名言DB

9412 人 / 110637 名言

大竹のり子の名言

twitter Facebook はてブ

大竹のり子のプロフィール

大竹のり子、おおたけ・のりこ。日本のファイナンシャルプランナー。出版社の書籍編集者を経て、フリーのファイナンシャルプランナーとして独立。エフピーウーマンを設立。そのほか金融学習協会理事などを務めた。著書に『超入門 はじめての資産運用』『ゼロからはじめる株入門』『50歳からの手持ち資金の増やし方』『老後に破産しないお金の話』『知りたいことがまるっとわかる! お金の教科書』ほか。

大竹のり子の名言 一覧

失敗すること自体は悪いことではありません。重要なのは、どうリスクを抑えた失敗が出来るかです。


これまで多くの家計を見てきたなかで一番お金が貯まるのは、夫婦で家計の財布を一つにし、お互いお小遣い制にするカップル。逆に一番貯まりにくいのが、財布を別にし、互いの支出額や貯蓄額が分からないパターン。


ご注意いただきたいのが、「全部平均でいくと破綻する」ということ。たとえば同じくらいの年収の知り合いを見ると、ある人は6千万円のマンションを買っている。ある人は私立の中学に子供2人を行かせている。ある人はプリウスに乗っている。そこで、「同じくらいの年収だから」と高級マンション、私立中学、プリウスを全部真似すると、家計は破綻します。彼らはきっと、使うところには使うけれど、お金をかけないところは絞っているのです。どこにお金をかけて、どこを締めるか。あるところにお金をかけたら他は我慢する、というトレードオフを意識することが大切です。


「割り算」で必要な経費を割り出し、毎月一定額を貯めていく、というのがライフプランの基本です。


気をつけてほしいのが「奨学金」です。社会人になれば簡単に返せると思いがちですが、家計診断をしていると、奨学金の返済が苦しくて転職がうまくいかない、婚期が遅れる、マイホームが買えないという人が結構多いのです。中学高校時代にお金をかけすぎて大学進学のために奨学金を借りるということは避けたいところです。


「競争の激しいところに行くとお金がたくさん出ていく」というのは、経済の大原則。その裏を考えてみる必要があるでしょう。たとえば我が子を私立に通わせるぶんのお金で、若いうちから海外経験をさせるなど、別の教育方法があるかもしれません。


人は始めたことを途中でやめたらもったいないと感じるもの。経済学でいうサンクコストという考え方です。中学受験などがまさにそうで、最初は「試しに塾に行かせてみるか」だったのが、「塾に行かせたからには受験しないともったいない」「第一志望に落ちても私立に入れないともったいない」となって、どんどん出費がかさんでいくのです。そうしたワナに陥らないようにしてください。


円高・株安の今こそ初心者が投資を始める絶好のチャンス。安い時に買って高い時に売るのが投資の鉄則。すでに投資を始めている人にとっては辛い状況ですが、これから始める人にとってはおいしい時期。


すべての資金を日本株へ投資して軒並み下落、といった失敗は多い。リスク分散のために、例えば日本株、外国株、外国債券など、最低3つの投資先に分けましょう。


「なんとなく話題だから」という理由でよく調べぬまま金融商品を買うと失敗しやすい。勢いで買わずによく調べること。世間のウワサに流されないように。


「いきなり大金をつぎ込んで、失敗して大ダメージ」という初心者は多い。投資は慣れと経験がすごく大事。最初は少額から始めて、徐々に額を増やしましょう。


同じ節約でも男性と女性では得意とするところが違います。男性は長期的なお金の流れを把握するのに長けているので、住宅ローンや保険の見直しは得意。反面、細かな食費や生活費を削るのは苦手。逆に女性はそういう日々の節約が得意な反面、10円安く買うためにスーパーをハシゴしたりと時間対効果の薄い節約をしがち。夫婦一緒にやって両方の強みを上手く組み合わせれば、節約効果は大きく上がります。


大竹のり子の経歴・略歴

大竹のり子、おおたけ・のりこ。日本のファイナンシャルプランナー。出版社の書籍編集者を経て、フリーのファイナンシャルプランナーとして独立。エフピーウーマンを設立。そのほか金融学習協会理事などを務めた。著書に『超入門 はじめての資産運用』『ゼロからはじめる株入門』『50歳からの手持ち資金の増やし方』『老後に破産しないお金の話』『知りたいことがまるっとわかる! お金の教科書』ほか。

他の記事も読んでみる

宗雪雅幸

我々のようにグローバルに投資する場合には一件で100億、200億すぐかかる。その意味では人間を含めた投資設備型の産業です。企業は成長と安定が大切です。そのためには次に必要なものが何かを常に考え、投資する必要がある。


