加来耕三の名言

加来耕三のプロフィール

加来耕三、かく・こうぞう。日本の歴史家、作家。大阪府出身。奈良大学文学部史学科卒業。奈良大学文学部研究員を経て執筆活動を開始。歴史関連の本を多数執筆。

加来耕三の名言 一覧

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「非常の才」を見抜く場合、上の者の才も問われます。自分と同じ才能なら分かりやすいですが、異才を見抜けるというのは、よほど度量のある人でなければなりません。

加来耕三の名言|異才を見抜けるというのは、よほど度量のある人でなければならない


歴史とは、未来に活かすことができてはじめて価値が出るもの。年号など「点」の情報をいくら覚えても仕事や人生に活かすことはできない。

加来耕三の名言|歴史とは、未来に活かすことができてはじめて価値が出るもの


歴史学は答えを求める学問でありません。プロセスを幾重にも考えることが重要。その思考の反復で、困難に対する解決策を思いつく力が養われる。

加来耕三の名言|プロセスを幾重にも考えることが重要


歴史の小説からは多くを学ぶことは出来ない。あれはフィクションであり、物語として好まれるよう脚色されていることが多いからです。

加来耕三の名言|歴史の小説からは多くを学ぶことは出来ない


歴史の本を読むときは、「なぜ」「もしも」というキーワードを頭に入れて読んでみてください。なぜこう動いたのか、もし別の道を選んだらどうなっていただろうと思考のトレーニングをする。すると、自分ならこうするな、と見解が湧いてくるはずです。

加来耕三の名言|歴史の本を読むときのポイント


歴史には、一度は敗者となるも努力して成功をつかんだ例は少なくありません。人生には大逆転があります。歴史を知れば、たとえつまずいても敗者復活戦があると確信できます。

加来耕三の名言|歴史を知れば、たとえつまずいても敗者復活戦があると確信できる


西郷隆盛は男盛りの20代から30代に、2度も島流しにあっています。しかし、彼は投げやりにならず、勉強と思索に打ち込みました。結果、維新という偉業をやり遂げたのです。

加来耕三の名言|西郷隆盛は投げやりにならず、勉強と思索に打ち込んだ



歴史には、一人の人間の栄光から挫折まで、「線」の情報が詰まっている。「なぜそんな決断ができたのか」「逆転の発想はどう生まれたのか」など、線を追うことで見えてくるものがある。それこそが、歴史を学ぶ醍醐味。

加来耕三の名言|歴史を学ぶ醍醐味


大きな時代の変革期、その1つである明治維新から、私たちが学ぶべきことは多く、参考になるはずです。たとえば、幕末期のリーダーがどのように誕生したかといえば、やはり育てた人がいました。

加来耕三の名言|幕末期のリーダーにも育てた人がいた


人材がいるかいないか、いないのなら、どこから連れてくるべきか。危機が見えてしまってからでは遅い。西郷(隆盛)や大久保(利通)が誕生したのは、島津斉彬(なりあきら)が黒船よりも前、アヘン戦争の時に危機を感じ、「非常の才」を意識して育てたからでしょう。

加来耕三の名言|危機が見えてしまってからでは遅い


平時に役立つ人間は非常時には全く役に立ちません。企業の講演会でも、「西郷(隆盛)さんや坂本龍馬をどうやったら採用できるでしょうか」、という質問がよく挙りますが、「そもそも企業が採用しない人が、彼らですよ」と。西郷は政治犯、坂本龍馬は逃亡犯ですからね(笑)。

加来耕三の名言|平時に役立つ人間は非常時には全く役に立たない


歴史小説を読むときには、腰をじっくりと落ち着けて、登場人物になったつもりで「自分ならどうするか」と意識しながら読んでほしい。簡単なことではない。だが、そこで得られた気づきがきっかけになって、日常生活の自分の行動に変化が出ればしめたものだ。

加来耕三の名言|歴史小説を読むときの心得


歴史小説の醍醐味は、「いかに生きて、いかに死ぬか」という人生観を学べる点だ。人生は一度きりだが、歴史小説には無数の人生が描かれる。「こういう生き方があるのか」と知れば、読み手の選択肢が広がる。そこからしっかりとした人生観を持つことにつなげられれば、人生をより充実したものにできるだろう。

加来耕三の名言|歴史小説の醍醐味


作家としての道を歩み始めた後も、自分はプロとしてやり続けられるのかと何年間も悩みました。その悩みの解決策は、勝海舟の『氷川清話』にありました。海舟は危機に直面しても逃げない。ここぞと思ったら、命を捨ててかかる。腹を決めずにジタバタしたら、そこで終わりだと言っています。私も腹を決めました。「これしかない」と仕事に打ち込もう。身を守るものはないから、前に出るしかない。そう考えたらスッとラクになりましたね。

加来耕三の名言|悩みの解決策は、勝海舟の『氷川清話』にあった


薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)は、西郷(隆盛)を水戸の藤田東湖や越前福井の橋本左内など、当時の優れた人物に会わせることで時代の感度を磨かせました。江戸期は今と違い、優秀な人は江戸だけでなく全国各地に散らばっており、紹介状を持って訪ねて行く時代でした。そして、それがネットワークになっていったのです。

加来耕三の名言|優れた人物に会わせることで時代の感度を磨かせた



日清戦争当時、国力を比較すると清国が50で日本は1くらい。でも、英国だけは日本が勝つと公言していました。その理由を「日本人は自分たちで船を動かし、修理も自分たちでする。一方、清国は、船を欧州から購入し、動かすのも欧米人。彼らに忠誠心はない」というのです。結果は、ご存じのとおり。こうした数と力に頼る解決策を採れば、結局は何事もなし得ないということです。日本の企業もいつしか教育できる人間がいなければ外部から専門家を呼んでくるようになりました。何としてでも自分たちで次のリーダーを育てよう、とはしません。かつての清国のような大国的な意識になってしまっている気がします。

加来耕三の名言|数と力に頼る解決策を採れば、結局は何事もなし得ない


西郷(隆盛)にしても大久保(利通)にしても、他の藩に生まれていれば、絶対に成功できなかったはずです。剣が立つわけでもない、頭だってずば抜けて良いわけではない。大久保は頭が良かったですが、学問はせいぜい中の上レベル。でも、薩摩は基準が違う。「泣くよか、ひっとべ」という言葉に象徴されますが、勇気を示せる者が選ばれた。そういう英雄のつくり方もあったわけです。

加来耕三の名言|薩摩では勇気を示せる者が選ばれた


世の中を変えて行く人物には出る順番があります。まず、横井小楠や佐久間象山といった予言者のような人物があらわれ、次に、実行する人たち、いわゆる幕末の志士たちが登場する。そして、彼らをまとめていく人間が必要になってくるわけです。戦国時代をみると、信長、秀吉と続き家康で初めて時代が落ちつきました。先頭を切る人がいて、必ず非業の最期を遂げる。その次の人間もいいところまでいくけれど危うい。家康は尻尾についていて、最後に天下を拾ったというわけです。

加来耕三の名言|世の中を変えて行く人物には出る順番がある


加来耕三の経歴・略歴

加来耕三、かく・こうぞう。日本の歴史家、作家。大阪府出身。奈良大学文学部史学科卒業。奈良大学文学部研究員を経て執筆活動を開始。歴史関連の本を多数執筆。


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