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内田有希昌の名言

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内田有希昌のプロフィール

内田有希昌、うちだ・ゆきまさ。日本のコンサルタント。「ボストン・コンサルティング・グループ」シニア・パートナー、マネージング・ディレクター。東京大学文学部卒業、カーネギーメロン大学経営大学院でMBAを取得。三和銀行を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。BCGジャパンオフィス・アドミニストレーターなどを務めた。

内田有希昌の名言 一覧

多様な働き方を認める寛容さがなければ、多様なタレントを維持できません。昇進・給与の調整なども含め、企業側には様々な工夫が必要。


会社は何のために存在しているのか、どんなことをしようとしているのか、「目的」「願望」を明確にすること。どんなに多様な立場にある人たちでも、これらを持つリーダーには引き付けられるはずです。


社内にどんな人材がいるかを明らかにした人材マップをつくっておくことも重要。社員に「何ができるか」「どんな経験をしたか」を振り返る履歴書を書かせ、それをマッピングすることで会社側は人材の能力の棚卸しができます。


社員が明らかな専門性を持っていれば、会社に「こういう働き方をしたい」という主張もできるでしょう。組織になくてはならない能力であれば、会社側もそれを許容できる。


内田有希昌の経歴・略歴

内田有希昌、うちだ・ゆきまさ。日本のコンサルタント。「ボストン・コンサルティング・グループ」シニア・パートナー、マネージング・ディレクター。東京大学文学部卒業、カーネギーメロン大学経営大学院でMBAを取得。三和銀行を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。BCGジャパンオフィス・アドミニストレーターなどを務めた。

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