プラユキ・ナラテボーの名言

プラユキ・ナラテボーのプロフィール

プラユキ・ナラテボー。日本人のタイ上座仏教僧。埼玉県出身。上智大学文学部哲学科卒業後、タイのチュラロンコン大学大学院に留学し「農村開発におけるタイ僧侶の役割」について研究。瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとで出家。タイのスカトー寺副住職を務め、自らの修行と瞑想指導に取り組んだ。著書に『「気づきの瞑想」を生きる タイで出家した日本人僧の物語』『苦しまなくて、いいんだよ。』ほか。

プラユキ・ナラテボーの名言 一覧

固定的な見方にはまることなく、常に柔軟な心で生きられれば、人生はそれほど深刻なものではない。


戒律やルールを守ることが、心の自由を得るための「忍耐力」「受容力」「覚醒力」を培うことにつながる。


心の動きに気づく力が培われてさえいれば、たとえネガティブな思考が生まれてきても、すぐにそれに気づいて現実に立ち戻ることができる。


自分自身がキーパーソンだと気づいたとき、現実を変えていく力が取り戻される。


一人でも多くの人々の心に、気づきの光が灯されんことを。小さな光の集いが、暗い世相を明るく変わりゆかしめんことを。


失敗体験を素材に「後悔物語」や「自己否定物語」を心の中で紡げば、心は憂鬱になって落ち込む。同じ体験を「教訓物語」として編(あ)んでいくことができれば多くの学びを得ることになる。


「今」というこの瞬間に恐ろしい未来のイメージを描けばその自ら描いたイメージや物語によって苦しむことになり、逆に希望のイメージや物語を紡ぐことができれば、それによって明るい気分になってくる。


仏教では、まだ来ぬ未来の結果をあれこれと妄想し、今なすべきことをおざなりにしてしまうのを「欲(タンハー)」、それに対して、「今ここ」になすべきことをしっかりと行おうという行動モチベーションを「意欲(チャンタ)」と分類し、「精進」へとつながっていく後者を推奨しています。


人の幸不幸の原因は外側の現象にあるのではない。受けとめる側の心の器の大小による。心の器とは、生じてくる現象を受容できる力といえる。


日本人はみずからの心の安定はさておき、相手への思いやりを優先する傾向がある。それが礼儀正しさや責任感の強さといった評価にもつながっていくのであろう。しかし相手の気持ちを慮(おもんばか)るためには、思考を働かせねばならない。それがときにクリアット(心配しすぎ)となり、「心配事」や「気がかり」が多くなって悩みがちになるゆえんでもあろう。


最新の認知行動療法の知見によれば、「反芻(はんすう)思考」というものが不安障害やうつ病を発症、持続させてしまう一番の要因とみなされるようになってきたそうである。少し前までは、うつ病の主因は「認知の歪み」にあり、それによって生ずる抑うつ気分が問題とされていた。しかし実際は少々の抑うつ気分が生じてきても、そこで思考を停止させてサッと流せれば問題がないということが分かってきたのである。まさに、抑うつ気分が生じてきたときに「クリアット(心配しすぎ)」になるか「マイペンライ(気にしない)」で済ませていけるかが、「悩む人」になるか「悩まない人」になるかの分かれ目だということになる。


タイ人から見た日本人は、「礼儀正しい」「責任感がある」「勤勉である」とおおむね高評価だが同時に、「日本人はクリアットだ」ともよく言われる。「クリアット」は「心配しすぎ」「考え込みすぎ」といった意味あいを持つ。後先のことを考えすぎて深刻に悩みがちになるという印象を、タイ人は日本人に感じ取っているようである。


仏教的な観点では、多くの財産を有し、なんでも恣(ほしいまま)にできる人を「自由な人」とはみなさない。煩悩や欲望などの心の奴隷になっている人は、どんなに財に富んでいても「不自由な人」である。


“責任をとれる人”とは、“相手のせいにしない人”である。相手に責任転嫁したとき、「あなたが変わらないかぎり私は変われない」と相手に主導権を渡し、みずからの苦しみや納得のいかない現実を自分で変えていく可能性を放棄してしまうことになるからだ。


現実生活においては、会いたくもない人、聞きたくもない言葉とも遭遇せざるをえない。だが、私たちの受けとめ方次第で、そうした「逆縁」もそっくりそのまま、自身の成長のバネや糧に転換することが可能だ。そうしたとき、すべての体験は「成功の元」となり、触れ合う人すべてが「わが師」ともなりうるのである。


仏教では苦しみをテーマにするが、それはただやっつけるべきものとして位置づけられてはいない。その苦をしっかりと認識し取り組んでいくところから、真の自由が、また智慧や慈悲が生まれる、と説かれている。まさに「敵でありながら味方」なのである。


