外山滋比古の名言

外山滋比古のプロフィール

外山滋比古、とやま・しげひこ。日本の英文学者、言語学者、評論家。愛知県出身。東京文理科大学(のちの筑波大学)文学部英文科卒。『英語青年』編集長、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、お茶の水女子大学付属幼稚園園長、昭和女子大学教授などを務めた。そのほか、全日本家庭教育研究会総裁なども務めた。専門は英文学、言語学、修辞学、教育論、意味論、ジャーナリズム論など。投資家としても知られている。

外山滋比古の名言 一覧

「儲けよう」という気持ちがあまりなくなると、儲かるようになります。若い時は「何とかして儲けてやろう」として失敗する。年を取って、「貯金するよりは少しましならいいか」という思いで株をやっていると、案外とびっくりするような儲けが出ます。


恐らく会社の経営者もなぜ事業が成功するのか分からないでしょう。何か運が良くって成功するので。何か特別なことをして成功した場合もないわけではないでしょうけれども。だいたい商売っていうのは運ですよ。


ビジネスマンも機械にできない仕事を第一に考えなくてはなりません。ひとつは、考えること。もうひとつは、人の心を読むということ。知識で仕事するのではなく、自分の思考や人間関係の力で仕事をすることを目指すべきです。それこそ、そう簡単にコンピュータに取って代わられることはありませんから。


技術が発達して楽になった半面、その人の存在意義が問われる事態になっています。機械では代替できない「考えること」こそ人間にとって大切な営みだということが、これからはますますはっきりしてくるでしょう。


不要なことはどんどん忘れて、それでも自分の中に残っている知識だけが、判断を助けてくれます。いろいろな新しいものを考える原動力になります。ですから価値のあるものの考え方、判断力、創造力、そういうものをつくるにはまず頭の中にたくさん入っている、有象無象の知識を忘れることから始まるんです。


頭がよくなりたい、判断力を鍛えたいと思うなら、頭をいつもハングリーな状態にしておくことです。頭の中が満腹では良いと思ったことでもスッと頭に入らなくなります。そのためには、不要な情報を整理することが大切です。その具体的な方法とは、時間による忘却です。一晩考えて出来なかったことは、翌日に考えた方がいいと昔から言われていますが、今日判断できないことは10日か20日ほど忘れ、本能的に情報を選別するのです。残った知識を基にして頭を働かせれば、極めて独創的は発想ができます。


日本には知識がなかったことで大きな成功を収めた人が大勢います。松下幸之助や本田宗一郎がそうですね。彼らのような大仕事をした人物は、何事も自分の頭で考えて判断しました。失敗したら、そこから学んで乗り換えていく。成功したら、それをさらに推し進めていく。そういう試行錯誤ができるのは、下手な知識を頭に入れていないからです。知識があると、はじめから正解が決まっているから、試行錯誤なんかしません。


知識をたくさん持つと、自分の頭で考える状況が少なくなります。この場合はこう、これが常識ですよといって問題を機械的に処理してしまうのです。これは思考じゃなくて誤魔化しのようなものです。些細な仕事ならいいけれど、重要な決断を下さなければならないとき、さっぱりわからなくなってしまいます。


知識を詰め込む教育、仕事は、いまやコンピュータに取って代わられました。昔は子供ができると百科事典の営業マンがやってきて、「お子様がこれだけの知識を学べば、きっと将来は大学の先生や大臣になれますよ」とそそのかし、夢を見た親は高い買い物をしたものです。しかし、現代社会でものを知っている人間が優れている、知的に発達した人間だと思うのは大きな間違いです。


本とかインターネットで蓄えた知識が、自分の価値判断を邪魔します。何が大切かを見分けられなくします。だから物知りと言うのは、大体において普段は賢そうに見えるのに、肝心なときには役に立ちません。


現在の学校教育では、あらゆる分野の知識を平等に詰め込んで、忘れないことを最良とします。あれが結局、世の中にバカを量産させています。知識がたくさんあると、新しいことを考えたり、緊急事態で重要な判断をするというときに、その知識が雑音となって考えることを邪魔するのです。知識は常識と言い換えてもいいでしょう。


いま、自分のことを優秀だと考えている人たちは、たくさん勉強したから知識の量は大したものだけれど、実生活における「生活の密度」が希薄です。それは家族や友人、隣人との関係であったり、そういったごく普通の生活経験の量が少ないのです。狭い世界の中で仕事をしているから土壇場になるとものごとが判断できなくなります。


