井深大の名言

井深大のプロフィール

井深大、いぶか・まさる。ソニー創業者、技術者。栃木県出身。早稲田大学理工学部を卒業後、東芝の入社試験を受けるが不合格に。写真化学研究所(のちのソニーPCL)、日本光音工業株式会社を経て日本測定器株式会社常務。日本測定器時代に盛田昭夫と出会う。太平洋戦争後にソニーの前身である東京通信工業(東通工)を設立。トランジスタラジオ、トリニトロンテレビ、ベータマックスなどの開発にあたり、ソニーを世界的企業へと育てた。

井深大の名言 一覧

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若いうちは、2つの選択肢があったら酷い目に遭いそうな方を選べ。それが自分をつくる。

井深大の名言|酷い目に遭いそうな方を選べ


難しいからこそ我々がやる価値がある。

井深大の名言|難しいからこそ我々がやる価値がある


人のやってることはやるな。人のやらないことだけに集中しよう。

井深大の名言|人のやってることはやるな


商品化に対するモルモット精神を上手に活かしていけば、いくらでも新しい仕事はできる。

井深大の名言|モルモット精神を


他人がやらないことに全力を注げ。

井深大の名言|他人がやらないことに全力を注げ。


我が社には組織がない。今日の組織は明日の組織ではなく、明日の組織も明後日はどうなるかわからない。だから組織づくりといえば、毎日が組織づくりである。いや毎日、会社そのものをつくっている。

井深大の名言|毎日、会社そのものをつくっている。


技術革新のネタは企業や大学でなく市場にある。

井深大の名言|技術革新のネタは企業や大学でなく市場にある。



中小企業の社長になったつもりで考えろ。
【覚え書き|部下に語った言葉】

井深大の名言|中小企業の社長になったつもりで考えろ。


企業にとって重要なのは発明より革新なのだ。その革新は実はたわいのない夢を大切にすることから生まれる。
【覚書き|ソニー発展の起爆剤になったトランジスタラジオの開発について振り返った時の言葉】

井深大の名言 格言|発明より革新が重要


トランジスターの歩留まり5%、つまり100個こしらえて及第するのが5個になったとき、ラジオの生産に踏み切った。当たり前の企業家だったらこんな無茶な計画は立てるわけがない。しかし、歩留まりは必ず向上する目算があったので、私は思い切って決断した。もしあのとき、アメリカでものになってからとか、欧州の数字を見てからこれに従ってなどと考えていたとしたら、日本がトランジスターラジオ王国になっていたかどうかは甚だ疑わしく、今日のソニーもあり得なかっただろうし、この無謀は貴重な無謀だったと考えている。
【覚書き|トランジスタラジオを生産し始めた当時を振り返っての発言】

井深大の名言|拙速でもスピードを重視する


私はこのとき新商品の開拓の困難さと、それが成功するといかに強いものであるかということを十分に味わった。
【覚書き|最初に開発した机ほどの大きさのテープレコーダーを、トランクほどのサイズまで縮め、価格も前モデルの半額で提供したところ爆発的に売れたことを振り返っての発言】

井深大の名言|新商品開拓は難しいが成功すると強い


過当競争も日本には良い刺激剤と考えるべきかもしれない。
【覚書き|ソニーがトランジスタラジオを開発し、海外市場を開拓したあとで、国内メーカーが横から割り込みダンピングで乱売しはじめた当時を振り返っての発言。ソニーは価格競争に巻き込まれないように新技術を開発し、他社に先駆けた製品を発売していった。そのことがプラスに働きソニーが革新的な製品を生み出す下地となった】

井深大の名言|過当競争も良い刺激剤


人がやったというニュースだけで日本では同じものがすぐにできるという不思議な性質がある。これはそれをつくるだけの技術力は十分持っていながら、これを思い切って企業化しようという勇気に欠けていることを証明しているようだ。すべての分野で日本の技術力に自信を持ち、思い切った決断を下せるようになったときこそ真の日本の暁は訪れるだろう。

