佐藤優の名言

佐藤優のプロフィール

佐藤優、さとう・まさる。日本の作家、官僚。東京出身。同志社大学大学院神学研究科終了後、外務省に入省。イギリス、ロシアの日本大使館に勤務したのち、外務省国際情報局分析第一課主任分析官として対ロシア外交に携わる。背任と偽計業務妨害容疑で有罪が確定し外務省を失職。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞、『自壊する帝国』で新潮ドキュメント賞・大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

佐藤優の名言 一覧

皮肉なことに、僕たちは自由とたくさんの選択肢がありすぎると、逆に迷路に入り込み、大切なものが見えなくなってしまうことの方が多い。

自分の前半の人生を否定する人は、後半の人生も否定することになる。それはさみしいこと。

大事なものを得るために、ここは捨ててもいい。ここは負けてもいい。そんな柔軟性のある人が、真に強い人。

自分は普通の人間だ、常識的だ、と考えている人ってじつは怖い。自分を疑おうとしないから。

手が届かないような憧れの人より、実際に自分がなれそうな人に学ぶほうがいい。

感情ではなく理性で対象を分析すると、怒りはそれほど起きないもの。あるいは怒りが湧き出てきたら、その怒りはどこから生まれてきたのかを冷静に見極める。怒りの感情を客観視することで冷静になれる。

自分を取り巻く人たち、目の前に起こる様々な出来事をできうる限り断らずに受け入れる。それに誠実に精一杯向き合っていけば、取るべき道、進むべき舞台へと導いてくれる。

好きなことを続け、ひたむき努力をする限り、私たちは誰しも何かしら成長することができる。社会的な成功や名声を得るといった表面的なことよりも、それ以上に、はるかに意義深いものがそこにある。

怖いのは仕事がラクになることでそこに安住し、新たな挑戦をしなくなること。マンネリズムの中に埋没し、気がつくと思考力や発想力が鈍化してしまう。

仕事が楽にできるようになったと感じたら、次のステップに進み、新たなことに挑戦することで自分に負荷をかけ、さらに能力を高めるべき。

人生の価値は「痛み」を分かち合える人をどれだけ持つかで決まる。決してお金の多寡ではない。

合理的な見方を常に意識しておくことが、先送りで失敗しないための一番の方法。

先延ばしをする性向には、合理的な判断力の欠如がある。どうもいまの世のなか、全体的にその合理性が危うくなってきているように感じる。

物事には何でも時宜(じぎ)というのがあります。タイミングを逃したら、失ってしまうものもある。とくにビジネスでは売り上げとも大きく関わってくる。

闘うのなら、徹底して闘わないと。

人類の法則、歴史の法則から言えば、侮るものは必ずしっぺ返しを食らう。

得意な分野にこそ落とし穴が潜んでいる。人って不得手な分野ではなく、意外に得意分野でつまずいていることが多いんじゃないですか。

すぐに役に立つ本は、すぐに役に立たなくなる。即効性のある本ばかり読んでいてはダメ。

小説を読んでいる人といない人では、人間の幅が違ってくる気がする。様々な代理経験ができるという意味で、小説ほど有効なものはない。

人生は学びの連続。とくにいまの時代は目先の忙しさに追われて、インプットする時間がなくなってしまいがち。意識的にインプットに取り組む必要がある。

忙しいからこそ、最初に自分の時間を確保してしまう。そうやって時間の天引きをしておかないと、いつまでも自分の時間が作れない。

いまの時代、しっかり自分の時間を意識しないと、どんどん他者に時間を取られてしまう。

時間の使い方、とくに「ペース配分」が大事。ずっとオンのまま、全速力で頑張っていたら続かない。どこかでエネルギーを蓄える時間を作らないと。

数学力がとても大事。数学の力が磨かれると、論理力が磨かれる。物事の優先順位やカラクリを見極めることが容易になる。これは仕事の能力に直結する。

外界の騒音をシャットアウトして、自分の内側の声にそっと耳を澄ましてみる。そんな時間が、雑音に溢れたいまの時代にはとくに必要。

SNSやメールなど、自分が「相手の時間を奪っている」という感覚を持つことが大事。時間泥棒が多い世のなかだけに、自分の時間を確保するのが難しい時代。

組織とケンカをしてもまず勝ち目はない。ただし、勝てないまでも引き分けに持ち込むことは可能です。それは「局地戦」に持ち込むこと。

本気でケンカをしなきゃならない場面って、そうそうないはずですよ。自分の考えや意志を通したいのであれば、別なやり方がいくらでもある。

完全に嘘をついてしまえば、それを隠すために大変な労力が必要になる。逆に言うならば、相手に嘘をつかせたら交渉事で有利に立てる。

自分の要求を通したいと思ったら、まず相手の要求をよく聞いた上で、要求の8割に関しては譲歩する。そうやって相手に貸しを作りながら、大本命の要求に関しては飲んでもらいましょう。

限られた時間の中で最高のアウトプットをしようと思えば、時間あたりの生産性を高めていくしかない。

国家の裁きに執行猶予は付くかもしれないが、自分の良心の裁きに執行猶予はない。

仕事を先送りするか、前倒しするか。その判断がうまくできる人は現在から明日、明後日と、頭のなかに時間軸がしっかりできていて、仕事の遠近感が見えているもの。

理想的な上司なんてものはまずいない。そんなものを探し求めていたら、理想的な女性を探し続けているピーターパンみたいになる人と一緒。

誰だってお金は欲しいし稼ぎたいと思う。ただしお金には麻薬のような、一種人間の感覚を麻痺させる魔力がある。お金の大切さと同時にお金の怖さも知っておかないといけない。

いろんなことにビビっちゃう人は、「自分はなぜビビるのか」を分析するだけでも変わってくるはず。現実から目をそらし逃げるのが一番良くない。

ビビることがよくないのは、思考が停止して冷静な判断ができなくなってしまうから。それによって事態や結果を悪くしてしまう。

僕たちは、「諦めないこと」と「諦めるべきこと」を上手にマネジメントして生きていかないといけない。でないと報われないものにハマって自分自身をダメにしてしまう可能性がある。

ちゃんとした資料に当たるなり、電話で大元の情報源に当たるなりして、裏を取らないといけない。情報が溢れるいまだからこそ僕らは気をつけなければ。

「侮り」の対極にある言葉は「畏れ」。目に見えないもの、形に表れないものを尊重する気持ちが「畏れ」。現代人はこの「畏れ」の感覚を決定的に失ってしまった。

極端な形での「頑張らない生き方」をしていると、奈落の底に落ちる危険がある。

人間の心理は不思議なもので、モースが『贈与論』で詳しく論じているように、与えられ続けると、ある臨界点を越えたところで相手に返したくなるんです。

仕事上の努力が上司にわかってもらえないのは、努力が足りないか、表現方法が悪いかのいずれかか、両方かということでしょう。

家族関係はいわゆる「ギブ&テイク」ではなく「ギブ&ギブ」が基本です。

この先は国も会社も、社会も頼れない。自分と家族の生活とその行く末は、自分たちで考え、守らなければならない。経済力、仕事の能力も含めた自分の力がいかほどのものか、妻に子に老親に、自分が何をしてやれるのか、逆に何をしてやれないのかを冷静に見る徹底したリアリズムが必要となるのです。

忙しいときこそ、フッと肩の力を抜いて、ちょっとだけ、他の人生の可能性をシミュレーションしてみてください。意外な人生のヒントが見つかるかもしれません。

「人生、守りに入ったら終わりだ」と言われますけど、僕に言わせれば、「守り」ほど大切なことはないと思う。とくに家族のある40代ならなおさら。

人間、仕事ができるようになってくると、それまで見えなかった世界が見えてくる。人から感謝されたり、頼られたりすること、それがモチベーションになることもある。

僕自身は運命などというものが存在するとは考えていません。同時に完全に自由な選択というものないのだと。必要なのは、人生の様々な出来事を、意味のあるもの、価値あるものとして解釈する力だと考えています。

第三者に作られたストーリーに踊らされず、人生や現実を自分のストーリーで有意味に解釈できる人こそ、人生の真の勝者だと僕は思います。

質のいい仕事をしている人ほど、同時に量もこなしている気がします。昔の作家なんて出版社から原稿料を前借りして、その返済のために必死で書いてますね。

若い頃、感受性が敏感な時代に何かに熱中することが大切ですね。僕の場合は両親が勝手にやらせてくれたのが大きい。

ケンカする際に大事なのは嘘をつかないこと。嘘をついたことが明らかになると、一気に不利になります。外交の世界では嘘をつかない範囲で相手の話をけむに巻く、ごまかしたりするテクニックが用いられます。

人脈を広げるのは30代で終わり。40代は人脈を絞って、深めていく時期。

正義は勝つと思ったら大間違い。組織のシステムのなかにいる自分の立場を忘れたら失敗する。

交渉や話し合いが煮詰まってきたら、思い切ってコーヒーブレークを取ったり、思い切って日を改めたり、クールダウンの期間をとりましょう。気分が変われば、案外話は進展します。

本当に人に強い人というのは、ある場面においては人に負けられる人でもある。なぜ負けられるかと言えば、その人のなかに「これだけは絶対譲れないけど、ほかの部分は相手に譲ってもよい」という原則を持っているからです。

初めて会う人と、もっと関係を深めたい、親密になりたい思ったら、相手に物を借ります。返さなければいけないから、それを口実に、また後日会う約束ができ、さらに近づけます。

30代、40代の男性にすすめるのは、できるだけ女性の友人を持ってみることです。そういう女性たちとたまに食事をする。男同士では得られない情報や、新鮮なものの見方を得ることができるはず。

外務省でも新人の時は不条理なことをやらされた。でも、その後を耐える根性がついたよね。

小説には必ず人間の怒りや憎しみがテーマとして出てきます。よい小説を読むことで、人間の心の奥底にあるものや動きを知ることができる。

僕はあえて仕事は断るなと言いたい。とくに20代、30代の若い時は自分の力の少し上、120%くらいの仕事を引き受ける。そうやって自分に負荷をかけ続けることで、能力はどんどん高くなっていく。

宗教の本質は受け入れること、拒まないこと。

膨大な仕事をこなすには、まずは上手な手の抜き方を覚えること。上手に手を抜くってことは、仕事で何が求められているかを見抜くことでもある。

最初はどんくさい若者の中に、大化けする原石がある。短期的な視点にとらわれ、若い才能や可能性をつぶしていないでしょうか?

