堤幸彦の名言

堤幸彦のプロフィール

堤幸彦、つつみ・ゆきひこ。日本の演出家、映画監督。三重県生まれ、愛知県育ち。法政大学社会学部社会学科を中退後、東放学園専門学校放送芸術科卒業。テレビの世界に入りADとして下積みを経験。テレビディレクター、CMプロモーションビデオ演出などを経て、オムニバス映画『バカヤロー!私、怒ってます』の4話で映画監督デビュー。『金田一少年の事件簿』『ケイゾク』『TRICK』『池袋ウエストゲートパーク』『SPEC』などのヒットシリーズを手掛けた。そのほか愛知工業大学客員教授などを務めた。

堤幸彦の名言 一覧

へこんだときこそムリしてでもはしゃぐ。僕がへこんだしぐさを見せ、被害者意識を持ってしまったら、誰もついてきてくれなくなりますから。

堤幸彦の名言|へこんだときこそムリしてでもはしゃぐ

壁を破るには、根本に楽しさがなければいけない。

堤幸彦の名言|壁を破るには、根本に楽しさがなければいけない

一個でいいから譲れないものをみつけろ。らっきょうみたいに、その人の皮を全部剥いでいって、最後に何もない人にはなるな。

堤幸彦の名言|最後に何もない人にはなるな

自分の原点に戻ることができる拠り所があれば、人はそう簡単に揺らがない。芯となる部分に気づけば、発想ひとつで、辛さは楽しさに変わる。

堤幸彦の名言|芯となる部分に気づけば、発想ひとつで、辛さは楽しさに変わる

僕は自分の仕事をサービス業だと思っているんです。サービス業ですから、お客さんに喜んでいただかないといけない。

堤幸彦の名言|お客さんに喜んでもらえるものを

僕はルーチンワークを避けてきた人間です。もちろん、仕事がはかどるにこしたことはありませんが、それだけでは、仕事に意外性が生まれないことも事実です。

堤幸彦の名言|ルーチンワークだけでは仕事に意外性が生まれない

自分は芸者であるとも思っています。芸者はお座敷に呼ばれるために芸を変えていかなければならない。飽きられてしまうから、頭も身体も常に鍛えておかないといけません。天狗になんかなっていられないですよ。

堤幸彦の名言|天狗になんかなっていられない

僕の知る限り、一流の人は、ほとんど例外なく謙虚です。人にぞんざいに接している人は、最初は調子がよくても、人間関係の中で徐々に姿を消していっています。いい仕事をするには最低限、常に謙虚に素直でいることが必要でしょう。

堤幸彦の名言|一流の人は例外なく謙虚

僕はいまも、自分のことを駆け出しの分際だと思っているんです。自分が映画監督をしていること自体、いまでも驚いているんですから。

堤幸彦の名言|いつまでも駆け出しの分際という意識を持つことの大切さ

作品には毎回毎回、新鮮な気持ちで向かっています。その都度、気持ちをリセットして、初期化して、素材に真摯に付き合う。逆にいうと、天才でも芸術家でもない僕が生きる道は、それしかないんです。何かがヒットしたからといって、浮かれだしたら、そこで潰れてしまう。

堤幸彦の名言|天才でも芸術家でもない人間が生き残る道

僕の原点は20代前半にこそあるといまでも思っています。地方出身で、大学は中退し、財産も七光りもなく、学生時代に何か輝かしい実績があったわけでもない。ないないづくしのなかで、這いつくばって生きてきたあのころ。何歳になろうと当時のことを決して忘れてはいけないし、もし忘れていい気になりでもしたら潰れてしまうという意識は常に持っています。だからどんな仕事でも、とにかく一生懸命に、丁寧に、というスタンスは変わりません。

堤幸彦の名言|いい気になりでもしたら潰れてしまう

何でもいい。何かしらのものを見つけられたのなら、棒に振った年月は決して無駄にはならない。その何かをもとに、それからの10年、20年を自分の足で存分に歩いていけばいい。

堤幸彦の名言|何か見つけられたら棒に振った年月は決して無駄にならない

会社員を取り巻く環境はここ数年、確かに厳しいと思います。でも僕は、若い人にはあえて10年くらい棒に振ってもいいんじゃないかと言いたい。もちろん、僕のように生きるのがいいというつもりはもちろんないけれど、地を這うようにもがいている間に、人に譲れないものをひとつでも見つけられたら、それは大きな財産になります。

堤幸彦の名言|10年くらい棒に振ってもいいじゃないか

どんな企画や作品にも、面白いところは必ずあります。だから僕は「この台本ではできないな」といった理由で断ることはまずありません。極端な話、アダルトビデオの仕事をいただいて、もしやることになったら、面白いところを見つけて一生懸命取り組みます。

