古田敦也の名言

古田敦也のプロフィール

古田敦也、ふるた・あつや。日本のプロ野球選手(捕手)、監督。兵庫県出身。小学3年生で野球を始める。立命館大学に入学し体育会硬式野球部に所属。関西学生リーグで通算77試合出場、234打数72安打、打率.308、8本塁打、44打点、ベストナインに4度選ばれるなど活躍した。卒業後、トヨタに入社。日本代表としてソウルオリンピックに出場し、銀メダル獲得に貢献。その後、ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。同チームの柱となり、4回のリーグ優勝、3回の日本一にチームを導いた。ミスタースワローズの愛称で親しまれた。引退直前の2年間は選手兼監督として活動。

古田敦也の名言 一覧

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15秒や20秒といった短い時間の中で判断を決めるためには、やはり準備としての知識や情報の蓄積が必要なのです。試合が始まるまでに1回の試合を行っているくらいの気持ちで、頭の中でシミュレーションをしておくのです。

古田敦也の名言|短時間で決断をするには


弱点を逆転の発想で強みに変えてしまうのが、日本野球の象徴というべきところではないでしょうか。

古田敦也の名言|弱点を強みに変える


データを集めて傾向を探ることも含めて、相手の思考を考察していくと、勝てない相手にも勝つことができるんです。

古田敦也の名言|勝てない相手に勝つには


ヤクルトスワローズに入団した当時、野村監督からよく言われたのは、「とにかく準備がすべてだ」ということです。野球は、グラウンド上のガチンコ勝負のように見えるけれど、実はそれまでにしっかりと準備したほうが勝つ可能性は高くなるんです。データを分析し、考える野球を続けていけば、勝てない相手にも勝つことができるのだということを詰め込まれました。

古田敦也の名言|野村監督から叩き込まれたことは「とにかく準備がすべて」


僕は、いい結果を得るためにはどうしたらいいかを、毎日のように考えていて、結局たどり着いたのが、「結果を気にしない」ということでした。「あかんかったらしょうがない。命まで取られるわけじゃない」と、前向きになる。あとは準備したことをこの場で出し切るんだという気持ちで臨むと、結構気楽になれたんです。すると、おのずと結果がついてくるようになりました。

古田敦也の名言|準備をしたうえで「あかんかったらしょうがない」と結果を気にしない


腹を括るという感覚がどこかにないといけません。迷って投げやりな決断になるのはよくない。だから、しっかり準備をして、様々な情報を採りいれておく必要があるのです。そうすると、決断を迫られた際には情報が整理されていて、選択肢を絞り込むことができるケースは多いのです。

古田敦也の名言|決断はしっかり準備してから


進化しようと、情報を採りいれ、いろいろな話を聞けば聞くほど迷いも増えてきますが、最終的に決断することができれば、それでいいと思うのです。決断できなければただの優柔不断ですが、最終的にしっかりした決断ができればそれでいい。つまり「優柔決断」です。

古田敦也の名言|優柔不断ではなく優柔決断になることの大切さ



判断力を高めて成長するためには、変化や状況に対応しなければならないことを受け入れ、他人の話を聞くことも含めて、多くの情報を柔軟に採りいれていくしかないと思うのです。そのうえで最終的な取捨選択を自分の判断で行っていく。この作業が大切ですよね。

古田敦也の名言|変化に柔軟に対応することの大切さ


野球選手は、高校時代にスーパースターだったとか成功体験をしてプロに入ってくる選手が多くいます。そういう選手は、どうしてもそのときのことが忘れられず、変化することを怖がって伸び悩む人が多いんです。

古田敦也の名言|成功体験が伸び悩みを生む


情報を柔軟に取り入れていくことも重要だと思います。僕らはプロですから、相手も替わるし進化しているので、同じ手が通用し続けることはない。「初志貫徹」という言葉があるように、最初の志や軸がぶれないことは大切です。でも、そればかりにとらわれすぎると成長できません。

古田敦也の名言|柔軟に変化することの重要性


プレー中、短時間で決断しなければいけないのですが、そこで重要なのは、その決断が仮に失敗したときに、「まあしょうがないか」と思えるくらいのレベルまで考え抜いて準備ができているかどうかです。準備ができていれば、その決断に悔いは残らないと思うんです。でも、たいして準備もせずに慌てたままサインを出して打たれると、後悔しか残りません。

古田敦也の名言|決断は「まあしょうがないか」と思えるくらいのレベルまで考え抜いてから


古田敦也の経歴・略歴

古田敦也、ふるた・あつや。日本のプロ野球選手(捕手)、監督。兵庫県出身。小学3年生で野球を始める。立命館大学に入学し体育会硬式野球部に所属。関西学生リーグで通算77試合出場、234打数72安打、打率.308、8本塁打、44打点、ベストナインに4度選ばれるなど活躍した。卒業後、トヨタに入社。日本代表としてソウルオリンピックに出場し、銀メダル獲得に貢献。その後、ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。同チームの柱となり、4回のリーグ優勝、3回の日本一にチームを導いた。ミスタースワローズの愛称で親しまれた。引退直前の2年間は選手兼監督として活動。


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