その仕事がモノになるかどうかは才能云々の前に、「本当に好き」であるかどうかも重要。「好き」という時点で、すでに才能や適性があるのだと思う。

私たちが幸福に近づくには、才能があるとかないとかいう問題よりも、努力することで得られる人間性の高まりだとか、その途上で得られる人間関係の深さが大事になってくると思う。

ひとつのことをひたむきにずっと続けていけること自体が、僕はその人の才能だと思う。

才能があって器用な人間は警戒されるから、周りから助けてもらえないもんなんだよ。

面白い小説というのは時代が変わっても、解釈を変えて読み続けることができる。

投資というのは相手との戦いだけでなく、自分との戦いでもある。パチンコをやる人はよくわかると思いますが、引き際が難しい。勝っているうちはやめられない。自己コントロールが大事になってくる。

数学的な思考回路を鍛えると、段取り力が磨かれる。いかに最短で解を出すかを必死で考えるからです。この段取り力が、そのまま仕事のスピード化に応用できる。

頭を柔らかくする努力をしておくことが肝要。僕がおすすめする方法は、数学を改めて勉強し直すこと。数学ほど、論理的思考や発想力が鍛えられる勉強はありませんから。

友達と会社を作るのは、たいていうまくいかない。利害がからんだら揉めるから。

政治の基本的なゲームのルールは、味方と敵を峻別することにある。これは、内政や外交、また会社や役所の内部で行われる権力闘争のすべてにおいて適用される、基本中の基本だ。

敵を憎むのは人間として自然な感情である。ただし、憎しみというプリズムを通して物事を観察すると、どうしても認識が歪んでしまう。歪んだ認識に基づいた判断は、間違える可能性が高い。あえて敵を愛するというような心構えを持つことで、より客観的に対象を観察し、判断を誤らないようにできる。

政治的に敵であると認識することと、相手を憎み断罪するということは、まったく別の話だ。外交の世界では、国家間の利害が敵対しているときにこそ、外交交渉に従事する外交官の人間的信頼関係が重要になる。

判断や決断にはリスクが伴います。リスクをとるのは怖い。これは人間の本性。いま即断するリスクと、判断を先延ばしにするリスク、その2つのリスクを比べたときに、いま即断するリスクの方が高いと考えてしまう。だから先延ばしにする。ですから自分は何のリスクを恐れているか、客観的に考えられるかどうかが大切。

判断が速い上司は部下としては非常に仕事がやりやすい。逆に判断が遅い上司ほど、あとから方針がコロコロ変わったりします。両者の違いは普段からいろんなことを頭の中で考えシミュレーションできているかどうかでしょう。

判断が早いというのは思いつきをすぐに口にすることとは違うんです。とくに上に立つ立場になったら、思いついたことをすぐに口に出して言ってはいけない。一回頭の中で考えてから公言する。そのためにも普段からいろんな状況を想定し、こんなときはこう対応するというシミュレーションをしておくことが大切。

判断が遅い人は、仕事にもムダが多い。たとえば書類やものを探すのに異常に時間がかかったりする。机の上が整理されていないということは、頭の中が整理されていないということです。何が取ってあって、何を捨てたかということさえも、曖昧なわけです。

僕たちの世界は残念ながら我利我利の資本主義社会ではあるけれど、国家や資本という巨大なシステムにどっぷりとはまるだけじゃなくて、小さな僕らの世界をつないでおく。そのリアリティを大切にすることが、お金に振り回されず、お金を味方にするひとつの方法だと思う。

外交の世界では「情報を金で買うな」という鉄則がある。ある人物から情報を得ようとする際、お金の力に頼るのが一番簡単に見える。しかし、相手が報酬に味をしめて金額をつり上げてきたり、金額に応じて情報の質を変えてきたりする可能性がある。報酬の額で第三者に寝返ったりすることだってある。

残念ながら僕たちが暮らしているこの社会は、全員が幸せになれる社会じゃありません。それどころか、これからは敗者にとってはますます生きにくい、厳しい社会になると考えています。だからこそ僕たちはお金に振り回されるのではなく、お金を味方につける生き方をしなければ。

自分の力を知っておくことも大切。仕事なら「ちょっと自分には難しいかな」くらいの負荷がかかる作業をこなすことで自分の限界を把握しておく。自分の力が客観的にわかるだけでも、仕事を頼まれたときの不安は少なくなり、ビビらずにすむはずです。結局は他人と自分、つまり人間に対する知識がないからビビるんです。

相手がどんな価値観を持っていて、どんな意図と論理で行動しているのか。それがわかれば相手が何を言おうが、どんな威圧をしてこようが冷静に対応できる。外交の世界では「相手の内在論理を知る」という表現をします。

ヨハン・アモス・コメニウスという神学者は「人間は、限界がわからないものに対して恐れを抱く」と言っています。相手を知らないからこそビビる。つまりビビらないための一つの方法は、相手を知り相手の意図を見抜くこと。

みなさんは怖い相手、なんだか威圧的でビビる相手はいますか? 自分がどんな相手に対して怖じ気づくのか、なぜビビるのか、一度考えてみるのは自分自身を知る上でも有効。

結局、大事なことは「主体性」なんですね。自分で自分をマネジメントしコントロールする。人から頑張れと言われてやるのでも、マスコミに煽られてハマるのでもない。自分で決めて行動するということなんです。

僕は生きていくなかで「諦めない」ものを持つことは大切なことだと思う。ただし大事なのは「何を、どう諦めないか」だと。自分に適性がないものは諦めたほうがよい場合もあります。「諦めない」ことが「執着」になるとどうしても視野が狭くなりがち。自分をリセットする柔らかさが必要な場合があるでしょう。

「内省ノート」をつけることをお勧めします。批判や忠告を受けたときに、なぜその人がそんな言質を取ったかを書き出してみる。少なくとも誤解や嫉妬からではないと判断できたなら、傾聴するに値します。自分に何か落ち度や侮りがないかを虚心坦懐に書き出してみましょう。

「侮り」は人生の罠みたいなものだと思う。得意の絶頂のとき、ツイているとき、地位や権力を持ったときに仕掛けられる。その罠に気がつくことって容易じゃないです。自分では調子に乗っているだけに。たいてい後になって気づく。痛い目に合った後にね。

仕事をある程度覚え自分で回せるようになる30代半ばくらいが最初の鬼門。ここで「なんだ仕事なんてちょろいもんだ」と手を抜いたりズルを覚えてしまうと、そこから伸びなくなる。得てして器用で要領がいい人が陥る落とし穴。

一番得意だと思っている分野で失敗する、つまずく。それはそこに油断、すなわち「侮り」の気持ちがあるから。「侮り」と言うと何だか大仰に聞こえますが、日常の仕事の中でもついやってしまいがちな行為の中に、そんな気持ちが潜んでいることがある。

僕らの周りには常に自分と違う他者や異質な人たちがいる。でも自分の中にも同じように異質で悪い部分がある。もしかしたら自己愛的なものがあるかもしれない。そう認識すれば自分も他者ももっと受け入れることができるはず。

人が思い悩むのは自然の心理。悪いことではありませんし、悩みながら新たな何かをつかみ取ることもあります。が、あまりにそこに囚われすぎると目が曇ります。

教育にお金をかけられないなら、社会に出て確実に生かせる知識と、その知識を使いこなす術が身につくよう仕向けることが大切です。

「ギブ&ギブ」を実践するには、まず自分が家族に何を「与えられる」のかを知る必要があります。実は、それを真剣に考えることが、今の社会を生き抜くカギになるのです。

返せぬほどの恩を受けると、そこには力の上下関係が生じます。求めるより与える。惜しみなく与える恩は、家族の中でも力関係として働きます。夫や親としての威厳を保つなら、それが一番の方策です。ただ、与えるといっても、妻や子供が欲しがるものを、何でも買ってやるということではありません。お金や物とは限りませんし、必要としているものでなければ無意味です。

勉強していくと何が変わるか。知識の量が増えるのはもちろんですが、それとともに興味の対象が変わり、楽しいと思えることが変わってきます。自分のつきつめる分野を、もっともっと勉強したくなるのです。

ライフプランをしっかり立てることが大切。生涯に必要になるお金、入ってくるお金をしっかり計算し、どういう生活をしていくか計画を立てる。そうでないと、経済的に破たんしたり、お金がないことでチャンスや機会を逃したりしてしまうことにもつながりかねない。

