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大屋晋三の名言

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大屋晋三のプロフィール

大屋晋三、おおや・しんぞう。日本の経営者、政治家。帝人の社長。一橋大学卒業後、戦前の財閥のひとつである商社の鈴木商店に入社。同社で海外駐在などを経験したのち、帝国人絹(のちの帝人)に出向。帝人の社長を26年間同社の経営を行い、繊維業界のリーダー的企業に育てあげた。政治家としては参議院議員を9年間勤め、吉田茂内閣の商工、大蔵、運輸大臣などを歴任した。妻は歌手で作家の大屋政子

大屋晋三の名言 一覧

無駄金も使うだろう。期限も遅れるだろう。そんなことは当たり前だから気にするな。ビクビクせずに思い切ってやれ。


この世の中には、非常に深い経験を積み、その道では名人芸に達している人も多い。またいわゆる物知りとして、知らぬものはないほどに知識の豊富な人も幾多あるが、それでいてその人たちがあまり物の用に立たない場合がしばしばある。


常に先制の妙を発揮せよ


私が一貫して持っている人生に対する考え方それは、「自分のやったことは、自分で責任をとる。まして自分の犯した過ちや、自分のつくった業に対しては、それに対する償いや責めは自分で果たさなければならぬ」ということである。


人生の戦いにおいて、相手に負けるよりは、自らに負ける場合が多い。


70代になっても、80代になってもその人がそれにふさわしければ、年齢でなしにいいということになる。だから(社長は)40代でなくちゃダメとかいうことは一般論としてはよろしいよ。しかしながら、エクセプション(例外)もあり得る。そういうことです。なんぼ若くてもダメな人もおる、気力も何もなくてね。


自分よりも優秀なものがゾロゾロ出て来ているにもかかわらず、本人は分からないで、老いぼれが古い頭でしがみついて、しかも後進の道をふさいでいるんじゃ、これはまずいだろうね。そんなことは、会社の場合、世間というものがある。会社内部の世論がある、銀行があるんだから、みんな分かっちゃうんだよ。


卒業当時の私は相変わらずチビで、色の白く弱々しい吹けば飛ぶような少年だった。大して運動もせず、乱暴はもとよりせず、勉強だけは熱心にする平凡な少年だった。しかし表を一枚むくと心の中は、父の極貧による辛酸にもまれて、これに対し反発に反発を重ねて、必ず偉いものになってこの貧乏を克服してみせるぞと、心中の内部燃焼は実に激しいものだった。


私はおこがましくも、また高慢にも、自分の運命は己の意志、己の計画によって切り開いてきたと自負している。事実、私は中学に入る時代から、常に自分で考え処理してきた。私のこれまでの人生行路では、長上の人からとくに引き上げられたことがほとんどない。またとくに師事して直接指導を受けた人もいない。紆余曲折しながらも、大先輩の指導育成のもとに進んだ人と、結局は同じところまでたどり着いたと自負している。


私の家がもし貧乏でなく裕福で、志望通りの学校に入り、進んで官吏となり、さらに良家の子女を妻とした場合を考えると、私という人間はかえってつまらぬ人間になっていたのではないかと思う。
【覚書き|ここでの妻とは学生時代に結婚した女性のこと。年上で子持ちだったことから親類から結婚を反対された。その後、若くして病気で亡くなった】


少年時代、私は底抜けの窮乏に強い反発を感じていた。私はスマイルズの『自助論』に非常な感化を受けた。はじめの方などは暗記するくらいに愛誦した。「天は自ら助くるものを助く」の言葉は、私の座右の銘となったが、私はこの本によって独立自主の精神が強く頭に叩き込まれたように思う。
【覚書き|貧しかった旧制中学時代を振り返っての発言】


人生はマラソンのような長距離競争である。一気に駆け抜けようとすると落伍することになる。急ぐべからず、焦るべからずである。徳川家康も言っているように「人生は重き荷を負いて遠き道を行くがごとし。百里の半ばを90里とせよ」の心がけもって、長い人生の荒波を根気強く渡らなければならない。


老害ということは、一般には、体力も、気力も、判断力も衰え、知識も時代遅れだ。それなのにへばりついている、それを老害という。しかしながら、一律に全部が全部、何十歳以上はいかんということは言えない。これはやっぱり若さというものが、年齢でなしに個人差があるということですね。だからエクセプション(例外)があるというふうに考えないとね。


年齢ということは、私の経験からいうと、アメリカあたりでも、今度ピーター・G・ピーターソンというのが46歳で商務長官になったでしょう。ケネディは42歳で大統領になったしね。そういうことからいけば、まず40歳になったら経験は別として、知識という点じゃ、もう万人平等といっていいな、一流の人ならば。だから、40代になったらば、どんな重要な地位、大統領だろうが総理大臣だろうが、大会社の社長だろうが、そうなって一向に差し支えないね。アメリカなんて、40代の社長はくさるほどいるよ。


若い時代は、知識も経験も浅いから、焦りがあったけど、この頃は自分の仕事に精を尽くす。私の日常の行動は帝人で繊維を売ったり、買ったりということでなしに、政治家も、財界人も、マスコミとも、消費者もあらゆる社会に関係するだろう。それをとにかくやっていれば、天職であるという自覚がある。それをしていればザッツオールなんだという意識が。


大屋晋三の経歴・略歴

大屋晋三、おおや・しんぞう。日本の経営者、政治家。帝人の社長。一橋大学卒業後、戦前の財閥のひとつである商社の鈴木商店に入社。同社で海外駐在などを経験したのち、帝国人絹(のちの帝人)に出向。帝人の社長を26年間同社の経営を行い、繊維業界のリーダー的企業に育てあげた。政治家としては参議院議員を9年間勤め、吉田茂内閣の商工、大蔵、運輸大臣などを歴任した。妻は歌手で作家の大屋政子

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