ヨシタケシンスケの名言

ヨシタケシンスケのプロフィール

ヨシタケシンスケ。日本のイラストレーター、絵本作家。神奈川県出身。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。『りんごかもしれない』で絵本作家デビュー。数々の賞を受賞。

ヨシタケシンスケの名言 一覧

絵本の魅力の一つは、大人になってからも読み返せて、しかも子供のときには気づかなかったメッセージを改めて発見できること。僕の絵本もそうであってほしいのですが、のちのち読み返してもらうためには「なんか面白い」という引っかかりを持ってもらわなくちゃいけない。


幼いときに読んだものが、大人になってから、子どもができてから……と、その人にとって、いろんな年代のなかで向き合わざるを得なくなる本になれば、さらにうれしい。


この本(作品)たちが好き勝手に育っていってくれたら一番うれしい。こちらが予想していない面白がり方をしてもらったり、想像もしていない人のもとへ行くことができたら何よりです。


「面白いと感じたことを素直に描く」という当たり前のことが難しい。どうすれば世界を面白いものだと感じられるのか、というのは、結局のところ自分をどうすれば救えるのかということなんですけどね。小さな幸せは人を裏切らないんです。あ、なんかいいこと言っちゃったかも……。


人がつくるものって、どこかでみんな感情移入できるので。本というのは、昔から人間がずーっとつくり続けてきたもの。そういう意味で、本はどこか人っぽい感じがして。そんなところもまた本の間白さなんですよね。


ちょうどうちの子がよく言ってたんですよ。「つまんない、つまんない」って。イラッとするわけですよね、親としては(笑)。でも、「あー、言ってたわ、僕も」というのを思い出して。昔、よく言って怒られていたわって(笑)。で、自分でどうにかするわけないんだよなって。

【覚え書き|絵本「つまんない、つまんない」を描いたきっかけについて】


結局、人のことはよくわかんないよね。だから「つまんない」というのも、どうつまんないか、本人にしかわからないし、周りの人がどんなに面白くても、自分がつまんなかったらつまんないわけで。誰にもわかってもらえないつまんなさをどうすればいいんだろうという根本的なことを、どうにか面白く言えないかなって。


世の中の争いごとの9割は、「そんないいかたしなくても」に起因しているんじゃないですか。とくに子供は大人の高圧さに敏感だし、僕も幼い頃に読んでいてつまらなかった本はやっぱり説教くさかった。だけど言葉尻を変えるだけですんなり心に入ってくるし、言い方のバリエーションを増やしておけば何事も円滑に回る。


いろんなことを突き詰めて考えていくと、結局、人それぞれだよねって一言に尽きるじゃないですか。他人のことはその人にしかわからないし、自分のことを誰にわかってもらおうというのも、どだい無理な話。そんな当たり前のことを、子供にきちんと伝えてあげることも大事なんじゃないかと思います。


子供という世界一飽きっぽい生き物に、物語を読み通してもらうのって、すごくハードルの高いことなんですよ。ついついページをめくりたくなる仕掛けは1ページごとに必要だと思いますし、僕にとって絵本というのはエンターテインメントなので最後まで笑って読んでほしい。本質的なことはわからなかったとしても、「なんか面白い」と感じてもらいたいんです。


僕の中ではヘンリー・ダーガーがある種の憧れで、死の直前まで存在さえも世間に知られていなかった彼のようにただ好きなものを描き、後に偶然見つけた人に「いったいこれは誰が描いたんだ」と思ってもらえるのが理想です。でも、描いている以上、やっぱり認められたい欲はゼロじゃないし、年を重ねるとつい教訓めいた「いいこと言っちゃいたい欲求」に駆られることもありますが、やっぱりそれをやっちゃうとダメだと思うんです。だから僕の絵や本を見た友達に「楽しそうにやってるねえ」と言われたときはとても嬉しかった。


