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内藤剛志の名言

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内藤剛志のプロフィール

内藤剛志、ないとう・たかし。日本の俳優、タレント。大阪府出身。日本大学芸術学部映画学科に入学し、自主映画制作に没頭。文学座研究所を経て映画『ヒポクラテスたち』でデビュー。その後、映画、テレビドラマ、司会者として活躍。

内藤剛志の名言 一覧

もうダメかなと行き詰まったときは、とにかくシンプルなことを限界まで、何度もくり返すことが大事。


仕事が上手くいかないことって誰にでもある。そのとき、才能のせいにするか、自分の努力不足のせいにするかで、その後が決まる。


僕がこの仕事で大事にしているのは「縁」。縁によって人生は大きく変わるもの。


人生なんて、楽しいか、楽しくないかのどっちかなんですから。楽しくなかったら、すぐやめるというか、ほかに楽しいものを見つけられる自信だけはありますよ。


30代後半に体を壊すまでは結構飲んでいたんだけどね。役者は体が資本だから。そう考えると酒を止めるのは簡単だった。


今日、この瞬間に人生が閉じたとしても、ひと言だけ自信を持って言えます、「ああ、楽しい人生だったよな」って。


はっきり言えるのは、やりたくないことは何もやってこなかったということ。


「音楽がダメなら、じゃあ、次は何で表現したらいいんだろう」って、前向きというか、次の道しか考えてなかった。だから映画へとシフトしていくのも早かった。


よくここまでやってきたと思いますよ。いくら懸命に生きてきたといって、運というか、自分の力だけじゃどうにもならない世界です。


僕は現場で人と人が生む力が大事だと思っています。与えられたことでもビジネスライクにやっていたら、いいものはできないんじゃないかな。そのためにはやっぱり手間をかける必要がある。


僕はたいした役者じゃないですけど、こうやって飯が食えているというのは、意外と「逃げなかった」から。実際、撮影の現場に入って横目で見ていると、「アイツ、楽しているな」っていうヤツが結構、いますから。そういうヤツは、結局、この世界からいなくなっている。


僕は天才じゃない。凡庸な俳優だと思っています。天才なら10回練習すれば、上手く演じられるかもしれない。でも僕は1千回練習しなければ演じられない。だから、自分の部屋にこもって、ひたすら台本を読み、芝居の練習をくり返す日々。必死で打ち込めば不安も減ってくるし、結果に対してこれだけやったんだと受け入れられるものです。


あえて悪役にもトライした。不愉快な性格や、人を恐怖に陥れるようなキャラクターを演じてみようと。でも、いままで僕がやってこなかった役だから勉強になった。悪徳弁護士なら、こんなメガネをかけるのかなと研究したりね。ありとあらゆる役を演じました。今週、悪人を演じたら、翌週は平凡なサラリーマン、その次の週は寡黙な武士のようにね。20代の僕の演じる役は熱血、素朴といった青年を演じることが多かった。その意味では30代前半は苦しかったけど、演技の幅を広げる時間として必要でしたね。


30歳を過ぎたあたりから、自分の勢いが失速してきた感じがしたんです。ふと、周囲の映画やドラマの世界を見渡すと、俳優としての自分が座りたい座席にはすでに他の俳優が座っていることに気がついたんです。そこで、考えを切り替えました。主演やその周辺の役に僕の座る椅子がないのなら、いままでとは違う役をやってみようと。


徹夜で撮影でも苦にならないし、まだまだ飽きないというか、いつまでたっても撮影の現場は楽しいですから、「趣味は仕事」と言っていいんじゃないでしょうか。だって、仕事をおろそかにして、遊んでいるほうが僕にとっては恐ろしいんですよ。ゴルフもしませんけど、多分、遊んでいるときのほうが心臓がドキドキするんじゃないかな。それより、まともに仕事と対峙しているほうが安心というか、ホッとしますから。


自分で言うのもなんですけど、僕に才能があるとしたら「一度こうと決めたら諦めない」ことと、「あっ、いまの芝居ダメだったな」って「自分でダメだったときのことをわかっている」ということじゃないでしょうか。普通、監督からOKが出ると、「まあ、いいか」って忘れるんですけど、僕は、そのことをずっと思い続けるようにしてますから。


そのころ(大学時代)は、役者というよりプロデュースをするとか、「どっちかというと自分は裏方のほうだろうな」と思っていたんですけど、どっちにしても、もう少し芝居の勉強をしたほうがいいだろうって思って、文学座に入ったんです。3、4000人の応募があって、通ったのは50人もいなかった。いま思うと、よく受かったなと思うけど、当時は「こうしよう」と思ったら、落ちることなんかを考える余裕もなく(笑)、ただがむしゃらに走り抜けていくっていう感じでした。


数字はありがたいけど、視聴率だけを気にしてはいません。一回一回しっかり番組をつくっていくことが大事。


いろんな先輩のやり方を見て、いいものを吸収してきました。とくにその姿勢で影響を受けたのはダウンタウンの浜田(雅功)さん。ドラマで共演した時、「全然NG出ないじゃないですか」というと、「本職じゃないからこそ、ちゃんとせなあかんのです」と答えられた。僕の本業は役者。でも、MCの時は、本職じゃない分、まず当たり前のことをちゃんとやる必要があるんですよ。


内藤剛志の経歴・略歴

内藤剛志、ないとう・たかし。日本の俳優、タレント。大阪府出身。日本大学芸術学部映画学科に入学し、自主映画制作に没頭。文学座研究所を経て映画『ヒポクラテスたち』でデビュー。その後、映画、テレビドラマ、司会者として活躍。

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