名言DB

9412 人 / 110637 名言

一休の名言

twitter Facebook はてブ

一休のプロフィール

一休宗純、いっきゅう・そうじゅん。一休禅師として名で親しまれている室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧、漢詩人。6歳で京都安国寺の老師像外集鑑に入門。若干13歳のころから漢詩の才能を開花させた。その後、何人かの師のもとで修業し、寺を出て詩作と書画中心の生活に入る。応仁の乱後、後土御門天皇より大徳寺第47代住持に任命され、寺の外に住みながら大徳寺の再興に尽力した

一休の名言 一覧

門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし


自心すなわち仏たることを悟れば、阿弥陀願うに及ばず。自心の外に浄土なし。


極楽は西方(さいほう)のみか 東にも 北道(来た道)さがせ 南(皆身)にあり。
【覚え書き|極楽は西だけではなく東にも北にも南にもある。自らの歩んできた道を振り返り、自分の心の奥底を見つめれば、皆の身の内に極楽がある】


一休の経歴・略歴

一休宗純、いっきゅう・そうじゅん。一休禅師として名で親しまれている室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧、漢詩人。6歳で京都安国寺の老師像外集鑑に入門。若干13歳のころから漢詩の才能を開花させた。その後、何人かの師のもとで修業し、寺を出て詩作と書画中心の生活に入る。応仁の乱後、後土御門天皇より大徳寺第47代住持に任命され、寺の外に住みながら大徳寺の再興に尽力した

他の記事も読んでみる

魚谷雅彦

資生堂の問題は、あらゆる商品に資生堂ブランドを付けたことにある。化粧品だけを扱っている時代は企業とブランドが一緒でもよかったが、(シャンプーなどの)トイレタリーまで商品を広げる過程で、資生堂というブランドの価値が拡散してしまった。今後は、どのブランドに資生堂のロゴを付けて売るかを検討していく。


佐波正一

英国の企業でまず気が付いたのは、一般にボード(取締役会)の規模が小さいことでした。取締役は16から17人で、活発に議論できました。ところが東芝では、僕が役員になったときが27人で、その後に30人を超えました。しかも、日本では取締役の中にも、副社長、専務、常務といった階層があります。


石坂典子

大切なのは自分たちの仕事の本質を人に伝えていくこと。父は、いい仕事をしていたら、お客さんがついてきてくれるからという職人的な発想。だから一生懸命やっておけば間違いない、と言うんだけれども、地域社会は理解してくれないという面もある。お客さんもコスト主義で、廃棄物だから処理費用は安くしてくれと料金値下げを要求してくる。そうした体力消耗戦では、事業に必要な投資の原資が生まれてこない。だから、自分たちの仕事を可視化し、多くの人たちに見せるということをやりたかった。そういう父にやれていない事が、私にはできるのじゃないかなと思った。


吉川和宏(ホテルマン)

失敗はもちろんありますよ(笑)。以前、パーティー終了後に同じ名字の方が3人同時に玄関に出て来られて、どの車を呼べばいいかわからなくなったことがありました。結局、「申し訳ございません、下のお名前を教えていただけますか」と頭を下げましたが、こうして失敗すると、二度とそのお客様のフルネームは忘れませんし、下の名前まできちんと覚えることが教訓になりました。失敗を次に生かすのも、大事な記憶術だと思います。


神谷正太郎

神谷商事の設立とその失敗を通じて、ひとつの人生観を体得した。それは、過去のことにくよくよせず、大勢を見通したうえで、その流れに逆らわず、新しい人生を求めよという考え方である。
【覚書き:三井物産退社後、鉄鋼問屋神谷商事で起業するも、金融恐慌の経済混迷で廃業に追い込まれた時を振り返っての発言】


松田悠介

同僚の先生方と徹底的に話し合って現場を変えていくより、自分の理想とする学校をゼロからつくるほうがいいと私は考えました。学校を運営するには、リーダーシップやマネジメントが必要。それらを学べる日本の大学院はほとんどありません。アメリカの大学院を調べたら、わくわくするカリキュラムやシラバスがたくさんあった。英語は苦手でしたが、これしかないと思って留学を決めました。


長谷川健太

監督に求められるのは、何より人柄や人間性ではないかと考えています。ですから、自分自身がいかに人間として成長していけるか、というところに尽きるのではないでしょうか。


河合利樹

入社以来、毎日上司と一緒になって、がむしゃらに働いてきた。


小池利和

一度失敗しても懲りないところが、うちの会社のいいところですね。


星野佳路

社長に就任してから、とくに苦労したのが人材の確保です。リゾート運営も他のビジネスと同様に人材がすべてですが、職場が地方といった条件もあって人が集まらず、入っても年間6~7%は辞めてしまう。この比率を何とか下げなければと、退職を決めた人に話を聞き、その声を活かして管理職を立候補制にしたり1年間の海外留学なども認める学習休職制度を設けたりしました。目指したのはスタッフが自由な発想で行動でき、言いたいことが言える「フラットな組織文化」です。自由度が増すと仕事が楽しくなって定着率が上がり、辞めても戻ってきた人もいる。


稲本健一

好きなことにどれだけお金と時間を使えるかが、豊かさだと思う。時間が空けばすぐ海外にトライアスロンに行きます。その分、モノには興味がなくなりましたね。


岡野喜太郎

「馬鹿ッ」と一喝、怒鳴りつけられるかもしれない。そう思って仰ぐと、以外にも父の顔はなごやかで静かであった。「それで銀行が助かるなら、それで結構だ。お前の信ずるようにやりなさい。田畑はなくしても、また買うことができる。人様には絶対に迷惑をかけてはならない」あまりにも温かい父の言葉に、私の目からは思わず、熱い涙が落ち、感謝の言葉さえ、しどろもどろであった。
【覚書き|明治34年の恐慌によって駿東銀行が破たんしそうになったとき、実家の田畑を抵当に入れ他の銀行から資金を借りたいと父に頼みに行ったときを振り返っての発言】


錣山矩幸(元関脇・寺尾)

現役時代は次の場所を目指して目いっぱい稽古を積みましたね。引退するまで、稽古で流す汗の量だけは誰にも負けまいと決めていました。


大西賢

決断するときに、腹に落としてさあ行くぞと思ったときの重さというものが、とても大切だと思います。


古川裕倫

女性参画が世界で最低レベルの日本の会社文化を変えるには、トップの強いメッセージが必要だ。女性の活躍を「そのうち変わるだろう」「だれかが変えるであろう」としか捉えていない多くの男性中間管理職を変えないと、動きが加速しない。