仕事ができる人ほど、簡潔に必要最小限のことだけ書いてきますね。自分も忙しいから、メールを読むのに時間を取られることがいかに苦痛かわかっている。でも、メールの文面自体は短いけれど、添付している企画書はしっかりとしている。となると、実務能力が高く仕事ができて、バランス感覚のいい人だなと推測できます。

僕は一切の情報をあえて遮断する時間帯を作っています。携帯電話は切る。PCのメールも見ない。時間帯でいうと朝5時から9時。外部からの雑音が一切入ってこないので、一番仕事ができる。みなさんも1日1時間でも2時間でもいい。外部の騒音を一切遮断する時間を作ってみてください。

仕事をする上で一番無駄な時間は、資料を探す時間。僕は必要な書類や資料は封筒などに入れて、大きな段ボール箱に放り込んでおきます。必要な書類や資料はとにかくその段ボール箱をガサガサやれば出てくる。必要なものはすべてその箱に入っているので、そこにない書類や資料は最初から存在しないとわかる。

インテリジェンスの仕事は国益を背負い、お互い暗黙のルールの中で駆け引きをするもの。嘘をついたり、相手の感情を読み取れなかったりする人間は、普通の職場でもアウトでしょうが、外交の仕事ではとにかく致命的。

右肩上がりの時代なら、組織をまとめ上げ、一つの目標に向かって強力に引っ張っていく「率先型リーダー」が求められました。掛け声を掛ければ成果が上がった。しかし、いまは強いリーダーよりも、いっしょになって考え、問題解決をしてくれる「相談型リーダー」が求められている。

僕自身、部下との関係を築くことで、失うことよりも得るもののほうがはるかに多かった。教えることで自らも成長する。上や横だけでなく、下に目線をおろしたときにこそ見えてくるものがある。

僕は好きとかやる気を追い求めるより、40代になれば、まずはやるべきことをこなすことだと思います。責任をまっとうするなかで、それまで好きでなかった仕事が、だんだんおもしろくなってくるということもあると思う。

組織のなかで有益な情報を握っている人物は、一目置かれる。自分はそんな中心的な部署にいないという人でも、組織のなかで最も情報を握っている人を見極め、うまく関係を作ることはできるはず。多少せちがらくはあっても、戦略的に意識して動くことが、これからの時代、必要になってくるのではないでしょうか。

組織の強みとは何か? それは1+1+1が3ではなく、5にも10にもなれるということ。お互いが分業し、専門化することでパフォーマンスが一気に高まる。ただし、これはお互いが信頼関係を持ちながら、一つの方向を目指して協力し合う場合。

本は同時並列にいろんなものを読みます。じっくり読むべき本か、読み流していいものか速読して仕分けします。じっくり読む本はその後で時間をかけて精読し、良ければ何度も読み返します。その際、新たに本を買う。前の本にはすでに線引きや書き込みがしてあるので、それに引きずられてしまいますから。

組織の力学を見誤ると、とんでもないしっぺ返しに合います。僕自身も外務省でのいろんな経験から、その怖さを痛感しています。自分が正しいとか間違っているという次元ではなく、組織の論理というものがある。組織が本気で牙をむいたら、個人はまず太刀打ちできません。

ビジネスパーソンで、この人仕事ができるなというのは一緒に食事やお酒を飲んだときの領収書の切り方でわかりますね。経費で落とすところと自腹を上手に分ける。高級店でのディナーは会社の経費で落とす。でもその後のバーの数杯は、自腹を切る。仕事の関係だけではなくて、個人的な関係でもあると示すことができます。

外務省にいて良かったのは、先輩にいきなり高級店に連れていかれて、自分の好きなものを選んで注文しろと。フランス料理から寿司店まで、外国の要人やら政治家とつき合うのに、臆することがないように、よく抜き打ち検査みたいにやられました。

自分の感情をコントロールできない人は、まっとうな仕事はできない。外務省でも、やたらと怒鳴り散らすような人は「あの人は情緒不安定だから」とレッテルを貼られる。そう言われたらすでに人間的信用力はゼロということ。

ケンカというのは落としどころ、ゴールが見えていなければダメ。感情で怒るのではなく、役割とか立場を踏まえてぶつかる。お互いわかっているから、エスカレートしません。一見声を荒立てても、それはパフォーマンス、演技なんです。だからいい外交官はいい役者でもある。

本当にかけがえのない大切なつながりは、5人もいれば十分。利害を超えた信頼関係、親友と呼べる間柄は、せいぜい5人。その見極めをまずしっかりすること。その強固な関係があれば、たいていの人生の逆境に向かっていける。

大変なときに救ってくれたのは大学時代の友人たちです。大学時代の仲間は利害関係ではない。私という人間の本質を知り、信頼してくれている。国家権力と対峙していようが、マスコミが何を伝えようが揺るがないんですね。

僕が外交官だった頃、ロシアの要人に近づく場合には、秘書や補佐官、受付の人から電話交換手まで、周りの人とまず仲良くするようにしました。彼ら全員の誕生日を覚えておく。で、誕生日が来たらプレゼントを贈るのです。するとアポを取ったとき、手紙やメモを渡すとき、優先してくれる。

仕事でのつき合いというのはどんなに親密に思っても、利害関係が基本で成り立つ。自分の状況が変われば一気に消えてしまう儚いもの。本当に大切な人脈、つき合いというのは利害を抜きにした友人。そして家族。幻のようなビジネスの人脈に時間を取られるくらいなら、家族との時間を大切にするべき。

対等で、自由でいられる関係。そして、互いを尊重し、互いを信じ、認め合える関係。人生においてもっとも純粋で価値のある関係が、友情だと言ってもいい。一人でもそんな友人がいるのであれば、それは自信を持っていいし、素晴らしいこと。お金や地位や名誉なんてなくとも、真の人生の勝利者だと、僕は思うのです。

「雑談する力」と教養の間には正の相関関係がある。従って、教養のある人間になることを目指せば、おのずから「雑談する力」が身につく。

「雑談が苦手だ」という人が増えている。仕事以外の共通の話題に関する教養が浅いからだ。

雑談ができるようになるためには、共通の話題と、相手の文化に対する理解が必要だ。マナーの本を読むと「社交の席で政治や宗教の話はしないほうがいい」と書かれているが、これはおかしな話だ。政治や宗教の話をタブーにしてしまうと、実質的な内容のある話がほとんどできなくなる。こういうアドバイスは、相手の文化や常識を読み誤り、大失敗をしたひと昔前の日本人が、「それならば、面倒な話には加わらないほうがいい」と考え、思いついた、間違った教訓だ。

雑談力をつけるには本を読むことが近道だ。その場合のジャンルは2つある。ひとつ目は、学術書の内容をわかりやすい言葉で言い換えた教養本だ。特に経済学、歴史に関する本を読む。そうすれば、イスラーム教徒を相手に豚肉や酒の話をするというような初歩的なミスは犯さない。2つ目は小説とノンフィクションの文学作品だ。ノンフィクションでは、自伝、評伝、当事者手記がいい。一人一人の人生には、時間的・地理的・能力的に限界がある。だから、小説やノンフィクションで様々な人生を代理経験するのである。

世の中って意外に、単純化したほうが本質の見えてくる場合が多い。その意味で私は、猫の行動を参考にしています。猫って快・不快の原則で動いているなあ、と。それは人間だって組織だってじつは同じで、結局、快・不快で動いている。

60歳で定年を迎えても、あと20年。年金だけでやっていけないとなると、何か自分で仕事をやらないといけない。そのときに本当に自分がやりたい仕事ができる人は強いですよ。そんな長い目で働き方を考えてみると、きっと違った景色が見えてくるんじゃないかと思いますよ。

最近の風潮としてやたらにブラック企業という言葉が使われます。その一方で、たしかに人使いは荒くないし当たりも優しいけれども、社員を育てることを放棄しているような会社も増えています。長い目で見れば、鍛えられないまま、取り返しのつかない年齢に達してしまうという点で、そちらのほうが怖い。

厳しく指導されたときは、それが単なるイジメや搾取ではなく、その背景に教育的な配慮があるかどうかが大事。先輩に仕事ができる人がいて、しっかりそういう人が出世して、それなりの立場で頑張っている。で、生き生きと仕事をしている人がいるなら、教育的なものだと言えると思います。

徹底的に働く。これは自分自身がある程度のレベルに達するまでは、やっぱり必要なことだと思う。「鉄は熱いうちに打て」という言葉がありますが、昔は若いうちに徹底的に鍛えるという風潮があった。

教養を磨くため、歴史の本を読んだほうがいい。お勧めなのが高校生の歴史教科書の『日本史A』と『世界史A』。実業系の高校で使うやつなんですが、これが非常によくまとまっているし、近現代史重視で、1冊読めば基礎的な歴史のことはまず理解できます。

いまの30代、40代は、ある意味、賢く現実的で無茶をしない。でもそれだけに、自分の力はこんなものと過小評価している人が意外と多い。一度、等身大の自分を見つめ直してみることで、きっと変わってくるはず。

お酒が入ったらバカ話に徹するくらいでちょうどいい。会社の愚痴や誰かの悪口を繰り返すような飲み会なら最初から参加しない。とくに誰かの悪口に下手にあいづちを打ったりすると、後で自分が言ったことにされちゃうなんてことだってありますよ。

