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三宅裕司の名言

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三宅裕司のプロフィール

三宅裕司、みやけ・ゆうじ。日本のコメディアン、俳優、司会者。東京都出身。明治大学経営学部卒業。「大江戸新喜劇」を経て「スーパー・エキセントリック・シアター」を旗揚げ。舞台、ラジオ、バラエティ番組、テレビドラマ、映画などで活躍。

三宅裕司の名言 一覧

20代の後半から30代にすべきことは、自分にとってブレない価値を見つけること。どんな仕事をしていても、それが一番大きな目標になるんじゃないでしょうか。「これが自分の道だ」と信じられないと、心が折れてしまいますから。


立ったり歩いたりっていう、これまで無意識にしていたことも出来なくなって初めてありがたみがわかりました。

【覚え書き|手術と入院を振り返って】


最初につまずいておいて、よかったんだよ。将来でかい仕事の時に失敗したら大変なんだから。

【覚え書き|失敗した後輩に対して】


今の売れている芸人さんたちも、30歳を過ぎてやっと認知してもらえるという状況ですから。一部のスターを除けば、芸歴15年以上で知られるようになる人がほとんど。その間、みんなバイトして、生活を支えています。「これが自分の道だ」と信じられないと、心が折れてしまいますよ。


「最悪、舞台は一生無理かもしれない」とお医者さんに言われた状況から1年ぶりの舞台。今は稽古に向かう道すがらも、打ち合わせでスタッフとあれこれ言うのも、全てが嬉しい。一瞬一瞬に喜びがありますね。


物を作ってお客さんに提供する企業でも同じだと思います。仕事する喜び、物事を決断する時の基準として、その場の環境、給料、将来性の中に、「私たちの作っているものを提供したら、お客さんがどれくらい幸せを感じるのだろう」というモノサシが含まれてくる。そして、お客さんの反応に対して自分が喜びを感じられるかどうか。努力を褒めるのではなく、結果を噛みしめること。芸能界は、お金よりも先に仕事への喜び感が大きくないと続けることのできない世界です。


実は言うと、僕は30代半ばから後半にかけて、「俺たちひょうきん族」への出演のオファーをいただき、欽ちゃんファミリー入りを誘われたこともありました。芸能界で生き抜くという視点で考えれば、勢いのある番組に乗っていくのも選択肢のひとつだったかもしれません。でも、僕はどちらの誘いも断りました。スーパー・エキセントリック・シアターの座長でしたからね。みんな、三宅カラーを勉強していたのに、その座長が他の人のカラーに染まっちゃうというのは、劇団員に申し訳ないでしょう。


笑いというのは時代とともに変化するものです。今のお客さんが求めているものが、素の生き様であるなら、それはそれでいいと思います。しかし、僕は自分を育んでくれた東京の笑いをやりたくて芸能界に入った以上、豊かな財産を残していきたい。先輩たちが灯してくれた火が消えてしまったら、申し訳ないと思い、「絶対になくさないぞ」という気持ちでスーパー・エキセントリック・シアターや伊東四朗一座、熱海五郎一座を続けているわけです。


僕が子供の頃から慣れ親しんできた東京の笑いには、立ち回りやアクション、歌やダンスがあり、そのレベルが高ければ高いほど、かっこ悪いバカバカしさでのずっこけた時の落差が大きくなるわけです。しかも、舞台が終わり、楽屋から出ていく役者は物静かなもの。その温度差がかっこいい。全ては舞台上の芸であって、実際の人間はつまらない人間だよ、と。そういう気取りみたいなものが、東京の笑いだと思うんですね。


僕は、28歳で劇団スーパー・エキセントリック・シアターを結成し、常に「東京の笑い」を追求してきました。今の若い人達には、面白いものに大阪も東京もないという感覚があるかもしれません。しかし、大阪と東京の笑いには、違いがあって、それぞれの良さがあります。たとえば、大阪は芸人さんの生き様そのものが、みなさん面白い。一方、東京の喜劇人は、ちょっと気取っているというか、かっこ良さと、ずっこけるかっこ悪いバカバカしさの落差で笑いを作り上げていく。


手術後の入院中に実際に劇場を押さえて、作家に台本を発注して、キャスティングも決まり、演出的にもアクションあり、音楽もありというシーンを作っていきました。そうなると、絶対、稽古の始まる5月までには立ち回りをできる体にしなくてはいけない。先に新聞で発表してしまったのは、リハビリに挫けそうになる自分を元気づけるためでもありました。