インターネットに接続すれば、ありとあらゆる情報が手に入る時代になりました。そんな時代では、たくさんのことを知っていることよりも、雑多な情報から重要なものとそうでないものをハッキリ整理し、区別することが重要です。


学生に卒業論文を指導していて感じたのですが、みんな驚くほど「思考の方法」を知らないのです。とくに、学校の成績が優秀で本をよく読む学生ほど、思考力に問題がありました。彼らはもっぱら、「知ること・記憶すること」に努力していますから、考える習慣が身についていないのです。


知識に引っ張られて空を飛ぶのはパラグライダーのようなものです。それに対し、考えるのは、自力のエンジンで飛ぶ飛行機です。一見、ふたつは似ていますが、中身はまったく違います。自分でテーマを設定し、自分でその答えを探していくのが論文を書くことなのですから、知識があるだけのグライダーでは、書けないのは当然です。


考えることは、いまのビジネスマンにとって重要なことだと思います。昔は知識があったら「生き字引」といわれて尊敬されたものですが、いまはインターネットを使えば何でも簡単に調べられる時代になりました。会社でも、かつては帳簿をつけたりする役割の人はとても大事にされましたが、いまではかなりの部分をコンピュータに任せることができます。知識や情報だけでやってきた人間は、ゆくゆくはリストラされるわけです。


いまの社会が閉塞的な感じがするのは、不景気のせいだけではありません。人間の生活の範囲が以前より狭まっていることを多くの人が無意識のうちに感じているから、そこに息苦しさを覚えるのではないかと思います。


かつて団塊の世代は、権威に反発することにエネルギーを注ぎ、考えることを疎かにしてきました。そういう人たちが、あまり考えることなしに仕事に邁進して、現在の社会や企業の空気をつくったわけです。しかしいまの若者たちは、それでは駄目ではないかと感じています。自分で考えることの大切さに気付き始めているという点で、いまの若い人たちの方が、その親世代よりもよっぽど見込みがあるように思います。


学ぶというのは、言われた通りにできる、モノマネがうまいということです。要するに創造性を殺さないとできない。それなのに試験の成績がいいことを才能だと、日本人は考え違いをしている。いくら人の模倣がうまくなっても、教育は自分が誰か、何者かは教えてくれません。


自分がエスカレーターに乗っていることを自覚するためにも、エスカレーターに乗っていない人で挫折をした経験のある人。そういう人と触れて、自分を知る。ときどき食事をしたりして、いろんな問題を話し合い、違う意見や発想に触れることから学ぶことは多いんじゃないかな。


定年後に悠々自適に過ごせる人なんてそうはいないでしょう。それに気楽にのんびり過ごすなんて幸福そうだけれど、単なる生物だよ。今の中高年はぬるま湯世代だから、年金が保障されなくなるかもだとか、将来が不安になると「とりあえず金を貯めよう」と守りに入り、臆病でつまらない生き方を選択してしまう。


挑戦だとか、そんな大袈裟なことしなくてもいいんです。そうじゃなくて、納得のいくことをきちんとやる。人にあまり迷惑をかけない程度に、好奇心の赴くまま、好きなことに取り組めばいいんです。昨日までわからなかったことがわかる面白さが味わえるというのは、成長している証だから、続ける価値がある。


昔は本が貴重品だったから、床の上に本を置くと頭が悪くなるぞと脅されました。これは本の少ないときのモラルです。よい本ももちろんありますが、基本は新聞と同じように読んだら捨てる。本が役に立つのは30代まで。そこから先は害があって益はなし。それよりボーッとして、空を眺めていたほうがずっといい。


だいたい、勉強といえば本を読むことだと思っていること自体が大間違い。知的な活動の根本は記憶によって得られる知識ではありません。習得した知識が役立つのはせいぜい30代まで。40代ともなれば知識だけではダメです。知性を働かせなくては。


中高年になると世界が狭くなってくるから、新しい知的な刺激を与え合うような仲間が必要ですね。これは本を買ってくるようには簡単にできません。なぜできないのか。まず、年を取ると身近なところで群れて、離れた人に関心がなくなるから。そして自分に人を惹き付ける力がない。