僕がおすすめするのは、古典の名著を多く読むこと。古典には、人類にとって普遍の悩みや葛藤が描かれています。登場人物の心の動きを追体験しておくことで、実際に同じような場面に出会ったときにも、免疫力がついている。人間関係に対する強さが磨かれるはず。

僕が、交渉事において「こいつは手ごわいな……」と感じさせる相手はどんなタイプか。でかくて見た目が怖い人? いえいえ、むしろその逆。一見腰が低くて、ソフトな印象の人ほど、じつは手ごわい。戦闘的な雰囲気はゼロなのに、気がつけば相手にペースを握られていた、なんてことはよくありました。

問題、悩みを吐き合えばこそ、飾らない、素で付き合える仲間同士にもなれる。結束が高まれば、さらに深い問題を共有することもできる。そうやって、仲間の助けも借りて、問題をひとつひとつ何とか解決していくことで僕たちは成長する。問題と向き合うことで、人間力を強くすることができる。

深刻な問題を解決するためには何が必要なのは、仲間たちと問題を共有すること。普遍的な問題は、自分ひとりが直面しているわけではなく、みな同様に心に抱えているんです。だからこそ深刻な問題をわかち合える仲間がいるかどうかが、ひいては、その人の問題解決力となっていく。

外務省で働いていた頃、部下を見分けるのに「小さな嘘をつかないか」「約束を守れるか」で判断していました。嘘をつく部下は要注意。小さなごまかしをする、約束を反故にする人はいつか大事な場面でミスを犯す。

相手がどんなものにとらわれ、何に偏見を持ち、何を差別しているかというのは、その人の教養を見ればわかります。教養のある人物ほど偏見と差別意識が少ない。ありのままに相手を受け入れられる人だと思う。

貫かなければならない信念というものが、生きていくうえで、どれくらい必要だと思いますか? 僕は絶対譲れないもの、許せないものなど、この世の中にそんなに多くないと思う。本当に守りたいものが何かを確信している人なら、ほかのことには上手に妥協できるし、それがうまい生き方だと思う。

結局、人を見た側で判断するということはショートカットなんですね。できるだけ短い時間で判断しようとする。でもそこに落とし穴があるんです。いろんな隠れた情報を見逃してしまう。だから相手の本質を見誤ってしまうんです。みんな、じっくり人を見て判断することが面倒くさくなっている。危険ですね。

社会で生きる限り、僕らは常に何かに揉まれながら生きていく。若い頃はむしろ多少ドン臭くて、周囲から突っ込まれやすい人物ほど伸びたりするものです。ダメな部分を隠さずに、努力しようとする人物は、上から見たら応援したくなるし、可愛がられ、結局得をします。

効率的に外国語を身につけたければ、お金を払ってスクールに通うことが最低条件。理想はマンツーマンのスクールだ。先生はたんにネイティブであるだけでなく、トップクラスの教育を受けていることが望ましい。そうなると先生にふさわしい人材が限られて、料金も跳ね上がるが、それでもかまわない。学習にかけられる時間には限りがあるのだから、足りない時間はお金で買うしかない。

綱渡りで仕事するのはリスクが高いという声もあるだろう。だが、たとえ綱渡りでも、落ちなければ問題はない。綱から落ちたときのためにスケジュールにバッファを多めに入れる人もいるが、入れすぎると緊張感が失われるリスクがある。むしろ予定を詰め込んでギリギリの状況に追い込んだほうが、いい仕事ができるはずだ。

「明日できることも今日やったほうがいい」という意識が強いと、いまやるべき緊急の仕事と、明日やっても間に合う仕事の区別が曖昧になってくる。その結果、本来なら「先送りしてもいい仕事」まで「いまやるべき仕事」に見えてきて、「目の前にこんなたくさんの仕事がある。どうしよう」とパニックになってしまう。大切なのは、「明日できることは今日やらない」という意識を持つことだ。その意識を持つことで仕事の緊急度を冷静に判断できるようになる。

50代に入ってから新しい人と出会っても、得られるものはほとんどない。それよりもいままで培ってきた人脈を掘り下げて人間関係を熟成させたほうがいい。いい年齢になってからも人脈開拓に夢中になっている人もいるが、それはこれまでろくな人脈を築いてこなかったことの裏返し。

インプットの時間は一日4時間以上、意識的につくっている。

原稿を書くのに適しているのは、夜より朝だ。夜はどうも感情的になりやすく、原稿が荒れてしまう。あえて攻撃的なものを書きたいときは別だが、基本的には朝書いたほうが質のいいものができる。

ムダをあぶり出すには、行動を書き出して可視化することが大切だ。無意識のうちにやっているムダは、頭の中で考えるだけではムダと認識できない。一日の行動を具体的に書くことで、改善の余地があるかどうかを客観視できるようになるだろう。

仕事が立て込んでくると、終わった仕事のことは忘れて早く次に進みたいと考える人がほとんどだろう。しかし、それではいつまで経っても時間の使い方が上達しない。忙しくても必ず一日を振り返り、どこかにムダはなかったかとチェックしてこそ時間の使い方がうまくなっていく。

毎日の行動をノートに書き込むことはムダにならない。一日の行動を振り返ることで、不要な仕事の存在や非効率な時間の使い方を把握できるという効果があるからだ。

夢や目標は、基本的に自分の頭の中に刻み込まれているはずだ。書かなければ達成できない夢や目標は、おそらくどこかに無理やウソがある。設定から見直したほうがいいのではないだろうか。

手帳は頭で覚えていられないものを補完的に記録するためのツールであり、頭の中に明確に存在しているものをあえて手帳に書く意味はない。

私が使っているのは、博文館新社の2年手帳だ。1年手帳は翌年の3月くらいまでしか予定を書く欄がないため、年の後半に入ると1年先の予定を書き込めなくなる。一方、2年手帳を1年交代で使えば、年末になっても翌年末の予定を書き込める。

デジタルツールは物理的な限界がなく情報を貯め込めるが、後で使わない情報をとっておいても意味はない。自分が消化できる情報容量を考えたうえで、入れる情報の取捨選択をしよう。

予定はデジタルで管理したほうが効率的だという人もいる。私もそう考えて試した時期があったが、かえって時間がかかって効率が落ちてしまった。チームでスケジュールを共有しなければいけない立場の人はデジタルが便利かもしれない。しかし、私のように個人で完結して仕事をしていると、予定の共有は必要ない。

直近だけでなく2~3カ月先まで予定を書き込んでおけば、先を見据えた管理ができる。

締め切りやアポの予定、電話の内容を書き留めたメモや、次の単行本の構想まで、すべて一冊のノートに記録しています。自分が何をしたか、これから何をしなくてはいけないかは、ノートを見ればすぐにわかります。

僕自身これまでの人生で、たくさんの人と出会い、成長することができた。人生の奥義を、僕は多くの人たちから学ばせてもらった。幸運な出会いもあったと思いますが、同時に自分のなかにも、それを学びたい、吸収したいという思いがあった。

40代こそメンターが必要。40歳というのはちょうど折り返し地点。様々な転機が訪れる時期。そんなときに身近にお手本になる人物がいるのといないのとでは大きな違いがある。

拘置所では、物事はわかりやすくやらなければいけないと決めていました。悪いことをしていないと思うのだったら、最後まで争うと。とにかく、わかりやすくやることが、次の人生のやり直しのためには絶対必要だと。

語学というのはメンテナンスしてないと、いくらでも錆びちゃうんです。いまは、プラハのカレル大学出身の先生についてチェコ語の、モスクワのバウマン工科大学を卒業した先生についてロシア語のメンテナンスをしています。

よくネットにのめり込んでいる人がいますが、ともするとネットは人の感情に火をつけ怒りを増幅させます。だからこそ僕たちは気をつけないといけない。怒りに呑み込まれず、それとどう向き合い、コントロールするか。怒らないで問題解決するテクニックをぜひ身につけてください。

初歩的なミスや小さな嘘ほど致命傷になる。早いうちに仕事の悪い癖は直さなければならない。そのためにあえて上司は部下を怒鳴ることも必要。ただし本気で怒るのはできるだけ少ない方がいい。年に1回か2回。それ以上になると、たんにキレやすい人になってしまう。

よく仕事仲間とは頑なに飲みに行かないと決めている人がいるけど、もったいない。自分の行動に壁を作って、いろんな誘いを断っていたら、面白い人や自分を成長させてくれる人に出会う確率は確実に減るでしょう。結局、仕事も人生もつまらなく、細いものになっていくんじゃないでしょうか。

たいして仕事を抱えていないのに、なぜか一杯一杯の人がいるでしょう。そういう人は、明日できることと今日やらなきゃいけない仕事が同じ大きさに見えているんじゃないかな。仕事の遠近感がないというか。だからすごい量の仕事を抱えている錯覚に陥ってパニックになっちゃう。

抱えている連載が月に約60本、400字の原稿用紙にすると毎日平均30枚以上、月1000枚書いています。ただし、物書きになって最初の頃は月に30枚書くのも大変だった。それもこれも来る仕事を断らずに、自分に負荷をかけていた結果だと思っています。

じつは上司は、イレギュラーな仕事ほど部下がどうこなすかを見ている。本来の自分の仕事は誰でも緊張感を持って真剣に取り組む。でも急な用事や雑用を嫌がらずこなしてくれる部下こそ上司は信頼するんです。

