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千本倖生の名言

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千本倖生のプロフィール

千本倖生、せんもと・さちお。日本の経営者。イー・アクセス、イー・モバイル会長。奈良県出身。京都大学工学部電子工学科卒業後、日本電信電話公社(のちのNTT)に入社。フルブライト留学生としてフロリダ大学大学院修士課程に留学。同大学大学院博士課程を修了し工学博士号(電気工学)取得。近畿電気通信局技術調査部長などを経てNTTを退社し、第二電電(のちのKDDI)を共同創業し専務に就任。第二電電副社長、DDI東京ポケット電話社長などを務めたのち第二電電退社。慶應義塾大学経営大学院経営管理研究科教授を務めたのち、イー・アクセスを創業し、同社を約5年で東証一部に上場させた。そのほかカルフォルニア大学バークレー校経営大学院客員教授なども務めた経営者。

千本倖生の名言 一覧

そもそも人間は、慎重か、大胆かのどちらかに分かれるものです。しかし、その中でも、わずかながらその両方を併せ持った人がいる。大きな成功を収めているのは、大抵そんな人たちなのです。非常に慎重だけど、やるときは大胆に動く。ただ、そのタイミングをどう見極めればいいのか。それが非常に難しいところです。


大きな波の到来をどうすれば予測することができるのか。それは世界を見ることです。私は今でも月の半分は海外に行っています。ビジネスを始めるには情熱が必要です。実際に現地に行って自分の目で見て自分の心が動かされないかぎり、人の心も動かせないのです。


どうすれば時代の波を捉えられるのか。それには、実際に足を運んで、自分の目で世界を見ること。そうしてこそ、世界の動きが、感動を伴って認識できるのです。


起業は9割が苦労。喜びは1割しかない。それでも、世のためになる事業であれば、挑戦する意義は非常に大きい。


不況を、長期成長戦略を練り直す好機ととらえ、そのために時代の大きな流れ、現実や変化を国際的な視野で迅速につかむ必要がある。


競争を疲弊と恐れて内に篭ることなく、切磋琢磨して、より強くなることを目指すべき。


競争を回避したり、新しく出て来るフレッシュなチャレンジャーや新たなアイデアに背を向けた途端に、社会のニーズと離れていく。


常に意識すべきは消費者です。消費者にいかに近いところにいるか、現場をいかに大事にしているかが重要。


決断するには心理的な突貫力、勇猛心というべきものが必要です。賢いだけではダメで、いい意味での無頼性のようなものがなければ、何事も起こせない。


自分の思いをアクションとして起こさない限り、世の中は変わらない。


決断するにあたって最も大事なのは、頭がいいことでも見事な分析でも的を射た批判でもなく、アクションをとること。


経営者には何よりも強い思いと熱意が必要。


世間がどう言おうが、世間の常識に反してでも信念を持って決断を下さなければ、大きな事業はできない。


困難や危機に際して小手先の対策をとったり、右往左往したりしてはいけません。後退して原点に戻ることが非常に大事です。


松下(幸之助)さんや稲盛(和夫)さんに教えてもらったのは、「やめたときがプロジェクトの失敗だ」ということ。


大きな経営判断を下すには、自分の周りや国の中ばかり見るのではなく、世界がどう動いているかを見ることが欠かせません。


起業が日本の将来を決めます。世界にインパクトを与えるようなベンチャーが、日本から1社でも多く出てきてほしい。


「千本さんだからできたのでは」と言われることもあります。ただ、大きな志と、世の中の常識にとらわれない心を持てば、必ず一歩を踏み出せます。


認識しているだけではダメ、決断しアクションに結び付けないといけません。一歩を踏み出すか踏み出さないかは、天と地ほどの差があります。


会社は誰がどう経営するかで決まる。もちろんビジネスプランも、周到にきちっとやることが大事ですが、誰がやるかが最も大切。


イー・モバイルは独立ベンチャーで、あるのはビジネスプランだけだった。


我々は真っ白なキャンバスに次世代用のネットワークを一番最適なやり方で創っている。完璧な後発のメリットです。


企業というものは保護されればされるほど国際競争力を失ってしまう。


ベンチャーが立ち上がる過程には、大変な苦難が沢山あります。そういう時に心の支えになるのは、「自分の事業しているものが本当に世界のためになっている」という絶対の確信です。


