具志堅用高の名言

具志堅用高のプロフィール

具志堅用高、ぐしけん・ようこう。日本のプロボクサー、タレント。沖縄県出身。高校生時代にボクシングを開始し、インターハイ・モスキート級優勝。卒業後、上京しプロデビュー。WBA世界ライトフライ級王者を獲得。前人未踏の13回の世界王座防衛を成し遂げた。引退後、ジムを開設し後進の指導にあたった。タレントとしても活躍。

具志堅用高の名言 一覧

一夜で人生が変わっちゃうんだから、世界チャンピオンになったら。それを、どうしても若い選手に味わわせたいんだよな。その一歩から彼のボクシング人生が変わるんだ。俺の人生がそうだったんだから。


選手を育てるのは難しい。僕以上の才能、センスを持っている選手はいっぱいいるけど、プライベートの時間を削ってまでボクシングに打ち込める選手は少ない。


センスも必要だけど、技術があって、勇気があって初めていい試合ができる。


僕の座右の銘は、一生「拳」命。


才能のある子もいっぱいいるけど、ボクシングのことをどれだけ考えられるかなんだよね。


ボクシングでも、どんな仕事でも同じ。自分の持っている時間と情熱をどれだけかけられるか。


少なくとも自分の持っている7割ぐらいの時間と情熱を傾けなきゃ勝てない。頭の中をボクシングでいっぱいにしなきゃ世界は狙えない。


試合が終わった瞬間はいつも、もうこれ以上戦いたくないと思う。でも、やっぱりまたやるんだよね。防衛することでどんどん味わっていくボクシングの魅力というのがあるんですよ。


僕は現役時代、自分の部屋にいるときでも、頭の中ではいつもパンチが出ていた。ボクシングのことしか頭になかった。最後は自分を信じて、どれだけ時間と情熱が傾けられるかなんですよ。


40代の半ばから本格的に芸能活動を始めたのも、自分の人生をまだ楽しみたいと思ったから。いや大変な仕事ですよ、芸能活動は。それでも楽しい。


最初は痛いだけだった(笑)。入部して3か月後の新人戦で、いきなり勝てた。さらに2回戦、3回戦と勝ち進んでいくうち、先輩から「根性とスピード、それにボディバランスがいい」と褒められて自信がついて。同時に「もっと強くなりたい」っていう目標ができたんだよね。


ジム経営をしているとき、後援者との夜のつき合いが欠かせないんだけど、番組の収録がある前の晩は一切、表には出ないと決めてる。ボクシングの現役時代と一緒だよね。よく寝て、いいコンディションで臨まないと。二日酔いとか、お酒が残ったりしたら絶対駄目! 脳が回転しないんだもん。そんなことしてたら、今の若いタレントのテンポについていけないって。手を抜いては駄目なの、番組収録は。ボクシングと同じ真剣勝負ですから。


周りからの勧めもあって、40歳でジムを開いたわけだけどさ。ジム経営っていうのは、全然儲からない(笑)。「3、4年後には世界チャンピオンを……」と思って始めたけど、思うようにいかない。ただ「世界チャンピオンを育てあげたい」という夢があるから続けていられるんでね。チケットを売るのだって大変だし、俺なんか後援者に恵まれてる方だけど、それでも興行のために金を集めるのはほんと大変だったよ。何度、やめようと思ったことか……。


何試合も戦って、防衛もしてきたんだけど、実際にリングに上がる前は、いつも逃げることを考えていたよね。とくに世界チャンピオンに初挑戦し、ファン・ホセ・グスマンと戦ったときは、人生最大の賭けというか、正直いって怖かった。夜寝られなくなって、打ち合いの展開を頭のなかで描いては消し、描いては消ししてやっと、もう倒されてもいいから、とにかく「逃げない」と決意した。でも、試合当日に控室で出番を待っている間も、怖くて何度トイレに行ったか! どこも人の目があって、逃げる場所はトイレしかなかったんです。生まれて初めて石垣島のほうに向かって、震えながら「お袋、勝たせてくれ」って祈りましたよね。でも、リングに上がって、ゴングが「カーン」と鳴ると、一瞬にして恐怖心が闘争心に変わるのがわかった。


人生なんて、わかんないもんだよね。僕だって、生まれ育った石垣島の高校にすんなり入ってたら、いまごろは親父の後を継いでカツオ漁の船長になっていたはず。ところが、入試で数学の解答用紙に名前を書き忘れて、地元の高校に落ちた。それで仕方なく沖縄本島の高校に入学することになり、ボクシングに出会った。


初めて世界チャンピオンになったときは「成し遂げたな……」という感じで終わっちゃったんだけど、世界チャンピオンになってひとつずつ勝ち続けていく夢というか、目標というか、それはもう最高ですよ。刺激と恐怖感がなんともいえない。こんなスポーツは他にないなと思ったし、ボクシング生活が楽しくてしょうがなかった。


具志堅用高の経歴・略歴

具志堅用高、ぐしけん・ようこう。日本のプロボクサー、タレント。沖縄県出身。高校生時代にボクシングを開始し、インターハイ・モスキート級優勝。卒業後、上京しプロデビュー。WBA世界ライトフライ級王者を獲得。前人未踏の13回の世界王座防衛を成し遂げた。引退後、ジムを開設し後進の指導にあたった。タレントとしても活躍。

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