明日できることは今日やらない。皆、「今日できることは今日やれ」って教えられるでしょ。逆なんですよ。というのは明日できることを今日やっていたら、今日やらなきゃいけない仕事が滞ってしまうことがある。仕事量が増えてくるととくにそう。

自分の周りにバリアを張って、自分と違う相手、違う考え、違う生き方を排除すれば、それは確かにラクに生きられる。ただし、僕たちの成長はそこで止まる。なにより人生の出会いも、経験もエピソードもないなんて、一体何のために生きているんだか。

最初からある程度器用にこなす人が伸び悩み、逆に最初は鈍くさい人のほうが大化けすることはよくある。結局そういう人物は叱られながらも、上から教えてもらえる。つまり何かしらハンデがあるというのはプラスに転化できる。

お金は幸福を得るための「必要条件」ではあるけれど、「十分条件」ではない。人生上、どんなことにもお金はついて回る。けれども、お金だけで幸せになれるわけではありません。むしろそれによって争いや不幸が生まれることもある。

部下がどれだけ売上げを上げられるかどうかを、上司は見ている。意識するしないにかかわらず、結局お金という物差しで相手を計っているんです。実際、仕事ができる人ほど、上司や部下、取引先など、ビジネス上の関係を、シビアにお金で換算する目を持っています。

自分がかっこいいことを行っても、心の中でもう一人の自分が「それ本当か?」と突っ込みを入れる。いろんな声を自分の内側に持つことはとても大切。これがないと、自己満足のナルシストになってしまう。

僕は拘置所に1年半いましたが、冷暖房がないんでね。冬は本当に寒くて、雪が降った日なんてガチガチ歯が鳴る。逆に夏は暑くて、房のなかは40度くらいになる。苛酷でつらい体験でしたが、面白くもあった。ほかでは体験できないですから。

500日以上も独居房にいると、自分と対話するしかなくて。そんなときには、ななめ後ろの部屋の上のほうから、自分で自分を見ていたりする。あとで知ったのですが、乖離性人格障害の典型的な症状だそうで。でもあのときの自己との対話が、いまの作家活動にもつながっている気がしますね。

お金はある段階以上になると、力に変わる。すると民衆からは妬まれ、国家からは警戒される。世界の大富豪たちが社会への還元や分配を考えるのは、それをしないと社会や国家からスポイルされる危険を知っているから。

40歳を過ぎれば何かを学ぶということも減るでしょうし、まして知らない人たちと一緒に、まったく違う環境でということもほとんどなくなる。そんなマンネリは、脳にとって一番良くないことです。英語が苦手な人だったら、公文式で英語を習うなんてのもおすすめ。

時間軸で未来を見通す力ができれば、何でもかんでも「いまやらなければ」という強迫的な感じにならずにすみます。大切なことはいまやるべきこと、先送りしても大丈夫なことを合理的に仕分けをすること。そのバランス感覚なんです。時間というものは目に見えないものですが、書き出すことで可視化、空間化ができる。具体的にはノートや日記をつけることをお勧めします。とくに日記はページで時間を区切っていくので時間を空間として認識するのに役立ちます。

僕は作家業に専念してから、いい本、売れる本の見分け方がかなりわかってきました。単行本の売れ行きに大きく関わっているのが、じつは本の帯なんです。この出来が良いかどうかで売れ行きはかなり変わる。ところが本体を作ることに時間を取られ、帯作りを先延ばしにしたために、陳腐なものしかできていないことが多いのです。合理的に考えれば、先送りせず、早めに本の推薦人に原稿を送っておけば、濃い内容のコメントがもらえて良い帯ができるはずです。作り手のちょっとした先送りのせいで、本の売り上げが大きく落ちる。こういうことって出版だけじゃなく、ほかのビジネスの世界でもよくあることじゃないでしょうか?

お金の怖さは「限界効用逓減の法則」が通用しないこと。具体的に言うと、たとえば好きな食べ物でも、お腹いっぱいになったらもう要らないと思う。大酒のみの人だってウォッカを3本も空けてしまったら、もうお酒を見るのも嫌になるはず。これが「限界効用の逓減」で、どんなものでもある程度手に入れたら「満たされた」という感覚や「もういいや」という感覚になる。ところがお金は違う。欲望に際限がない。

じつは著作の仕事を始めてから守っていることがあります。それは講演をできるだけ引き受けないこと。ギャラが安いからじゃない、良すぎるからです。たとえば本を一冊書いても最近は初版3000部なんてザラ。すると本が2000円として印税は60万くらい。ところが講演ならば1本で60万円、80万円なんて依頼が来る。人間は易きに流れるものですから一度講演で味をしめたら、怠け者の僕などは本が書けなくなってしまうんじゃないかと。

必要以上にビビらないようにするためには、やはり経験と場数を踏むしかない。ただし個人が積める経験は限られています。そこでいつも僕が言うのは代理経験を積むこと。怖い経験をした人、ビビるような経験をした人からたくさん話を聞くことです。本人からでなくても本や映画からでもいい。経験と情報があればいろんなことが起きたときでも、「この人は前に会ったあの人に似ているな」とか、「いまの状況は前に失敗したときの状況にそっくりだな」という風に、対象を分類化することができるでしょう。類比、英語で言うとアナロジー。これができるようになると、たいていのことをシミュレーションできるようになり、ビビらなくなる。

昔、モスクワのイラン大使館に行ったときのことです。暗い部屋に通され、やたらに低いソファーに座らされました。向こうは高い椅子に座って、その後ろにはホメイニ師の大きな肖像画がこちらを睨んでいる……。思わずビビってしまうでしょ? ただ、そのとき僕はチャップリンの有名な『独裁者』という映画を思い出しました。チャップリン扮する独裁者ヒンケルが他国の独裁者のナパロニと会う場面。ヒンケルは背が低いから、相手に低い椅子を用意して座らせます。ところがナパロニは、椅子の低さを嫌ってテーブルに座り、立場が逆転してしまう。そんな滑稽なシーンがよみがえってきたんです。ビビる前に心の中で笑ってしまった。じつに原始的な方法だなぁと。

ギリシャ語に「テロス」という言葉があります。「目的」という意味なのですが、同時に「完成」、「終わり」という意味もある。英語の「エンド」という言葉も「目的」と「終わり」の両方の意味がある。目的論的な考え方には、必ず「完成」「終わり」という概念がくっついているんですね。つまり何かに対して「諦めない」ということは、完成形がイメージされていなくちゃならない。執着の泥沼に陥るのはたいがい「終わり」や「出口」の見えないものを追いかけているわけ。

僕がおすすめするのは、部下に対しても「さん」づけで呼ぶこと。僕の経験からしても、尊敬できる上司は、どんな人でも「さん」づけを通していました。少しよそよそしい感じがするかもしれませんが、立場を越えて人間として尊重する姿勢は、相手に伝わるはずです。言葉遣いを変えれば、おのずと関係も変わるし、自分の態度や考え方自体も、それに応じて変化するでしょう。

スペシャリストを目指す人のなかには、マネジメント的な仕事には一切関わりたくないという人もいるかもしれません。それでもある程度の年齢になったら、若い世代を教えたり育てたりすることで、自身の器を広げるきっかけになるし、自分自身のさらなる成長にもつながるはずです。自分にはリーダーシップなど皆無だと思っている人が、じつは意外にリーダーの適性がある場合もある。

何人か部下を持ている場合、部下間の嫉妬の感情をマネジメントすることも重要なポイント。仕事ができる若手をヘタに褒めると、他の手から嫉妬の対象にされ、チームのまとまりが崩れてしまうケースがあります。かつては叱るときは本人に、褒めるときは公に、と言われましたが、いまは褒めるのも叱るのも本人に直接というのがポイント。

いまの時代、上司がまず見極めなければいけないのは、その部下に性格や行動の問題がないかどうか。そのためには発達障害やアスペルガー、自己愛性人格障害など、性格や行動の病理を知っておく。より客観的に部下を見れるだけでなく、対処を誤らないことで、余計なトラブルを避けることができます。

人間が人間らしく生き生きと生きるためには、清らかで善なるものだけでなく、悪とされるもの、ドロドロとした執着とか情念みたいなものも必要なんじゃないかな。だって上司が絵に描いたような善人だったら、これも困りますよ。部下が忙しそうだと仕事を手伝ってくれて、手を抜いたとしても優しく許してくれる。それじゃ部下は育たないでしょう? ときに上司に不条理に怒鳴られたり、きつい仕事を押し付けられたりして四苦八苦し、陰で文句を言いながらも、仕事をこなすなかで力がついていくんですから。

一番怖いのは会社にガマンしてしがみついて、50歳になって突然肩叩きにあうこと。実際そういうケースが増えているんです。そこから第二の人生を考えても、もう時すでに遅し。だからこそ、いくつかのシミュレーションをしておく。違う人生も想定するのであれば、会社勤めしながらお金や人脈、情報を得るなど、着々と準備をする。

僕がおすすめするのは、「Aパターン:いまの仕事を続けた場合」、「Bパターン:辞めて転職した場合」、「Cパターン:田舎に帰ってまったく違った仕事をした場合」など、3つくらいの人生パターンを紙に書き出してみること。そこで自分ができそうなこと、いまの自分に足りないことを確認する。30代後半、40代前半からその作業を始めて、40代後半、50代に、何かあったときの準備をしておくのです。

