北修爾の名言

北修爾のプロフィール

北修爾、きた・しゅうじ。日本の官僚(通産)、経営者。「阪和興業」会長。東京大学経済学部卒業後、通商産業省に入省。外務省ロサンゼルス日本国総領事館領事、大阪通商産業局商工部長、日本貿易振興会ジャカルタ・センター所長、関東通商産業局総務企画部長、経済企画庁長官官房審議官、阪和興業常務・社長・会長を務めた。

北修爾の名言 一覧

上意下達、下意上達の双方向、かつ部門間の壁も破って侃々諤々(かんかんがくがく)議論した。すべてが大仕事だったが、本業重視の旗印の下、役員・社員がやる気を出し、会社の建て直しに励んでくれた。


私は社長に就任してすぐに目安箱の故事に倣い、社員から「社長への手紙」を募った。全社員の3分の1の約400人から手紙をもらい、社内の問題点が手に取るようにわかった。


バブル期における当社の最大の問題は、大阪本社は当時会長の父・二郎が、東京本社は社長の茂が引っ張っていて、実質的に会社が二つに分断されていたことだ。人事の定期交流も少ない歪な状況だった。


「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」。この言葉は江戸時代中期に米沢藩を再生し、名君と謳われた上杉鷹山公が遺した教訓です。この言葉を、いつの頃からか母は私に言い聞かせていました。目標を立てたら、それに向けて動け、というこの教えは私の人生の様々な節目に影響を与えてきました。


難しい案件は、それが本当に会社のためになるのかどうか、経営陣全員がよく議論する。トップの独断専行に陥らないようにすることが大事。そして、商社としてユーザー(顧客)のために仕事をする。それが今の阪和の活力になっている。


バブルのときに茂社長は財テクにのめり込んだが、当初は上手くいっていたこともあり、社長の暴走を社内の誰も止めることはできなかった。社長に諫言(かんげん)した人はいたが、会社を去ってしまった。そうして会社として軌道が修正されないまま、バブルが崩壊し、株価が落ちて信用が失墜するという市場の圧力によって、初めて暴走が止まった。その後、私が社長になって、社外取締を招いて客観的な目での経営監視をお願いした。


94年1月に(北)茂社長の退任の発表と同時に日本経済新聞をはじめ各紙で約1300億円もの阪和の大規模な特別損失が報じられ、私が再建を託されることになった。51歳の若さで上場企業の社長になるので霞が関の元同僚からも関心を持たれ、「よく焼け火ばしを握ったなあ」とも言われた。阪和の株価は信用不安で奈落の底へ落ちていた。ただ、営業基盤はしっかりしており資産も残っていたので、財テク資産を損切りしても債務超過にはならないと考えていた。頑張れば再建できると。


北修爾の経歴・略歴

北修爾、きた・しゅうじ。日本の官僚(通産)、経営者。「阪和興業」会長。東京大学経済学部卒業後、通商産業省に入省。外務省ロサンゼルス日本国総領事館領事、大阪通商産業局商工部長、日本貿易振興会ジャカルタ・センター所長、関東通商産業局総務企画部長、経済企画庁長官官房審議官、阪和興業常務・社長・会長を務めた。

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