名言DB

9429 人 / 110879 名言

リチャード・バックの名言

twitter Facebook はてブ

リチャード・バックのプロフィール

リチャード・バック。20世紀のイリノイ州生まれの米国の小説家、飛行機乗り、経営者。アメリカ空軍で戦闘機の飛行士を経て、曲芸飛行士、航空機技師となる。その後、小説執筆に取り掛かる。世界的な大ベストセラー小説『かもめのジョナサン』の著者。同小説の大ヒット後は印税を出資して小さな航空会社を設立し各地を飛び回る生活をしている

リチャード・バックの名言 一覧

私にとって年齢は関係ありません。それが16歳であろうと、460歳であろうと関係ないことなのです。
【覚書き|齢をとっても小さな航空会社経営者として、飛行機乗りとして各地で活発に活動しているリチャード・バックに、ある人が「いつまでもお若いですね」と言った時の返答】


ホームとは、人間にとって一番心の束縛を感じないですむ場所をいいます。だから、私にとってホームとは、雲の上です。
【覚書き:活動的でいつも様々なところを飛び回っているリチャード・バックに日本人作家、城山三郎が「あなたのホームはどこですか?」と尋ねた時の返答】


僕は意外な贈り物が嫌いなんだ。君に言わなかったのは悪いと思うけどびっくりするような贈り物は大嫌いでプレゼントには見向きもしない。欲しければ自分で買うさ。だから持っていないということは欲しくないということなんだ。定義の上ではね。君が僕にプレゼントをするということは欲しくないものをもらうことになるんだ。だから返したってかまわないよね?


愛すべき尊敬する人を見つけて、その人のために自分の人生を送ったら、僕たちは最も暖かいベッドを手に入れられるのです。


リチャード・バックの経歴・略歴

リチャード・バック。20世紀のイリノイ州生まれの米国の小説家、飛行機乗り、経営者。アメリカ空軍で戦闘機の飛行士を経て、曲芸飛行士、航空機技師となる。その後、小説執筆に取り掛かる。世界的な大ベストセラー小説『かもめのジョナサン』の著者。同小説の大ヒット後は印税を出資して小さな航空会社を設立し各地を飛び回る生活をしている

他の記事も読んでみる

内海桂子

今も浅草で都々逸などを披露しています。ゲストの方と漫才をやることもあります。同じネタでも全く違う雰囲気になるし、相手を思う心ひとつで、最高にも、最悪にもなる。それが芸も人生も、面白いところね。


野坂英吾

私にとって企業家精神とは、「不可能を可能にしていくこと」ですね。このテーマは身近なところにたくさん転がっています。大革新ばかりが目立ちますが、身の回りの些細な事柄でも構いません。大切なのは、実際に挑戦することです。


小林弘幸

疲れない身体を作るには、血流と血の質を良くすることが決め手。そしてそのためには、血流を司る「自律神経」のバランスと、血の質を左右する「腸内環境」を整えていくことが不可欠。


ナポレオン

作戦計画を立てることは誰にでもできる。しかし、戦争をすることのできる者は少ない。なぜなら、できごとと状況とに応じて行動するのは、軍事的天才でなければできないことだからである。最上の戦術家が将軍として、ともすれば凡庸であったりするのはそのためである。


歌田勝弘

幹部間のコミュニケーションは良くしておかないといけません。首脳陣に意見の違いがあると部下にいろんな弊害が出ます。


鈴木亮平(俳優)

自分で言うのは何ですが、西郷(隆盛)さんの優しさと負けず嫌いが共存している性格は、僕と共通しているかもしれません。逆に違うのは目です。文献を読むと、西郷さんは黒目の部分が大きくて、見ている人が吸い込まれそうになるくらいの深さがあったそうです。でも、僕は正反対の細い目なので(笑)。でも、振り返ってみると、歴代の大河ドラマの主演の先輩方も、必ずしも肖像画に似ていたわけではありません。自分が持っていないものを追いかけても仕方がない。むしろ自分の目を活かして、西郷さんの慈愛に満ちた面を表現したいです。


夏野剛

仕事が遅い人は、「15分では仕事が中途半端になるからやめよう」と言ってダラダラ過ごしてしまう傾向があります。15分では仕事が中途半端になるといいますが、仕事はそもそも短時間では終わらないものなので、途中で終わってもいいのです。15分でもいいから先に進めることが大事です。


菅野宏三

私は73歳で年金をもらう身ですが、週3日は再就職支援の仕事をしていますし、それ以外にもテレビに出演したり、新聞や雑誌に頻繁にコメントを出したり、講演だってやっています。社会とつながっていたほうが元気でいられるし、稼いでいれば、孫に何か買ってあげていい顔ができるし、女房に粗大ゴミ扱いされることもありませんから。


藤田近男

先代(創業者、中島董一郎氏)とは42歳の年齢差がありました。入社したときは先代を含めて社員はわずか5人。20年以上も一緒に仕事をし、マンツーマンで教育してもらいました。厳しかったが、それでも一回目の失敗は許してくれました。企業に失敗や敗者復活を許す風土がないと、やっぱり社員は育ちません。


本田宗一郎

はんぱな者どうしでも、お互いに認めあい、補いあって仲よくやっていけば、仕事はやっていけるものだ。