歳をとって記憶力が落ちることは、むしろ歓迎です。年を取ると忘れっぽくなるというのは、頭の新陳代謝が、若いときよりも盛んになっていると思えばいい。精神的健康を維持するには、嫌なことをいつまでもグジグジと頭の中に置かないで、綺麗サッパリ、寝ている間に忘れちゃう。これが大事なことです。


体を動かして、汗を流す習慣を持つこと。昔から賢い人は散歩を取り入れていました。一定のリズムで体を動かしていると(余計なことを)忘れやすい。しかもその後に、ふいに面白いことが思い浮かんだりする。


旅行などで100万円や200万円も使うよりは株式投資を続けて一喜一憂を長く楽しんだ方がいい。「楽しかった」と思うことができれば、損を出してもそれで後悔することはないでしょう。株でワイワイ話をして元気になった人がいっぱいいます。


株式投資は競輪や競馬などに比べれば、はるかに上質なギャンブルです。他のギャンブルは非常に確率が低い上、負けたら何も残らない。株は会社が潰れない限り、その価値がゼロになることはありません。信用取引に手を出さず、あくまで現物だけを売買すれば、借金を背負って破綻することもない。


投資した会社が潰れて丸々損をしたこともあります。それも1社だけじゃない。7~8社はあるかな。悔しい思いをしたから、社名は忘れちゃったけど。金額でいうと、最大で1000万円くらいを失った。ですが、それも一喜一憂のうちです。一憂があれば、「次にはいいことがある」と思う。実際、帳消しになるんです。だから面白い。


要は、株式投資は上質なばくちであると思ってやれば、すごくひどい目には遭わない。のめり込み過ぎて全財産をつぎ込んだり、銘柄を一つだけ選んでそれだけに投資したりといったことをしなければね。


株も運です。運が悪ければどんなに努力しても損をするし、運が良ければいい加減でも儲かる。それはまさにギャンブル。ギャンブルであることを認めれば、ある程度は損をすることを覚悟する。それに損をするからこそ儲けた時に面白い。損をしなかったら、儲けたって面白くないですよ。


やはり好きな株を買うから、結果として損をしても我慢できる。他人から「この株は儲かるよ」と言われて買って儲からなかったら「騙された」と怒るでしょうが、自分で好きになって信じて買った銘柄が思い通りにならなかったら、諦めるしかない。結局は偶然の結果ですから。


バブル崩壊やリーマンショックなどの暴落のとき、いずれもじっとしていました。そこで慌てて売れば損をする。売らなければ、7割は直に価格が戻ります。後の3割は諦めるか、さらに上がるのを侍つかです。とにかく下がったら売るのは駄目。そのために売らなくて済むようにしておく。投資資金を有り金の3分の1以内にとどめることはやはり大事です。


頭の状態が悪いというのは、余計なことがたくさん頭の中に残っていることです。寝て起きたら、たいがい忘れていますから、朝が一番、頭の状態がいいわけ。だから夜に考え事をしてはダメで、ちゃんと寝て朝考えたほうがいい。呼吸も、血液の循環も、人間にとって大事なことは、みんな意識しなくてもできるでしょう。忘却も同じです。それを、学校の勉強で、忘れるな、忘れるなって、不自然なことを強いるから、おかしくなる。


忘れるコツは、忘れるためにメモとか、ノートに書き留める。大事なことは書くと忘れちゃいますからね。覚えていたいならノートなんて取らないほうがいい。面白くて大事なことは忘れないです。だいたい、なんでも全部書き留めるのは真面目だけれど頭は悪い人になる。半分以上は忘れていいというぐらいの気持ちで聞いたほうが頭に入る。


長寿はいいことだと、みんな思っているけれど、すでに吉田兼好は徒然草で「命長ければ辱(はじ)多し」と書いています。長生きするということは嫌なことをたくさん味わうことでもあるのです。それは避けられないけれど、岩山をよじ登っていくように、夢中でとにかく乗り越え、先へ行く力をつける必要がある。人生を満足できるように変えるのは独創的な思考です。


他の人が知らないことを知っていたりすると、優越感を持ったりするでしょう。本好きな人は知識があることで人間的にどんどんダメになっていく。40歳を過ぎたら本に頼らず、自分で考える。生き方のヒントを本から得て、他人のマネをしてみても、それは他人の人生の亜流にすぎません。つまり、人生の後半戦の勉強は、若いときとはまったく違うのです。


