名言DB

9,553 人 / 112,978 名言

大浦溥の名言

Facebookボタン  Twitterボタン  はてなブックマークボタン  新着 名言

大浦溥のプロフィール

大浦溥、おおうら・ひろし。日本の経営者。半導体検査装置大手メーカーのアドバンテスト社長。東京大学法学部卒業後、富士通信機製造(のちの富士通)に入社。同社で人事教育部長、総合企画室長、関連事業部長、東支社長代理、東京支社長などを務めたのちアドバンテストに移籍、社長・会長を務めた。経済同友会幹事、経済団体連合会理事、日本電気計測機器工業会副会長なども務めた経営者。

大浦溥の名言 一覧

問題は先送りにせず、その場で決断を下す。これが会社経営にとって一番大切なことでしょう。


少しでも決断が遅れていたら。いま考えると背筋が凍るような経験を何度もさせられました。生産中止の判断が一カ月遅れただけで、おそらく会社中に在庫の山が築かれ、大赤字を余儀なくされたでしょう。それほど、半導体産業の変化は急だったのです。なんとか他社より早くリストラの手を打つことができ、厳しい半導体不況を乗り越えてこられました。その結果、会社の体質は筋肉質となり、多少の不況にはびくともしなくなっています。


私は若いころ、富士通で中興の祖と呼ばれた岡田完二郎さんの秘書として、彼の物事の決め方をそばで見てきました。岡田さんは周囲の反対を押し切ってコンピュータ産業への進出を決めたわけですが、この決断がなければいまの富士通はありません。私はそういう姿を見ながら育ち、大変貴重な経験をさせてもらいました。次世代の経営者を育てるという意味でも、トップの決断は大切だと思います。


日本の金融機関がなかなか立ち直れないのも、原因は決断力不足にあるのは明白です。なぜ決断が下せないかというと、現場の情報が少なすぎるからです。私はよく「そんなに簡単にリストラを決断できるね」と聞かれるのですが、現場の情報が詳しく入ってくるから、どうしても手先手先で手を打たないと怖くなってしまうのです。


2001年度には売上高が前年の3分の1になるという大不況を経験しました。このときはさすがに240億円の赤字を出しましたが、実質無借金経営で自己資本比率が80%と高い筋肉質の体質のおかげで乗り切ることができました。


私が富士通の常務からアドバンテストの社長に移ったのはバブルがピークに達した1989年です。バブル時代に造られた負の遺産は大きく、12年間の社長時代はまさにリストラとの格闘でした。その中で、私が最も大切にしてきたのが、素早い決断と現場との密接な関係だったのです。


優秀な人材はいっぱいいるわけです。優秀な人の能力が素直に発揮できるような環境を作ってあげることが、私の仕事だと思います。だから年中、「おまえら、やっている本人がその場の専門家なんだ。一人一人がみな専門家だ。その専門家が十の能力を持っていたら、十の能力すべてを発揮できるように努力してくれ」と言っているんです。全員が十の能力を発揮すれば、ものすごい力になります。


大浦溥の経歴・略歴

大浦溥、おおうら・ひろし。日本の経営者。半導体検査装置大手メーカーのアドバンテスト社長。東京大学法学部卒業後、富士通信機製造(のちの富士通)に入社。同社で人事教育部長、総合企画室長、関連事業部長、東支社長代理、東京支社長などを務めたのちアドバンテストに移籍、社長・会長を務めた。経済同友会幹事、経済団体連合会理事、日本電気計測機器工業会副会長なども務めた経営者。

他の記事も読んでみる

大宮久

「偉大な先人がやっていたから間違いない」と同じ戦略だけを継承し、繰り返すことは安直。その時々で、経営環境や時代背景は違いますから、当時の戦略がどのような理由で用いられたのか、バックボーンまで見極めた上で今、採用すべきなのかそうでないのかを判断し、決断しなければなりません。


伊藤一郎(経営者)

高分子ろ過膜プラノバの認知度を高めるため、多くの学会やシンポジウムでウイルス除去の成果を発表。欧米の規制当局への説明にも駆け回りました。ウイルスはろ過できないという製薬業界の常識を覆してプラノバの認知度を高めるのに、5年の歳月が必要でした。


