中村義一の名言

中村義一のプロフィール

中村義一、なかむら・よしかず。日本の経営者。光学機器メーカー「三鷹光器」会長。東京都出身。天体望遠鏡、人工衛星搭載用カメラ、非接触三次元測定装置、脳外科手術用顕微鏡など光学技術を軸とした高度精密機器を開発・販売。同社の脳外科手術用顕微鏡は世界シェア6割を獲得した。

中村義一の名言 一覧

アイデアは、いつも製品が使われている現場で見つかる。

立派な研究開発施設もお金もないうちのような中小企業がこうした開発をしてこられたのは、ひとえに「工夫する」ということにこだわり続けてきたからだと思います。

「どうしたらそんな発想や工夫が生まれるのか」とよく聞かれますが、最近つくづく思うのは、小さいころからモノづくりの楽しさを身体で知っていることが大切だったということです。私は小学校しか卒業しておりません。中学も戦争で近くの飛行場に動員されたため、卒業していませんが、モノづくりの楽しさを知るという意味では幼少期、少年期は恵まれていました。父が用務員をしていた東京三鷹の国立天文台に遊びに行き、研究員の方が使わなくなった古い望遠鏡を分解させてくれたので、何度分解して組み立てたことか。毎回、その精密な仕組みに驚いたものでした。

当社の社員を見ていてもわかりますが、モノづくりが好きな人は、考え抜く努力ができるんです。子供を塾に行かせる親が多いそうですが、モノづくりの楽しさを教えることの方が格段に大切です。自分で考えて工夫する人材が育つことが日本の繁栄につながるのです。

最近は学歴や資格が重視されすぎだと思います。うちにも東京大学大学院生をはじめ立派な学歴の若者が多く入社試験を受けに来ますが、知識はあっても「自分で考える」ことができない人が多い。教わって得る知識は偽物です。自分で考え抜く訓練が大切で、工夫する努力を重ねると、壁にぶつかってもあの手この手が出てくるようになるものです。

とにかく自分の専門以外にも興味を持って調べてみることが大事。自分には関係ないと思うような分野の商品やサービスでも、実際に興味を持って近くで見ると、「ここがあそこに活かせそうだな」と、いろんなアイデアが浮かんでくる。そういう意味では、身の回りのすべてにアイデアのヒントが隠されている。

もう、隙間にしか、ほかにやられていない仕事は残されていないのね。でも隙間に目をやれば、他国の成果だとか他国の労働力などといった借り物ではない、職人にとって本当の「独創」があり得るんじゃないかと思うんだ。

優秀な職人というのは、うちにいるやつで言えば、辛抱がすごいですね。60歳を越えても現役でやってもらっているけど、とにかくものを作るのが好きだからこそ、ジッと我慢ができる。それがすべてなんじゃないの?

興味があるなら、わからない分野でも本を読めるし、友達に質問もできるわけだ。小さい頃は戦時中で、小学校4年生までの教育しか受けていなかった私だって、字も読めないのにやれたんだ。大学で字を読んできたやつが本気で何かに興味を持てば、鬼に金棒だろうといつも思っているの。

職人というのは工夫で生きていかなきゃいけないものでしょう?だから私は新入社員から「何をしたらいいんですか」と質問されると腹が立ってね。「俺だってわかんねえんだ。与えられた仕事をやるなら機械には敵わねえんだから、わかんねえでいいからやれ」と、無理に仕事をさせるんだ。仕事を見ていれば、ようやくこちらに反応の余地も出てくる。「それなら、これをやってみたらどうだ」「ちょっと絵にしてみたらどうだ」と言えるわけだ。

大手の会社の営業なら、もう販売が専門だって決まっちゃっているでしよ。でも、うちの場合は手術顕微鏡の営業をするやつと開発をするやつが一緒なんだ。営業活動をしながら病院の手術現場にも同席して、実際に使ったお医者さんの意見を反映させて改良を加える。だから細部をかなり調整できる。それはいいことだろうと思う。同時に何人かのお医者さんが同じ画面で手術部位を見られる、あるいは一台の顕微鏡で同時に数ヶ所の手術ができるといった世界ではじめての工夫というのは、そういう現場の意見から生まれた。

開発も製造も自分でやるからには、機械も自分でいじってよくしろと言っているよ。社員は、会社のコンピュータの性能が低いと文句を言うんだけど、うちは光学メーカーなのだから何でもやれなきゃ。コンピュータだって、いくつかマシンをつないで自分で改造したらいいのね。そうして、道具も含めて勝手に組みあげていくってのがうちの仕事の前提なんです。便利なものを上に買ってもらうだけじゃ、自分の頭で考えられなくなるからね。

うちには現代の名工に選ばれたような優秀な技術者もいる。でも、若い人はそういう名人に教えられたって、そう簡単にうまくなるもんじゃないんだ。高校生って、幼稚園児に石をぶつけられても「しょうがないな」と笑ってものを教えられるでしょう?つまり、誰かにものを教えてもらうっていうのは馬鹿にされているということなんだ。