ベンチャーはかっこよくて、きらびやかなように見えますが、実際はより慎重に周到に準備をしなければなりません。そして並々ならぬ忍耐力が必要です。


良きパートナーを得て下さい。やはりチームワークがない会社は本当に長続きしません。


勉強は何も学問だけではない。社会に出れば、人との交流も勉強だ。


いくら頭脳が優秀でも、勉強をしないと宝の持ち腐れになってしまう。とりわけ、若い時代は集中して、情熱を持って勉学に励むべきだろう。


今の日本に必要なのは、与えられた環境の中の矛盾に対して、おかしいと立ち上がる勇気。


起業は一種の麻薬ですね(笑)。大変だけれども、それ以上の見返りというか、精神的充足感が大きい。


世の中を変えるには、「波」が来ているときに動かなければなりません。私にとっての第一波が、世界的な通信業界の変化でした。その後、インターネットの波が来たときには、イー・アクセスを創業しました。今は、グリーンエネルギーの波に乗って、レノバを経営しています。


ベンチャーには成長ステージが上がるにつれ、新しいビジネスモデルやテクノロジーが要求されます。つまり、柔軟に変化していくことが重要であり、天才であるがゆえに、いつまでも自分のつくった技術に固執していると失敗する確率は高くなってしまう。


結果として、投資で重要な要素は、やはり経営者です。いわば、投資先の経営者が本当に優れているかどうかが最大のキーであり、同時に経営者とその周りを固めている経営陣もよく見極めることが必要になってきます。


DDIを立ち上げるというお話をしたとき、松下翁(パナソニック創業者・松下幸之助氏、当時90歳前後)は「やめたらあきまへんで」と言われました。やめたときに、事業は初めて失敗する。この言葉に支えられました。いったん始めたら、どんなにつまらないことであっても、目の前にあることをひとつひとつ確実にやっていくこと。それが、私が諦めることなくやってこられた理由です。


世の中には3種類の人がいます。

  1. 何が起こっているのかを「見る人」。半分くらいの人はこれです。
  2. 何が起こっているのかを「尋ねる人」。分析をしたりできる頭のいい人たちで、これが残りの大半です。
  3. 1%くらいの人たちが三つ目の「起こす」人です。これができる人は少ないのです。でも、これからの若い人は、この「起こす人」でなければなりません。

「言いだしっぺ」は基本的に楽観主義でないといけません。バラ色の夢を描き、周りを引き込むのです。


DDI設立当初、まるで暗闇の暴風雨の中を進んでいるような思いでした。初めての起業で、何もかもが手さぐりでした。それ以降の起業はDDIの経験があるので、「いま、このくらいまできているな」というのがわかりますが、DDIのときはそれがなかったのですから。


稲盛さんと出会ったころ、私は電電公社の部長でしたから、稲盛さんのような経営力がありませんでした。私のような「言いだしっぺ」も必要ですが、それだけでなく、稲盛さんのような強い経営力がある人が、成功するためには必要です。稲盛さんがいなかったら、いまの私はありません。もちろん、いまのKDDIもありません。


私利私欲ではなく社会のためになることをやっていると思えば、いくら叩かれたって、そんなものはなんでもありません。


リスクもとらず挑戦もしないという人生に、どれほどの意味がありますか。


会社から言われたことを漫然とこなしているだけでは、たいした力はつきません。入社10年くらいまでの時期、必死になって努力したかしないかが、将来大きな差になって現れてきます。