石橋信夫

天下の国鉄といえど、昔は駕籠(かご)かきだったではないか。今も日立から部品が入ってこなければ何もできない。日立だって社員40名からスタートしたと聞いている。どんな大きな会社も、小さな時代はあったではないか。
【覚書き|大和ハウス工業を創業したてのころ、国鉄にセールスに行ったときに「そんな小さな会社に天下の国鉄が発注できるか」と言われたときの発言】


櫛田健児

日本人同士で話す英語はおかしいという人もいますが、実はシンガポール人とか香港人がしゃべっている英語も文法はおかしいですし、主語は滅茶苦茶だったりするんです。でも通用している。日本人の英語でも全然かまわないんです。


山本邦子

新体操で大学に行くという選択肢も、もちろんありました。でも、プロのスポーツ選手として生計を立てられる人はごくわずかです。多くの選手は体育大学に進んだのち、フィットネスクラブの指導員や体育教師になります。私は、大学卒業後の自分の姿がまったくイメージできませんでした。だからこそ、新しい道を歩もうと思ったんです。
【覚書き|小学生時代からやっていた新体操を捨て、渡米したことについて語った言葉】


佐藤廣士(経営者)

金がないなら知恵を出そう。


高橋一生(俳優)

与えられる役の密度が高くなってくると、その役を、責任を持って完遂するためには、最後までブレずに突き抜けることが大事。壁の一点に同じ角度で刃を当て続けていかないといけないと思っています。ちょっとでも斜めになったら、刃はパキーンと折れるので。何かを打ち出す時は、迷ってはいけない。今、それをやっているような気がします。


ジョージ・テーラー

このビーチから動かない奴は二種類だ。すでに死んだ者と、これから死ぬ奴だ。さあ、生き残るためにここから出ていくぞ!
【覚書き|ノルマンディ上陸作戦で海岸が死体で埋まり、無数の銃弾が飛び交う中、仁王立ちして部下を叱咤激励した言葉。背水の陣の作戦で、生き残るには勝つしかない状況、しかも銃弾が飛び交う中で仁王立ちした上官に励まされ部下は士気を回復した】


アンドリュー・カーネギー

清貧の家に育った子供は、裕福な家庭の子たちとくらべて、なにものにもかえることのできない尊い宝を与えられている。


大西賢

我々は航空事業者であると同時に、サービス業者なのです。これはもう、口を酸っぱくして社員に言っていることですが、A地点からB地点にお客様を運べばOKではなく、もっと広くサービスというものを捉えていかなくてはなりません。機内でリラックスしていただくのは当然として、機内をビジネスの機会のための場としてと使いいただくにはどうすればよいかという課題もあります。空港だってまだまだストレスのかかる場所ですから、お客様目線で見ればサービス向上の余地はいくらでもあるのです。


日覺昭廣

当社が得意な素材は「欠陥の数」「欠陥の大きさ」で勝負をしている部分があります。炭素繊維は実際に生産してみると、ところどころ組織が裂けたようになる欠陥が生じ、それが邪魔をして理論通りの強度が出ません。最初は欠陥のサイズがマイクロメートル単位でしたが、課題を徹底究明することで今はナノメートル単位まで縮小。強度が低いうちはゴルフクラブなどに限られていた用途が、欠陥を極小化し強度が上がったことで航空機、さらに自動車へ広がりつつあります。こういったことは繊維やポリエステルフィルムでも同じです。


石川康晴

GAPなどアメリカにあるSPA(製販一体型)の先駆的な会社や日本ではワールドという会社などを分析しながら、ある程度ものまねで始めたSPAですが、始めた当初は自分もミシンを踏んでいましたし、ボタン留めや、裁断も行っていました。デニムをハサミで切ると手がかなり青くなっていくのですが、お店に立っていたころは夜はデニムを切ったり縫ったりしていたので、よくお客様から「お兄さん、顔も青いけど手も青いね。倒れないでください」と言われたものです。