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哀川翔の名言

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哀川翔のプロフィール

哀川翔、あいかわ・しょう。日本の俳優、歌手。徳島県出身。5歳のときに海上自衛隊幹部だった父と死別。鹿児島県に移る。高校卒業後上京し、東京工学院専門学校を卒業。路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」に所属し、歌手やタレントとして活躍。その後、Vシネマや映画、テレビドラマで活躍。とくにVシネマでは100作以上で主演を演じ、Vシネマの帝王と呼ばれた。主な受賞に日本映画プロフェッショナル大賞 最優秀主演男優賞、DVシネマ大賞 最優秀主演男優賞、日本映画批評家大賞 ベストパーソナリティ賞、日本アカデミー賞 優秀主演男優賞ほか。

哀川翔の名言 一覧

「若いうちに3人ぐらいは、いい大人を見つけろ」って言いたい。甘えられるぐらいの器の大きな大人と出会うと、自分を変えるきっかけにもなるから。


仕事をやり遂げた先に、その結果として別の何かがある。そんな生き方が、俺には一番合っているよ。


正直言って、いまでも撮影の最中に「面白い」なんて思ったことはないですから。必死さのほうが先だって。だから撮影のときは、眠くても、眠くないんです。面白かったら、多分、眠くなりますよ。それどころじゃないから、いくら寝る時間がなくても、眠くならない……。


キャンプなんて、一番楽しくて、一番の勉強の場だったんじゃないかな。だって、なにもないところからすべて作り出すんだから。天候はもちろん、どう展開するかわからないところが面白いわけです。ハプニングが起きるたびに、どう対応したらいいかを考え、人間としての適応力を身につけていくわけですからね。


オレなんか、そんなに賢くなかったから、高校卒業後、何も考えず「社長になる」と言って東京に出てきたけどさ。「楽な方法」なんて考えてもわからなかったし、ガンガンぶつかるしかなかったから、打たれ強くなったんじゃないかな。


俺はね、いままで仕事を休んだことは一度もないんだよ。どんなに体調が悪くても、撮影現場には必ずいく。高熱にうなされていたって、メイクして撮影が始まっちゃえば、体調の悪さなんて絶対に画面には出さない。仕事で手を抜くっていうのが、気持ち悪くて嫌いなんだ。というよりも、もし仕事で手を抜いちゃったら、自分という人間に冷めちゃう気がするね。そうなったら引退するしかないよ。


いままで計画的に人生を歩いてきたわけじゃないし、計画してもそのとおりにいかないことのほうが多い。だから、これからも「やってもらえませんか」と頼まれた仕事に手を抜かず取り組んでいくだけだよ。そうい意味で俺は、「求められたい人間」なのかもしれない。


Vシネマで100本撮れたのだって、日々自分が仕事を100%楽しんだ結果だから。だから、気がつくと1年で300日撮影なんて年もあったよ。周りはびっくりしているけど、自分としては「そうだったの」って感じだね。


20代前半の一世風靡セピアのころは、死ぬんじゃないかなと思うくらい働いたよ。とくに一世風靡の場合、自分たちですべて演出を考えていたから、事前のミーティングの回数もハンパじゃなかった。どうすれば観客に喜んでもらえるか、そのために何をすればよいのか。本当に毎日、頭も身体もクタクタだったね。でも、自分がいいと思うことを続けていれば、仕事がまた新しい仕事をもってきてくれる、そんな感じがするね。


詳しい理由はわからないけど、眠れない奴っていうのは、あんまり働いていないんじゃないのかな。俺は働きすぎというのは、何時間働いたから、というんじゃなくて、本人がよく働いたと思えば、それは働いたことになると思う。それで、成果が挙がらないとしたら、それはその仕事のやり方が悪いだけだよ。仕事を一生懸命やるのも大事だけど、仕事のやり方を考えるのも同じように大事だからね。


どんな仕事をしてても、必ず壁っていうのはあると思うんですよ。そこにぶち当たらず、自分ではうまく回避したと思っても、その壁は一生自分につきまとうと思ったほうがいいよね。逆に、どんなに厚い壁だと思っても、2、3回ぶち当たっていけば、ウソみたいに崩れていきますから。ただ、ぶつかる前から目を逸らしているから、怖くなるの。だまされたと思って、一度ぶつかってごらん。「なぁーんだ」と思うくらい、スーッと壁は消えてしまうから。


