佐藤琢磨の名言

佐藤琢磨のプロフィール

佐藤琢磨、さとう・たくま。日本のF1ドライバー。東京都出身。高校、大学(早稲田大学人間科学部)時代に自転車競技に打ち込んだ後、大学を中退し鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラ(SRS-F)に入学。同学を首席で卒業後、単身渡英し、英国F3選手権に参戦。2001年にF3でシリーズ1位を獲得し、翌年F1デビューする。アメリカGPで3位という日本人最高位タイの成績を残した。

佐藤琢磨の名言 一覧

結果を出し続けられたのは、目標を達成する期限を設け、そこから逆算して準備を進めていたから。準備なしでは、いつ巡ってくるか分からないチャンスをつかむことはできません。

佐藤琢磨の名言|準備なしでは、いつ巡ってくるか分からないチャンスをつかむことはできない

自分の弱い部分を見つけることが強くなれるチャンス。僕はいまだに弱い部分がたくさん出てきます。

佐藤琢磨の名言|自分の弱い部分を見つけることが強くなれるチャンス

すべてのチャンスを掴んでいるのではなく、1回の成功の裏には10回以上の失敗がある。だから諦めずにチャレンジすることが大事。

佐藤琢磨の名言|1回の成功の裏には10回以上の失敗がある。だから諦めずにチャレンジすることが大事。

チャンスは誰にでも平等にあると思いますが、自分にとって適切なタイミングで巡ってくるとは限らない。であれば、自分でチャンスを取りに行くしかない。

佐藤琢磨の名言|自分でチャンスを取りに行くしかない

努力や苦労をしたっていう記憶はないんです。ただ、速くなりたい、上手くなりたいという一心でした。

佐藤琢磨の名言|ただ、速くなりたい、上手くなりたいという一心だった

マシンにはデータロギングシステムが積まれているんですけど、そのデータは徹底的に見て分析しましたね。ほかの誰よりも。

佐藤琢磨の名言|ほかの誰よりも徹底的に分析する

僕は全然天才じゃない。天才だったら、一発で、ターゲットというか、行きたいところに行けるでしょう。僕は、がむしゃらに背伸びしてトライしてアタックして、ようやくそこに到達できるんです。

佐藤琢磨の名言|がむしゃらに背伸びしてトライして、ようやく到達できる

僕には競技場でのレース経験が足りなかったから、真っ向勝負では歯が立たないかもしれない。だから、分析に分析を重ねて作戦を練って、後は思い切りアタックする。それしかなかった。

佐藤琢磨の名言|分析に分析を重ねて作戦を練って、後は思い切りアタックする

勝つために必要だと考えた準備と咄嗟の判断が、優勝に繋がったのだと思う。

佐藤琢磨の名言|勝つために必要だと考えた準備と咄嗟の判断が、優勝に繋がったのだと思う

頂点って見えない。限界という線を引きたくないんです。まだ足りないものはたくさんあると思っています。

佐藤琢磨の名言・格言|限界という線を引きたくない

モータースポーツのコックピットって完全な非日常なわけです。一番自分らしく生きられる場所であり、本当に楽しくてやめられない場所なんです。

佐藤琢磨の名言・格言|コックピットが一番自分らしく生きられる場所

自分としては案外楽しんでいました。レースができているというひとつがあれば、あとはなんでもいいんです。
【覚書き|英国に単身で渡り、F3からF1を目指したとき、言語、習慣の違いで数多くの苦労を体験したことを振り返っての発言。】

佐藤琢磨の名言・格言|レースができているというひとつがあれば、あとはなんでもいい

何事も挑戦する前にダメと決め付けるのがすごく面白くなかったんです。後悔だけはしたくない。なんていうんでしょう。僕は好きなことを見つけたら、トコトン入ってしまうんです。
【覚書き|20歳で自転車競技からF1に転向する決意をし、大学を中退して鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラに飛び込んだときを振り返っての発言】

佐藤琢磨の名言・格言|挑戦する前にダメと決めつけるのは面白くない

努力や苦労というよりも、むしろ楽しんでましたね。ずっと夢に見てきたことが目の前にある嬉しさのほうが強かった。それに、これだけの環境にいてダメだったら諦めようって覚悟してたから、当たり前のことをしてる感覚だったんだと思います。

佐藤琢磨の名言|ずっと夢に見てきたことが目の前にある嬉しさのほうが強かった

人間ですから失敗すれば落ち込みますよ。でもたいていの問題は時間が解決し、立ち直れるように人間はできています。僕は自分に都合のいいように解釈できるタイプですし(笑)。「この悔しくて嫌な思いをする原因は何か」「なんだ、じゃあこうすれば解決できる」と分析すれば、気持ちがぱっと明るくなる。

佐藤琢磨の名言|たいていの問題は時間が解決し、立ち直れるように人間はできている

20歳という後発スタートでF1レーサーを目指し、5年という短期間でF1のシートを得られたのは、チャンスをつかむために必要だと考えた準備を徹底し、自分から門を叩くように何度もチャレンジし続けた結果。チャレンジこそがチャンスを生みだします。そんな実行力が運も引き寄せたのかもしれません。

