塚本隆史の名言

塚本隆史のプロフィール

塚本隆史、つかもと・たかし。日本の経営者。みずほ銀行頭取、みずほフィナンシャルグループ会長。東京都出身。京都大学法学部卒業後、第一勧業銀行に入行。人事部主任調査役、秘書役兼秘書室長、営業第四部長などを経験したのち、合併によりみずほコーポレート銀行執行役員人事部長、常務執行役員欧州地域統括、常務兼企画グループ統括兼財務主計グループ統括、みずほフィナンシャルグループ常務執行役員・リスク管理グループ長兼人事グループ長兼人材開発室長、副社長、みずほフィナンシャルストラテジー社長などを経たのち、-みずほ銀行頭取、みずほフィナンシャルグループ取締役社長・会長。

塚本隆史の名言 一覧

時代の変革をきちんとキャッチし、従来から多少の揺らぎがあっても持続するものと、本当に変わっていくものとを見分けなければいけません。ノイズとシグナルを見分ける力が必要です。ノイズとは、いろんな事象が起きても実は本質的はあまり変わらない雑音のことで、シグナルとは、本当に大きなトレンドが変わっていく兆しのことです。


新しいことが起きたときに、従来の仕事の仕方、商品、サービスでは対応しきれないことが当然出てきますが、そのときに、往々にしてなぜできないかの説明をしがちな人が多くいます。ものごとに対しては「いかにしたらできるか」と、前向きに考えて欲しい。いくら理路整然と「こういう理由でできません」といわれても、何の足しにもなりません。私は言い訳をしない人を求めています。


場が与えられれば爆発的に持てる力を発揮するケースを、私はこれまでたくさん見てきました。やりたいと思っていた仕事が、実際に辞令を受けてはじめてできるようになると、嬉しいんです。そうすると、ものすごい力を発揮するのです。


人材育成には、オン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)で上司の背中を見て学ぶという側面を重視しています。つまり私をはじめ、上に立つ者は全員、お客様第一主義の姿勢、あるいは変革に挑戦し続ける姿勢を見せ、全組織に浸透させていく必要があるのです。


みずほフィナンシャルグループには、支店長公募制度もあります。従来だと、40歳を過ぎないと支店長になれませんでしたが、いま一番若い支店長は36歳で就任した人です。自分のなりたいものを明確にイメージし、そこに向かって果敢にチャレンジする枠組みをつくっています。


みずほフィナンシャルグループの人材育成の方針は「自らのキャリアは自らの力で勝ち取る」です。そのために、ルーキージョブリクエスト(入社一年目の研修が終わった段階で次の配属先を自分で決められる制度)、ジョブ公募制度(みずほフィナンシャルグループ内のどの会社にでも、どの仕事にでも転属リクエストができる制度)、支店長募集制度などのプログラムを数多く用意しています。


銀行の人事評価と言えば「減点主義」とのイメージを持つ方が多いかもしれません。しかし、いまの時代となっては、それは全くの誤解なのです。現在の人事評価については相当程度、加点主義の評価軸に変わってきています。私どもは商業銀行として安定した信頼される経営が求められる一方で、グローバル化の波のもと世界の列強と伍して戦い、新規分野に出ていかなければいけません。減点主義では競争に勝てるわけがないのです。


組織内で働いている人がいかに前向きに「よし、やってやろう」「お客様がいるのだったら地の果てまで行ってやろう」という意欲を持てるようにするか、採用した人をいかに育成するかが経営陣の使命だと考えています。


日本もこれだけ豊かになると、ある意味で満足感や充足感が出てきます。そうした中で、さらに鼓舞し、あえて大変なことに挑戦しなくてもいいんじゃないか、今日楽しければいいんじゃないかというモメンタム(惰性)が出てくる。成熟国としてはやむを得ずとしても、企業としてはそれは許されません。


みずほフィナンシャルグループへの応募者は、相当な意欲を持った人が多いと実感しています。とはいえ卒業の時点では、社会人としての自覚をもって前向きに進める人ばかりではありません。学校任せでは駄目です。企業が採用した人をしっかり教育していかないと、国際競争の中で日本は負けてしまいます。


私は顧客志向、現場思考、未来志向といっていますが、とくにお客様第一主義をよく理解して実践できる人材、変革を恐れない人材がこれからますます重要になってきます。逆にいえば、自分たちの理屈で凝り固まってお客様と接するような人は遠慮したい。


みずほフィナンシャルグループでは、人事評価の中に共通評価軸と呼んでいる5つの行動規範があります。「お客様第一の徹底」「変革への挑戦意欲」「合理的で公正な行動」「スピードの重視」「主体的で責任ある行動」の5つです。


時代が大きく変革していく中で、いかに機敏に柔軟に対応していくかが、組織として極めて重要です。


当社に入ってくる人に求めるのは、「若々しさ」です。エネルギーがあり、明敏、機敏であって、いい意味での楽観主義、なにくそ魂を備えた人であれば、我々は十分教育をして、持てる力を120%引き出せると思っています。


