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三浦しをんの名言

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三浦しをんのプロフィール

三浦しをん、みうら・しをん。日本の小説家。東京都出身。早稲田大学第一文学部演劇専修卒業後、外資系出版社、書店員などを経て小説家デビュー。直木三十五賞、本屋大賞、織田作之助賞を受賞。

三浦しをんの名言 一覧

私も「うわ~しつこいな~」って自分でも思うくらいチマチマ書いて、ああでもない、こうでもない、って飽きもせず考えてる。10日くらい誰ともしゃべらないこともざらですが、その生活が苦じゃないんですよ。続けられるのは結局好きだからで、その感情が一番大事なんじゃないかと思います。


失敗と成功が人間関係にまで適用される感じって、つまらないし息苦しい。こうなってみたら案外居心地がよかった、ぐらいのスタンスがちょうどいい気がします。


昔から一つのことをとことんまで突きつめている人が好きなんです。私がこれまで取材で出会った方々は、自分にとってかけがえのないものがある分、視野が狭まるどころか逆に、他者に対する想像力も誰より備えておられました。応用可能な知恵、っていうんでしょうか。そこに惹かれます。


道を究めようとする人って、修行僧とか出家した人に似ていると思いませんか? 個人間の恋愛とかではない何かのためにすべてを投げ打つ、というか。


知らないことを知るのはすごく好きなんですけど、研究者の方々を取材していて感じたのは、私は一つのことをずっとやり続けるのは苦手なんだなということでした。植物だけを一生研究し続けられるかというと、それはやっぱり難しい。


最初に思っていたのはこの場所じゃなかったけど、まあいいかっていうこともありますよね。妥協ではなく。「登場人物たちがここがいいって言ってるし」と。


私は(気に入った作品に出会うと)「件名:お前はもう見たか」みたいな長いメールをすぐ送るから、友達にうざがられます(笑)。オタクだからなのか、「すごい!」と思うと、とにかく誰かに伝えずにはいられなくなる。住んでいる地域とかも関係なく。オタクでいるって、楽しいことですよね。


辞書の記述も時代によって改訂されていきますからね。それこそ文楽を見ているとよくわかるんだけど、型は決して不変じゃなくて、時を経て洗練されていく。もちろんそれによって失われてしまう味わいも、それでも変わらない強固なものもありますが、物語に対する感性は時代と非常に密接しているものだから、絶えず変化/進化するのは当然だと思うんですよ。


いったん好きになったものに対する気持ちの持続力は著しいですね(笑)。あんまり飽きることがないんですよ。研究者みたいにたった一つのことをっていうのは向いていないんですが、いったん興味をもっと意図しなくても好奇心が伸びていくので激しく繁茂(はんも)する(笑)。もちろん、その時々によって優先順位は変わりますけれど。


以前、ホヤの研究者にお話を伺ったことがあって、すごく面白いなと思ったんですが、当時は基礎研究というものがわかっていなかったので「これは何の役に立つのですか?」と聞いてしまって。そうしたら「役には立ちません。好きだから、知りたいから研究している」とおっしゃった。それにすごく心を打たれたんですよね。基礎研究というのは、人間とは何かとか、この世界とは何なのかを追求する学問なんだな、と。


やっぱり私は研究者には向かないんだと思います。一つのことをずっとはやり続けられない。逆に、無理だと思うからこそ知りたくなるんですよ。自分には絶対にできないことを心底楽しそうにやってらっしゃる方たちを見ていると憧れる。「この人たちはどうしてこんなに楽しそうなんだろう、なぜ情熱を持続させられるんだろう、そこを知りたい」っていう気持ちがないと小説にはできないですね。自分ができるようなことを書くのはつまらない。


今回、取材してみて、植物学は文系も理系も関係なくこの世界を考えるうえで大事な研究だなと思ったんです。実用的ではないと思われがちな研究は、その重要性が伝わらず、真っ先に研究費が削られてしまうんですよね。実は私たちの生活に密接しているしそもそも役に立つ研究をするためには基礎研究が必要不可欠なのに。


