名言DB

9419 人 / 110788 名言

出口知史の名言

twitter Facebook はてブ

出口知史のプロフィール

出口知史、でぐち・さとし。日本のコンサルタント。東京大学大学院工学系研究科修了。経営戦略コンサルティングファーム「コーポレイトディレクション」、ダイヤモンド社、産業再生機構、グラクソ・スミスクライン、メットライフ アリコなどに勤務。企業再生に携わった。著書に『論理思考の「壁」を破る』『困った人の説得術』。

出口知史の名言 一覧

相手が理不尽なことを言ってきたとき、いったん受け入れることで、相手も冷静に話そうとします。表情も、できる限り笑顔で。


相手を「やっかいな人だ」と感じると、その人の悪い面ばかりに目がいきがちです。それは自分の行動にも表われるので、相手との溝が深まります。仕事を離れた場で彼らを観察し、「この人にもこんないい一面があるんだな」と思えるところを見つけてください。それを思い浮かべると、ストレスは軽減できます。


「やっかいな人」は、時代や環境の変化に対応しきれなかったり、組織での苦い経験などからそうなってしまったケースが多い。接する際には彼らと戦おうとせず、「この人は、なりたくてこうなったわけではないんだ」という、思いやりの気持ちを持つことが大切。


出口知史の経歴・略歴

出口知史、でぐち・さとし。日本のコンサルタント。東京大学大学院工学系研究科修了。経営戦略コンサルティングファーム「コーポレイトディレクション」、ダイヤモンド社、産業再生機構、グラクソ・スミスクライン、メットライフ アリコなどに勤務。企業再生に携わった。著書に『論理思考の「壁」を破る』『困った人の説得術』。

他の記事も読んでみる

海老原嗣生

人間は自由を与えられただけでは、それをうまく使うことができない。


茂木友三郎

初めて国際化と醤油という二つのキーワードが、頭の中で結びついたんです。そんなことに気が付かなかったのかと反省したものです。
【覚書き|米国留学中、現地のスーパーマーケットでキッコーマンの濃口醤油が売れているのを見たときを振り返っての発言。当時、醤油は日本人、もしくは日本国内でしか売れない商品という先入観を持たれていた】


井上直也(経営者)

コンセプトの実現は現在も進行中です。変化の激しいこの世界で、お客様ニーズにこれからも対応していきます。


山海嘉之

本当に重要なことは、一つひとつ積み上げていくこと。


越智通勝

「転職は、慎重に」という当社のキャッチコピーは、転職を斡旋する会社としては異色だ。他社は「転職はあなたを成長させる」などといって盛んに転職を勧めている。斡旋会社はより多くの転職を扱った方が儲かる。「慎重に」というキャッチコピーには、社内からも「逆効果ではないか」と反対意見が出た。だが、広告に煽られて転職を決意するような人は早く辞めてしまう。クライアントが求めているのは、そんな人材ではない。


佐藤康博

ときどき「忙しいんだから都心に住めばいいんじゃないか」とアドバイスしてくださる方もいます。でも、都心から離れているからこそ平日は通勤時間にいろいろな思索ができ、休日には仕事から離れてリラックスした時間を過ごせるのです。国立で暮らすということが、私の時間管理のベースなのかもしれません。


松井忠三

2001年上期に無印良品は38億円の赤字を計上したものの、経営改革の甲斐あって業績はその後大きく回復。しかし経費はまだまだカットしなくてはいけない状況でした。ところが役員に指示を出しても、削減目標をほとんど達成できない。会議を重ねても、解決案は出ない。いま思えば、当然の話でした。役員はみんな無印の母体であったセゾングループの出身。セゾンのなかだけで純粋培養されてきた人間なので、新しい知恵が出るはずもないのです。役員になるほどの人材が集まっているにもかかわらず、凡庸な案しか出てこない。私は確信しました。自社で考えてもいい知恵は出ないなと。そこで私は社外から知恵をもらうことを決意します。そのなかで出会ったのが、「しまむら」でした。


ジャック・ナトン

入社して20年もたつので、社風の良さを客観的に語るのは難しいのですが、従業員を大切にする会社だと思います。それが過去10年間で300社以上のM&A案件を企業としての成長につなげられた要因でしょう。


諏訪暁彦

日本メーカーのトップには、もともと研究者や技術者だった人が多い。その中には自社開発もしくは国内企業との共同開発の経験しかない人も少なくないはずです。そのためか、海外企業との共同開発にはなかなか目が向かないこともあるでしょう。


小松政夫

実家があったのは今の「キャナルシティ博多」の近くで櫛田神社の隣でした。当時、神社裏の広場ではバナナの叩き売りや蛇の薬売りなどの実演販売が盛んで、実家の2階の窓からその様子をよく眺めていました。聞こえてくる口上はテンポがよくて、面白かった。夢中になって聞いていたら、知らぬ間に暗記していました。覚えたら誰かに披露したくなるものですよね。私も同級生や仲間を集めては今で言う一発芸や1人芝居を見せていたのです。私の本名は松崎雅臣なので「雅坊演芸会」と題し、ガリ版で入場券や招待券をこさえて配っていました。これが私の芸の原点です。