名言DB

9,528 人 / 112,482 名言

堀江薫雄の名言

Facebookボタン  Twitterボタン  はてなブックマークボタン  新着 名言

堀江薫雄のプロフィール

堀江薫雄、ほりえ・しげお。日本の経営者、経済学博士。東京銀行頭取。徳島県出身。東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、東京銀行の前身である横浜正金銀行に入行。海外支店に勤務。終戦後、横浜正金銀行改組室長に就任し、東京銀行への改組を担当。取締役、常務、副頭取、頭取、会長を歴任。国際金融問題の権威で、経済審議会、関税率審議会などで活躍。東京大学、京都大学で講師として国際金融論を教えた。主な著書に『国際為替金融講話』『国際金融講義』『国際通貨基金の研究』『国際経済論』『国際金融』など。

堀江薫雄の名言 一覧

不安や人気の勢いというものは恐ろしく、また信用というものは微妙なものである。
【覚書き|第一次大戦中の好景気と、その後に発生した金融パニックについて語った言葉】


横浜正金銀行(のちの東京銀行)では、「たとえ間違った意見でも、黙っているよりは勝る」という考え方が強かった。何事にも意見を持てということであり、これは行員対支店長、支店長対重役、重役対頭取いずれの場合もそうであって、オピニオンとオリジナリティのない者は駄目とされていた。大多数の正金の人間が、いつも勤勉努力して、緊張感を持ち続けてきたのは、おそらくこのせいではなかろうか。


横浜正金銀行(のちの東京銀行)には、正金スピリットという伝統的な気風があった。これにはそれなりの背景もある。

  1. 人員採用が厳重なため優秀な人材が集まること。
  2. 身分保障がしっかりしていて、正金を生涯の働き場所と決めることができたこと。
  3. 首脳部が常に他の銀行界に劣るような待遇を行員に与えてはならないとし、銀行の利益と名誉を守るという精神に徹していたこと。

支店長といえば、正金(東京銀行の前身、横浜正金銀行)では、支店長と呼ばずに支配人といったが、支配人に何でもできる広範な権限を与えていたことがひとつの特徴であった。これは外国為替という仕事が、遠隔地の間にまたがり、また敏速を要するという関係もあったであろうが、やはり、上下の信頼関係がスムーズであった証拠である。


思うに昭和2年の金融パニックは、第一次大戦後の日本経済のインフレ病を大正9年のパニック処理で完全に治療、回復させていなかったことに原因する。それ以降、依然として放漫な経営を続けた業者と銀行とが、いつかは徹底的な手術をしなければならない運命にあったわけだ。それを怠っていたところへ、さらに世間一般の不安と不信の真理に勢いがついてどうにも処理できなくなったのが、昭和2年の金融パニックの実態であろう。


横浜正金銀行(のちの東京銀行)は上下の信頼感が強く、四季の儀礼的な挨拶や贈答などは一切しないでよいことになっていた。その半面、頭取や重役の門戸は行員のためにいつも解放され、下の者が上役を役名で呼ばず、たとえ頭取でも井上さん、児玉さん、大久保さんなどと呼んだ。


横浜正金銀行(のちの東京銀行)には、一種の正金スピリットという伝統的な気風がある。それは行員が上下一体となって協力し、己を捨てて銀行のために尽くし、銀行を通じて日本国の国際発展に寄与しようという気概である。私は入行してすぐ、この正金スピリットに触れて、心から頼もしく感じた。


このような国際環境の中では、我が国も百年の大計を立て、外国企業の直接投資自由化にも積極的な姿勢で取り組み、また日本企業の海外進出も進んで行うべきである。かくて、経営や資本そのものが日本へ入り、日本からも盛んに出ていくのが、将来の大勢ではないかと思う。こうなると相互にワールドエンタープライズへの発展ということになる。


堀江薫雄の経歴・略歴

堀江薫雄、ほりえ・しげお。日本の経営者、経済学博士。東京銀行頭取。徳島県出身。東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、東京銀行の前身である横浜正金銀行に入行。海外支店に勤務。終戦後、横浜正金銀行改組室長に就任し、東京銀行への改組を担当。取締役、常務、副頭取、頭取、会長を歴任。国際金融問題の権威で、経済審議会、関税率審議会などで活躍。東京大学、京都大学で講師として国際金融論を教えた。主な著書に『国際為替金融講話』『国際金融講義』『国際通貨基金の研究』『国際経済論』『国際金融』など。

他の記事も読んでみる

佐藤綾子(心理学者)

「あの人が言うから、本当だ」「あの人が言うからたいしたことではあるまい」。どちらも、会社や団体でもよく聞こえてきそうな発言です。語り手が醸し出す信憑性、つまり本当らしさや信用は、プレゼンの中では最も付け焼き刃が利かないことです。


杉本隆一郎

とにかく地道にやって来たという印象で、ビジネスにおける大きなターニングポイントは思い浮かびませんね。どの分野にも平均して取り組み、皆様のご理解もあって順調に成長して来られたのだと思います。


大塚辰男

初の生え抜き社長ということで、就任当初はプレッシャーもありました。1年くらいして、導入した執行役員制度がきちんと回り始めたころから、改めて重責を担っているんだなと痛感しました。社長になって丸6年がたち、これからアシストをどう変えていくべきか、また変えてはいけないところはどこかを皆と議論しているところです。課題というか、やり足りないところがまだたくさんあります。これを次の中計の中で解決していきたい。


エマヌエル・スウェーデンボルグ

愛は決して眠ることはできない。


加藤諦三

『Twin Demons』という本があります。そこに書かれている話です。二人の人がレストランで食事をしています。一人は蛙の足と生カキを注文します。それが最高の味であることを期待しているからです。もう一人は蛙がのたくったり、カキが泥のなかで繁殖したりしているのを想像し、それが自分の食道を通り、胃の中に入ることを思い、吐き気を催します。同じものを食べていても、これだけ違うのです。この本の著者は、同じ体験が幸福にもなるし不幸にもなると主張しています。


法華津寛

私のモチベーションの源は、いまでも少しずつ、自分が上手くなっているなと感じられることです。


児玉和

私が大切にしている経営理念の一つに「会社は反物(たんもの)のように紡ぐ」というものがあります。反物には経糸(たていと)と緯糸(よこいと)がありますが、経糸が途中で切れても、織り込む緯糸が途中でなくなっても、反物を織り続けることはできません。私が考える会社にとっての経糸は「創業者精神」、緯糸は「時代に合った新規事業への参入」です。


川田達男

リーダーとは育てるものだろうか。育てれば育つものなのだろうか。いま、目覚ましい業績を誇っている企業のトップで、育てられたとか主流を歩いてきたという人は少ない気がします。むしろ、主流というより傍流を歩み、そうした中で実績をあげ、実力をつけてきた人の方が多いのではないかと思います。


狩野みき

頑固にならずに柔軟に。じっくりと納得がいくまで考えて、選択をすることで、仕事も人生もより豊かなものになるはずです。


ラルフ・ローレン

40年間ずっとやってきたのは、スタイルを表現することだった。ファッションはタイムレスであるべきだ。


御手洗冨士夫

キヤノンは米国の特許取得数で20年間、4位以下になったことがない。その技術を事業化する基準を厳しくしている。


槇原稔(槙原稔)

92年に三菱商事で英語を第2公用語にしようと提案した時は、社内外から反発されました。でもそれには誤解があって、私は「バッドイングリッシュを公用語にしよう」と言ったんです。下手でもいいから自分の考えが通じないと、話になりませんから。