井深大の名言|日本企業に欠けていること


私は盛田(昭夫)君以下のこの上ない良いメンバーに囲まれて生きてきた。この人たちは無謀にも近い私の夢を実現させて楽しませてくれる。こんな幸福は世の中にそんなにあることではないと信じている。

井深大の名言|仲間に恵まれることの重要性


私からソニーを引き去ったら何も残らない。また残らなくても少しも悔いないどころか大変満足に思っている。私のやりたいこと、私の夢を実現させる場がソニーだったのだ。また幸いそれを実現させることが今日までソニーにとってはプラスになってきた。夢とわがままは当分続くことだろう。

井深大の名言|自社に人生をかける



米国の方々の会社から招へいがあったが、江崎君と相談の上、江崎君の今後の研究を本当に生かす最善の方法としてIBMに移ることを決めた。世間では喧嘩別れをしたのと、どうのと大変やかましいことだったが、私はあくまで彼の才能を伸ばせるだけ伸ばすための処置だった。
【覚書き|ソニー社員だった江崎玲於奈氏がエサキダイオードのトンネル効果理論を発表した当時を振り返っての発言】

井深大の名言|従業員が一番活躍できる針路を考える


国内メーカーも1年か2年ほどのギャップで追いついてきた。かくて日本は世界最大のトランジスター製造国になったのは良いが、たちまち乱売がはじまり、トランジスターラジオの安値競争は世界的に有名になって値段はどんどん下落した。新しいマーケットを開拓する努力をせず、他人の築いたマーケットに割り込み、ただ値段を崩すだけしか能がない典型的な日本商法を嫌というほど知らされた。
【覚書き|トランジスタラジオを開発し、海外市場を開拓して大きな利益を得た当時を振り返っての発言】

井深大の名言|ライバル企業の追従に注意


PCL(写真化学研究所)では本職の録音の研究もやったが、ネオンをつくってパリの博覧会に出品するなどかなり勝手なこともいろいろやった。日本のためになる仕事なら、直接会社の事業とは関係のない研究でも大目に見てくれた。私利私欲のためにすることはよくないが、新しい技術の発見は国家的にもプラスであり、人類の進歩のためにも不可欠の要素である。植村氏(植村泰二所長)がそうした深いものの見方ができる人であったことは私にとって極めて幸いであった。
【覚書き|大学を卒業したのち就職したPCL時代を振り返っての発言】

井深大の名言|従業員に自由に仕事させる


積み重ね方式でこれができたからこれにしよう、その次はこれをやろうというのでは、到底出来っこないですね。

井深大の名言・格言|積み重ねよりも革新


なぜ、そういう考え方をするのか。そんな数年後ではない。1990年や、2000年でもなく、2010年、2020年にはどうなっている、どうなるべきだから、という考え方をしないといけない。

井深大の名言・格言|遠い未来から出発して現在の行動を決める


私はこれまでいろいろなモノをこしらえて商売にしてきたが、たいてい軍とか役所とか放送局のもので与えられた仕様書によってつくったモノばかりだった。それで何か大衆に直結した商品をかねがねやってみたいと思っていた。大衆は製品の厳しい審判官であり、正しい評価をするものだと信じていたので、大衆商品は一番やりがいがあるような気がしていた。
【覚書き|テープレコーダー開発に取り組んだ当時を振り返っての発言】

井深大の名言・格言|大衆は厳しい審判官


井深大の経歴・略歴

井深大、いぶか・まさる。ソニー創業者、技術者。栃木県出身。早稲田大学理工学部を卒業後、東芝の入社試験を受けるが不合格に。写真化学研究所(のちのソニーPCL)、日本光音工業株式会社を経て日本測定器株式会社常務。日本測定器時代に盛田昭夫と出会う。太平洋戦争後にソニーの前身である東京通信工業(東通工)を設立。トランジスタラジオ、トリニトロンテレビ、ベータマックスなどの開発にあたり、ソニーを世界的企業へと育てた。


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