川村益之

「自分はこれをやるべきだ」という志を持ち、高いモチベーションを保たなければ、リスクを取る決断はできない。


村上太一

事業を運営するうえでは、「ユーザー視点に立つ」ということを常に意識している。もし自分がサービスの利用者だったら、どういうサービスがあったらうれしいかを意識するのです。


坂根正弘

物事にはいろいろな見方がありますが、ビジネスにおいては、「長期最適」と「全体最適」を考えることで物事の本質に辿り着くことができます。逆にいえば、短期最適や部分最適で考えても、本質をつかむことはできません。


伊藤雅俊(イトーヨーカドー)

私は商人だから誰にでも頭を下げるんだ。
【覚え書き|なぜいつも腰が低いのかと問われて】


田口トモロヲ

『プロジェクトX』の最初の台本では、「えっ!? こんなにたくさんの原稿を読むの?」って驚くぐらいに情報量が多くて。ところが僕の読む速度が、アナウンサーさんやプロのナレーターさんと比べると格段に遅くて、時間内に原稿の文字数が入らないんです。わかりやすくいうと、ナレーションがヘタだったんです(笑)。そこでプロデューサーさんやディレクターさんが相談してくれて、なるべく多く説明しない、というナレーションの方向になっていったんです。その過程を経て、例の「~だった。」といった表現だったり、体言止めだったりが増えていったのです。まさしく、ピンチはチャンス、というんでしょうか。発想の転換でやったことが、逆に、視聴者にウケて番組は大ヒットしました。


富岡賢治

地方創生も国任せにすると必ず、「各地方では知恵が足りないでしょうから、東京から人を紹介します」という話になる。でも、私から言わせれば、東京のシンクタンクのようなところで働いた人が来ても何の役にも立たない。私が市長になってからは、副市長は中央官庁から人が来るのを待つのではなく、地元の人にしてもらった。こっちの方がよっぽどいい。


小宮山宏

経済成長は必要。だけど、ヘリコプターから貨幣をバラまけば、という議論が出たりしますね。ああいう考え方は、貨幣だけで経済が動くと思っているんだけれど、経済をあの人たちは分かっているのかと私は思いますよ。実体経済があって、実体経済の中に本当の「モノ」、自動車だとかガラスだといった「モノ」で動く部分がありますよね。そして「サービス」で動く部分がある。「モノ」と「サービス」が結び付けて販売されるし、経済が動いていく。


美月あきこ

営業をなさっている方なら、商品以外に相手に与えられるものを考えてみるといいと思います。商談の中で一緒に笑える瞬間があったら、「この人と時間を共有できてよかった」と感じますよね。そうすれば、「また会いたい」と思ってもらえます。たとえ商談が進まなくても、それだけで初対面としては大成功でしょう。笑いを生み出すネタをあらかじめ用意しておくというのもひとつの手です。


菊原智明

住宅メーカーの営業マンだったころ、最初の七年間はまったく売ることができませんでした。ある日、私は売り込みのための訪問をきっぱりとやめ、手紙でのアプローチに営業スタイルを変えました。すると、商談の機会が一気に増え、トップ営業マンになれたのです。それまで「訪問することが営業」だと思っていましたが、訪問せずともお客様から声をかけてもらえるようになりました。しかも競合がいない状態で。


杉本真樹

1人で想像できることには限界があるが、ほかの誰かと組み、その人の想像と掛け合わせれば、ひらめきは無限に膨らむし、より社会に役立つ発想になる。


勝海舟

いまの世の中は、実にこの誠というものが欠けている。政治とか経済と言って騒いでいる連中も、真に国家を憂うるの誠から出たものは少ない。多くは私の利益や、名誉を求めるためだ。世間の者は「勝の老いぼれめが」と言って嘲るかしらないが、実際俺は国家の前途を憂うるよ。


稲盛和夫

それぞれの会社には、会社を律するためのルール、または仕組みというものがあるでしょう。不祥事が起きるのは、それ以前に、人間個人としていかにあるべきかという根本的な哲学が欠落しているからだと思います。


石田孝

企業経営者の社会的な役目、これは何はともあれ、雇用の保障、すなわち仕事をつくることです。そのためには、絶対に黒字を出さなくてはなりません。そして、その黒字をもって、時代が求める新たな職場をつくり上げる。こうした事業を行っていくことが、経営者の責任だと私は考えています。


幸田シャーミン光代

私は、ゴールデンタイムのニュース番組のキャスターを務め、世間的にはそれなりの評価を受けていたかもしれない。しかし、自分の心の中では、「ジャーナリストとしての自分はまだ専門がない。ライフワークにできるテーマを早く見つけ、勉強をして基礎を固めなければ……」と焦っていました。30代になり、30代の10年間をどう生きようかと改めて考えたとき、私の頭に浮かんだのは、10代のころからずっと持ち続け、捨てきれずにいたアメリカ留学の夢でした。