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古市忠夫の名言

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古市忠夫のプロフィール

古市忠夫、ふるいち・ただお。日本のプロゴルファー、経営者。兵庫県出身。立命館大学卒業。5年間の会社員生活を経て、神戸市鷹取商店街にカメラ店「東洋カメラ」を設立。店の顧客に誘われたことをきっかけに30歳でゴルフを始める。大神戸ゴルフ倶楽部で10回クラブチャンピオンになる。阪神淡路大震災で被災し、家や店舗を失う。その後、プロゴルファーになることを決意し、59歳でプロテストに合格。プロゴルファーとして活躍しながら地元の地域活動に積極的に参加し、街の復興に尽力した。

古市忠夫の名言 一覧

感謝する力を持つことで、人間は必ず変わることができるんです。


自分でも不思議なのですが、感謝する気持ちが大きければ大きいほど、奇跡を起こすために必要な人たちが、自然と集まってくれる。そして、そうやって自分を支えてくれた人たちにも、「ありがとう」と、また感謝するんですよ。


何歳になっても感謝力をアップし続ければ、人の心は、どんどん若く、強く、美しくなります。あなたがこれからどんな挑戦をするとしても、大きな感謝の気持ちを持ち続けることができれば、これまでよりも充実した新しい人生が始まっていくと思います。奇跡を起こしたいのなら、まず始めるべきは今の自分と周囲への感謝です。


頑張ればいいことがあるという考えをまずは捨てるべきです。それよりも、いま、この世に生まれてきた自分に感謝、自分を支えてくれているすべての人に感謝。震災を乗り越えたことで、私は「感謝のおっちゃん」になることができました。そして、59歳から、奇跡を起こすことができたのです。


努力して頑張って、事業で成功して、お金を得て、いい家に住んで、うまいもん食って、そんなものにこだわるのはやめたほうがいい。人間は、いつか必ず死にます。例えば、死を目の前にした人は、金も名誉も地位も、何もいらないと言うでしょう。そんなものよりも、人の温もりや優しさが大切に思えるはずです。そして、それをくれた人に対する感謝の気持ちが大切に思えるはず。


私がプロゴルファーになると宣言したとき、周囲は呆れ、妻と2人の娘からも猛反対されました。それも当然、1800人が受験するプロテストに合格できるのは、最終予選に残った上位50人ほど。しかも私は59歳、競い合う主な相手は20代の若者たちです。合格できる自信は正直ありませんでした。ただし、可能性がゼロではないなら、やってみないと結果はわからない。「ゴルフは心の格闘技」だと思っています。体力と技術の勝負なら勝ち目はないかもしれない。しかし、ゴルフが心の勝負なら、生かされていることに感謝できるようになったいまの私にも、勝ち目があるのではないかと考えたのです。


震災から3カ月後、久しぶりにラウンドしました。ゴルフできることがうれしくて、コースに向かって自然と頭を下げてお辞儀をしている私がいました。震災前には、そんなことしたこともなかったんですが。生き残ったことに感謝、復興に力を注げることに感謝、ゴルフできることに感謝……。そこからですね、私が「カメラ屋のおっちゃん」から「感謝のおっちゃん」に変わったのは。震災が私を変えてくれたのです。
【覚書き|阪神淡路大震災で家と店を失った当時を振り返っての発言】


ボランティア活動は、人のために「やってやっている」という気持ちでは絶対に続きません。逆に「させていただいている」の気持ちがあれば、「いただいている」の文字どおり、たくさん得るものや発見がある。また素晴らしい仲間を得ることもできました。


30歳で消防団、30代半ばで商店街会長、40代で子供会とPTA会長、まちづくり協議会副会長、現在は若松11丁目自治会会長など、様々な地域活動に参加してきました。いまも若松11丁目自治会で、ふれ合い喫茶のお手伝いをしています。「コミュニティがあって、自分がある」が、信条ですから。地域活動を通じて、人とのつながりが広がりましたし、何より自分が成長させてもらった。人前でしゃべることが大の苦手でしたが、全く苦にならなくなりました。


店のお客さんに強引に誘われて初めてコースを回ったあと、すぐにゴルフというスポーツに魅せられ、一生懸命、夢中になって練習に励みましたよ。そして、「大神戸ゴルフ倶楽部」の会員になったのが、ゴルフを始めてから10年目、39歳のときです。いまでも覚えていますが、入会金は155万円。大金を妻に出してもらったからには、絶対にうまくなってやると心に誓いました。そして、入会と同時に「クラブチャンピオンになること」「ハンディキャップをゼロにすること」、ふたつの目標を立てました。実力に比べるとあまりに高い目標だったので、「そんなん、無理に決まっとる」と、周囲から笑われましたけどね。


ゴルフを始めたのは30歳になってからです。店のお客さんに強引に誘われて、初めてミニコースでゴルフを体験しました。止まっている球を打つだけなのに、最初はティーショットからパターまで、全くダメ。ただ、ゴルフの奥深さには心底驚かされました。「ゴルフは難しいからこそ面白い」初めてコースを回ったときに抱いた思いは、いまも変わりません。


古市忠夫の経歴・略歴

古市忠夫、ふるいち・ただお。日本のプロゴルファー、経営者。兵庫県出身。立命館大学卒業。5年間の会社員生活を経て、神戸市鷹取商店街にカメラ店「東洋カメラ」を設立。店の顧客に誘われたことをきっかけに30歳でゴルフを始める。大神戸ゴルフ倶楽部で10回クラブチャンピオンになる。阪神淡路大震災で被災し、家や店舗を失う。その後、プロゴルファーになることを決意し、59歳でプロテストに合格。プロゴルファーとして活躍しながら地元の地域活動に積極的に参加し、街の復興に尽力した。

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