たいていの人は、自分だけをそこまで愛せないし、自分のためだけには頑張れないと思う。人であれ研究対象であれ、自分とは違う存在がいてくれるからこそ、自分が何昔なのかも確認できる。愛が何かなんて簡単に定義できるものではないけれど、成就するか否かではなく、決して溶けあえないからこそ、強烈に求めてしまう――それも確かに一つの愛だろう、と私は思います。


自分ではない誰かが見ている世界の一端が、少しでも垣間見えたり共有できたりするとそれだけで嬉しくなるんです。昔から小説やマンガを読み続けているのも、自分一人では知りえない、味わえない世界を体感させてくれるからだと思います。私の書くものも、そんなふうに誰かに楽しんでもらえるものであればいいなと願っていますが、こればっかりは意図してできるものじゃないですからね。


「言われてみれば!」って思うことが多いほうが、人生は絶対に楽しい。私も友達としゃべっていて発見することが多くて、そのたび楽しくなるんです。ちゃんと見ていたつもりの世界が思いもよらぬ様相で立ち現れる瞬間ってとても刺激的だし、その瞬間には自分一人だけでは絶対に辿りつけない。専門家に教えてもらわなくても、道を歩いているときにたまたま見かけた誰かの言動によって、「なるほど!」って氷解することがあるでしょう?


もういいや、って思うことがないですからね。一つ取材をすれば、そのなかにまたわからないことが出てきて、知りたくなる。小説の題材にならなくてもルポエッセイになることはあるし、知識や体験が増えれば書くものもいろいろ工夫できるようになっていく。一度試してみたことを、今度は別の角度から描いてみたり、仮に失敗したとしても、そのおかげで見えてくる景色があったり……。尽きることのない楽しさがありますね。


私はわりと、自分がさびしいことに気づいていない人を観察するのが好きなんです(笑)。この人はもしかしてさびしいと感じる瞬間かないのでは、そして周りの人がさびしいなと感じている瞬間があることにもまったく気づいていないのでは、と見受けられる言動に接すると、とたんに興味津々になる。そういう人がさびしさを感じるときが来るとしたら、一体どんな局面なのか……ともやもや考えるのが楽しい(笑)。


文楽や歌舞伎には「型破りな型」がめちゃくちゃあるんです。現代では、緻密な伏線が張られていたり構成が優れていたりするものが、洗練された小説として評価されると思うんですが、それとはまた違う、整いきれてないからこそ生み出されるパワーがあるというか。その在り方がいいなあと思って、現代小説で試みるにはどうしたらいいのかを一時期はずっと考えていました。すべてに取り入れることはできないかもしれないけれど、題材によっては向いているものがあるんじゃないかなと。


もうずいぶん前に書き終えた小説ですし、ある程度はご自由にどうぞ、って感じですね(笑)。自作を映像化していただく場合、それが実写であれアニメであれ、脚本は必ず確認させていただきます。ストーリーラインは変えてもらっても構わないんですが、作品の根底にあるもの……この人はこんなことを絶対に言わない、などの世界観だけは守りたいなと思っているので。


『ののはな通信』はプロットはなかったです。一応、何十年かに及ぶ話で最後はこういう感じで、とぼんやり見えてはいたんですけど、細かい部分は考えていなくて。迷走が激しかったです。だから単行本になる時に、100ページ分くらい文章を削ったんですよ。連載中は毎回すごく必死に前に進めていたんですけど、まとまって読むとちょっと、と。


私自身は土壇場での粘りに欠ける人間だと思っているんです。だからこそ(粘り強い人に)憧れるのかもしれません。何かをやろうとしてうまくいかなかったとき、あまり悲壮にならず試行錯誤できる苦難の過程すらも楽しみながら続けるって、すごく難しいことだから。そうありたいと願うから、はたから見たら「なんで?」って思うくらい一つのことをずっとやり続けちゃう人のことを、よきものとして書いてしまうんだと思います。私にとっては一種の理想なんですよね。