みずほフィナンシャルグループは大きい組織ですから、金太郎飴のように、どこを切っても同じ人がいて成り立っているわけではありません。それでも、みずほフィナンシャルグループの一員として日本経済、世界経済のためにやっていくのだという強い意志、意欲を持っている限りは、すべての仲間にこの船から降りずについてきてもらいたいと思っています。そのために、組織としてできることは何でもします。


二分法での発想では、おのずと行き詰ります。文明のように、自明と思われているものでさえ、別の軸を用いれば、新しい視点が得られるのです。


金融は経済の血液であり、産業振興のうえで重要な役割を担っています。しかし、同時にレバレッジを上げたマネーゲームの過熱を防ぐことも必要です。


ニューヨーク勤務時代、非日系の担当課長をやりました。19人の部下のうち、日本人は2人だけ。そのとき、多様な考え方をひとつにまとめるには、情報共有が重要だと学びました。ウルトラCはないんです。ただ、チームとして情報をシェアできれば、全軍が共通の目的意識を持って同じ方向に走り出します。そのとき国籍の違いは超えられます。


全員が、同じ方向を向いて、できれば火の車になって、一生懸命汗を流す。そういう組織にできるだけ近づけたい。これが私の夢です。


まず部下との間で情報を共有化し、自分の持っている問題意識、部下の持っている問題意識をよくすり合わせます。それがすべての出発点です。


情報共有がキチッとできていれば、どんな組織でも間違いなく、力を2倍も3倍も発揮できるのです。


課題があるとすれば、それぞれのお客様に対し、自分のところの機能だけではなく、グループの連携プレーをもっとやっていくことです。まだまだこのビジネスモデルは道半ばです。当初のグランドデザインに沿って、120%の力を発揮できるようにすることが私の仕事です。


塚本隆史の経歴・略歴

塚本隆史、つかもと・たかし。日本の経営者。みずほ銀行頭取、みずほフィナンシャルグループ会長。東京都出身。京都大学法学部卒業後、第一勧業銀行に入行。人事部主任調査役、秘書役兼秘書室長、営業第四部長などを経験したのち、合併によりみずほコーポレート銀行執行役員人事部長、常務執行役員欧州地域統括、常務兼企画グループ統括兼財務主計グループ統括、みずほフィナンシャルグループ常務執行役員・リスク管理グループ長兼人事グループ長兼人材開発室長、副社長、みずほフィナンシャルストラテジー社長などを経たのち、-みずほ銀行頭取、みずほフィナンシャルグループ取締役社長・会長。

他の記事も読んでみる

オリヴィエ・ブロ

今回の展覧会のように、文化のプロとしても働くことになるとは、以前の私は想像もしていませんでした。しかし、人間は誰しも、たとえずっと同じ分野で仕事をしている人であっても、一つの分野だけに閉じ込められて生きてはいません。仕事や専門分野だけではなく、環境や教育、そして仕事以外でどんな興味を持っているかということも、その人に大きな影響を与えます。私の場合、美に対する興味をずっと持っていて、それが現在の仕事にも生きている。だから、自分が全く新しいところに足を踏み入れているという感覚はありません。


野中郁次郎

当たり前のことをやり続けるのは実はとても難しいことです。ですが、当たり前のことをきちんとやってさえいれば、必ず道は開ける。


平尾誠二

本番では、人間は普段通りの力さえ出ませんよ。ましてやそれ以上の力なんて期待してはいけない。120%出せなんて無理。80%も出せたら、ようやった。90%出したらやりすぎちゃうかですね(笑)。


小杉俊哉

一見して「運が悪い」ことでも、自律意識をもって取り組めば、結果的には「運がよかった」となることも、往々にしてあります。たとえば、自分の意に沿わず、会社のなかでも日陰の部署に転属されたとしましょう。これを「運が悪い」と嘆いて腐ってしまえば、そのままです。しかし逆に、「なんとか結果を出して見返してやる」と奮起できれば、異動はまたとないチャンスになります。なぜなら、そうした不人気部署には優秀な人材があまりいないため、頭角を表わしやすいからです。しかも、そういった部署は往々にして上司の管理もゆるく、好きなように仕事ができることも多い。また日陰の部署はメンバーの人数も少ないですから、多くのことを自分でこなさなくてはなりません。嫌でもマルチタスクで仕事をこなせるスキルが身につくのです。そして、結果的に社内の注目を集めることとなり、やがて本流の部署に呼び戻され、同期よりも早く出世できるといったケースも多いのです。