株式投資を始めたのは30歳。最初に買った銘柄は今でも覚えています。旭硝子、日本光学(のちのニコン)、キリンビール、東京製鋼の4銘柄を200株ずつ買いました。全部で11万円。今の価値にすると、100万円くらいかな。4銘柄とも50倍以上にはなった。堅実に財産を築く目的で始めたのですが、すぐに不思議な面白さを感じてね。新聞の株式欄の数字が目の前で動き出したように感じて、「株って生き物だな」と思いました。それで94歳になった今でも続けています。


株式投資をするときは、気に入ったものを色々と選んで分散投資すること。その結果がうまく行かなくても、自分で考えたことなら、他人を恨もうにも恨みようがない。自業自得ですから。続けているうちに、「こういうのはちょっと危ないな」と考えるようになって、失敗することは段々少なくなりますね。


株式投資は、偶然というものの存在を知る上でもいい。実際の経験で偶然の存在を知るには、一生かかることもある。偶然というのは非常に面白いものです。株式投資なら2~3年やっていれば、偶然というものがあることが誰にでも分かる。思うようには行かず、理屈通りにも行かないから。そして偶然に素直についていけば、偶然の良い面が出てくる。うまくいけば60%、悪くても30%くらいの勝率があるという形になってくる。


高齢者にとって、株式投資が一番の生きがいになる可能性があることに気付いた。定年退職を迎えてリタイアした方々は海外旅行などの余暇を楽しんでおられます。ですが、それは一過性のものです。やることがなくなれば退屈して、言い方は悪いが、いずれボケてしまいかねない。一方、株式投資を始めると、それにはまって、中には「明けても暮れても株」という人も出てくる。一種のギャンブルとして生き生きと株式投資をすれば、常に一喜一憂する。ボケてなんていられません。


持っているお金を3分割して3分の1は生活費に充て、もう3分の1はもしもの時のために取っておく。そして残りの3分の1で株式投資をする。そうすれば仮に株の運用資金がゼロになっても、生活に支障を来すことはない。株では新たな生きがいを得たり、会社を辞めて切れた社会との結び付きを取り戻したりというように、得られるものも多い。


現代の知識偏重社会はやっぱり不自然です。ある程度の知識は必要ですが、勉強しすぎるとダメになりますよ、人間も。40歳過ぎたらギアをシフトチェンジする。本当に楽しければ自然に努力をするし、自然と知識も得る。でも自然に忘れてしまう。発見をし、思索が深まる。その繰り返しでいいんじゃないかな。人間、知識をため込むだけではダメ。生活に根ざした向分なりの考えを持ってこそ人間なのです。


現在の教育は、小学校から大学まで、とにかく記憶です。ところが記憶力では、人間はコンピュータには敵わない。勝てる分野が独創性や創造性だとすると、それを発揮するためには、頭の負担を軽くしなくてはいけない。つまり、忘却です。ただ、忘れようと思っても、なかなか忘れられない。うまく忘れることができれば、頭の状態はよくなります。覚えたら忘れ、覚えたら忘れてと、どんどん新陳代謝をして、本当に必要なことだけ覚えているというのがよい頭で、なんでも全部覚えているというのは、よくない頭です。


そもそもサラリーマンという仕事がおかしいのです。毎月の収入はある程度確保されている。でも税金をいくら払っているかは会社まかせだからよく知らない。こういう呑気な生き方というのは普通じゃないです。要するに、資本に使われている下働きですよ。会社員なんて自由もないし、たいした喜びもない。にもかかわらず、みんながそうだから、大丈夫だと思っている。


知識と思考力は反比例します。知識が多い人ほど考えない。知識を自分のもののように使っていると、物マネ癖がついてしまいます。若いときは知識を蓄えることも大事ですが、知識は10年も経てば必ず古くなる。にもかかわらず、ほとんどの人が惰性で生きているでしょう? ことに高学歴で名の通った企業や役所に勤めるほど、エスカレーター人間になってしまいますから。エスカレーターを降りる(定年になる)直前になってどうしようと慌てるわけです。


以前、アメリカで「スタイリッシュエイジング」、かっこよく年を取ろうと言われ始めたとき、退職後に難しい大学に入学するとか、パイロットの資格を取るとかいう例がありました。でも、それはちょっと窮屈な考え方なんじゃないかな。それよりも自分が本当に面白いと思うことを探しましょう。何の役にも立たない、他人から見たら馬鹿みたいなことでも、好きで、活力のようなものが湧いてくる対象を見つけられるかどうかです。


