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土田晃之の名言

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土田晃之のプロフィール

土田晃之、つちだ・てるゆき。日本のお笑いタレント、司会者、コメンテーター。東京都生まれ、埼玉県育ち。東京アナウンス学院お笑いタレント科卒業。東京アナウンス学院在籍中にお笑いコンビ「U‐turn」を結成。その後、ピン芸人として活躍。

土田晃之の名言 一覧

僕は個性なんかはどうでもいいタイプ。番組が面白くなるために自分には何ができるかを考えています。


好きなことを仕事につなげたいと思うなら、自分から手をあげなくちゃ。黙っていたら、他人は誰も人のことに興味なんて持ちませんから。


それほど詳しくなくても、「詳しく見せる」コツがあります。それは、みんながあまり触れない「すみっこの話」をすること。みんなが知っていることではなく、あえて「こぼれ話」を先にする。すると「コイツ、相当詳しいな……」と勝手に思われるんです。


僕は「飲み会に行かない」を貫きましたが、「徹底して行く」というのもアリです。行ったり行かなかったり、中途半端にブレるのが一番評価が悪い。


プロになりたての頃は「冠番組を持ちたい」と思ったこともありましたけど、いまは「大ブレイクしないけど、なんかずーっといるな……」というポジションが気持ちいい。僕自身が目立つことより、番組自体が面白くなることの方が大事ですからね。


仕事をもらうためにヘラヘラ、ニコニコするのはムリ。そんなことするより、自分の商品価値を高めるための努力をします。


学園祭とかで前面ではしゃいでいたようなタイプはだいたい芸人をやめていきますね。「明るい」のと「面白い」のとは違うんです。


子供は男の子が3人、女の子かひとりいっそ、仕事にしちゃえと自分から言い始めたのが、「貧乏子だくさん」。キャッチフレーズをつけると、それをきっかけに育児系の仕事もやってきましたね。実際、『ひよこクラブ』で連載してますから。


飲み会を断るならその分、仕事を頑張る。飲み会に行かない、仕事もできないでは会社のお荷物。僕も飲み会を断った分、仕事を必死で頑張りました。ともかく、自分にあったやり方を貫き通せってことですよ。


もちろん知識がゼロではできませんが、特定の限られた知識だけでも、専門家と思わせることはできます。だから普段ちょっと面白いこぼれ話や小ネタに接したら、人に話せるように覚えておくといいですよ。


みんながそんなに詳しくないところをさも知っているかのように話すことで、「コイツ、全部知ってるんだな……」と勝手に思ってもらえる。そして一度「賢い」「物知り」という印象をつけてしまえば、その後はグッと話を聞いてもらいやすくなるし、説得力も大きく増す。


僕は若手の頃から、「行きたくない飲み会は行かない」を貫き通しています。でも、先輩方は大目に見てくれて、ちゃんと芸能界で居場所をつくることができました。どうやったかというと、ただ断り続けただけです。最初は「つき合い悪いヤツ」みたいな印象だったのがいつの間にか「飲み会に行かないキャラ」として認められたんです。そうしてキャラが確立されてしまえば、行かないのが普通だから断っても評価は下がらない。むしろ飲み会にたまに参加したり、こっちから先輩を誘うと喜ばれるくらい。


高校のころ、芸人の道を本気で考え出し、卒業後、当時は東京に吉本の養成所がなかったので、「お笑い科」がある専門学校へ進もうと思いました。ウンナンさんのように。それで実際、ウンナンさんが出た日本映画学校(のちの日本映画大学)を受けたんです。それも推薦で。ところが、推薦なのに落とされたんです! 「まさか専門学校、推薦なのに落とされるやつなんかいねぇだろう(笑)」って思いましたね。でも、わかんないもんですね。ボクらの世代で日本映画学校へ行った人間は、誰ひとり、プロの芸人になってない。ボクは落とされて、たまたまアナ学(東京アナウンス学院)に行ったから相方とも出会えたわけで。


本当のマニアから見れば「うっすい話をしてるな」というレベル。実際、アニメおたくに思われたりするんですけど、最近のアニメは一切知らないんですよ。じつは家にガンダムのプラモデルもないですし。だから、ガンプラ売り場のロケに行っても、知らないモデルがたくさんあります。でも、知っているゾーンを中心に「見てください。このシリーズ。あの名機です」と一点集中でマニアックな話をする。すると、スタッフは「土田さん、さすが。全部知ってるんですね」と驚いてくれる。僕らの仕事は、内容をおもしろおかしく伝え、番組を盛り上げること。だから、いくら知識があってもしゃべりができないとダメ。土台があってのプラスアルファだから武器になるわけです。


サッカー、ガンダム、家電。これらに詳しい芸人として、他の芸人とは違う立ち位置で仕事がもらえるのはありがたいことですね。とはいえ、偶然いまのポジションが手に入ったわけじゃありませんよ。基本、知っていることはお金に換えたいと若い頃から思っていましたし、「俺、できますよ!」というアピールをしての居場所です。


まだU‐turnの時代、一度『さんま御殿』に呼ばれてね。さんまさんが、「U‐turnはアレやな、東京出身やな?」とふられて、「いえ、埼玉です」のひと言しか言えなかったんです。2時間半の収録で、そのひと言だけ……。どの会話にも早すぎて入れない。ついていけない。ショックでしたよ。スタジオから、どうやって家に帰ったのかの記憶すらなく、気がついたら自分の部屋で『明日のジョー』の最終回みたいな格好をしていました。いまでこそ、そのスピードにもついていけるけど、若い頃の自分は、もうテングでしたからね。でも、さんまさんにガツーンとやられて、この世界で生き残るには、何が必要なのか思い知らされましたよ。


小学校の卒業アルバムに「芸人になる」って書いていましたから、子供のころから、結構、自分のことが見えていたのかもしれませんね。いくらサッカー好きでも、リフティングが20回ぐらいしかできなかったら、とてもじゃないけど将来プロになんかなれない。絵を描くのはまあ上手というか、なにかのポスター展に選ばれたこともあって、「漫画家もいいかな……」と思ったこともあったけど、やっぱりテレビのほうに憧れがあったんです。自分がカッコよくて、運動神経もよかったらジャニーズに行けたけど、冷静に「肥満児(当時)で、顎がしゃくれていて、一重まぶたのジャニーズはいねぇな」って(笑)。なら、やっぱりお笑いかな、と。


土田晃之の経歴・略歴

土田晃之、つちだ・てるゆき。日本のお笑いタレント、司会者、コメンテーター。東京都生まれ、埼玉県育ち。東京アナウンス学院お笑いタレント科卒業。東京アナウンス学院在籍中にお笑いコンビ「U‐turn」を結成。その後、ピン芸人として活躍。

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