堤幸彦の名言|どんな仕事でも面白い所を見つけ一生懸命取り組む

生来のあまのじゃくな性格もあって、他の人がつくるような映画はつくりたくないという思いも、いつも持っています。

堤幸彦の名言|他人とは違うものを

自分で考えた企画を監督する場合、自分が思っている面白さを必死に人に伝えます。もしそれが伝わらないようなら、僕の座標の設定が間違っているんです。押すときは押すけれど、引くべきときは引くことも大切だと思います。

堤幸彦の名言|自分の思いを必死に伝えることの大切さ

悪戦苦闘しているのは、いまでもまったく変わらないんです。

堤幸彦の名言|いつまでも悪戦苦闘

つらいAD時代を乗り切れたのは、僕の場合は音楽でした。学生時代にロックバンドを組んでいたのですが、当時、サザンオールスターズやツイスト、ゴダイゴといった同世代のミュージシャンの活躍は、とても励みになりました。ジャンルは違うけれど、彼らの活躍を見るにつけ、「俺にも希望があるかもしれない」とずっと思っていました。

堤幸彦の名言|つらい時期には希望を持てるものを

残念ながら、昔は仕事が楽しいと思えませんでした。とくに20代の前半は、テレビの現場で地獄のADの毎日でしたから、前近代的な労働条件の中で丁稚奉公みたいに、身を粉にして働いて、身体的にも精神的にもボロボロ。撮影現場の片隅で泣いたことも一度や二度ではありません。そんな環境では、さすがに仕事を好きになどなれなかったし、それどころか、毎日、逃げよう、辞めようとばかり思っていました。

堤幸彦の名言|苦しい時代の思い出

残念ながら、昔は仕事が楽しいと思えませんでした。とくに20代の前半は、テレビの現場で地獄のADの毎日でしたから、前近代的な労働条件の中で丁稚奉公みたいに、身を粉にして働いて、身体的にも精神的にもボロボロ。撮影現場の片隅で泣いたことも一度や二度ではありません。そんな環境では、さすがに仕事を好きになどなれなかったし、それどころか、毎日、逃げよう、辞めようとばかり思っていました。

堤幸彦の名言|苦しい時代の思い出

たとえば、クルマを運転していて渋滞していたら、普通はイライラしますよね。でもその間に、好きな音楽をたくさん聴けると思うと、渋滞もまた楽しくなるはずです。それくらい心に幅を持たせて、仕事に取り組んだ方がいいのではないでしょうか。

堤幸彦の名言|心に幅を持たせて仕事に取り組むことの大切さ

やる気の源は、どんなことでも「面白れぇー」と思うことです。

堤幸彦の名言|やる気の源

予算のない中でビデオクリップも週に1、2本撮り続けなければならなかったり、30分ドラマを8日間で13本撮らなきゃいけない現場があったり。きつい仕事はごまんとありましたけど、これもまたロックだな、と。楽しいと思い込み、一点突破する中で、堤流と評していただける自分なりの撮り方が固まっていきました。

堤幸彦の名言|これもまたロックだな

いまでも「もう、死にたいかも」「逃げたいかも」と思う瞬間は月に1回くらいありますよ。僕らの仕事は、結果が冷厳と数字に表れてきますから。映画は公開初日から100円単位で結果が出てしまうし、テレビドラマは分刻みで視聴率が記録されます。放映が週末の作品なら、その日はまったく眠れない。翌朝の8時過ぎにプロデューサーから電話がかかってくるのを戦々恐々としているから。

堤幸彦の名言|いまでも逃げたいと思う瞬間はある

AD時代、身体的にも精神的にもボロボロで、現場の隅で泣いたことも一度や二度じゃないですよ。毎日、逃げよう、辞めようとばかり思っていました。それでも僕が辞めずにいられたのは、拠り所となる一点があったから。それは小学6年生で出会って「うわっ!」と思って以来、いまも大好きなロック音楽です。その側に自分がいると実感できたから楽しめた。

堤幸彦の名言|僕が辞めずにいられたのは、拠り所となる一点があったから

働くってことの一面には、「好き」とか「夢」とか「仕事を楽しもう」と気軽には言えない漆黒の壁がある。アドバイスできるとすれば、たったひとつ。完全な精神論ですが、「これは楽しいんだ!」と自己暗示するしかない。労働力を切り売る毎日の中で、一点でも突破できる、楽しめる要素を見出して、それを目的にしていけばいい。

堤幸彦の名言|「これは楽しいんだ!」と自己暗示するしかない

堤幸彦の経歴・略歴

堤幸彦、つつみ・ゆきひこ。日本の演出家、映画監督。三重県生まれ、愛知県育ち。法政大学社会学部社会学科を中退後、東放学園専門学校放送芸術科卒業。テレビの世界に入りADとして下積みを経験。テレビディレクター、CMプロモーションビデオ演出などを経て、オムニバス映画『バカヤロー!私、怒ってます』の4話で映画監督デビュー。『金田一少年の事件簿』『ケイゾク』『TRICK』『池袋ウエストゲートパーク』『SPEC』などのヒットシリーズを手掛けた。そのほか愛知工業大学客員教授などを務めた。

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