奥村政雄の名言

奥村政雄のプロフィール

奥村政雄、おくむら・まさお。日本の経営者。日本カーバイドの創業者。熊本県出身。東京帝国大学法学部独法科卒業後、大蔵省に入省し専売局葉タバコ収納所勤務を経て、三菱合資に移籍。三菱地所事務長、小岩井農場農場長、三菱本社総務部副長、三菱経済研究所の前身である第一次世界大戦の社内研究会の発起人、研究会の後身の調査部の専務理事代理、理事、東洋窒素組合取締役などを務めたのち三菱を退社。大同燐寸の社長を経て日本カーバイド工業を設立。30年以上同社で経営を行い、日本の化学産業の振興に務めた。そのほか、三菱社員時代、日本民間企業初の定年制導入などを行った。

奥村政雄の名言 一覧

とかく会社というものは金銭会計は一厘一毛までやかましく言うくせに、いったん物品に変わると非常に疎かに扱われやすい。私が総務部副長をしていた時代の三菱にもその風潮が強かった。そこで、私は全国各地の会計関係者を集め、社外からも講師を招いて講習会を開き、物品会計の趣旨徹底をはかった。


総務部副長としてまず手掛けたのは、社内合理化の一環として諸規則を明文化したことである。三菱は急速な膨張をしたため、広い範囲にわたって事業が行われたが、まだ創業当時の個人商店的色彩や習慣が残っていた。明文化した規則というものがなく、処理事項が起こるとその都度上層部で相談して通達を出すというありさまだったから、その処理指令は大変な量にのぼった。私はその慣習規則ともいうべきものの中から改めるべきものは改め、捨てるべきものは捨てて体系化し明文化する仕事をやった。


今日、定年制についていろいろ議論されているが、いま世間で問われているのは、また活発に仕事ができるのにこういう年代で定年にするのは若すぎはしないか、という議論なのだから、私のいう積極的に働ける年齢のうちに自らの意志で自由活動の道を開こうという意味の定年制とは自ずから意味が違う。


無念無想の時間が長ければそれだけ健康になれると信じている。私は84歳になって、また虫歯、入れ歯が一本もない。食事は肉を少なくし、生野菜、とくに年中手に入りやすいキャベツをたくさん食べる。生まれつき丈夫だったのだろうが、長寿に関係あるとすればこんなところかもしれない。


私は二階建てレンガ造りの大倉庫3棟約200坪いっぱいに詰まった書類をどう整理するかを考えた。そして処理要領を次のように決めてどんどん整理しはじめた。

  1. 資料全部を編年体に分ける
  2. さらに月別に分ける
  3. 以上を資料として当月中に起き、また消滅した主な事項を記した主文をつくる
  4. 主文の注釈として関係資料全部を細字をもって印刷する

こうして明治維新以来40年に渡る三菱興隆の貴重な資料はわずかに2年の歳月で印刷まで完了した。
【覚書き|三菱社史編纂の仕事にあたった当時を振り返っての発言。当初歴史学の専門家に編纂させようとしたがまったく進まなかったため奥村氏が担当することになった】


60歳から70歳ぐらいまで勤めて自然に辞めてゆくというのが普通だった。自分自身の危険負担において自由に大空を飛んでみたいというのが希望である。誰からの制約も受けずに積極的に何かをやってみたいと思うのは当然であろう。
【覚書き:55年定年制を他社に先駆けて導入した時の言葉。余力を残し、第二の人生に踏み出せるようにとの想いから同制度を導入】


奥村政雄の経歴・略歴

奥村政雄、おくむら・まさお。日本の経営者。日本カーバイドの創業者。熊本県出身。東京帝国大学法学部独法科卒業後、大蔵省に入省し専売局葉タバコ収納所勤務を経て、三菱合資に移籍。三菱地所事務長、小岩井農場農場長、三菱本社総務部副長、三菱経済研究所の前身である第一次世界大戦の社内研究会の発起人、研究会の後身の調査部の専務理事代理、理事、東洋窒素組合取締役などを務めたのち三菱を退社。大同燐寸の社長を経て日本カーバイド工業を設立。30年以上同社で経営を行い、日本の化学産業の振興に務めた。そのほか、三菱社員時代、日本民間企業初の定年制導入などを行った。

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