株式投資といってもNISAで投資信託を購入するなんてのでは駄目ですよ。安全すぎる。面白くないでしょ。それに、自分で勉強して個人の責任で銘柄を選ぶことに意味がある。それで配当と値上がり益を合わせて、平均して毎年7%くらいの利益を上げることができれば、10年で資産は2倍になる。しかも、その気になれば、90歳や100歳になってもできます。こんなにいい老化防止の手段はないでしょう。生き生きと取り組むから、病気にもならない。医療費の抑制にもつながる。国の社会保障費も大きく減少します。


株式投資にギャンブル性があるのも事実。昔から「株はいけない」と言っている人はギャンブル性があることを理由にしている。ですが、ギャンブルは人間にとって極めて有用な精神的刺激なんです。年寄りが生き生きとするには、良いことばかりでは駄目。それではボケてしまう。証券会社など他人任せではなく、自分で銘柄を選んで売買する。それですごく儲かることもあれば、大きな損を被ることもある。そうして一喜一憂することが、人間が生き生きと生きていくためには必要なんです。損しても、それで生活ができなくなるほどでなければ、「治療費代わり」と思えばいい。多少損をしても、病院に通って薬代を払うよりはずっといい。


数年投資をしていれば分かる。主観的に強く魅力を感じて選ぶ企業への投資は危ない。熱くなり過ぎ、判断が鈍るのが常だ。企業への特別な関心、惚れ込みリスクを避けるためには10~15銘柄は買いたい。業界も分散しやすくなり、リスクも下がる。予算内で工夫をする。「こっちが青ならこっちは黒」「あっちが三角ならあっちは丸」というように。そうして色々な選択をすると、偶然の確率が上がる。同じものばっかり、丸ばっかりだと全滅してしまう。色々なものが混ざって、丸が駄目でも三角や四角があると雑然とした状態がいい。だから、ポートフォリオは論理を超越したものになる。世の中が「丸がいいですよ」と言っていても、それに賭けたら駄目なんですよ。丸だけではなく、その反対のバツも持つ。バツも案外面白いかもしれないから、丸を買ったらバツも買う。こういうことも失敗と成功を繰り返しているうちに、自然と身に付く。経験から得る知恵のようなものだね。


損は忘れることができます。トータルで儲かれば、お金は減っていないので、損は忘れられる。もちろん、損ばかりしていたらお金が無くなっちゃうから、忘れることはできません。ですが、ある程度健全にやっていれば、儲けて損して、儲けて損してを繰り返して、だいたいはトントンになるのが普通です。自然に起きる偶然が積み重なった末の結果であれば、大きなマイナスになるということは起きにくい。考えてみれば、株式投資というのは割と安全なギャンブルです。


投資で一番いいのは、特別に話題にもなっていないが、将来性のあるものを見つけることです。なかなか難しいことですが。たとえば今、ガソリンや電気に続くエネルギーの候補に水素があって、東京五輪までに水素バスを走らせるという計画もあるようですが、水素にはそれを備蓄する「水素ステーション」の建設にかなりのお金がかかるという問題がある。水素が本当にガソリンや電気に取って代わるかどうかは分からないが、今水素を製造している限られた会社の株を買っておけば、大富豪になれるかもしれない。恐らく株価は1000倍くらいにはなるでしょうから。


最も重要なのは経営者。その会社が将来伸びるかどうかは、企業の第一の運転手である経営者の手腕にかかっています。たとえば、東芝は代々、旧財閥の三井系の人が社長をしていて日本で最もいい会社の一つだったが、いつの間にかあんな会社になっていた。その間に経営者が代わり、会社が変わったことをマスコミがきちんと報じていたかというと、そうではないでしょう。表面的な数字ではなく、経営者の手腕やその会社の内部事情などをもっと報道してほしい。


外山滋比古の経歴・略歴

外山滋比古、とやま・しげひこ。日本の英文学者、言語学者、評論家。愛知県出身。東京文理科大学(のちの筑波大学)文学部英文科卒。『英語青年』編集長、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、お茶の水女子大学付属幼稚園園長、昭和女子大学教授などを務めた。そのほか、全日本家庭教育研究会総裁なども務めた。専門は英文学、言語学、修辞学、教育論、意味論、ジャーナリズム論など。投資家としても知られている。

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