大山健太郎

経営で一番大事なのは働く社員の立場に立つこと。評価を正しくすれば、人間は誰でもモチベーションが上がる。だから当社では評価することにものすごく時間をかけています。


松井道夫

私の好きな言葉は「坐忘」です。これは大学の先輩でもあり日本生命の社長・会長をされた故・伊藤助成さんから教えてもらった禅の言葉です。新しいものを取り入れる為には、まずは古いものを捨てるしかないと。捨てた余白に新しいものがどんどん入ってくる。シュンペーターが唱えた「創造的破壊」と同じです。


千葉智之

1日のスケジュールは5分単位で決定します。ある仕事を30分と設定した場合と25分と設定した場合では5分しか違いませんが、同じようなタスクが5個重なれば25分の時間を捻出でき、タスクをもうひとつこなせます。


井上ゆかり(経営者)

R&D部門が社員の発案で金曜日を「英語デー」にしています。社内ではすべて英語でコミュニケーションする。日本人だけの小さな会議もです。これはとても効果的だと思っています。たとえば営業職などは、日本市場を対象にしていれば、日本語だけで仕事ができないわけではない。でも、英語ができれば、手に入る情報量が圧倒的に変わるんですね。世界各国が発信する情報が手に入るし、世界中の成功事例をインプットできる。世界の店頭で何が起こっているか、業態はどう変わりつつあるか、消費者ニーズはどんな変化を見せているか。それを知ることが、日本での仕事にプラスにならないわけがない。世界の市場の変化に対して、私たちがやらないといけないことは何か。どんどん、先に先に、ラーニングしていくことができる。これは大きな強みになります。


岩田松雄

過去には、いい大学に行って大企業に入り、そこで実績を上げて出世していくというモデルコースがありましたが、いまでは崩れ去っています。価値観は多様化し、ある意味で画一的な人生から人は自由になったとも言えます。ですが、その自由の裏返しとして、個人が自分なりの答えを見つけなければならなくなっているのです。


テリー伊藤

『お笑い北朝鮮』の本の企画を売り込んでいた時、オレは本当に焦っていました。というのも、「北朝鮮をお笑いで括る」というアイデアで動いているヤツが、今日はオレだけだという自信があった。だけど、明日になったら、日本のどこかで同じアイデアを出すヤツが出てくるかもしれない。今しかないって走りまわっていました。


田原総一朗

優れた経営者はネアカです。暗い人には人が寄ってこない。


六角精児

(ドラマ『相棒』に誘ってくれたプロデューサーが)じつは学生の時、僕の舞台を見たことがあったそうなんです。もう20年以上前になると思いますが、札幌で扉座の旅公演を見てくれた。その劇場は100人ちょっとの小屋で、公演も3、4回やった程度。その中に彼がいた。よく「仕事は誰が見ているかわからない」と言いますけど、本当にどこで誰が見ているかわからない。まさに「オレは今後どうすりゃいいんだ?」と思っていた時期に、かつて舞台の上の僕を見てくれていた人が現れ「あの時の芝居を面白いと思ったので一緒に仕事をしよう」と声をかけてくれた。つくづく目の前の仕事に全力を尽くす大切さを感じました。やっぱり、下積みと呼ばれる時代、大変だなと感じる時期に、何かの種が蒔かれているものなんですよ。


松岡修造

高校3年のときに、単身アメリカに渡りました。アメリカで、ボブ(ボブ・ブレッド コーチ)に「修造、腕試しにプロの試合に出てみないか?」と言われましてね。プロになるなんて考えてもみなかったですよ。そんな力もないと思っていたし、日本人で海外のツアーを転戦しているという選手も、まだいませんでしたから。躊躇していたときです。ボブに「つまらない恐怖心は持つな!」と言われた。それで決心がついて、プロの小さなトーナメントに出たんです。なんとか大接戦を勝ち抜き、初めてプロの本戦に出ました。そうなると、やっぱり世界相手に挑戦してみたくなるじゃないですか。それでプロのスタートを切ったんです。


西和彦

振り返れば、僕の人生は15年周期で変化してきました。15歳までは、ひたすらいい子でした。本を読んで静かにして、親の言うこともよく聞くようなね。だけど、高校に入った頃から、変な子になりました。ろくに勉強もせず、アマチュア無線に熱を上げていました。エンジニアになることを夢見る、いわゆる電気少年です。大学では小さな会社をやり、あげくの果てにアスキーを創業し、米マイクロソフトに行ってパソコンに没頭しました。30歳まではエンジニアとしてテクノロジーを追求していたんです。次の15年は経営者の時代です。アスキー社長として、当時最年少の33歳で株式を上場し、一時は自分の持ち株の評価額が400億円くらいになりました。しかし、バブル崩壊後に経営は悪化しリストラなどに苦しみ、最終的にはCSKに売却して会社を追われました。そこから60歳までは大学に関わりました。


鶴野充茂

提案する内容はもちろんですが、一緒に仕事をしたい相手だと思ってもらえるかどうかも、プレゼンでは非常に重要な事柄なのです。


ページの先頭へ