逆説的ですが、上手なケンカというのは、ケンカをしないで済ませることです。「賢者は争わない」という言葉がありますが、正面からぶつからず、自分の考えと目的をどう達するか? ときには演技やパフォーマンスを織りまぜつつ、冷静で戦略的な駆け引きができるかどうか? 怒ってケンカをふっかけた瞬間、それはあなたの負けだと考えてください。

最終的に一番強いのは「ケンカをしない人」。ケンカをする必要がない人と言ってもいいかもしれません。圧倒的に立場が強いとか、優位に立っているとケンカを売られることもなくなるし、ケンカしようとも思わない。ちょっと陰険かもしれないけど、「あの人とケンカしたら損をする」。そう思わせたら勝ちです。結局、地位や権力を身につけろということになりそうですが、じつは周囲の人の評価とか人望、人気などもそれらに勝るとも劣らない力になり得ます。人気があれば人は一目置くし、その人と対立したりケンカしたりすることで、周囲を敵に回したくないという気持ちが働く。

人脈を増やし過ぎるとメンテナンスが大変になる。仕事の人脈は常に見直しをしていましたね。人脈を「伸ばす人脈」「維持する人脈」「切っていく人脈」の3つに分け、それこそ3つの箱を作って名刺をそれぞれ分けて入れる。で、半年に1度は見直しをする。僕の場合は1000人ほどいた人たちのうち、「伸ばす人脈」は100人くらいだったと思います。

僕がお勧めするのは女性と飲んで話をすること。彼女じゃなくてもいいんです。女性って会社の論理ではなく自分の生き方、自己実現を中心にモノを見ています。彼女たちの視点や意見は、ガチガチに固まりがちな男性の頭を柔らかくしてくれますよ。

特殊技能や能力を身につけて代替不可能な人材になるために、僕がおすすめするのが、いまの職種とは別ジャンルの肩書きを持つこと。たとえば、自動車の営業マンが、3級整備士を取得する。車の構造をわかっている営業マンと、そうでない営業マンでは説得力が違いますよね。僕の場合は、大使館の三等書記官を務めていたとき、モスクワ大学の客員講師の肩書きを持ちました。三等書記官レベルでは会えない大物に、大学の講師なら会える。それが本業で役に立ちましたね。

「売り上げの数字を毎回出す人」と「専門知識など特殊な能力のある人」。こういう人は、上に意見することが許される。ただし言い方には気をつけること。「いまのやり方ではなく、このようにすれば部署全体の士気が上がる」とか「こうすればもっと利益が出る」とか「こう変えれば効率が良くなる」とか、組織のためという大義名分を立ててこそ、物言いができる。

これからの世の中は、さらなる競争激化、格差の拡大など、個人が抱える問題は一層増えていくでしょう。そんな不安な世の中を生き抜くためには、自分の周りに、どれだけ問題を共有できる仲間を作っておけるかが、その人の力になっていきます。これからの時代に生き残れるのは、そういう足元がしっかりしている人でしょう。

見たくない問題に向き合うコツは、「問題の仕分け」。「解決可能か」「解決不可能か」「解決できずとも問題を緩和することは可能か」の3つに分けます。たとえばあなたはガンだと宣告された。そこで思考を停止してしまうのは一番良くない。ガンとはいえ、早期発見ならば「解決可能」の範囲です。それに見合う対処をする。ある程度進行している場合は「問題を緩和すること」、進行を遅くする方法を考える。残念ながらすでに末期で「解決不可能」だったとしても、それに見合った対処がある。余計な治療はせず、できるだけ親しい人に会う。延命治療で少しでも時間を稼いで、その間に残された人のために遺言をしっかり書く。問題の仕分けによって、対処の仕方が変わってくるんです。

何を「問題」だと定義するかというのは、じつは認識の問題でもあるんです。イヌイットの言葉には「みぞれ雪」とか「粉雪」のような細かい表現はありますが、それらを一緒にした「雪」という言葉が存在しません。ロシア語には「マルスカヤ・カプスタ(海のキャベツ)」という言葉がありますが、ワカメも昆布もヒジキも、すべて「マルスカヤ・カプスタ」と呼びます。つまり文化や環境、時代や地域によって、人々の認識には違いがある。自分の問題認識が、周囲の認識とズレていないかを検証することも大切です。

大きな仕事で華々しい成果をあげることよりも、日々の小さな仕事にいかにまじめに取り組んでいるか、ちょっとした約束事をきちんと守ることができるか、そういうところが肝要。上司から頼まれた雑用を、嫌な顔をせずこなす。小さな頼み事や約束をおろそかにしている人は、大きな仕事を振られることはまずありません。

女性から信頼されるポイントは3つの地雷を踏まないこと。「セクハラ」「パワハラ」「えこひいき」。つまり「強者」の論理に立たないことです。ありのままの相手の姿を尊重する。人間、地位や権力を持つほど、それができなくなっていく。いまの多くの政治家を見れば、そのことが如実にわかりますよね。

僕は「男性とはこういうもの」「女性とはこういうもの」だという性別で決めつける考え方には賛同できません。それよりも環境や社会的な背景、構造の影響がじつは大きい。このことを学んだのは、田中眞紀子(元外務大臣)さんの存在も大きかった。「必ずしも女性がすべて優しいものだとは限らない」ということを、身をもって体験しましたからね。ある意味、女性に対する偏見がなくなった(笑)。男性とか女性で分けるのではなく、環境によって「らしさ」は作られていくのです。

僕自身は仕事に関して、男性だから女性だから、という目で見たことはないですね。単純にどんな成果を出しているか、その事実だけで判断しています。ビジネス社会において、性差が理由で、仕事ができるできないということは基本的にはない。

外交だとか諜報活動など、いわゆるインテリジェンスの世界で生きてきた人間は、安直な判断は命取り。いやがおうでも慎重になります。駆け引きや騙し合い、いろんな落とし穴がある。どこに落とし穴があるかわからない。嫌でも人を見る目、見抜く本能が磨かれた気がします。いまでも僕は「なにか怪しい」というのを理性よりも匂いで判断して、危険だと思ったら近づかないです。

僕から言わせれば、怪しい人物やきわどい仕事をする人ほどキチンとした格好をするという法則がある。たとえば詐欺師は、見た目はごく普通の真面目なビジネスマン風を装っている。暴力団構成員だって、いまどきはビジネススーツでパリッとしている人が多い。怪しさとかきわどさを抱えている業種の人物ほど、身なりを整えるという傾向はあると思う。つまりカムフラージュするのです。

分不相応に派手というか、高価なものを身につけている人物にも気をつけたほうがいい。お役人でも政治家でも僕の経験上、能力のない、仕事のパッとしない人ほど高価なブランド品を身につけていましたね。虚勢を張って自分を大きく見せようとする。ところがその見かけで信用する人もいます。つまりお金がある人だと。お金がある人は仕事ができて、社会的な地位も高いはずだと。でも、高価なものを持っているからといって、お金持ちとは限らないでしょう。もしかしたらアルマーニのスーツは、借金して買っているかもしれない。仮に本当に稼いでいたとしても、どんな仕事で稼いでいるのか? それこそ詐欺まがいの悪徳商法で稼いでいる金持ちもいるかもしれない。

僕は普段家にいるときは猫とじゃれあうのでジャージ姿が多いんです。毛が目立たないように鼠色の(笑)。たとえばそんな格好で誰かにお金を借りに行ったら、貸してくれる人は少ないだろうなぁ。ジャージ姿だと相当お金に困っていて、返してくれなさそうに見えるでしょうから(笑)。実際、人は見た目で決めていることが多いと思います。

僕が上司だったとき、こいつはモノになるなと見込んだ部下には徹底的に教えましたが、自分の能力を勘違いして、プライドややる気ばかりが空回りしている人物は、うまく手を回して他の部署に移ってもらうようにしました。というのもインテリジェンスの仕事はメンバーの1人が下手をしたら、部署全体がアウトになってしまう。部課長クラスまでなら、まず自分の部署全体のことを最優先に考えることでいいと思います。

誤解してはいけないのは、単に「教えてほしい」と甘えるだけではダメだということ。優秀な人ほど忙しい。相手の貴重な時間を奪うことになる。相手から見て「こいつは面白そうだ」と期待を抱かせるくらいのものがなければいけません。結局のところ、相手から引き出すには、自分自身が相応のレベルになっていなければいけない。そのためには、たくさん本を読むこと、たくさんの人とつき合い、引き出しを多く持つことが大事。

どうも一握りの幸運な成功者だとか、抜きんでた才覚の持ち主だとか、そんな人たちの話ばかりを聞きたがる人が多いようですが、僕から言わせれば方向が違うと。たとえば何かのサークルでもいいし、町内会や趣味のグループでもいい。マイペースで楽しく生きている人がいるはずです。そういう人たちのなかにこそ、幸せのヒントがあると思う。

意外に参考になるのが、第二の人生を楽しく、幸せに暮らしている人。キャリアコースを進んで出世する人はごく一握りに過ぎません。大多数ははじかれます。会社のトップを目指すような価値観から外れた世界で、自分の場所と生きがいを見つけていかなければいけない。ですからビジネスで大成功したとか、社長になったという人物をメンターにするより、もっと身近な人物のなかに本当に自分の人生の参考になる人がいる。