最短距離とは本質を行くことです。つまり、経営者なら1円でも経費を節減し、1円でも売上をあげ、お客さんに「ありがとう」と言ってもらえるように汗を流す。少なくとも僕は、この方法以上に効率的なやり方を知りません。


そのときは遠回りのように見えることほど、あとになって生きてくるのですから、すぐに結果を出そうなことだけ一生懸命にやって、後は手を抜くような努力が、実は一番効率が悪いともいえます。無駄な恋愛はしたくないから、一発で理想の人に巡り合って結婚したいと思っても、そんなのは無理じゃないですか。人生とはおしなべてそういうものなのです。


僕の人生は山を越えればまた次の山の連続です。苦労が絶えることはありません。でも、ひとつの山を乗り越えれば、何ものにも代えがたい喜びが手に入ることも知っています。だからどんなに苦しくても、僕は山に登り続けるのです。
【覚書き|次々と会社を起こしていることについて語った言葉】


正直言って、日々の努力は決して楽しいことではありません。だからこそ、夢や志、大義といったものが必要なのです。山登りと一緒です。富士山の頂上を見据えて、あそこに立つんだという強い意志を奮い立たせるからこそ、坂道を上る一歩一歩の苦しさに耐えられるんじゃないですか。


私も、2メートルは跳べるくせに1メートル95センチの目標を持ってきた部下を、「バカもん!」と何度怒鳴りつけたか知れません。


目標を設定することが重要です。ただし、2メートルの高さを跳べる人なら、バーの高さを2メートル50センチと、実力よりやや高めに設定するのです。日本のサラリーマンは、本当は2メートル跳べる人も1メートル80センチにしておこうというケチな発想になりがちですが、これでは目標は超えられても、成長は期待できません。何より、楽にこなせる程度では、日々の仕事に情熱が湧きません。できるかどうかわからないギリギリのところだからこそ、やる気も知恵も出るのです。


なんの蓄積もなければ、たいした挑戦はできないし、結果だってたかがしれています。だから、入社10年くらいは将来を見据えて、仕事の知識や進め方といった基礎力を身につける期間だと考えればいいでしょう。僕自身、NTTで18年間かけて、通信のエキスパートとなるための基礎固めをじっくりやったからこそ、39歳で第二電電(のちのKDDI)設立という勝負に出られたのだと思います。


僕は60年以上生きてきて、若いころ組織の中でリスクをとらなかったエリートが、どれだけみじめな晩年を送るかを実際に見てきました。これははっきり断言できます。いくら組織で偉くなっても、新たな価値を生み出せない人は、世の中から居場所がだんだんなくなるのです。


僕はハーバード大学でも教えていましたが、クラスの学生の半分は起業家志望でした。新しい産業やサービスを起こすために必死で努力するのが真のエリートであり、リスクを恐れないからこそ尊敬されるのがアングロサクソンの伝統です。ところが、日本の場合は、狩猟民族と農耕民族の違いなのかもしれませんが、頭のいい人ほどリスクを嫌って大企業に就職し、しかもそこに安住しようとする。これでは、イノベーションなど望むべくもありません。


第二電電(のちのKDDI)のときも、たった数名でNTTという国家企業に立ち向かう僕たちを、マスコミは皆、ドン・キホーテのように扱ったけど、僕は勝てると確信していました。当時、日本の市外電話料金は、いまの携帯電話と一緒で、世界と比較するとものすごく割高でした。でも僕は、周到に計算して、NTTの抱える無駄をそぎ落とせば、料金を必ず下げられるとわかっていたんです。


たしかにイー・アクセスは好調です。でも、固定ブロードバンドの市場規模が約1兆円なのに対し、モバイルには約10兆円の市場があります。しかも、世界標準からみれば通信料金は高いし、端末は使いにくいなど、まだまだ矛盾だらけです。これだけのビジネスチャンスを前にしたら、経営者としては挑戦しないわけにはいきません。
【覚書き|イー・モバイルを創業した経緯について語った言葉】


