日銀政策委員、九州電力会長、九州経済連合会初代会長、東京オリンピック組織委員会会長なども務めた経営者。

他の記事も読んでみる

三村マサカズ

仕事がない時はあえてライブをします。ネタを作って自分の脳を磨いていけば、ちょっと安心できるんです。レベルアップしたから新しい仕事が来るはず、って思えますからね。


山田昇(ヤマダ電機)

M&Aはまず、基本的なことを合意した上でスタートします。お互いが合意した上でスタートすれば、経営の細部は合意する時に決まっていますから、後はそれを実行するだけです。


小笹芳央

我が社は役職ごとのおおまかな給与を、社員に公表しています。どこまで昇進すれば、いくらもらえるのかを皆、知っています。私は若手社員との飲み会の席で「おまえ、いくら欲しいねん?」とよく尋ねます。この時、スパッと希望の年収を答えられる社員ほど、成長が速い。


杉浦広一

創業時に好きなゴルフをやめました。多店舗展開を目指すならゴルフとの両立はできないと思ったのです。仕事しか趣味のない男が一人や二人いても悪くはないのでしょうか。


碓井稔

部品事業は、2社供給になれば、どんな優れた部品でも、価格競争にならざるを得ない。


鍋島直茂

人間には上中下の3種類がある。上というのは、他人の良い分別を自分の分別とすることである。中というのは、他人から意見をされてそれを自分の判断に変えることのできる人物である。下というのは、他人から良いことを言われてもただ笑って聞き流す人間のことだ。


大平浩二

見方を変えれば、早期に不正が表に出たり、不祥事が明らかになるのは、企業にとって実はよいことなのです。なぜなら、逆に表に出なければ、それだけ不健全な隠ぺい体質が長く続き、その間、社員が苦しむことになり、多くの人がその犠牲になるからです。


野村忠宏

世界トップレベルの柔道では、「投げよう」と自分が思った瞬間に、その意思が相手に伝わるものです。それが伝わらずに技を成功させるには、投げようと思って投げるのではなく、「ここだ!」と思った瞬間に、ふさわしい技ですでに投げていることが必要です。お互いに「気づけば投げている」「気づけば投げられている」感じです。ある種、無意識の反応ですね。こうした柔道をするには、「脱力」の技術や感覚を身につけることが大事だと思います。


高田純次

僕だって、なぜ自分がちょいと成功しちゃったのかなんて、わからない。人並み以上の努力をしたかといえば、そんなことはまったくない。ただひとつ、他人よりも少しだけ「楽しく生きよう」と思っていたかもしれません。


コロッケ(ものまね芸人)

今後も新しいネタ作りを続けています。改良を止めたらそこで終わりですから。


小宮山宏

私が東大で教えていた時代、優秀な高校の出身者ほど、大学に入ったあとも「俺の方が知識が豊富だから、あいつより頭がいい」と決めつけたり、あげくの果てに「僕は人との議論で負けたことがない」と豪語する傾向がありました。愚かなことです。議論は相手を言い負かすためにやるものではありません。自分の視野を広げ、知識が浅かったり、不十分だったりする部分を再認識し、補うためにやるのです。


岩田松雄

「資料を作って」と上司から指示されたときに、「資料を作る」という作業にだけ意識が向いて、「何のためにこの資料を作るのか」ということを意識していないと、良い仕事をすることができません。「午後のブレインストーミングの資料」という目的がわかれば、詳細なものを丁寧に仕上げるのではなく、簡潔に素早く作ることが必要だと判断できます。あるいは、「来週の役員会で5億円の投資を決定するため」だとわかれば、精度が高く見やすい資料を用意すべきだとわかります。