名言DB

9,557 人 / 112,978 名言

勝俣宣夫の名言

Facebookボタン  Twitterボタン  はてなブックマークボタン  新着 名言

勝俣宣夫のプロフィール

勝俣宣夫、かつまた・のぶお。日本の経営者。大手商社の丸紅会長。東京出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、丸紅飯田(のちの丸紅)に入社。印刷用紙部長、紙パルプ本部副本部長、紙パルプ本部長、取締役物資・建設部門統轄役員補佐、取締役物資・建設部門統轄役員、常務取締役物資・建設部門統轄役員、常務取締役秘書部人事部経営企画部担当役員、資材・紙パルプ部門管掌役員、投融資委員会副委員長・委員長、などを経て社長に就任。社長時代には5年連続最高純利益を達成し、ハーバード大学が選ぶ「業績・株価の向上に貢献した世界のCEOベスト100」に選出された。また、経済同友会副代表幹事、日本経団連副会長なども務めた。

勝俣宣夫の名言 一覧

丸紅では、経営戦略、経営管理システムを全員に浸透させています。それらを頭に入れながら、自らのビジネスモデルをつくりあげ、実行できる人材が必要なんです。


現在、モノづくりの世界でもヒトが非常に注目されていますが、とくに商社は様々な仕組みの組み合わせですから、ヒトと信用力がすべてといってもいい。信用力をベースに、ヒトがどれだけチャレンジできるかが、経営の要諦です。一人一人が将来を見据えて、自分たちはどういう構造改革をして、どう進んでいくのか、自ら抗争を持つことが重要です。


印刷用紙は、白色度という意味では数値は同じでも、じつは、国によって好まれる色味がわずかに異なります。欧米では青みがかった色が好まれるのに対して、日本では黄色がかった色が好まれました。そのため、フィンランド・メーカーの既製の印刷用紙は、当初、日本ではなかなか売れませんでした。そこで、フィンランドの工場を回り、色味や紙の厚さ、質感などを提案し、日本人好みの紙をつくりあげました。7~8年も試行錯誤を繰り返しましたが、その過程で、新しい品種も生まれましたので、成果は大きかったですね。


丸紅に入社したとき、上司は私と歳がひとまわり違う新任の課長でした。何でも先頭に立って引っ張っていく鬼軍曹のような人でした。ときには怒鳴られもしましたが、仕事の仕方をいちから教えてもらった印象が強いです。


新入社員のときは、自分で自由にできる時間がまったくありませんでした。当時は週休1日で土曜日も半日出勤でしたので、勤務時間が終わったあと午後もそのまま残って、腰を落ち着けて仕事をする時間にあてていました。休日に出勤することもありましたが、残業や休日出勤をすることについて、格別おかしいという認識はありませんでした。いまの時代からからすると非常におかしいことなんでしょうけれど、我々の時代はそれが当たり前だったんです。


勝俣宣夫の経歴・略歴

勝俣宣夫、かつまた・のぶお。日本の経営者。大手商社の丸紅会長。東京出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、丸紅飯田(のちの丸紅)に入社。印刷用紙部長、紙パルプ本部副本部長、紙パルプ本部長、取締役物資・建設部門統轄役員補佐、取締役物資・建設部門統轄役員、常務取締役物資・建設部門統轄役員、常務取締役秘書部人事部経営企画部担当役員、資材・紙パルプ部門管掌役員、投融資委員会副委員長・委員長、などを経て社長に就任。社長時代には5年連続最高純利益を達成し、ハーバード大学が選ぶ「業績・株価の向上に貢献した世界のCEOベスト100」に選出された。また、経済同友会副代表幹事、日本経団連副会長なども務めた。

他の記事も読んでみる

森祇晶

あのころプロとは何であるかということを、別所さんとの猛練習から教えられた。
【覚書き|プロになりたての頃、当時エースだった別所毅彦の猛練習に付き合わされたことについて語った言葉。当時は室内練習場がなく、雨の日でも練習に付き合わされ、橋の下でボールを受けたとのこと】


熊谷亮丸

最後の決め手は直感だと思います。ですから、それを研ぎ澄まさなければなりません。


西浦三郎

日本の企業の場合、98%くらいが中堅中小です。ですから超高層ビルなどのSクラスビルと言われているものは、作っても空室のリスクが大きくなります。当社は、空室リスクを避けるため、フロア面積が200~500坪ぐらいのAクラスビルと言われているものに特化しています。フロアごとに貸していけば十分、それで埋まります。今、ほぼ満杯状態です。


森田勉(経営者)

営業がつらいと思っている人は、視野狭窄以外の何者でもない。お客様の心をつかむには、営業という仕事そのものを好きになることが、一番大事だと思うよ。


近藤誠

私はちょうど30歳のときに米国に留学しました。そこで痛感したのは、日本のガン治療がいかに旧態依然としているかです。日本では「絶望して自殺してしまうから」という理由で患者にガン告知をしていませんでした。ガンだと知らせていない患者に、ガンの治療をするのには無理があります。米国では告知するので、患者の合意のもとで適切な治療ができていました。患者が自殺するなんていうこともありません。


高杉良

今年で76歳になりました。この歳になっても、1作につき、最低でも50人以上の人達に取材して書くという力仕事をやっているのは、僕くらいかもしれません。最近は毎年のように、「これが最後の力仕事」と宣言しながら作品に向き合い、書き終えるとまたむくむくと取材したい先が浮ぶということを繰り返しています。周りからすると、狼少年もいいところでしょう(笑)。


楠木新

定年退職して何をするか。その探し方に正解はなく、自分自身で考えるしかありません。ただ、探し方のヒントはあります。それは「とにかく動く」こと。たとえば、新たな働き口を探そうとするときに「行ったことはないけれど、ハローワークで仕事は見つからないから行かない」「体を動かす仕事は、やったことがないからやらない」と考えて動かない。こうした頭でっかちはもったいない。行動を起こせば思わぬ道が開けていたかもしれません。


長島徹

他社に先行してもすぐ追いつかれますが、それでもいいのです。我々の文化風土、DNAまではなかなか真似できないはずです。土台がしっかりしたら、あとは事業で頑張ればいいのです。


早河洋

AbemaTVはスタートのアイデアからしても、インターネットの世界だと思っていたので、テレビ朝日のAbemaTV関係のスタッフには「すべて藤田(晋)社長の指示に従うように」徹底させました。ですので、私はAbemaTVの支援会議のようなものを組成してサポートに徹しています。


小林佳雄

社内文化の破壊、いわゆる大改革はトップにしかできない。


村山由佳

文章を書くって、自分の身体を触媒にして言葉を吐き出すこと。だから、この小説の出来事は、私にとってすべて「起こったこと」なんですね。実際に殺していなくても、死体の後始末をしていなくても、それは書いてしまったと同時に、現実と同じ強度を持ってしまう。しばらくはご飯が食べられないほど、きつかったです。でもそのきつさは、物語のためには良いことだったと。読む方に同じ強度で受け取ってもらえるか――それは本当に賭けでした。


廣田尚子

幼少時代、友人や家族に何をプレゼントするか、どんなラッピングだったら喜んでもらえるか、などを考えることが好きでした。いま思えば、子供ながらにおもてなしを楽しんでいたんでしょうね。人を喜ばせるという意味では、デザインはプレゼントと同じです。昔から人が喜んでくれることをやりたかったんです。