このまま電電公社(のちのNTT)にいても、本当に国を強くすることはできない。新しいベンチャー企業を興して、独占企業に対抗する。フェアに激しく競争してこそ、本当に産業は強くなる。その仕組みをつくらなければ、日本はよくならない。
【覚書き|DDIを設立した当時を振り返っての発言】


通信網は、今後、国民生活を支えるインフラになる。それが国家の独占であることは、国民にとってよくない。来たるべき(電電公社の)民営化を見据えて、競争相手が必要だ。
【覚書き|DDIを設立した当時の考えを語った言葉】


京都商工会議所に呼ばれて通信自由化について講演をしたところ、聴衆の中に当時京セラ社長だった稲盛さんがたまたまいらっしゃったのです。それをきっかけにDDIの事業プランをお話しし共同創業することになりました。


電電公社が嫌いだから新しい会社をつくったわけではありません。むしろ、感謝しています。ただ、独占的にサービスを提供していては、日本の通信産業は世界に伍していけないものになってしまう。競争していく中で、電電公社もよくなると思ったのです。そこで私は新しい電電公社をつくろうと思いました。


留学中に世界規模の仕事をしたいと思うようになり、世界展開している企業への入社も考えました。そのときもまだベンチャー志向ではなく、IBMやAT&Tなどの企業を考えていました。グリーンカードもとっていました。いくつかの企業からオファーももらったのですが、結局帰国することにしました。それは、当時の主任教授に「君の祖国が、いま世界を引っ張るような国になろうとしているのだから」と帰国を勧められたのもその理由のひとつです。


フェイスブックやツイッターといった企業を見て回りました。みんなエネルギーに満ち溢れています。日本では見られないほどの勢いを感じました。世の中の仕組みを変えるパワーを、アメリカは常に生み出せる。そのパワーが国を強くしているということを、改めて確認しました。


米国留学時代、寮のルームメイトが法学を学んでいるエリートで、毎日のように彼と様々なことを議論しました。私は電電公社の社員でした。日本を支える大企業であり、そのことを誇らしく思っていました。そういう話をすると、彼は「そんな人生はつまらない」と言うのです。独占企業に勤めるなんて面白くない、と。「それまでにない新しいことを、リスクをとってつくりあげていくことが、価値ある人生だ」というわけです。当時の日本では、大企業に入って出世していくのが価値のある人生だとされていました。その価値観を否定されたのは衝撃的でした。でも半年後には、彼の考え方に共感するようになっていました。


日本には世界に誇る技術もあれば、優れた人材もいます。あとは戦略と志です。高い目標を掲げ、それを実行することによって、世界に評価される経営を目指すべき。


私たちのようなハイテクを扱っている会社の経営者として反省すべきは、商品の機能に重きを置きがちで、使い方から広がる潜在需要をあまり掘り起こしてこなかったということです。


第二電電(のちのKDDI)立ち上げのとき、稲盛(和夫)さんにはしかられっぱなしでした。「電電公社の考え方を捨てろ」と何度も怒鳴られながら経営者の思考を学びました。


私が第二電電をつくろうと思った根本的な動機には、キリスト教の精神に裏打ちされた社会のあり方があった。つまり社会はフェアでなければいけないという、不公正さに対する一種の憤りというんですかね。国民生活を支える通信網が、国家の独占であるのはよくないと思った。


英語のマネージメントは「管理」と訳すのが一般的ですが、それには違和感を覚えます。そうではなく、「そのままにしておくと危機に陥りそうな事態に際して、何としても隘路(あいろ)を探して成功に導くこと」がマネージメントだと私なりに解釈しています。


神様ではないのだから、そんなに上手くいくはずがない。経営者にとって一番大事なことは、失敗の中に隘路(あいろ)を見つけて、いかに生き抜いていくかです。


私の人生は成功の連続だと思われがちですが、それはとんでもない誤解で、実際にはトライしたことの9割が失敗です。うまくいったのは残りの1割にすぎません。


私の40代というのは、ともかく人の3倍は働きました。ですから、今の若手経営者の皆さんにも、自分が決断を下して目標を掲げたら、それに向かって人の3倍は働いてほしい。


