名言DB

9490 人 / 112001 名言

加藤寛一郎の名言

Facebookボタン  Twitterボタン  はてなブックマークボタン  新着 名言

加藤寛一郎のプロフィール

加藤寛一郎、かとう・かんいちろう。日本の工学博士。東京大学名誉教授。東京大学工学部航空学科卒業後、川崎重工、ボーイング社などで実務を経験。東京大学工学部航空学科に助手として戻り、のちに教授。日本学術振興会理事なども務めた。飛行機事故関連の著書を多数残している。

加藤寛一郎の名言 一覧

熟年になっても自分を甘やかさない気持ちというのは大事ではないでしょうか。たとえば、私はもともと太りやすい方ですが、格闘技をするためと健康のために独自の減量法を編み出し30数年来続けています。


独自の減量法を編み出し30数年来続けています。それは、バランスのとれた1400キロカロリー程度の食事を一日一食だけ取るというものです。私の場合は夜食べて、朝と昼は断食です。「それで大丈夫か」と思う人もいるでしょうが、私は大丈夫だと思っています。食事をしない分、体に蓄積した脂肪が燃焼してエネルギーを補ってくれるようです。もちろん、標準体重の人や子供は三食きちんと食べた方がいいと思いますし、私の減量法がすべての人に向いているわけでもないと思います。


仕事の面でも常に新しい自分を追求することは大事だと思います。私の専攻は飛行力学ですが、40歳を過ぎてから著述に力を入れるようになりました。その場合は共著にしたり、コンピュータを使う研究の実作業を学生に任せたりしないようにしています。自分に甘えが出るからです。人を使ってばかりいると、自分では何もできないようになってしまうと思うのです。熟年だからこそ自分を甘やかさず、つねに新しい自分を追及する。そうありたいと思っています。


37歳で空手を始め、39歳で初段、50歳で四段をとりました。さらに67歳からボクシングまで始めました。こう言うと大抵かなり驚かれます。そろそろ40歳に手が届こうという年になって格闘技を始め、70歳近くになってボクシングに挑戦したのですから。友人などは正気の沙汰ではないなどと言いました。ですが、私は並外れた体力、運動神経の持ち主などではありません。でも、運動神経が鈍くて弱い私も格闘技に挑戦し続けてきたおかげで後半生の生き方のようなものが見えてきたように感じます。


減量をすると、考え方が積極的、攻撃的になり、感覚も研ぎ澄まされてくるような感じがします。最近では、減量に関する本まで書いたほどです。年をとると、太りやすくなるし、体力は衰えても仕方がないと諦めがちですが、それは早いと思います。できるだけ自分を甘やかさず、ひとつのことに取り組み続ければ、まだ新しいことができるし、人に認められる長所を持てるようになると思います。考え方が積極的になれば、日ごろの生活でも自信がわきます。


空手をやれば、年をとっていても若者と同等です。昇段試験などで組手の試合をするときには、本心ではとても怖いのですが、飛び込んでいくしかありません。黒帯を締めるようになれば、後輩の手前恥ずかしいことはできませんから、なお精進しなければなりません。


加藤寛一郎の経歴・略歴

加藤寛一郎、かとう・かんいちろう。日本の工学博士。東京大学名誉教授。東京大学工学部航空学科卒業後、川崎重工、ボーイング社などで実務を経験。東京大学工学部航空学科に助手として戻り、のちに教授。日本学術振興会理事なども務めた。飛行機事故関連の著書を多数残している。

他の記事も読んでみる

赤塚保正

当社には取締役で構成する安全委員会がありまして、新しい機械を導入するなど、さまざまな面での安全・安心を確保できる仕組み作りを検討・実施しています。同族経営は良きに働き、悪しきに働くときがありますし、私もまだ若いですから外部の有識者の方に当社の顧問になっていただきアドバイスを頂いております。


塚本幸一

どんな業界にあってもトップ企業は、リーダーとしての責任を負うべきだ。【覚書き:(社)日本ボディファッション協会を立ち上げた時の発言】


横田尚哉

ベテランに対して明示的(具体的な手法を事細かに明示するよう)な指示をしてしまうと、相手のやり方を縛ってしまい、かえって非効率的になってしまいます。反対に、新人や初心者に暗示的(仕事の目的や意図のみ伝えるよう)な指示をしてしまうと、相手は手段から自分で考えなければなりません。どちらの場合も、余計な時間がかかり、時間の無駄です。


秋元信行

ベンチャー企業と組めば何か新しいことができると漠然と考えて協業を始める大企業が多いと感じる。いざ走り出してから、お互いが思い描くゴールが全く異なっていることに気付くことがある。コミュニケーションがうまく取れず「破談」することも多い。


鈴木みゆき(経営者)

困難な壁に直面したとき、私はその課題と距離を置くようにしています。好きな音楽を聴きながら、自宅の近くをひたすら走る。走り始めると、自然と頭の中が整理され、課題の全体像や本質が見えてきます。複雑に思えた問題も、優先順位が明確化されて、解決策が自ずと見えてきます。


石井ふく子

幸せは、まず生きていることの喜びであるように、健康が第一の条件です。そして他人から与えられた幸せは長続きしません。幸せは自分でつくっていかなければならないのであるし、努力した幸せは、それだけ満足度の度合いも強いものです。


松原弘典

実際に学生たちの就活を見ていると、採用される側は目立ちすぎないように画一化のレールに自分から乗っているし、企業の側も効率を口実に、システム化された採用をしている。こういう状態がいいとは思えない。みんなが同じ方向を向く、今の日本のシステムに飼い慣らされてはいけない、と強く感じます。


佐々木宏

「歴史上の人物も、たいへんな苦難を越えてきたのだから」「悪いことが起きた後には、いいことが起きるだろう」耐えられそうにないから、勝手に自前のルールを作っていたのですけど、これがどうも今の広告の世界で生きていくために都合がいいみたいですね。この世界には条件や制約が多いし、企画が頓挫することもよくあって、不満の温床と言えるような職種ですので。


塙昭彦

手の中でくじをギュッと握って、「当たりだよ、当たりだよ」と思い続ければ、それは必ず当たりくじになる。しかし、「はずれだ、はずれだ」と思っていたら、当たりくじだったとしても、手を開いてみたらはずれくじに変わってしまう。


具志堅用高

少なくとも自分の持っている7割ぐらいの時間と情熱を傾けなきゃ勝てない。頭の中をボクシングでいっぱいにしなきゃ世界は狙えない。


橘右之吉

いつか認められるように、売れるようにってみんなで夢を語りながら酒を酌み交わした。だから仲間の一人が売れ始めると、こっちも負けまいと仕事に力が入る。先に売れた人から仕事をもらうこともありました。これがまたうれしくてね。


前田裕二

30歳までに社内で目指していた目標を幸運にも25歳で達成しました。起業するにはいいタイミングでした。もう一つ、僕にギターをくれた親戚のお兄ちゃんが亡くなったことが大きかった。投資銀行の仕事は価値の創出というよりも、価値の移動をしている、という感覚でした。身近なひとの死をきっかけにして、もっと代替不可能性の高い、世界の幸せの総量を増やすような仕事をしたいという思いが強くなったんです。