倉本聰の名言

倉本聰のプロフィール

倉本聰、くらもと・そう。日本の脚本家、劇作家。東京出身。東京大学文学部美学学科卒業。ニッポン放送に入社し、ディレクター、プロデューサーを経て脚本家デビュー。その後独立。ドラマ『北の国から』をはじめ数多くのヒット作を生んだ。

倉本聰の名言 一覧

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法の網はくぐれる。だが神の目はくぐれない。神の目、言いかえれば良心というものを失った民族には破滅しかあるまい。


言葉だけでは真実は語れない。真実を語るのは、人の態度である。


智恵とユーモアこそ世の中を変える。


朝令暮改は決して恥ではない。自分の意見を覆すことは、むしろ美徳であり、大人の態度である。


幸せとは、現在に満ち足りること、満ち足りてそれ以上望まぬ心。



自然界に右肩上がりのものはないんです。それなのに世の中の人たちは、もっと良くしろと年がら年中言っている。


「豊か」という言葉を辞書で引くと「リッチにして幸せなこと」とある。幸せというのは今に満ち足りていることです。日本は、リッチではあるけど幸せがなくなっちゃった。


世の中、太平の日々もあれば、異常気象に打ちのめされる日だって来るだろう。問題はそういう天変地異に、どう向き合うか、どう対するかという人それぞれの品格にあると思う。


僕はね、前年比という言葉が分からないんです。みんな前年より伸びないとダメと言うけど、前年と同じでいいじゃない。今の日本の「前年比感覚」は、自然と矛盾している気がするんですよ。前年比一辺倒から離れること。そこに本当の豊かさがあるはず。


富良野に移住したのは1977年のこと。豊かさに対する不安があったからです。ちょうどバブルが始まる頃で、テレビの仕事をしていたかな。生活が豊かになるのはうれしいけど、こんなに豊かになっちゃっていいんだろうかという不安感がすごくあってね。


人には品位というものがあり、礼儀という根本的社会のルールがある。それを外したとき、人はけだものの地位へと墜ちてゆく。そしてそうした無意識の堕落は次の世代へと受け継がれてゆく。


戦前の教育は、「知育」「体育」「徳育」という3つの柱で成り立っていた。だがあの敗戦から「徳育」が欠け落ちた。嘘をついてはならぬもの、などという倫理の序の序が子供の心に届かず、戦後60数年を経て今やその子供が企業のトップの座につく時代になった。そして徳育の欠落はあの敗戦時の教育現場の混乱の時代から改まることなく今に続いている。これでは日本人の心の衰退が進行するのも当然のことだろう。



僕らの仕事を創作という。創も作もつくるという意味だが、本当の意味は違うと思う。僕の定義では「知識と金で前例に倣ってつくるのが作」「金も知識もないが、前例にないものを智恵で零から生み出すのが創」。零から考え直し、もう一度、創から始めようではないか。


僕の生業とするシナリオライターという職業にあっては、登場人物が口にするセリフと裏腹に、本心何を考えているかを表現することが第一の目標で、その言行不一致をいかにビビッドに、ある時はおかしく、ある時は辛辣に描くことこそシナリオ書きの醍醐味なのである。役者もまたその延長線上にある仕事で、口にする言葉とは全く逆のことをその人物が考えているとするなら、そこをこそ演じるのが名優の技であって、セリフとは真逆のインナーボイスをうまく観客に伝えなければならない。


ガッツ石松さんを見ろ。北の国からに出演した時、セリフが棒読みでどうしようかなと思ったよ。だけど、本人はすごく一生懸命に取り組んだ。すると、いつしかぶっきらぼうな、棒読みだったセリフに味が出てきたんだよ。あまりにもまっすぐにコツコツ積み上げていくと、その不器用が武器になるんだなぁ。だから、おまえも「俺は不器用だから」と諦めたらダメだよ。


倉本聰の経歴・略歴

倉本聰、くらもと・そう。日本の脚本家、劇作家。東京出身。東京大学文学部美学学科卒業。ニッポン放送に入社し、ディレクター、プロデューサーを経て脚本家デビュー。その後独立。ドラマ『北の国から』をはじめ数多くのヒット作を生んだ。

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