どんな組織や会社にも、1人くらいは師として学ぶべき人はいるはず。それでもなかなか見当たらないという人は、自分自身の人生の方向がハッキリしているか、目標があるかを問いただしてみましょう。たとえば自分はこの会社で管理職として進み、将来会社の経営などに関わることを目標とするのか、それとも専門職として自分のペースで仕事をしていく方向を目指すのか、あるいは独立するのか。方向性と目標がしっかりしていれば、おのずと学ぶべき人が現れてくるはず。

「戦略的な怒り」というのは組織にとって必要です。動物は危機に瀕すると身をすくませてフリーズします。人間も動物ですから、怒鳴られて身の危険を感じると誰もが一瞬フリーズする。生理的な反射のようなものですが、そうさせないといけない場面や状況がある。私が外務省でチームを組んでいたとき、部下が翻訳を間違えても怒鳴りませんでした。そこは冷静に誤りを指摘してやる。ただし、嘘をついたときと初歩的な事務作業ができていないときには怒鳴りましたね。たとえば部下に書類をファックスしておいてくれと頼む。あとで「送ったか」と聞くと送っていない。学校秀才の場合、「あ、忘れてました。すみません」と言える奴は3分の1。3分の2は「送りました」と嘘をつき、あとでこっそり送る。こっちはそれを承知しているから、部下に確認した時間と送信履歴の時間をしっかり証拠として提示して、そいつを一回ものすごい勢いで怒鳴ります。嘘をつくとトンでもないことになると覚え込ませるわけです。というのも小さな嘘が、国家間の外交問題にまで発展するケースがあるんです。

いまの時代、ビジネスマンはとにかく忙しい。だから仕事をいかに上手に断るか、「断る力」の大切さを説く人も多いですね。でも僕は基本的には「断らない力」こそ大切だと思っています。僕のところにはいろんな出版社から毎月100冊~150冊の新刊本が送られてきます。そのすべてに目を通します。本を読むスピードは外務省時代の仕事の中で培った。とにかく膨大なテキストを読みこなさないといけない。我流ですが速読が身につくんです。

下を育てても自分に直接利益がないからと、面倒を見ないという人も増えているようです。しかし10年後、20年後、自分が別の部署に移動したり、転職や退職したりしたときに、育てた若手が現場の第一線で、色々力になってくれることも出てきたりします。長期的な視点に立てば、自分に返ってくることは多い。何よりも親身に育ててくれた恩を、下の人間は覚えているもの。僕がそうでしたから。

同志社大学の神学部に進むかどうかで、悩んでいたとき、埼玉県浦和高校で倫理を担当していた堀江六郎先生に「神学部じゃ将来食べていけませんよね?」と聞いたら、「佐藤君、本当に好きなことをやっている人で、食べていけていない人を僕は一人も知りません。ただし、本当に好きなことに限られますよ」と。その言葉で僕は同志社大学の神学部に進むことを決めました。

仕事を教えてもらうには、師と仰ぐ人の懐に飛び込めるかどうかが大きい。僕の場合は仕事の話ではなく、僕が傾倒していた神学や哲学の話をすることで、こいつは面白い奴だなと思ってくれたのかもしれません。外務省のエリートというのは、頭が良くてプライドが高いので、小器用にうまく立ち回ろうという人が多い気がします。そういう部分を彼らは鋭く見抜くのです。その点、当時の僕は、どこか愚直に自分をさらけ出せていたんだと思います。

この世のすべてに、お金はついて回ります。その現実を認識した上で、「では、お金では絶対得られないもの、解決できないことはなんだろう?」という問いを、自分に向けて発してみてください。生きがい、連帯感、希望、夢、愛……。答えは人それぞれでしょう。しかしそれを問うこと自体に、人生を豊かに生きるヒントがあるように僕は思います。

僕らの人生上の問題や悩みのほとんどは、突き詰めれば、じつはお金で解決できる案件だとわかる。逆に、お金で解決できない問題のほうが少ないと言ってもいい。結婚の悩み、夫婦の問題、会社の悩み、仕事の問題……、いろんな理屈をつけて悩んでいますが、客観的に考えてみたら、じつはお金が解決することが本当に多い。この現実を、まずしっかりと認識することが重要。その上であなたは、「人生はお金がすべて」と考えるか、「お金は大切なものだが、人生はそれだけではない」と考えるか。

僕らは現実を直視し、お金に対するある種の「見極め」と「見切り」が必要になる。労働力を売っている立場であると言う「見極め」。だからこそおのずと収入の限界があると言う「見切り」。見極め、見切りは諦めや絶望ではない。むしろその見極め、見切りがあるからこそ、お金と適度な距離を保ちながら、いい関係を築くことができる。

中途半端にお金に頼るより、家族や友達、地域のつながりなど、強いコミュニティーを持っているほうがセーフティーネットとしてはずっと強い。人がホームレスになるのはお金がない、働く場がないというよりもむしろ、身近に助けてくれたり、その人たちのためにひと肌脱いでくれたりする、密な人間関係が欠落しているのが原因だと言います。「痛み」を分かち合い、助け合える関係を築くにはむしろお金は邪魔になることの方が多い。お金の大切さを知ると同時に、その限界も知らなければいけない。

「そもそもお金とは何なのか?」「お金があれば幸せになれるのか?」と、本質的なことから考えないといけない。というのも巷にあふれるお金儲けの情報は、いずれも「お金がたくさんあれば幸せにつながる」という前提に立っています。でも本当にそうでしょうか? ちょっと僕たちの周りを見回せばそうではないケースもたくさんあります。

柔軟な発想というと、なにかこれまでの思考の枠組みから外れた新奇なものを思いつくことだと思うかもしれません。いわゆる「型破り」な発想というものですが、これは「型」をしっかりと身につけることで、初めて破ることができるものだと。僕がしきりに学生時代の勉強をすすめたり、教室に通うことをすすめたりするのも、まずは「型」をしっかり身につけよ、ということにほかなりません。柔らかい頭と発想力を持ちたいならば、まずはそんな地道なことから始めるべきだと思います。

僕はロシア語、チェコ語、琉球語を習っています。語学の勉強も頭を柔らかくするのにとても役立つ。ポイントは自宅に先生を呼んでマンツーマンでやるのではなく、教室に通うこと。普段とは違う場所へ行き、違った環境のなかで勉強するということが、脳を活性化させ柔らかくするのに重要です。語学学校なんてけっこう高いお金を払っていますから、こっちとしては真剣です(笑)。なんとしても元を取らなきゃって。

「自己犠牲」なんていうとなんだかとても重く感じますが、相手のことを考えて自分がちょっと仕事量を多めに負うとか、人がやりたがらない仕事をやってみるとか、宴会の幹事や飲み会の企画など、直接利益にならないことを淡々と引き受けるとか、あるいは部下と飲むときはときに気前よくおごるなど、日々の生活のなかで、ささやかな自己犠牲を発揮する場面はたくさんあるんですね。日頃の生活や仕事のなかで、ちょっと自分が損することを実践する。そういうものを積み上げている人は、不思議と存在感が出てきて、周りの人が認めるようになるものです。

僕も大きな仕事をしようとする相手には、最初は仕事の話をしませんでした。小さく信用させて大きく騙すというのは詐欺師の常套ですが、これは仕事やビジネスにも言えること。一番高等なテクニックは何か? 相手に自分を好きになってもらうこと、友情に近い信頼感を持ってもらうことなんです。それが築ければ何もしなくても向こうのほうからいい情報を持ってきてくれる。

40代にもなれば、ある意味様々な知恵がつきます。でも、それは同時に先入観に毒されてしまうことでもある。自分の世界を早めに閉じちゃう人がいますが、40代で閉じるのはまだ早すぎる。いろんな世界、いろんな人と知り合い、いたずらに否定したり無視したりせず、真摯に向き合う。そのためには本当の意味での、大人の教養、品性と知性が必要なんです。それにはたくさん本を抗むこと、芸術に触れること。僕自身も結構見てますが、Vシネだっていい(笑)。そうやって頭と心を柔らかくしておくことが大事です。

50代になって自分自身の周りの人間を見渡してみると、結局、20歳のころの性格と本質的にはそんなに変わっていない。20歳のときにお金に汚い人間は、50歳になってもやっぱりお金に汚いし、女好きで女性ばかり追っかけていたヤツは50歳で再会すると、同じことをしてる(笑)。友達のために一肌脱ごうという男気のあったヤツは、50代でもやはりそういう生き方をしています。

人生の後半でいろんなものを絞り込んでいくときに、何か自分の「原型」のようなものが、もう一度立ち現われてくるような気がする。そしてこれまでの人生のいろんな出来事や、人間関係が、じつは不思議な必然性で結びついているように感じる瞬間がある。「そうか、あの時あの人に会い、あんなことがあったのは、じつはいまの人生の伏線だったのか」とあとから合点がいくような……。こういう感覚は20代、30代はもちろん、40代でもなかなかわからない。それが50代になるとわかるようになるんですね。

経験から言っても、40代の生き方と50代の生き方はずいぶん違う。見えてくる景色が変わってきます。40代までは自分の可能性を信じて、いろいろやってみたいと思う。ところが50代になるといろんな意味で自分が見えてくる。僕自身も作家として方向性が固まってきた時期だし、それによって人間関係や行動範囲がだいぶ限定されてきました。ある種の絞り込み作業が必要になってくる年代なんです。

