了徳寺健二の名言

了徳寺健二のプロフィール

了徳寺健二、りょうとくじ・けんじ。日本の学校経営者。「了徳寺大学」理事長・学長。鹿児島県出身。高校卒業後、川﨑製鉄に入社。同社柔道部監督を務めたのち、医療法人徳友会を設立。その後、了徳寺学園、了徳寺学園医療専門学校、了徳寺学園リハビリテーション専門学校、了徳寺大学を設立。そのほか、千葉県柔道連盟会長などを務めた。

了徳寺健二の名言 一覧

他の大学と比較したことはありません。私たちは一極集中で得意分野を作ることで、差別化を図っています。


生き残るために一番大切なのは、国民のためになるか、多くの人の幸福や利益になるかどうか。


思いは成就する。当然ですが、ふと思っただけでは成就することにはなりません。ずっと思い続ける、もっと言えば念じ続けること。


人と人との出会いは、お互いへの思いが伝わると色々な化学変化が起きる。


若い人々に伝えたいことは、「何でも良いからこれだけは誰にも負けないという自分領域を作って欲しい」ということ。そしてそこから人々の成長や成功に必須の、誇りと自信が芽生える。


イマジネーションは、多くの人々を豊かにしたり、幸せにすることを強く念じ続ける人に湧き出る。念じ続け、人々があきれるほどの、ひたむきで、地道な努力を積み重ねることによって可能になる。


伸びるために必要なのは愚直さ。夢や理想に向かって念ずるような想いを持ち続け、昨日より今日と日々自分を乗り越える努力をできる人、(伸びる人は)そのような努力できる資質をもった人々と言える。


人に勝つ努力はしなくていい。昨日より今日と自分を乗りこえる努力をコツコツとしなさい。するといつの日か気がつくと、周りを凌駕している自分があるのだ。


経営には速度が必要。部下達には常に「鎧は走りながら着けろ」と叫んでいました。


「天才は美しい環境に育つ」という言葉があるように、人を育む環境は清潔で美しくなければならない。


人が成功する為に具備すべきものは創造力。創造力は読書・執筆・自分や他者との対話、加えて夢を念じ続けることによって醸成される。


経営者には、最後は、死ぬ気になって全てを乗り越える胆力が求められる。


成功や事業の成否は運が9割。その運も知力を磨く努力によって切り開かれる。


私は努力によって人は運命を切り拓くことができると信じています。それは知力を養うことだと。さらに知力は全てを凌駕すると。


成功というのは万人を幸せにしたり、夢や勇気を与えること。


学生が自分たちの価値を見出せるように指導していく。それが教育の使命。


真理というのは古来より単純なものに集約される。最も大切なことは大局観。


新しい法則は常に科学に立脚したものであること。そして限りない再現性を有し、更に批判や検証に晒されなければならないものだ。


患者様への治療の概念は、安全無比で心地良く最小の刺激で最大の効果を生み出すものでなければならない。


血液の流れを良くすることが健康の基本。血液の流れが悪くなるから、身体の具合が悪くなり、それが病につながる。


何が問題かというと世界中に広がる無力感だと思うんですね。自分の価値観が見出せていないから、目標がないし、どうしていいかが分からないのだと思います。


念ずるような思いや、多くの経験とその知識、様々な方々との対話やそれによって得られた知見、寸暇を惜しんで続けた読書、それらがある時、知の化学反応が起きる。


リーダーは他者の痛みが分かる人が求められる。郷土の英雄・西郷隆盛のように、自分を捨てて、天下国家の為にという思いが必要だと思う。


大学における私達の判断基準は、常に学生と保護者の立場から俯瞰して選択し、決断するというのが私達の経営姿勢。


学校経営にしろ、クリニック経営にしろ、基本軸は、人を大事にして、人を活かし、その力の合成である。


これまでの人生、いろいろな人に出会い、ここまで来ることができました。幾多の困難に遭遇しましたが、それも今となってはいい勉強です。もっとも、人は生きている限り一生勉強だと思います。これからも自分なりの努力を果たしていきたい。


教授会は代議員制にし、無駄を省く取り組みをしています。職員の会議などの時間も効率良くして、余った時間を学生のため、研究のために使うことを心掛けるよう指導しています。時間は貯蓄できないからです。


大学の運営は、常に学生と保護者の立場から俯瞰することを貫いています。了徳寺グループには医療法人もありますが、考え方は一緒で、常に患者さんの立場で、という思想で運営しています。


教育は美しいところで行われなくてはいけない。千葉県浦安市のこのキャンパスは、美しい海が目の前に広がり、心が洗われる気持ちになります。最高学府で学ぶ学生には、こうした美しい環境で気宇壮大な資質を形成してもらいたい。


両親から特別に何か言われたわけではありませんが、「義理を果たせ」という言葉は印象に残っていますね。要するに、人に感謝して、恩には報いよということですね。


若い時は歴史小説中心に乱読でした。30代半ばからは中村天風師、また郷土の雄であられる京セラ創業者の稲盛和夫さんの本も熟読させて頂きました。困難に直間した時は何度も読み返し、先人達の言葉に大いに勇気づけられましたね。


医師でもない人間が科整形外科経営なんてとんでもないという事で、沢山の抵抗や困難があった事は事実です。そうして今で言うコンプライアンスや手法を研究して、独自の体制を作りあげた。私の整形外科の経営手法は明確でした。その手法は見える化の推進・間違わないシステムの構築・経営にも速度が必要と言う概念でした。


貧困で育った生い立ちや、一番底辺で働いた川鉄時代の経験が生きた。それは常に弱い立場の患者様の心を理解し、それを慰め励ます努力でした。そのような経営姿勢は常にどこでも受け入れられ、大繁盛を遂げたのです。


包帯一本でも誰が巻いたのか、また外傷でも骨折や脱臼などは管理台帳を作り、一人一人の患者様の経過が細かく記されミス防止を図っていました。また、地区別のクリニックの浸透度や、クリニックの好感度を数値化して推移をチェックしたり、薬の在庫管理まで全てが手にとるように判る見える化を推進していましたね。


高校時代の柔道師範・桑山藤雄先生がいつもおっしゃっていた言葉は忘れられません。血気盛んな私たちに「人に殴られたら歯を喰いしばれ、もう一発殴られたら下駄を脱げ、三発目を殴られたら下駄を抱えて逃げろ」と。


昨今でも単純なミスで起こった医療事故は後を絶ちません。けれども、私達は今から30年以上前に年間70万人の延べ患者様に医療ミス0を続けていました。その源泉はレントゲン撮影・読影から薬の処方、また、薬剤の発注納品その他ほとんどの作業がマニュアル化され、トリプルチェックされてミス防止を徹底していたのです。


了徳寺健二の経歴・略歴

了徳寺健二、りょうとくじ・けんじ。日本の学校経営者。「了徳寺大学」理事長・学長。鹿児島県出身。高校卒業後、川﨑製鉄に入社。同社柔道部監督を務めたのち、医療法人徳友会を設立。その後、了徳寺学園、了徳寺学園医療専門学校、了徳寺学園リハビリテーション専門学校、了徳寺大学を設立。そのほか、千葉県柔道連盟会長などを務めた。

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