世の中で大事だとされていることと、くだらなくてどうでもいいとされていること、その両方にちゃんとアプローチしたい。同じ熱量でその両方に取り組むことで、大事だと思われていることはホントに大事なんだろうか、くだらないと思われていることはホントにくだらないんだろうかという問いが出てくるんじゃないかと。その振れ幅によって、自分の表現の幅みたいなものを広げていきたい。


多くいただいたのは、「うちの子に読ませていいのかどうか、迷っているんです」というお父さん、お母さんの声。テーマがテーマなだけに、これまでの僕の本と印象を異にされることは予想していたのですが、それはすごくいいことだと思って。「迷った」ということは考えたということなんですよね。じゃあ、どういう形で? 何歳になったら? 死というものを子どもに教えるのが理想的なのか、ということを。「やっぱりまだ早いよね」とページを開かずとも、そこで考えざるを得なかったこと自体、この絵本をつくった意味があったんだ、と思いました。
【覚え書き|死をテーマにした絵本『このあと どうしちゃおう』について】


発想の引き出しが自分の中にはたくさんあって、そこから新しいものが生み出されていると思っていたんです。けれど最近、そうではないんじゃないのかなと気付いたんです。新しく生み出すというより、思い出して編集し直す作業に近いんですね。言葉にならない状態の考えや気持ちがいろいろあって、それをどういうキーワードで組み直すか。たとえていうと、冷蔵庫のなかにある材料だけで、その日やって来るお客さんに喜んでもらえるような料理を作る感覚。新たにレシピ本や食材を買いに行ったりはせずに、自分のなかにあるものだけで形にしていくのが僕は好きみたいです。


隙間が空いているという言い方を僕はするんですけれど、合間、合間に読んでいる人の経験だったり、感情だったり、「私だったらこうしちゃうけどな」みたいなものが入ってきてくれたら、なんかうれしいなと。がーっと入り込むのではなく、常に片足だけ突っ込んで読むような、自分と照らし合わせながら読むような現象が起きてくれたらいいなと思っています。


僕は絵本をつくるとき、大人、子供の両方に重要度の高いものを選ぶのが好きなんです。物の考え方や発想法は大人子供に関係なく、大事なことだと思うので。日常のなかで何か面白いことを探していこうとすると、その発想は、じゃあ、何がつまんないんだろうというところに行き着くはず。だから子供が「つまんない」と口にするのは真っ当なことなんですよね。要は「世界が僕を楽しませてくれない」ということに対するクレームなのだから。


「こういうの、みんな好きでしょ?」ということが僕にはできなくて。だからまず自分が好きなものを、自分を面白がらせるために描く。それが、たまたま他の人も喜んでくれた、同じような気持ちになってくれた人がこの時代にたくさんいてくださった。そのことが、来世の運まで使い果たしちゃったくらい(笑)、僕にとって幸せで。


正直、僕はなんの不自由もなく平和に育ってきた人間ですし、トラウマや強い主義主張があるわけでもありません。昔はそういうものがなければ作家になんてなれない、と思い込んでいたんですが、今は、当たり前のことを声を大にして言う、そのこと自体がひとつの創作活動だと気づきました。「不幸ではないけど日々小さなことでイライラしてます。ままならないこともたくさんありまーす!」って(笑)。そんな中で僕が見つける日常の面白さを、これからも絵本という媒体で表現していきたいです。


僕は根がネガティブで小心者なんです。「ポジティブになれ」と言われたって、「わかってるけど無理だよ!」としか言いようがない。だけど、落ち込んだままでは生きていかれないから、この世界をどうにか面白がっていくしかないんです。発想を転換することは、ネガティブな自分を変えなくてもできること。むしろネガティブだからこそ、より希望を見つけていけるんじゃないかと思います。僕自身、絵本を描くことでなんとか自分を救うことができているけれど、そのとっかかりを見つけられずにいる人たちが、僕の絵本を読んで少しでも楽しい気持ちになってくれたら嬉しいですね。


