吉田直人(経営者)の名言

吉田直人(経営者)のプロフィール

吉田直人、よしだ・なおひと。日本の経営者。「イオレ」社長。立教大学経済学部経営学科卒業後、広告代理店勤務、フリー編集者などを経て起業。ホワイトT&R、シオンコーポレーション、グラムス、サイバービズ(のちのザッパラス)、イオレなどを設立。

吉田直人(経営者)の名言 一覧

倒産直後は銀行などを逆恨みしたこともありましたが、それでは前には進めません。他責ではなく自責が浮上の第一歩です。


私自身多くの人の助けがあってここまでこれましたから、これからは助ける側にまわりたいと考えています。


(イオレ設立に投資してくれたのは)ゲームメーカー時代から、うまくいって駄目になる過程をずっと見ていてくれた方たちです。何もないところからのスタートでしたが、皆さんのそういう気持ちを粋に感じましたし、その気持ちが自信にもつながったので、こうして復活できた気がしています。


大学時代、実家がつぶれかかり、仕送りがなくなって学費から生活費まで自分で稼がなければならなくなりました。環境というのは恐ろしいなと思いますが、平々凡々と生きてきた子供が「やるしかない」となると自立していくものなんですね。その時の経験は、素晴らしく、今に生きていると感じます。


ゲーム会社を経営していた1995年に喉頭がんになり、声が出ない、食べられない状況で85キロあった体重が60キロまで落ちました。病気のことは社員に黙っていましたが、今考えると社員は薄々感づいていたと思います。結婚もしていなかったですし、子供もいなかったので、とにかく「作品を残して死のう」と思っていました。


「らくらく連絡網」は、小学校のサッカーチームの監督が、当社に依頼があり作成したメーリングリストを「雨の日などの連絡網に便利だよ」と対戦相手の監督さんに勧めてくれたところから始まり、野球、バスケットボールなど、スポーツチームに広がっていきました。こちらが何もしなくても、クチコミでどんどん会員が伸びていくところが驚異的だなと思いました。最初はたった30人向けに作ったサービスが、気が付いたら38万団体670万人に利用されるサービスになっていました。


32歳で喉頭がんになりました。当時経営していたゲーム会社は成長していましたが、誰に聞いても「あの作品ね」といわれるような代表作がなかった。それならば、そういう作品を作って、名前を残して死のうと思っていました。社員には病気を隠していたので、断腸の思いで突っ込んでいく私の思いが社員には理解できず、「社長が狂った」と言われていました。社員との距離は広がる一方で、社員もどんどん辞めていつてしまい、最終的に銀行による貸しはがしの影響で、会社は倒産してしまいました。


32歳のとき、咽頭がんが見つかりました。どうせ死ぬならファイナルファンタジーのような超大作をつくって死のうと考え、銀行から融資を受け、資金をつぎ込みました。社員は「社長は気が狂った」と思ったようです。その後、がんは根治しましたが、銀行の貸し剥がしが始まりました。まず最初に定期預金がフリーズされ、次に普通預金が引き出せなくなり、やむなく1997年7月に会社は倒産。私自身も自己破産しました。ただ、破産してからの方が友達が増えましたね。

【覚え書き|その後、支援者たちとともにサイバービズ(のちのザッパラス)を設立】


リーマンショックによって、金融工学の人材がネット業界に入ってきてアメリカでアドテク(ネット広告技術)が大発展を遂げて、マーケットで株が売り買いされるように、広告をリアルタイムで売り買いする仕組みができました。この技術が日本にも入ってきまして、僕らの一番の弱みだった広告枠の在庫がないという課題を克服することができました。つまり、クライアントさんから広告出稿の依頼をいただくのに出す場所がないという状況から、ユーザーさんがLINEやツイッターなど、当社以外の媒体やサービスをお使いになっていたら、LINEやツイッターにクライアントさんの広告を出せるようになったんです。


当社は今、データベースを元にしたアドテクを使った広告代理店になりつつあります。去年、凸版印刷と資本業務提携をしました。凸版印刷が持っているデータと当社が所有しているデータを連携させて、より効果の高いターゲティング広告を打てるデータベース連合をつくったということです。今後も提携先の拡大により、さらにリッチなデータベースを構築していきたいです。


(再起できたのは)もう本当に株主さんのおかげです。破産経験がありますし、ザッパラスも会社を作ってすぐ「やはり自分でやりたい」といって飛び出してしまったので、正直、多くの方からは「何を考えているんだ」と思われていたと思います。破産経験があるので金融機関との取引きは難しかったのですが、20数名の株主の方から7000万円を超える出資をしていただいてイオレを起業することができました。「世の中を応援する会社をつくりたい」という思いから、サッカーの応援の掛け声「オーレ」にちなんで「イオレ」という社名をつけたのですが、応援するより、自分がずっと応援されている立場です(笑)。


父は函館の呉服屋で働いていました。その後、地元で呉服屋を起業して既製服から毛皮、宝石、かつらなど女性向けのブティックに事業を拡大していきました。私は当時、志が低く、3人兄弟の長男なので「そのまま継げばいいのかな」くらいの感覚でした。ところが、大学に入ってすぐ、実家がつぶれかかり、実家に帰って家業を継ぐという決められていたはずの人生が急に不安定になってしまいました。結局、会社はつぶれはしなかったものの、仕送りがなくなってしまったので、学費から生活費まで全部自分で稼がなければいけなくなり、大学4年間、社会人のような生活をして大学を卒業しました。


吉田直人(経営者)の経歴・略歴

吉田直人、よしだ・なおひと。日本の経営者。「イオレ」社長。立教大学経済学部経営学科卒業後、広告代理店勤務、フリー編集者などを経て起業。ホワイトT&R、シオンコーポレーション、グラムス、サイバービズ(のちのザッパラス)、イオレなどを設立。

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