丸山茂樹(プロゴルファー)の名言

丸山茂樹(プロゴルファー)のプロフィール

丸山茂樹、まるやま・しげき。日本のプロゴルファー、ゴルフ指導者。千葉県出身。幼少期からゴルフを開始。アマ37冠を達成し、日本大学経済学部卒業後にプロ入り。日本を代表するゴルファーの一人として活躍した。また、五輪ゴルフ日本代表ヘッドコーチ、日本ゴルフツアー機構相談役などを務めた。

丸山茂樹(プロゴルファー)の名言 一覧

ケガといった「壁」を乗り越える秘策はなく、情報を収集し、動き回り、ひたすら努力しながら耐え抜くしかない。


自分の特徴を知って活かせたことが、結果に結びついた。


勝つべき試合は、這いつくばっても、どんな手段を使っても勝つという泥臭さが僕のスタイル。


ある程度の自信という裏づけがなければ、海外でトップに立つのは厳しい。


何度も世界の頂点に立った人は、自分自身をコントロールする力がずば抜けて高い。


妻やマネジャー、トレーナー、キャディーも一緒に苦労してくれた。周囲の助けがなかったら、海外で挑み続けられなかった。


ほとんどの人が誘惑や妥協に負けます。いわばその「人間らしい部分」を超えられる人が、勝ち続けられる。


努力する習慣や忍耐力が身につき、日々の積み重ねで得た技術が僕の武器になった。だから身長160cm台の小柄な僕でも、海外で通用したのだと思う。


あきらめなかったことが悪いのではなく、「あきらめずにやり続けるにはどうすればいいか」、客観的に考えるべきだった。


トップに立つには、犠牲にするものが必ずある。米国で戦った30~39歳は遊びにも行かず、ホテルの部屋でスタッフに撮りためてもらったDVDを観る生活を続けていました。「何でこんな孤独なんだろう」と思っていた(笑)。


球を打つパワーはタイガー・ウッズをはじめとした体の大きな選手には及ばないけど、経験と技でバーディーを重ねてスコアを伸ばし、得意なショートゲームを駆使して試合に勝った。


アメリカに拠点を移したとき、最初は英語が話せないので、当然外国人選手と会話ができませんとにかく笑顔で明るく皆に接し、積極的にいろんな人のそばにいるように意識しました。「いつも笑っていて面白い奴だ」と仲間が集まり、自分の居場所を確立していった。他の選手の練習方法を観察したり、クラブを見せてもらったりして研究もしました。


渡米にあたっては、ジャンボ(尾崎)さんの存在も背中を押してくれました。日本でプレーを続けても、ジャンボさんの通算113勝という大記録を超えるのは不可能だと思った。であれば、あのジャンボさんでも成し遂げられなかった米国での勝利に挑もうと視点を変えたんです。


練習に明け暮れ、小中高大と友達と遊んだ覚えがないし、電話番号も知らない。努力したことだけは胸を張れるし、44ストロークの大差で初試合を優勝したことで、「努力すれば負けない」という自信を得ました。その勘違いにも近い自信が僕を練習場に向かわせ、小学校から大学までのアマチュアの全タイトルを獲得することができた。


父から「練習しろ」と言われた覚えはありません。ただ「ゴルフは感性が大切なスポーツ。1日でも練習を休むとその感覚は鈍る」と言われ、それは「努力をしろ」というメッセージだと捉えて、練習に明け暮れました。


トッププロは技術面やメンタル面を担うコーチやトレーナーを集めたチームを帯同して、ツアーに参戦します。だから僕の役目は選手の指導というより、選手を盛り上げ、万全の状態で試合に臨める環境を整えること。


僕はケガだけでなく、メディアに暴言を吐いて罰金を払うなど、米国でたくさんの失敗をしました。若手には僕と同じ思いはしてほしくない。だからすべての失敗談を伝えることで、彼らが潰れずに世界で戦えればうれしい。


丸山茂樹(プロゴルファー)の経歴・略歴

丸山茂樹、まるやま・しげき。日本のプロゴルファー、ゴルフ指導者。千葉県出身。幼少期からゴルフを開始。アマ37冠を達成し、日本大学経済学部卒業後にプロ入り。日本を代表するゴルファーの一人として活躍した。また、五輪ゴルフ日本代表ヘッドコーチ、日本ゴルフツアー機構相談役などを務めた。

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