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佐藤喜一郎の名言

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佐藤喜一郎のプロフィール

佐藤喜一郎、さとう・きいちろう。日本の経営者、銀行家。三井銀行会長。神奈川県出身。東京帝国大学法学部英法科卒業後、三井銀行に入行。上海支店次長、外国営業部次長、ボンベイ支店長、ニューヨーク支店長、上海支店長、大阪支店長、海外担当取締役、帝国銀行常務。太平洋戦争後、帝国銀行頭取、帝銀から三井銀行を独立分離させ三井銀行社長、会長を務め、三井グループの総帥として活躍した。そのほか、経団連副会長、日本棋院総裁なども務めた経営者。

佐藤喜一郎の名言 一覧

のんきな時代に育ったせいか、私には若いころから、使用人(従業員の戦前の呼び名)という気持ちはあまりなかった。三井銀行上海支店ビルなども、まるで自分の家を建てるように、イギリス人の設計者と中国人の請負を相手に細大漏らさず指揮をして他人任せにしなかった。


私はのんきな人間だと思う。12、3歳のころ、ハレー彗星が現れて日本中が大騒ぎしたことがある。当時の新聞はその彗星が次に日本に戻ってくるのは17年目だと報じたが、なるほど宇宙は広大なものだと心に刻みつけられた。それからというわけではないが、私は人間社会の嫌なことにぶつかると天体のことを思う。するとこの世のいざこざなどあまり苦にしないで済む気がしてくる。


シアトルに上陸してまず、私は英語の自信をまったくなくした。新聞などは読めるのだが、とにかく聞くことがまるでいけない。何を言っているかさっぱりわからないのだ。それ以来私は、外国語は聞くことが第一。それができなければ役に立たないという信念を持つようになった。
【覚書き|東京帝国大学法学部英法科卒業後、三井銀行でニューヨーク勤務に入った当時を振り返っての発言】


普通の人が健康を害するのは、多くの場合長い間の小さな不養生の積み重ねから来るので、怪我などとは違う。病気になったからといって、一気に治そうとすることは虫がよすぎる話で、やはり同じくらいの期間をかけて根治さすのが自然の摂理のように思う。2、3年の積み重なった経済のひずむでも、一気に吹き飛ばそうとするのも無理を生じやすいであろうと思われる。


佐藤喜一郎の経歴・略歴

佐藤喜一郎、さとう・きいちろう。日本の経営者、銀行家。三井銀行会長。神奈川県出身。東京帝国大学法学部英法科卒業後、三井銀行に入行。上海支店次長、外国営業部次長、ボンベイ支店長、ニューヨーク支店長、上海支店長、大阪支店長、海外担当取締役、帝国銀行常務。太平洋戦争後、帝国銀行頭取、帝銀から三井銀行を独立分離させ三井銀行社長、会長を務め、三井グループの総帥として活躍した。そのほか、経団連副会長、日本棋院総裁なども務めた経営者。

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