若い人は若い人どうし、同世代の友達と本気でぶつからなきゃね。私自身、自分の技術が飛躍的に向上したのは、やっぱり同世代の友達と、日曜にラーメンを賭けて技術の競争をした時期だと実感しているんだ。当時の社長も「そういうことならどんどんやれ」と休みの日でも工場を開けて、機械を使わせてくれた。

小さい頃の私は、父の職場だった東京天文台で生活をしていたようなものでした。のちのちの望遠鏡や顕微鏡を開発するきっかけは、その時期に遊んでいて気づいたことが多いんだ。かつてドイツの名品と言われた望遠鏡には、古くてネジがガタガタでも、プレない工夫が凝らされていた。それを、いまの手術顕微鏡で「顕微鏡を動かしても、もとの患部に焦点を合わせられる」という工夫に活かしたんです。患部で焦点をロックさせ、そこから円運動で顕微鏡を移動できるようにしたら、ライカに「いままでどうしても解決できなかったことなんだ」と驚かれた。過去の工夫の中に、宝はゴロゴロ隠れていたんだよね。

顕微鏡の開発にかける時間はだいたい一ヶ月間ぐらいですね。大手の会社に比べたらかなり短い。でも、まぁうちは40年間も天体望遠鏡を研究開発してきたんだから、観測技術についてはノウハウで他社の医療機器会社に負けるはずがないんだ。望遠鏡が売れなくなって、いま、売れている医療機器の世界に移動してきただけで、まあ、前は宇宙を、いまは人体の中を観測していると言うのかな。分野と販路を変えただけで、仕事の内容は変わっていないんです。

うちは土日も社員が機械を使えるようにしてあるけど……いまの若い職人たちというのは、あんまりそういう技術の鍛錬はやらないね。休みの日には、クルマやバイクであちこち駆けまわることに興味があるみたいだ。技術に興味を持って同世代と競い合うなら札束を拾うようなものなのになぁ。それについてはもったいないとは思う。

これからの手仕事の職人がもしも海外に日本製品を売るなら、まず、昔の職人のイメージを越えなければいけないだろうと思う。もう手業の自慢だけじゃダメでしょう。マシニング(回転する刃物で切削加工を行う機械)は1ナノメートル単位の切削ができて、機械だから休まないで動いてくれる。つまり、加工って点で職人は機械に勝てないんだから。

職人は海外でも職人どうしでつきあわなければ絶対に失敗するだろうなぁとは思う。うちも同業のライカの職人たちとつきあっているから、職人と職人で腹を割って話ができ、理解をしてもらえるところがある。商社や投資の世界の人たちを話し相手にしていたら、きっと食いものにされていただろうなぁ。最近、ヨーロッパの商社の人たちと会ってみたら、まあ目は総会屋で「怖いなあ」と実感させられたからね。

手術顕微鏡の製造で、うちはカメラで有名なライカと提携をしている。本当は日本企業と提携したいんだけど、大手企業というのは「おまえのところは下請けだから、製品に社名を入れたらダメだ。販売してもダメだし、ましてや利益を折半するなんてとんでもない」と言うんだ。これでは、とても組めませんよ。

つくって終わりじゃダメ。医療機器なら、つくった技術者が実際に手術の現場に立ち会って、使われ方や改善点を自分の目で確かめないと。医療分野では後発のうちが大手メーカーにつくれない手術顕微鏡をつくれるのは、実際に技術者が医療現場に通って発想を得ているから。よそのメーカーは現場確認を営業任せにしているのが悪いところだと思うな。

現場三訓

  1. 「設計図は現場にある」。実際に使われている現場に行ってよく観察することで、改善点、新たなニーズを見つけることができる。
  2. 「日常の不便からアイデアは生まれる」。日頃から不便な物事に目を凝らすことを心がければ、社会に必要なアイデアが浮かぶようになる。
  3. 「つくる人がお客さんと話し合え!」。お客さんがポロリとこぼした愚痴の中に、アイデアのヒントが隠されていることがある。開発担当者が直接確認すべし。

学歴があっても、アイデアが出せなければしょうがない。うちには中卒も大卒もいるよ。昔から学歴を問わない代わりに、採用試験で器用さ、洞察力、ものづくりへの思いを徹底的に調べるんです。昼食に出す焼き魚の食べ方までチェックするくらい。入社後も、便利な機械は独創性を奪うから、課長以下の職員にはCADの使用を認めません。

中村義一の経歴・略歴

中村義一、なかむら・よしかず。日本の経営者。光学機器メーカー「三鷹光器」会長。東京都出身。天体望遠鏡、人工衛星搭載用カメラ、非接触三次元測定装置、脳外科手術用顕微鏡など光学技術を軸とした高度精密機器を開発・販売。同社の脳外科手術用顕微鏡は世界シェア6割を獲得した。

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