第二電電を立ち上げた際には、途方もない大きな問題ばかりで、それこそ毎日のように「もうやめよう」と思っていました。でも、「もう1日だけやろう」「もう1%だけやってみよう」と考え直しました。ずっとその繰り返しで、振り返ってみたら、えらく高い山に登っていたということです。


私が、慶應義塾大学経営大学院の教授を辞め、「イー・アクセス」を創業した理由は、一つには巨大な流れとなるインターネットの魅力に抗することができなかったからですが、もう一つは、そうすることが必ず世の中のためになるという大義があったからです。


会社を立ち上げる前にはもちろん不安もあり、始めてからも困難だらけでした。しかし、この事業が完遂できないとは微塵も思いませんでした。多くの社員たちも、「千本さんについていけば、必ず目的地に着ける安心感があった」と言ってくれました。それは、私の中に大義にもとづく確信、絶対に完遂できるという思いが深く内在していたからだと思います。


これまで私はいくつも会社をつくってきましたが、その決断を下すきっかけになったのは偉大な人物との遭遇です。松下(幸之助)さんや真藤(恒)さんといった巨人たちに触発され、私の中に大化学反応が起こった。人との縁には、それほど大きなものを生み出す力があるのです。


日本でも優秀な起業家が増えています。私がかつて多くの先輩方にお世話になったように、失敗を含めて自らの体験を次の世代に伝えていくことが、最後の社会貢献だと思っております。


私の精神の一番奥には、大学時代に出会ったキリスト教的価値観が根付いています。なぜ人々は生きるのか? 何か行動を起こすなら、社会に対して貢献できるような行動でなければならないという考え方です。


ヤフーBBがイー・アクセスの原価を下回る価格でADSL市場に参入してきたとき、大いにあわてましたが、徹底したコスト削減で切り抜けました。


稲盛和夫さんと一緒に仕事をして学んだことは、創業経営者の執念と集中力です。なにしろ夜中の1時、2時でも電話を掛けて来るんです。これには参りました。しかし、12年間稲盛さんに鍛えられたお陰で、イー・アクセスを創業した時は1円を大事にする経営を実践することが出来ました。


私はいかに速く黒字を出すかに注力する。どうやったらよりスリムになるかに全精力を注いで、あらゆるところを全部見直した。社員も全部タクシーは禁止です。以来うちのネームタグは「一円の節約は一円の利益」で、標語にもしています。


日本の小さい視野だけではなくグローバルな動きに絶えず目を向けて、世界的視野の中から会社をつくり、経営していく必要があります。ファイナンスもガバナンスもそうです。世界に通じるベンチャーをつくるという気概がなければこれからは成功しません。


私がこれまで5つの会社をつくってきた経験からいうと、おそらく1000社起業したら生き残るのは数十社で、そのうちの5~6社がIPOするでしょう。どれほど優れたアイデアがあってもそれを事業として育成してIPOするのは極めて難しい。ですから、消費者や社会のために何としても役に立とうという姿勢がない限り、会社は生存できません。


組織は爛熟期を向かえると、内部でスキャンダルが起きるもの。私が勤めていた電電公社(のちのNTT)でも、1980年に、近畿電気通信局で不正経理事件が起こりました。その翌年、石川島播磨重工業(のちのIHI)社長を務めた真藤恒氏が、電電公社総裁に就任しました。それまでの歴代総裁は生え抜きだったのですが、不正が起こらないよう組織を改革するため、外部から送り込まれたのです。


