名言DB

9429 人 / 110879 名言

三澤千代治の名言

twitter Facebook はてブ

三澤千代治のプロフィール

三澤千代治、みさわ・ちよじ。日本の経営者。「ミサワホーム」創業者。新潟県出身。日本大学理工学部建築学科卒業。ミサワホームを設立。同社を東証一部に上場させた。

三澤千代治の名言 一覧

ハウスは「物」でありハードだが、ホームは「家庭」、つまりソフトである。私たちが提供しようとしたのは、ホームだった。


定年まで40年というと10種類以上の学士になれる。


欲のない年寄りの話に真実がひそんでいる。


私の人生を振り返ると、つくづく私だけでやってきたことはたいしたことはなく、教えていただいたことばかりであったと痛感している。


現代社会では理屈を言うより、五感を磨いた人の方が重要だ。学校と家とを往復しただけの真面目な学生より、人一倍遊びまわって五感を身につけた人の方が、ビジネスマンとして伸びる可能性がある。


世の中の変化に合わせて経営者も変わらなければならない。それには一度死んで生まれ変わるのが一番と考えて、「高度成長成り上がり居士」という戒名をつけて、「私はこのほど死にました」という挨拶をしてまわった。


不透明な時代、人も企業もどう生き残るかとよく言うが、これは生き残りと勝ち残りとあって、なんとかやりくり算段して命を伸ばすというのが生き残り、根本問題をかたづけて次の時代をにらむのが勝ち残り。


友人の山本幸男と2人で事業をスタートした。山本は十日町高校の同窓で、浪人して2年遅れていた。山本は文系で私は理系。私はせっかちだが、彼はのんびり屋。商売も、私はフローで回転が速いほうが好き、彼はストックの堅実派。着ている服は、私は全部紺で、彼は全部茶色。彼は酒が飲めて、ゴルフが好き、私は酒もゴルフもダメ。彼は歌がうまく、私は音痴。女性の好みも全く違う。しかし、山本も私も事業家の家に育ったせいか、何となく気が合った。仕事を一緒にやっていても、口を開けば逆のことを言う。だが、これが経営のバランスになり、なるほどそういう見方もあったかと気付く。


入院生活では収穫もあった。「100日仰向けでいろ」との医師の命令があったため、病室ではずっと天井を見つめていた。暇だったので周囲に目をやると、次第に天井の梁(はり)の出っ張りが気になってきた。なぜこんな不細工なものが部屋にあるのか。それが出発点になった。天井の梁や、部屋の隅の柱の出っ張りがない空間ができないものかと思い、「木質パネル接着工法」を思い付く。これがミサワホームの始まりになった。
【覚え書き|大学4年時に結核で入院したことを振り返って】


三澤千代治の経歴・略歴

三澤千代治、みさわ・ちよじ。日本の経営者。「ミサワホーム」創業者。新潟県出身。日本大学理工学部建築学科卒業。ミサワホームを設立。同社を東証一部に上場させた。

他の記事も読んでみる

大山堅司

ファンドの役割は、お金を出すことです。彼らの商品がお金なのですから、その商品を使う経営者がしっかり使いこなして増やせばいいのです。ファンドの役割をしっかり理解した上で、彼らの商品を使うかどうかを決断するのは経営者側の問題です。経営者がそれをうまく使えないのに甘い言葉でお金だけと言っていると、経営者は必要ありませんよね。


ハリー・ハーロウ

母親から孤立状態で育ったサルは、常におびえ、自分の体を抱いたり、噛んだり、隅にうずくまったりして、他のサルと交渉はなかった。この状態で育ったメスが出産したとき、赤ん坊を踏みつけたり、床に押し付けたり、中には頭をポテトチップスのように噛み砕いてしまったものもいる。


櫻田武(桜田武)

先人の踏を求めず、求めしものを求む。
【覚書き|先人が踏みしめた道・方法・先例などに答えを求めず、自分の信念に解決策を求めろという趣旨の発言】


黒田如水(黒田官兵衛)

常日頃好むところでも、よくこれを選び慎むことが大切である。主人の好むところは、家来や百姓町人も、自然とその真似をするものであるから、とくに注意せねばならぬ。


永田豊志

何かテーマを与えられたとき、頭の中で考えるか、それとも書いて考えるかが成否を分ける。頭の中がごちゃごちゃしている人は、書くことをあまりしていないと思います。書く習慣をつけるだけでも、頭はクリアになり、仕事の成果も上がるはず。


飯田亮

何かを捨てる時には、必ず新しいものが必要になります。


小山五郎

いまマイホーム主義という言葉が流行して、誰にも干渉されずに小さく小さく生きるという風潮が世の中に広まっていますが、こういう時代の中でこそ、若い人は火中の栗を拾うぐらいの気概が欲しいところです。蛮勇を振えとはいいませんが、せめて小さな勇気を出してほしいと切に若い人には希望しています。


角田秋生

外展開の話をすると、よく「どうマーケティングをしているのですか」と聞かれます。しかし私たちは、単に子供の数が多いといったことがスタートにはならないのです。最初からたくさんの教室をつくることも、あまりありません。新たな国に行くとき、私たちはまずひとつの教室をつくってみます。オフィスに本部教室のようなものをつくり、そこから展開しはじめるのです。国によって気質や風土は異なります。ひとつの教室を開き、地道に日々の活動をする中で、基本的な考えや指導法を変えずに、どうすれば公文式を受け入れてもらえるかを探っていくわけです。それができたときには大抵、支持者が増えてきて、「公文式をやりたいけれど、教室はないの」との声が聞かれ始めます。その段階で、少しずつ教室の数を増やしていきます。


乙武洋匡

150km/hの豪速球を投げられるピッチャーでも、そればかり投げていると、バッターは目が慣れてきます。その結果、結構ポンポンと打たれてしまう。スポーツライターをしていた当時、オリックスに星野伸之というピッチャーがいました。星野選手のストレートは最速でも130km/h台。一軍の投手の中では一番遅いくらいです。ところが、「いてまえ打線」と呼ばれた近鉄の中村紀洋選手やタフィ・ローズ選手に取材をすると、驚いたことに、口をそろえて「一番速い投手は星野さんだ」と言うのです。最初は冗談かと思いました。星野選手は80km/h台の超スローボールも投げることができたので、球速に50km/hもの緩急をつけることができ、それで打者には球が速く感じられたというわけなのです。それくらい、緩急をつけるというのは大事なことなのです。


大倉忠司

夢ばかりを語っていたから、社員はそれを信じてついてきてくれた。最初は「何を言うてんねん」と思われていたかもしれませんが、言い続けていると「ああ、この人本気やな」と思ってくれます。