倉本聰の名言

倉本聰のプロフィール

倉本聰、くらもと・そう。日本の脚本家、劇作家。東京出身。東京大学文学部美学学科卒業。ニッポン放送に入社し、ディレクター、プロデューサーを経て脚本家デビュー。その後独立。ドラマ『北の国から』をはじめ数多くのヒット作を生んだ。

倉本聰の名言 一覧

幸せとは、現在に満ち足りること、満ち足りてそれ以上望まぬ心。


法の網はくぐれる。だが神の目はくぐれない。神の目、言いかえれば良心というものを失った民族には破滅しかあるまい。


言葉だけでは真実は語れない。真実を語るのは、人の態度である。


智恵とユーモアこそ世の中を変える。


朝令暮改は決して恥ではない。自分の意見を覆すことは、むしろ美徳であり、大人の態度である。


自然界に右肩上がりのものはないんです。それなのに世の中の人たちは、もっと良くしろと年がら年中言っている。


「豊か」という言葉を辞書で引くと「リッチにして幸せなこと」とある。幸せというのは今に満ち足りていることです。日本は、リッチではあるけど幸せがなくなっちゃった。


世の中、太平の日々もあれば、異常気象に打ちのめされる日だって来るだろう。問題はそういう天変地異に、どう向き合うか、どう対するかという人それぞれの品格にあると思う。


創造性がどこから出てくるかというと、僕は貧しさから出てくると思うのです。僕が役者を養成する富良野塾でやったことは全てゼロから考え出したことです。お金がなかったから否応なく自分たちの智恵で産み出すしかありませんでした。富良野塾ではお金がなかったからこそ、新しい考え方をひねり出した。ところが、今はお金があります。お金があるから、みんなお金に頼るんです。本来であれば、自然の中から新しい智恵を見つければいいのに、化学方程式に答えを求めてしまう。


知識とお金で作れるものというのは、たかが知れています。だから僕たちは「創作」という言葉を使っているのです。創作という「創」も「作」も「つくる」という意味ですが、「作」という言葉には、知識とお金で前例に倣って作り上げるという意味合いが込められています。一方の「創」という言葉には、お金がなくても智恵でもって前例にないものを産み出すということを意味しているのです。


僕はね、前年比という言葉が分からないんです。みんな前年より伸びないとダメと言うけど、前年と同じでいいじゃない。今の日本の「前年比感覚」は、自然と矛盾している気がするんですよ。前年比一辺倒から離れること。そこに本当の豊かさがあるはず。


富良野に移住したのは1977年のこと。豊かさに対する不安があったからです。ちょうどバブルが始まる頃で、テレビの仕事をしていたかな。生活が豊かになるのはうれしいけど、こんなに豊かになっちゃっていいんだろうかという不安感がすごくあってね。


ドラマ「北の国から」では、放映後も2、3年おきに続編を制作し、初回放映から数えて21年間続きました。続編を書き始めるたびに「一体『北の国から』とは何だったのか」を考えました。「北」とは何か、「の」「国」「から」とは何か。ひとつひとつ見つめ直しました。


僕にとっては、むしろ過疎になってくれた方がうれしいという立場です。都会好きの人は、どんどん都会に行けばいいと思います。ただし、いずれ都会には住めなくなることも想定しておくべきです。石油資源は永遠ではありませんから、今のように石油文明に支えられた都会のままでは、暮らし続けることはできなくなります。


昔の噺家が浮気の最中に襖が開いて奥さんが乗り込んできた。そこで反射的に出た言葉が「俺じゃない!」(笑)。これは真実の言葉ですよ。本人にとっては悲劇だけれどロングで見ればものすごい喜劇じゃないですか。これがチャップリンの目指す喜劇ですね。人間の行動はアップで見れば悲劇だが、ロングで見れば喜劇であると。


金になることが仕事だと思っている人間が大多数でしょうけれど、仕事は金とは無縁のもので、本当に自分のやりたいことこそが仕事だと僕は思うんです。それが生きがいになってくる。本当の自分の仕事がしたくなる時期でもあるんです。それが活力になるんですよ。