佐藤琢磨の名言|チャレンジこそがチャンスを生みだす

カリキュラムが終わった後に隣接するテクニカルセンターに入れてもらって、夜遅くまでデータを分析してました。例えば1周のラップタイムでは僕が勝っていても、僕のほうが遅い区間とか場所が必ずある。まだ詰められる余地があるんですよ。それを細かく洗い出して、次の走行のときには少なくとも同じスピードに乗せるっていう作業をずっとやっていました。

【覚え書き|鈴鹿サーキットレーシングスクール時代を振り返って】

佐藤琢磨の名言|まだ詰められる余地がある

F1チームのテストドライバーを選抜するオーディションで、前々年度の英国F3チャンピオンと勝負して勝ったことがありました。そのとき、英語によるコミュニケーション能力や技術知識なども、チームにアピールしました。もしそれができていなかったら、選ばれていなかったかもしれないし、当初の計画通りに、F1の舞台に立てていなかったかもしれない。

佐藤琢磨の名言|英語によるコミュニケーション能力や技術知識などもアピールする

(鈴鹿サーキット・レーシング・スクールでは)年齢的にも一番崖っぷちだったからか、どの生徒よりも貪欲でした。ドライバーの役割は、車の性能を100%近く引き出し、ムダなく走らせること。それを追求するために、全生徒の走行データを先生に頼んで見せてもらいました。自分のデータと見比べ、自身の劣っている点を明確にし、それを高めるためにすべきことを分析して実践しました。

佐藤琢磨の名言|一番崖っぷちだったからか、どの生徒よりも貪欲だった

なかなか危険な子供でしたよ。自転車でどこでもカッ飛んでましたから。いつも膝小僧とか擦り剥いてましたね。好きなことしか見えなくて、性格的には0か1か。だから、その中に目標が生まれたら、成し遂げるためにはどうしたらいいのか、成長するにつれて次第に考えるようになっていったと思います。

佐藤琢磨の名言|好きなことしか見えなかった少年時代

自分のドライビングテクニックだけでは勝てません。「このドライバーをチャンピオンにさせてやろう」という、メカニックをはじめとした様々な人たちの思いや魂が1つにならないと速くならないし、勝てない。実際、僕らの世界は1万分の1秒を競います。見た目は同じ車でも、何百個あるネジ1つの締め方次第で車の動きが変わってしまう。車のクオリティーをコントロールするのは人間なんです。だから、エンジニアやメカニックたちの考え方を知って、自分のことも知ってもらう濃厚なコミュニケーションが必須だと考えました。専門用語はもちろん、互いの意思や意見を伝え、理解し合い、彼らをやる気にさせる言い回しができるほどの語学力を身につけ、積極性や情熱を見せようと意識しました。

佐藤琢磨の名言|様々な人たちの思いや魂が1つにならないと勝てない

F1で1番になるには、10年近いキャリアが必要だと思いました。当時は37~38歳で引退する選手がほとんどで、ピークは25~35歳。自分の夢も必然的にその年齢でF1の舞台に上ることになりました。F1で優勝するレーサーは、飛び級のようなルートでステップアップする例が多く、憧れていたセナもブラジルから渡英し、英国F3を制してF1に上がっていた。僕も彼と同じように英国F3を制することを目標にしました。それも何年もかけるのではなく、2年で制覇して、圧倒的なインパクトを周りに与えたいと思いました。そのためにもF3に上がるまでを逆算し、渡英して1年半はジュニアカテゴリーに参戦して、土台を作るための修業期間だと考えました。

佐藤琢磨の名言|目標から逆算してやることを決める

当時は書類審査で選考され、70人受けて(鈴鹿サーキット・レーシング・スクールに)入学できるのは7人だけ。周りはレーシングカートの全日本チャンピオンや欧州選手権に出場するような10代ばかりで、20歳という年齢制限ギリギリでカート経験が半年だった僕は、黙っていたら100%落とされると思いました。だから、説明会の日に「1分でいいからとにかく話を聞いて欲しい」とスクール側に面接を嘆願しました。運が良かったのは、僕の申し出を協議して70人全員を面接してくれたこと。モータースポーツでの実績がなかった僕は、7人の枠に入りました。

佐藤琢磨の名言|自ら動いて成功率を上げる

佐藤琢磨の経歴・略歴

佐藤琢磨、さとう・たくま。日本のF1ドライバー。東京都出身。高校、大学(早稲田大学人間科学部)時代に自転車競技に打ち込んだ後、大学を中退し鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラ(SRS-F)に入学。同学を首席で卒業後、単身渡英し、英国F3選手権に参戦。2001年にF3でシリーズ1位を獲得し、翌年F1デビューする。アメリカGPで3位という日本人最高位タイの成績を残した。

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