私はこれまでエンジェル投資家として、多くのベンチャーに投資をしてきました。そこで得た大事な教訓は経営者の人間性を見極める目を持つことです。ベンチャーで典型的に失敗するケースは、経営者が自信家で大胆な人の場合です。とくに天才的でイケイケドンドンの経営者は必ず失敗する。むしろ成功する経営者は慎重な人が多いのです。慎重な人が慎重なうえにも慎重に考えたうえで決断する。しかし、慎重なだけでは成功できません。慎重でありながら、大胆にリスクをとっていくことが必要です。


大事なことは、大きな波がやってくる0.5歩前に動くこと。しかし、多くの賢い人は3歩先を見て、早く動きすぎて失敗してしまうのです。反対に0.5歩遅いと、今度は大企業を敵にしなければなりません。まさに直前まで慎重に準備をし、0.5歩先に波頭が見えた瞬間に、大胆に参入することが重要なのです。これを「参入の窓」と言います。ハーバード・ビジネススクールでも使われる言葉ですが、その窓が開くのは、実は6か月しかないのです。


経営者は、どこかで必ずリスクを取って跳ばなくてはならない。周到に準備を重ね、熟考した上で、最後は跳躍して千尋の谷を越えなくてはならない。蛮勇に近いような勇気がないと跳べません。電電公社を辞める時も、ゼロからイー・アクセスをつくった時も、そしてイー・モバイルをつくるに当たって4千億円を集める時もそうでした。心を躍らせるような闘争心というのかな。でも、これはやっていて楽しいですよ。


今後の私の役割は、メンターとして若い人たちの助言をし、励ましの兄貴役がいいですね。私が若き日に米国で教えてもらったチャレンジ精神、フロンティアスピリットを、日本の若い人たちに伝えていきたい。しかも日本だけでなく、世界に向けて挑戦して行ってもらいたいという意味のメンターです。そのベースとなるのは、人間としてどうあるべきかということ。


米国留学中、同期の優秀な大学院生は、私のように巨大な企業に入るのではなく、自分でベンチャー企業を興し、新たな分野に果敢に挑戦していました。日本のように優秀な学生ほど大企業を志向するのとは正反対で、これがかの国のフロンティアスピリットなのかと。いろいろな場面でそういう事例に遭遇し、まさに魂の底から揺さぶられるような事件が何度もありました。


聖書に「からし種」という話が出てきます。小さな種であっても、きちんと正しい場所に種が落ちて育っていけば、やがて大きな木になる。そうすれば、多くの社会に対して、強い日差しから人々を守るような影をつくるような存在になれる。だから、皆一人ひとり、世の中のためになるように生きなさいという教えがあるんですね。だから、第二電電をつくって母から「あんた、こんな苦労をよくするね」と言われましたけど、私の中には、これは世の中のためになるんだ。健全な競争を促すことで電話料金を下げ、使っている人たちの生活を楽にすることができるという確信があった。苦労はしたけど、そういう社会的な義というか、信念はありました。


CVC(大企業が設立したベンチャーキャピタル)が成功するための必要な条件とは何か。まず1つ目は投資の目的とは何か、狙いをきちんと定めることです。2つ目は、投資する側と投資される側とのシナジー効果を見極めることです。シナジー効果が生まれにくい場合もあるので、ある程度の距離感を持って対応することが必要になってきます。3つ目は投資先の経営者に権限委譲を行うことです。相手を信用して思い切ってリスクを委ねること。4つ目が、ベンチャーに熟知したベンチャー・キャピタルとアライアンスを組むこと。最後の5つ目が、長期的な視点を持つことです。


イー・モバイルは、新しい領域を開拓して、ぐんぐん業績を伸ばしていきました。だが、会社の行く末を考えた時、5年先、10年先にどうなっているのだろうか。当面はこのまま成長を続けるだろうが、従業員は、株主の皆さんは、そしてお客様、ベンダーと言われる納入業者さんにとって、さらに市場にとっても、一番いい選択肢は何かと考えました。考えに考え抜いた結果、人間として何が正しいのかという問いの答えが、会社をソフトバンクに売却し、より大きなステージで活動するほうが、皆がハッピーになるという結論に達しました。経営が変わったことで退社する者もいたし、別のベンチャーに移る者もいました。でも大半は残って今も働いており、今でも多くの人が私の元を訪ねてくれます。彼らは一様にハッピーだったと言っているので、そのことからすると、あのM&Aは成功だったと思っています。