40代でやっておくべきこと。それは健康管理です。周りを見ていると50歳を過ぎると急速に体調が悪くなる。なかでも歯の健康。虫歯や歯周病は放って置いても絶対に良くならない。60歳になってから治療すると大変です。40代、50代でしっかりケアしておけば、60代ではそれほどひどくなりません。おすすめするのは3か月に一度くらい、医者に行って歯石を取ってもらうこと。歯を健康に保つということが、トータルな健康管理においても、余計な治療費を取られないという意味でも大切です。

ウォルフガング・ロッツというイスラエルの伝説的な英雄スパイがいます。彼いわく、友情というのは、その友人の体重と同じ重さの、黄金を払うだけの覚悟があるのかと。金1g5千円だとすれば、体重70kgの友人なら、3億5千万円の価値(笑)。それだけのお金を払えるというなら、本物だということです。

国や文化によっても、友情のとらえ方は違います。だいたい日本や米国など、比較的平和な国は友情とか絆とかはわりとゆるい。逆に社会が不安定だったり、危険が多かったりする国ほど友情や契りなど、結束が強固になるものです。中国やロシア、イスラエルや中東諸国などは典型でしょう。友情や絆が、自分の命に関わってくる。任侠の世界も、友情へのこだわりが強いイメージがありませんか? そう考えると、あまり友情、友情と前面に出さない社会のほうが、平和で生きやすい社会だとも言えます。

会社も役所も本質的にブラックな部分がある。安易に期待したり依存したりしてはいけない。外務省のころ、過労で倒れて入院したことがあるんです。そのとき上司が見舞いに来てくれたのですが、まず「大変だな」と。続けて「ただし困るんだよ。今度首脳会談があるが、直前に倒れられたらみんなが迷惑する。体調管理も実力のうちだよ」と。上司が帰ったあと、私の隣にいた前の奥さんが「こんな職場、辞めたほうがいいんじゃないの?」って。でも、その上司の言葉で吹っ切れました。上司や組織の善意に期待したり、依存したりしてはダメだと。組織や会社というのは性悪説で考えなきゃいけない。その見切りをした上で、日常の人間関係は性善説でやる。そのバランスだと。

組織の内側にいると見えないが、辞めてみると気づけることがあります。いまじゃ笑い話だけど、外務省の役人ってよく泣くんです。政治家に対して「先生、浮くも沈むも一緒です」って、局長以上がよく泣いていた。あと、政治家を怒らせたりしたら土下座。そんな光景を当たり前のように見ていたので、他の省も世間の一般企業もみんな同じと思っていたら全然そんなことはなかった(笑)。

勝負は最初の1、2年。そこで必死で身につけた語学力って、あとになって効いてくる。(モスクワ駐在時代)夜9時にロシアのニュースがあるんですが、その15分間のニュースの内容をテープで録音し、翻訳して報告書を上げろと。最初は意地悪じゃないかと思いましたね。だってしっかり訳したら朝の4時、5時にはなるんです。間違えると怒られ、直され、もう一度やり直す。そんなことを毎日続けたら、超過勤務が300時間を超える。でもこんなシゴキに近いことがあるからこそ、語学力は一気に伸びましたよ。

エリツィン元ロシア大統領はサウナ政治で有名でした。大事な案件はウォッカをみんなで飲んでサウナに入ってアルコールを抜く、これを繰り返しながらその場で決めて行くんですね。酒が入ると相手の本性が見える。エリツィンはわざとウォッカを飲ませ、その人物の品性や自分に対する忠誠心がどれくらいか、はかりながら政治をしていたんです。お酒の席は人がはかられる場面だと考えてもいい。

組織は常に上の味方をする、そう思って間違いない。最近でこそセクハラやらパワハラで部下が訴えて、上司が飛ばされるという事例があります。ただし一時的には部下が勝ったように見えても2年ぐらいすると、訴えた部下は異動させられる。正当な理由で訴えたとしても、組織というのは基本的に造反者を嫌う性質がある。ですから上の人間にまともにぶつかるのは避けるべき。ヘタな正義感で抗ったり、自分が組織を変えてやろうなんて思わないことです。

外交官の世界には厳格な序列があります。全員に細かくランクがあるんです。同じランクの人は、着任順で上下が決まる。同日の着任なら、着任の申告をした時間の早い人が上。ですから全員序列がついて、きれいに上から下へ並べられる。上下関係がはっきりしているほうが、命令が迅速に実行できる。だから軍隊などの戦闘組織は、上下関係が厳格です。外交の世界も諸外国との交渉、やりとりという一種の準戦闘状態。だから必然的に序列が厳格になるわけです。

対人力を磨くには、小説を読むのも手。なぜ本を読むことが、対人力につながるのか? 「アナロジー」という言葉があります。対比、類比というほどの意味です。小説を読んでおくと、現実の場面でも「この人は、あの小説に出てきたあの人にタイプが似ているな」とか、「この出来事は、前に読んだあの小説に似ているな」などと比較をすることができます。これまで自分が体験したことのないような場面に出会っても、小説で疑似体験をしておいたおかげで、落ち着いて対処できるということが結構あるのです。

「力」で人を動かそうとするのは限界があります。強制労働をさせられても、人は創意工夫をしない。だから奴隷制度は崩壊しました。相手を動かすには、相手に自発的に動いてもらうことが大切なのです。そのために必要なのが「自己犠牲」精神。人は無償で何かを与えてもらうと、その人のために何かしてあげたくなります。「自己犠牲」というと言葉は重苦しいですが、何のことはない、要は相手を喜ばせたり楽しませたりすればいいんです。冗談を言って大声で笑わせるとかね。あいつといると面白い、楽しい。それも「相手に与える」ことには変わりはない。ちょっとした言動にそんなサービス精神を織り交ぜられたら、相手は自ら、あなたのために動いてくれます。「心」で相手を押すのです。

僕のおすすめは「大切な人リスト」を作ってみること。まず1番上には「真の親友」を数人書きます。親友が書けたら、「何か困ったときにとりあえず用件を聞いてくれる人、会ってくれる人」を50人ほど書く。この50人が重要。その人に直接解決はできなくても、その人の知り合いが解決してくれるかもしれない。50人いたとして、50人×50人で2500人。ネット上の2500人との「軽いつながり」に時間を使うくらいなら、「大切な人リスト」の人と飲みに行く方が、よほど有意義だと思いませんか?

マックス・ウェーバーという学者が「職業としての政治学」という著書のなかで、政治家にとって重要なのは「目測」の能力だと言っています。つまり距離感を測る力のこと。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉がありますよね。そのときの相手の状況によって、今日はここまで踏み込んでも大丈夫とか、いまは少し離れていたほうがいい、という感覚がある。相手の気分、お互いの関係性、時間、環境……、いろんなものを総合して、微妙な距離感をつかんでいくわけです。ところがメールばかりじゃ、この感覚がつかめない。ぜひ直接、人に会って、相手の気分や感性を読み解く訓練をしてみてください。こればかりは場数です。

約束を守る人間になるための一つは、「できない約束はしない」こと。仕事でも、明らかに日程的に無理があるのに、いついつまでに仕上げます、と約束したりする。で、期日に遅れて、信用を失う。かといって、あまりに守りのスケジュールでは自分の成長がストップしてしまうので、そのあたりは微妙な加減が必要ですが、僕の感じで言うと自分のいまの実力の2割増しくらいのきつさが限度。そのくらいの背伸びはしないと、自分の能力は逆に縮んでしまいます。

約束のなかでも、とくに大切なのが時間の約束。時間にルーズな人は信用されません。意外に大切なのがお尻の時間。たとえば14時までという約束をしたのに、15時まで引き延ばしてしまう。これも約束破りなんです。打ち合わせなんかでも、開始時間を守る人は多いけど、終了時間を守る人は意外と少ない。相手にしてみれば約束を破っているという感覚がない。無意識の約束破り、これは怖い。

成長し成熟するためには、人は現実の社会のなかで揉まれることが必要だと思います。僕が外務省に入って最初に教えられたのは、ありとあらゆる雑用でした。朝の9時に役所に出て、深夜3時まで働きづめ。たとえば、大量のコピーをひたすら取る。でも、やっとできたと思ったら、「不要になったから全部シュレッダーにかけろ」と上司に命じられたり……。頭に来て機械を蹴りながらシュレッダーにかけてたら、先輩が来て「そんなに怒るなよ。こういうことにも意味があるんだから」と。どういう意味か聞いたら、「根性がつく」って(笑)。そのときはまったく理解できませんでした。ただ、外務省などというのはやはり学生時代は優秀で挫折を知らないエリートが多いでしょう。お役所というのはそれこそ伏魔殿で、不条理なことも嫌なこともたくさんある。そういうことに対する精神的な耐性がなければ、結局続かない。最初の1年2年で理不尽なことをさせて、ふるいにかけるという意味があったと思う。だから一人前になれば、もうそのようなあつかいはなくなります。

本を読むことで自分を俯瞰して見られることもある。

佐藤優の経歴・略歴

佐藤優、さとう・まさる。日本の作家、官僚。東京出身。同志社大学大学院神学研究科終了後、外務省に入省。イギリス、ロシアの日本大使館に勤務したのち、外務省国際情報局分析第一課主任分析官として対ロシア外交に携わる。背任と偽計業務妨害容疑で有罪が確定し外務省を失職。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞、『自壊する帝国』で新潮ドキュメント賞・大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

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