伊東四朗一座の最初の立ち稽古の時、伊東四朗さんはすでに台本をすべて覚えてきました。すると、普段通り、台本を片手に持って稽古をしながら動きとセリフを合わせていくつもりだった若手は、プロの姿勢に圧倒されるわけです。伊東さんは叱るでもなく、「これはオレのやり方だから、いいんだよ、みんな自由にやって」と言ってくれます。でも、こうも話してくれる。「だけど、台本を持って立ち稽古していたら、台本を持っているほうの手が使えないじゃない。立ち稽古は体を全部使ってやるもので、オレは片手が使えないのは嫌だから覚えているんだよ」と。すごくやさしい口調ですけど、内容は厳しい。「まだ稽古だから」というのは、甘えだと気づいた人は反論できないし、「台本持ってやるのが自分流です」とも言えない。軸を持って仕事をしている人の説得力。お客さんにより良い舞台を見てもらうために、最高の準備をする。こういう仕事への取り組み方をしている人が、プロだと思うんです。


僕は東京の下町ど真ん中の神田神保町で生まれ、日本舞踊を教えている母や落語好きの叔父や元松竹歌劇団の叔母のいる大家族の中で育ち、浅草で喜劇コメディを楽しんできた下地があります。大学の落研では、ひとりで演じて700人のお客さんがどーっと笑う快感を知ってしまいました。こうした幸せな環境のおかげで、一般の方が20代、30代で探していく自分なりの軸、価値観を人より早く固めることができたのだと思います。人を笑わせること、音楽や踊りが一体となった舞台のすばらしさ。すごい芸を持った人たちをたくさん見てきたことで、お金は後からついてくるという考えが育まれていきました。


入院中に改めて感じたのは、家族の温かさです。とくに女房は毎晩、晩ご飯に同席してくれました。僕は病院食、女房はうちから持ってきたお弁当。別に何を喋るわけでもないんですが、僕は入院していても「三宅裕司」という意識があって、病院関係のみなさんに感じよく接しなければいけないと思ってしまう。その見えないストレスが、女房と二人きりになり、愚痴に変わって出ていくことで、初めてほっとする。そういう場と時間も持てたのは、入院中の大きな支えになりました。人生の中での女房の大きさに気づきましたね。そういうのって病気にならないと経験できなかった気持ちで。この経験によってこれから先、今までの芝居作りとは、多少違うところが出てくるかなと思っています。


入院中、僕はテレビのバラエティ番組にはほとんどチャンネルを合わせませんでした。みんなが元気に活躍しているのを見るのが、ちょっと辛かったですからね。もっぱらニュースやドキュメンタリー、旅番組。その中で、震災にあった東北の人たちがあんなに大変な状況の中、笑顔で頑張っている姿を何度も目にしました。比べるのはおかしな話ですが、「俺の今の状態なんか大したことないな」と。


昨年の夏、椎間板ヘルニアの手術をしました。それから約半年の間、この世界に入って初めて仕事を休止したんです。僕自身は、3か月も休めば大丈夫だろうと思っていたんですが、実際には手術したお医者さんから事務所へ「最悪、舞台復帰は無理かもしれない」という話があったそうです。ただ、事務所のスタッフは僕が希望を持ってリハビリが出来るよう、伝えずにいてくれました。その話を知ったのは復帰できる見通しがたった12月の頭くらい。聞いた時には、「やっぱりそうだったか」という感じでしたね。というのも、今も継続中のリハビリがかなり時間のかかるものなので簡単な症状ではないのだろうなと察しはついていました。筋力を戻しながら、一時止まってしまった神経を通していく……というとわかりやすいですが、神経が戻る速度は1日1ミリのペース。当初は立って歩いて座るという当たり前にできていた動作ができないところから始まり、日常生活を送るのに支障のないレベルへ。今は舞台で手術前よりも動ける体を目標にしています。


三宅裕司の経歴・略歴

三宅裕司、みやけ・ゆうじ。日本のコメディアン、俳優、司会者。東京都出身。明治大学経営学部卒業。「大江戸新喜劇」を経て「スーパー・エキセントリック・シアター」を旗揚げ。舞台、ラジオ、バラエティ番組、テレビドラマ、映画などで活躍。

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