ストレートにそれを書いても「わかってるよそんなこと」と言われるだけなので、伝わるための言い方を考えなくちゃいけない。そのうえで、読んでくれた人が「自分だったらどうだろう」と経験にあてはめて考えてもらえたら嬉しいですね。そのためのヒントを、僕は絵本の中にちりばめているつもりです。答えを押しつけるのではなく、自分に足りない何かを拾うとっかかりをつくってあげる。絵本を通じて、僕はあくまで提案をしているだけなんです。「あの、よろしければこんなのもありますけど」って(笑)。


僕が絵本をつくるときに大事にしているのが皮層感覚なんです。なんだか気持ちよさそうとか、つらそうとか、誰にでもわかる表現が入っていると、子供も「自分のこと」として読んでくれると思うんです。あーわかるわかる、と頷いているうちにうっかり他の部分にも耳を傾けてくれる、そんな構造をめざしています。そしてその感覚って、案外大人も子供も変わらないんですよね。転んだら痛い。自分を否定されたら悲しい。だけどその逆はすごく嬉しい。そんな「同じ」部分を見つけて寄せ集めていくうちに、何か世界の秘密のようなものに近づいていける気がするんです。


人が死について語れるのは、元気なときだけなんですよね。死が間近に迫っている状況では、怖くて口にすることもできないですから。だけど何でもないときに話題にするのは縁起でもないと言われてしまうので、結局、死についての価値観を大切な人と共有できずに別れてしまうことがほとんど。そのせいで、もっとああしてあげればよかったとか、本当はどう思っていたのだろうとか、遺された人たちの後悔につながってしまう。だけどもし生きているうちから、「私はケーキが好きだから、仏前にはケーキをお供えして」とか、冗談半分でもいいから「死んだあとの希望や意向」について、大事な人と話ができていれば、死後に叶えてあげられる。僕は27歳で母を亡くした際、そのことをひどく痛感しました。東日本大震災が起きて、人はいつ死ぬかわからないという現実をつきつけられたときに、改めて母やその後の父との別れが思い起こされ、あのときこういう絵本があったらよかったのにな、この本が親子でそういう会話をするきっかけになってくれたらいいな、という気持ちを込めてつくりました。

【覚え書き|絵本『このあとどうしちゃおう』について】


(『デリカシー体操』は)勝手に面白がってくれればいいなといった類いのものなんです。人間が生きている中で、他人と共感する安心感と言ったらいいのでしょうか。そういうヒントになってくれればいいなというのが本音なんですよね。もっとも読者の方から「ここが面白いよ、と人に見せても、絶対に同意してもらえない」という話を聞くこともあります。同じ人でも、日によってピンとくる絵が違っていたりするらしい。共有できているようで微妙に共有できてない(笑)。そういうフワフワしたものです。


プロになったあとも、日常で気になったことを手帳に描き留めるスケッチを続けてきました。ノルマがあるわけではなく描きたいときに描いている感じです。仕事が忙しいときに描いてしまうのは、試験前に掃除をするのと似ていると思います。そもそもこれは僕にとって物事を面白がる訓練のようなものなんですよ。「どうでもよすぎて、すぐに忘れちゃう」ようなことをずっと描き続けてきました。


書店員さんたちからは「これ(『デリカシー体操』)、どこの売り場に置けばいいのかわからない!」と言われます(笑)。それがまさにこの本の存在価値なんですけど、同時にウィークポイントであることは間違いない。「好きだけど売りにくい」と指摘されたら、まあそうでしょうねえと言うしかないのが本当に申し訳ない。絵本を出すようになってからサイン会をすることもあるんですが、子供たちがギョッとしてます。絵柄に似つかわしくない大男であることも申し訳ないと思っています(笑)。


ヨシタケシンスケの経歴・略歴

ヨシタケシンスケ。日本のイラストレーター、絵本作家。神奈川県出身。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。『りんごかもしれない』で絵本作家デビュー。数々の賞を受賞。

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