人を喜ばせる、人の役に立つということが最後の生きがいだと思うし、それをやったかどうか、自分の一生を納得してあの世へ逝きたいと思う。その仕事をやっていると体内にドーパミンとかアドレナリンが出てきて、人間は生き生きする。


「創作」という言葉で言えば、創と作はまるで違う。「作る」というのは、知識と金でもって前例に基づいて作ること。それ対して知恵を使って前例にないものを生み出すことが「創る」だと思うんです。創のほうに目を向けると何でもできるわけです。


人には品位というものがあり、礼儀という根本的社会のルールがある。それを外したとき、人はけだものの地位へと墜ちてゆく。そしてそうした無意識の堕落は次の世代へと受け継がれてゆく。


戦前の教育は、「知育」「体育」「徳育」という3つの柱で成り立っていた。だがあの敗戦から「徳育」が欠け落ちた。嘘をついてはならぬもの、などという倫理の序の序が子供の心に届かず、戦後60数年を経て今やその子供が企業のトップの座につく時代になった。そして徳育の欠落はあの敗戦時の教育現場の混乱の時代から改まることなく今に続いている。これでは日本人の心の衰退が進行するのも当然のことだろう。


僕らの仕事を創作という。創も作もつくるという意味だが、本当の意味は違うと思う。僕の定義では「知識と金で前例に倣ってつくるのが作」「金も知識もないが、前例にないものを智恵で零から生み出すのが創」。零から考え直し、もう一度、創から始めようではないか。


僕はワープロ以後の伝達機械文明には手を染めまいと心に決めた完全なガラパゴス人間である。文字を書くことを職としているのだから、パソコンがなければ不便だろうといわれるが、ペンさえあれば文章は書ける。鉛筆でも筆でも炭でも、木の汁でも血でも書きたければ書ける。紙がなくても、木の葉にも木の皮にも削った幹にも石ころにも書ける。ずっとそうやって生きてきたし、最後までそうやって終わろうと思っている。


僕の生業とするシナリオライターという職業にあっては、登場人物が口にするセリフと裏腹に、本心何を考えているかを表現することが第一の目標で、その言行不一致をいかにビビッドに、ある時はおかしく、ある時は辛辣に描くことこそシナリオ書きの醍醐味なのである。役者もまたその延長線上にある仕事で、口にする言葉とは全く逆のことをその人物が考えているとするなら、そこをこそ演じるのが名優の技であって、セリフとは真逆のインナーボイスをうまく観客に伝えなければならない。


僕は常々「海抜ゼロメートル」と言っています。海抜ゼロメートルから富士山を見ると、周囲を含めて多様な姿を捉えることができます。それがいざ登山を始め5合目、7合目と上がっていくと、頂上は近づいても、視界は狭くなり、上に登る選択肢も限られていきます。海抜ゼロメートルとは登り続けながら、登山を始めた原点に立ち返ることなのです。


ガッツ石松さんを見ろ。北の国からに出演した時、セリフが棒読みでどうしようかなと思ったよ。だけど、本人はすごく一生懸命に取り組んだ。すると、いつしかぶっきらぼうな、棒読みだったセリフに味が出てきたんだよ。あまりにもまっすぐにコツコツ積み上げていくと、その不器用が武器になるんだなぁ。だから、おまえも「俺は不器用だから」と諦めたらダメだよ。


常に海抜ゼロに戻って、いま自分たちがやっていることは何なのかと考えてみるべきではないか。かつての財界人や企業の創業者は、事業を始めた動機として「これは商売になる」という発想ではなかったという気がするのです。なぜそこに向かわなければいけないのかということを、今の財界人が考え直さないといけないと思います。