これまでは、辞書づくりとか駅伝とか、自分が好きで興味のあるものを題材として取り上げてきました。でも今回(『愛なき世界』)は、東大大学院理学系研究科の塚谷裕一先生(植物学)から、編集者を通して連絡をいただいたのがきっかけです。「『舟を編む』を読みました。辞書という比較的マイナーと思われるものを小説にできるなら植物学もいけるのでは」って。でも、最初は迷ってたんですよ。自分から書きたいと思わなければ絶対うまくいかないし、理系科目が不得手だったので。だけど『神去なあなあ日常』は林業がテーマで、植物を育てるのは好きだった。理系の中でも植物には興味がないわけではなかったんですね。それでお誘いを受けて研究室へ見学にうかがってみたところ、院生の方たちがすごく面白かった。人間として魅力的な方たちで、とにかく研究に熱心。一般的にはあんまり、植物のシロイヌナズナとかに夢中になったりしないじゃないですか。いい意味で、どうかしている。その姿に惹かれたのもあってこれなら書けるかな、と。


全部の時間を自分のためだけに使うのって、あんまり面白くないなと思うようになってきました。自分の発想とか思考パターンってある程度決まっていますよね。だから「新しい気持ち」があんまり味わえなくなってきて、そうするともう、仕事もしたくない! ってなるんですよ。何か自分の予想とはぜんぜん違う行動をとるような、意のままにはならない存在が必要なんだなって思います。


常に変化を感じ取り、考え、自分をよき方向へとアップデートしていくのは難しい。たとえば、自分が10年前に書いたエッセイを読んで、「今の感覚からすると、これはちょっとアウトだな」と思うことがあります。活字になってしまったものはどうしようもないですから、かつての自身の不明を恥じ、反省し、思考と感性を深めるべく努めるしかない。10年後に若いかたが読んでくださったとして、それでも「公正だ」と感じてもらえるものを書けたらと思いますが、自分の中にある偏見などを完全に払拭するのは困難でしょう。でも、そこを乗り越え更新していく姿勢を失ってはならない、と念じています。


人間と人間か出会い、葛藤し、その結果うまくいくか決裂するか、というのがやっぱりストーリーの定型だと思うんですよ。つきつめると、それ以外の型って実はあまりないもちろんどう描くかという味つけは様々ですが、特に男女の関係性を書こうとすると、間に生まれた恋愛が成就するかどうかがクライマックスになりやすい。型を踏まえたほうが、物語としては絶対に面白くなるんですよ。盛り上がりを作りやすいし、何を言わんとしている話なのかも読者に伝わりやすくなる。それも悪くはないし私も大好きなんだけど、たまには違うのもあっていいんじゃないかなって思うんですよね。一瞬の恋愛よりも、その先だったり恋愛ではない関係性だったりを知りたいし書きたいんですよ。


一つ何かに興味がわくと、そこから芋づる式に新しい世界に出会いますよね。結婚式で、大量の缶からをたくさん引きずって走っていく車があるじゃないですか。あれみたいに、どんどん増える好きなものをがらんがらん引きずりながら歩いているから、もう大変(笑)。世界が広がったおかげで書けることもありますけど。ただねえ、好きなものがたくさんあると毎日忙しくて大変なんです。寝てる時間もなければ仕事している場合でもない。でも働かないと推しに貢げないという……最近は、私はお布施(?)をするために働いているんだなって、解脱の(?)境地に至っています。


三浦しをんの経歴・略歴

三浦しをん、みうら・しをん。日本の小説家。東京都出身。早稲田大学第一文学部演劇専修卒業後、外資系出版社、書店員などを経て小説家デビュー。直木三十五賞、本屋大賞、織田作之助賞を受賞。