堀地速男の名言

堀地速男のプロフィール

堀地速男、ほりち・はやお。日本の経営者。回転寿司「銚子丸」創業者。富山県出身。高校卒業後、協同組合日本セルフチェーン、日本セルコ、メルシーなどを経て(株)オール(のちの銚子丸)を設立。

堀地速男の名言 一覧

利益が出るのかと心配されるが、損得勘定だけで店をやろうとするからお客が離れるのだ。


お客が喜び、納得する商品、サービスがあってこそ利益が生まれる。


お客様に鮮度の良い魚をおなかいっぱい食べてもらい、喜んでいただきたい。それだけを考えて銚子丸をやってきた。


削る部分は、お客様の見えないところですべきだ。銚子丸は、物流コストの削減には力を入れている。最近では、店員1人当たりの生産性の向上に向けた教育や研修も強化している。


伝統的な江戸前ずしだけでは鮮度やバラエティー感を表現するのに限界があるため、オリジナルのネタも多い。銚子丸のメニュー数はグランドメニューと期間限定、日替わりメニューなどを合わせると常時100種類に上る。これも全て、お客様にワクワク感を持ってもらうための施策だ。


堀地速男の経歴・略歴

堀地速男、ほりち・はやお。日本の経営者。回転寿司「銚子丸」創業者。富山県出身。高校卒業後、協同組合日本セルフチェーン、日本セルコ、メルシーなどを経て(株)オール(のちの銚子丸)を設立。

他の記事も読んでみる

大平喜信

大抵の人は、「できないに決まっている」で終わりますが、私は自分が全力を尽くしてもいないのに「できない」とは考えたくありません。「きっとできる」と思うのです。


藤原和博

意に沿わない部署に異動になったとか、子供のPTAの役員に選ばれたなどの「偶然」が、自分を思わぬ世界に引き合わせてくれることだってあります。友人に誘われて出た勉強会や趣味の集まりが、新たな扉を開いてくれる可能性もあるでしょう。


畑村洋太郎

「本を読みながら線を引く」といいますが、それは違います。読んで大事だと思うから線を引くのです。つまり線を引いた個所は2回読んでいるということです。いったん読み終わったあと、赤線の部分だけを追いかければ、その本のエッセンスが短時間に頭に入ります。


田坂広志

「働く」ということは「傍(はた)を楽(らく)にする」こと。その意味で、企業が活動する目的も、本来、社会貢献です。


米山久

私は完璧な人間ではありません。知らないことも多数あります。それを教えてくれる人の存在は、とてもありがたい。


野崎武左衛門

新規の事柄を行う時、または込み入った事で思案に余る時は、一家親類をはじめ、使用人の主な者にまでよく相談して広く皆の意見を聞いて決断すること。自分の考えを先に口にしてはならない。


櫻田毅(桜田毅)

寿命が伸びていることも、起業家にとってプラスです。今は、70歳くらいまで元気に働ける時代。仮に40歳で独立したら、あと30年も仕事ができます。1度や2度失敗しても十分に取り返す時間があるので、その分、挑戦しやすい環境だと思いますね。


松岡正剛

「本とはこうだ」「簡社はこうだ」「会社とはこう」。社会が縛ってきたこうしたルールを飛び出さない限り新しいものなんて生まれるわけがない。


鵜浦博夫

ハッカー攻撃などでユーザーの不安は高まっています。セキュリティーを高めるためなら、逆手にとってハッカーを雇ってもいと考えています。


本田宗一郎

我々は、最初から苦しむ方向をとったから、あとは楽になった。真似をして楽をしたものは、その後に苦しむことになる。研究者として大事なところはそこだろうと、私は今でも考えている。一度、真似をすると、永久に真似をしてゆくのである。


山本敬介(経営者)

証券会社とIPOについて打ち合わせすると、静岡の企業のIPOが少ないことがわかります。実力のある企業は少なくないのに、IPOに及び腰のところが多いんですよね。だからこそ弊社のIPOで、地元の企業に刺激を与えたいという夢もあるんです。


齋木昭隆

交渉を通じて何をとらなければいけないのか。相手は何を求めてくるのか。シナリオを綿密に描いて臨む必要がある。


佐田展隆

最初に取り組んだのは御用聞きからの脱却でした。仲の良い訪問しやすい取引先ばかり回る営業担当者が多かった。既存の取引先の売り上げだけでは業績の改善は見込めません。それまで手掛けてこなかった新規開拓営業を行うため、私が陣頭に立ちました。


アンドルー・グローヴ(アンディ・グローブ)

悪い知らせであるほど、それを伝えるには努力が必要だ。
【覚書き|1994年に発生したペンティアム不良品出荷事件のときの発言。新製品に欠陥が見つかるも、社員が見てみぬふりをし出荷をしてしまい大クレームが発生した。当時CEOだったグローブは迅速に全品リコールを発表した】


平井正修

オリンピックで金メダルを取るような厳しい訓練を積んだ人が崇高な心の持ち主だとは限らないように、人間はいくら辛い修行に耐えたところで、それだけでは心を鍛えることなどできない。では、いったい何のために極限まで身体を痛めつけるのかといえば、それは、心の中に180度の大転換を起こすためなのである。苦痛を耐え忍んでいる状態から、これはやらされているのではなく、自分から望んでやっていることなのだと、意識の大転換を起こすのだ。逆に言えば、そのように考えなければとうてい乗り越えられないほど厳しい修行を積んで初めて、やらされているという考えを捨て去ることができるのである。


ページの先頭へ