海抜ゼロの思想に戻らないと駄目だと思っているのです。皆さんは富士山で言うところの五合目を基準に物事を考えてしまっています。富士山では五合目までは車で行けてしまう。みんな上に行くことばかりを考えてしまう上に、歩かないで簡単に行けるようにするための発想ばかりをしてしまっています。しかし逆に言えば、四合目になれば断面がすごく大きくなります。三合目は四合目よりもっと広い。海抜ゼロは無限に広い。そうすると、自分の視野が広がります。それだけ選択肢が広がるということです。そういった物事をゼロから考えるという発想を持たなければ、いつか道を誤ってしまいます。


郷に入らば郷に従えという言葉がある。郷の誇りを捨てられては困る。この国にはこの国の自然があり伝統があり、長い文化があり美意識がある。金のためならそれも売るというなら、我々は先祖代々営々と築いてきた、最も大切な故郷の原風景までを、異なる文明に売り飛ばすことになる。それだけは困る。何としても避けたい。


僕は最近、父や祖父の着物をリフォームして使うようにしているんです。今、僕が身に付けているものも祖父が使っていたものです。今はアパレルから出るゴミがあまりにも大量にあり過ぎます。しかも、それを断捨離といって捨ててしまっている。そうではなくて、もう一度、再利用したらいいのではないでしょうか。そういった再利用の1つのモデルとして僕も祖父の着物を着ているんです。


40年ほど前、東京から北海道に活動の拠点を移したころ、作品が全く書けなくなったことが4年も続きました。その時のことです。ある日、テレビから流れてきた版画家の棟方志功さんの言葉に耳を奪われました。「自分は自分の作品に責任を持てない。作品を作っているのは、自分ではないのだから」。その棟方さんの話を聞いて、「私も作らされているのだろうか」と自問しました。そこで気付いたのが、アーティストの使命とは神なり霊なりを降りてこさせることだと。その境地に達してからは、1時間のドラマを1日で書き上げてしまうこともありました。まさに何かに取り憑かれたようでした。「自分の力だけで書いているのではない」という脚本家としての原点に返ったのが、この経験でした。


総理大臣をはじめ皆さんが戦争の実体を知りませんよね。まず自分は戦場に行かないというのが大前提。自分がグサリと刺されたり、爆撃を受けたりするイメージがない。国のためと言うと今の人たちは拒否反応を示しますけど、家族のためとなると違ってくる。僕ら戦争中の人間は、家族のためというのが一番大きかった。米ソ冷戦時代でも、ミグ戦闘機が毎日のように飛んできて、北海道にソ連が攻めてくるかもしれないという時期があったんです。そのとき、自分はどうするか、かなり具体的に考えました。まず山の中へ逃げるだろうけれど、かみさんや親しい人たちが捕まってしまったらどうするか。そのとき、僕は戦うだろう。家族や仲間を守るためには、相手を刺したり、ぶん殴って殺したりするだろうと思いました。暴力や残虐性は自分の中にあるし、人間の本性として家族が暴漢に襲われて拉致されかけたら戦うでしょう。しかし、今の政治家や官僚はそのイメージが持てているのだろうか。疑問ですね。


永年、物を書く仕事にたずさわってきて、一つだけ判ったことがある。文は武器だということである。愛や悲しみの文を書くならいい。怒りや憎しみで文章を書く時、文字は凶器となって人を刺す。だからそうしたものを書く時は筆者を明確にしなければいけない。筆者が明らかになっていれば弁明でも謝罪でも返すことができるが、筆者が匿名である場合には誰が書いたものか判らないから全世界から誹謗された気になり、心たちまちズンと応えてしまう。僕の友人にはそうした匿名の記述に心の臓まで傷つけられてしまい、危うく自殺しかけたものまでいる。匿名による誹謗中傷は、極めて卑怯にして卑劣な行為である。やるものにとっては軽い気持ちのつもりかもしれないが、やられた者は極めて傷つく。


倉本聰の経歴・略歴

倉本聰、くらもと・そう。日本の脚本家、劇作家。東京出身。東京大学文学部美学学科卒業。ニッポン放送に入社し、ディレクター、プロデューサーを経て脚本家デビュー。その後独立。ドラマ『北の国から』をはじめ数多くのヒット作を生んだ。

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