俳優だって、好きではじめたわけじゃないし、全然面白いとは思わなかったですから(笑)。こんな大変なことをやるんだったら歌を唄っていたほうがいいやと。「一世風靡セピア」が終わったあとも、オレとしては音楽のほうをやりたかったんだけど、皮肉なことに需要があったのは俳優のほうだったわけです。まあ、そんなもんですよ、人生なんていうのは。


映画『昆虫探偵ヨシダヨシミ』の原作コミックを読んだときに、「ああ、これをやれるのは虫好きのオレしかいねえな」と、ひらめきのような衝動があってね。ただ、「虫と話ができる探偵」なんて、とんでもないシチュエーションでしょう。でも、こういう作品を映画にすることで、映画の世界のフィールドが広がっていくじゃないですか。「あっ、そうか。こういうのも映画になるのか」って。


僕は24歳のときに、一世風靡セピアで入ってきたカネを元手に自分の会社をつくってね。経営センスがなかったこともあるけど、信頼していた経理の人間に裏切られたというか、二重帳簿をつくられていてね。結局、4000万円ぐらいの借金をつくってしまったんです。でも、借金って返せばなくなるじゃない。4000万円のときは、結構、時間がかかったけど、「メシが食えて、寝るところがあればいいや」みたいな感じで、お金のためになんかしようなんて思わなかったよね。本来なら使えるんだけど、返さなきゃいけないから「150万円の上がりがあるんだけど、100万円は返しておこう」って。そうすれば、相手も文句を言わないだろうと。結局、返すのに5年ぐらいかかったのかな。でも「上がりが120万円ありましたから70万円返しにきました」と続けていたら、最終的に1000万円ぐらいまけてもらいましたよ。「よく毎月、毎月、ちゃんと返してくれた。もういいよ」って言われて。そこでまた、大人の男の懐の深さというか、美学みたいなものを感じたね。「そうか、人ってそうやって動くのか」って。すごくいい経験をさせてもらいましたよ。信頼とはなにか? 信用とはなにか? 1000万円をまけてもらったことを、ただ「ラッキー」と思うか「いや、すげえな」と思うかで、人生大きく変わっていくんじゃないかな。オレは、やっぱり「すげえな」って感動しましたから。少しでも、そういう大人に近づきたいなって。


29歳でVシネマ『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』に主演で出たことが最大の転機だよね。高橋伴明監督に「なぜ、オレのような素人を起用したんですか?」って聞いたときに、「六本木で一番元気よく遊んでいるから」と言われたときには、返す言葉もなかったけどさ(笑)。現場では伴明さんのエネルギーに圧倒されながら、「殺されるんじゃねえか」というぐらい、とことんまでやり合ってね。いいやり取りができたから、本格的に映画の世界に足を踏み入れるきっかけになったんです。それから10年で100本以上もの作品に出ることになり、そのころからかな、「オレは役者としてこういうことが求められているのか。だったら、こうやろうじゃないか」と、いくらかわかるようになってきたのは。それまでは、ただ必死に、死にものぐるいでやってきたし……、いまでも俳優として一流の域には達していないと思うよ。オレなんかよりは一生懸命やっている人はいっぱいいるしさ。


この10年、いや20年近く「若い人に元気がない」って言われているのはなぜか。ひと言でいうと、社会のいろんな分野でチャレンジしようと思っている人が少なくなっているからですよ。みんな賢いというか、物事をある程度わかっているから、「ここから先に行くと辛くなる」って感覚的にわかっているんだと思うよ。そして「もっと楽な方法はないかな」って探そうとするから、結局、最初の一歩が踏み出せないでいるんだって。


遊び心がなかったら映画なんて面白くないでしょう。昆虫もそうだけど、オレなんか子供のころに楽しかったことを、カタチを変えながらもずっと継続してきたような気がしますから。20代のころって、背伸びしたくて忘れてたりするんだよね。釣りにしたってそうだし、大人になって手を出したゴルフにしても、考えたら親のクラブを持ち出して子供のころに遊んだりしてましたからね。


哀川翔の経歴・略歴

哀川翔、あいかわ・しょう。日本の俳優、歌手。徳島県出身。5歳のときに海上自衛隊幹部だった父と死別。鹿児島県に移る。高校卒業後上京し、東京工学院専門学校を卒業。路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」に所属し、歌手やタレントとして活躍。その後、Vシネマや映画、テレビドラマで活躍。とくにVシネマでは100作以上で主演を演じ、Vシネマの帝王と呼ばれた。主な受賞に日本映画プロフェッショナル大賞 最優秀主演男優賞、DVシネマ大賞 最優秀主演男優賞、日本映画批評家大賞 ベストパーソナリティ賞、日本アカデミー賞 優秀主演男優賞ほか。

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