ちょうど4人目の子供が生まれた時。企業年金もあと1年で受給資格になるので、上司や同僚はもちろん、母校の教授からも、気違い沙汰だと慰留されました。20年近くいた会社で愛着もあったのですが、日本の消費者のためになり、かつ自分の人生を内面から豊かにするには、壁を飛び越えるしかないと思い、決断しました。

【覚え書き|42歳で電電公社(NTT)を辞めたときを振り返って】


真藤(恒)氏が進める「(電電公社の)改革と民営化」だけでは不十分だとも思うようになりました。私は米国留学の経験があり、毎年、ジュネーブで行なわれる会議にも参加していたので、健全な競争環境を作ることが世界の通信業すうせい界の趨勢だと認識していました。一方、日本の通信業界は、まだ電電公社1社による独占。そのため、電話料金が非常に高かった。これを解消するには、「強烈な競合」を作り、競争を起こさなければならない。そう考えました。そんなことを言うと、周囲からは総スカンですよ。それでも、あらゆる機会を捉えて、繰り返し、その話をしてまわりました。そして京セラの稲盛(和夫)氏が「腹を決めた。ぜひやりましょう」と答えてくれました。


ベンチャーと言えば、天才的な才能を持っているがゆえに成功した。そんなイメージを持っている人が多いようです。しかし、果たして本当にそうでしょうか。日本でも、自らベンチャーを起業した天才的なプログラマーや技術者をもてはやす傾向があります。しかし、そのほとんどが失敗に終わっているのです。なぜでしょうか。それは彼らが、本当の意味での経営者ではないからです。むろん天才的な才能はベンチャーにとって必要なものです。ただ、彼らがマネジメントに適しているかと言えば、そうとは限らない。名選手、必ずしも名監督にあらず。監督には監督向きの素質を持った人がなるべきであり、天才的な技術者はCTO(最高技術責任者)やチーフエバンジェリストを務めたほうが成功の確率は高くなるのです。


KDDIは対ドコモ、対ソフトバンク、そして新たに現れてきたMVNO(仮想移動体通信事業者)など競争相手が増えていく中で、CVC(大企業が設立したベンチャーキャピタル)を通じて、非通信系とも言うべき領域を強化しようとしています。実際、KDDIは今年4月までにAI、IoTなど44社のベンチャー企業に出資しています。KDDIがうまく投資できている理由は、プロのベンチャー・キャピタルである「グローバル・ブレイン」とパートナーを組んだことです。両社が立ち上げた「KDDIオープンイノベーションファンド」は、1号、2号ファンドの運用総額か50億円で、今年4月には今後5年で約200億円の投資を行う予定の3号ファンドの設立も発表しました。KDDIは単にCVCを自前でやるのではなく、いいパートナーを探し、大胆に任せるという仕組みをつくったことで成功したのです。


千本倖生の経歴・略歴

千本倖生、せんもと・さちお。日本の経営者。イー・アクセス、イー・モバイル会長。奈良県出身。京都大学工学部電子工学科卒業後、日本電信電話公社(のちのNTT)に入社。フルブライト留学生としてフロリダ大学大学院修士課程に留学。同大学大学院博士課程を修了し工学博士号(電気工学)取得。近畿電気通信局技術調査部長などを経てNTTを退社し、第二電電(のちのKDDI)を共同創業し専務に就任。第二電電副社長、DDI東京ポケット電話社長などを務めたのち第二電電退社。慶應義塾大学経営大学院経営管理研究科教授を務めたのち、イー・アクセスを創業し、同社を約5年で東証一部に上場させた。そのほかカルフォルニア大学バークレー校経営大学院客員教授なども務めた経営者。