ブッダの教えのひとつに「苦諦(くたい)」がある。一般的には、「人生は苦であると悟る」と解釈されているが、実は違う。苦諦とは、「『苦がある』ことと、『苦しんで生きる』ことは異なる」ということの看破である。すなわち、苦はあくまでも現象として生ずるものであり、私たちはそれに苛(さいな)まれて生きる必要はない。そうブッダは言い放ったのである。


「……やぶ蚊だって、マラリア蚊だって、みんな、みんな、生きているんだ、友だちなんだ!」出家したてのころ、森の中で何十匹もの大ぶりの蚊に刺されながら坐禅を組み、その猛烈な痒みに耐えるとき、私がよく心の中で口ずさんでいた歌がこれ、「手のひらを太陽に」の替え歌だった。この歌を口ずさむと、生きるために必死になって血を吸っている蚊の姿がなんだか愛おしく見えてきて、不思議に痒みが軽減していった。穏やかでやさしい気持ちがふつふつと胸に湧き上がってくるのを感じ、私の心はみるみるうちに満たされていくのだった。


欧米では、誰もが瞑想の実践によってクオリティ・オブ・ライフの実現が図れるとの認識が定着している。ブッダの「気づきの瞑想」は「マインドフルネス・トレーニング」と呼ばれ、精神医療の現場では有効なストレス軽減法として、また、グーグルやインテルなど多くの企業では社員のメンタルヘルスと仕事のパフォーマンス向上を目的として、取り入れられてきている。


大変なできごとに遭遇したとき、それを人生の糧として生かしていける人と、それを苦にして心を病み自殺にまで至ってしまう人がいる。その違いは、あらゆる「出会い」を「良き縁」として生かしていけるか否かという「心のリテラシー」にあるように思う。


苦しみに苛まれたとき、破壊すべきは身体ではなく自我という構築物であり、終わらせるべきは生身の命ではなく思考の物語のほうなのだ。私たちは、苦しみから自由になるためにみずからの身体を殺める必要はない。ただ、心に適切に対処していけばよいのである。


時代を変えるほどの仕事を誰もがすぐに成し遂げられるわけではない。しかし、「真」と「善」という価値を加味した生き方なら、今ここから誰にでもできる。


生存競争を生き抜くために身体的な強さが何より重要な動物と異なり、社会生活を営む私たち人間は、身体的な力以上に精神的な力がものをいう。それは、私たち誰にとっても求められている力といっていいだろう。


欲望という厄介な力に打ち克つためにはどうしたらいいのだろうか? 「忍耐は煩悩の炎を焼き尽くす最高の力である」というブッダの言葉がある。「煩悩」とは、怒りや欲のような心のネガティブなパワーを総称した言葉である。そういった心のパワーに抗しうるものこそが「忍耐力」であると、ブッダは説いている。


モノの多寡よりも心の徳を大切にし与え施すことを喜べる。家庭においても職場においても、自分よりまず人様を気遣い、和やかな表情、優しい眼差しで、温かい言葉がけができる。こうした人は、経営者としても一家の主としても、きっと周囲から厚い信頼を寄せられることだろう。さらに、家庭や企業の成員一人ひとりがこのような布施心を持ち、心豊かに生きる人たちであるならば、家庭も円満、そして企業も繁栄すること間違いないと思うのである。


布施の実践によって「私のモノが増える」ことより「相手の幸せが増す」ことに価値を見出すようになる。すなわち、「私」を中心とした見方が「相手」中心に移行するのだ。それは「自我的」な見方から「慈悲的」な見方への転換を意味する。


布施はお金や物品の供与だけを言うのではない。自分の力を貸したり知識を与えたりするのも布施である。『雑宝蔵経』という経典には、「無財の七施」といって、たとえ財産や地位はなくとも布施はでき、それによって周囲の人たちの心を和ませ、自身の徳を積むことができるという教えが説かれている。


「布施」の原語は梵語の「ダーナ」で、「他者に施し与える」ことを意味する。日本では一般に、僧侶やお寺への金銭的な寄付という意味合いが強い言葉だが、原義では僧侶や寺に限らず誰に対して施し与えることも布施になる。畑の野菜につく虫を殺さないことも、虫たちへの立派な食の布施だ、とみなす僧もいる。


「タンブン」とはタイ人がよく口にする言葉で、「徳を積む」という意味だ。タイ人にとって、托鉢僧に食事を施すことはタンブンの代表的な行為であり、与えることによって幸せの種まきができると信じられている。それは、ブッダによって説かれた「布施」の教えからきている。


「もらったら得、与えたら損」という「損得勘定」は、目に見える物質的なモノの多寡を基準とした見方である。しかし仏教では、与えたら損をするのではなく、徳を積めるとする。「得」が物質面の増減に着目するのに対して、「徳」は精神的な豊かさを測る基準と言っていい。すなわち「貧しさ」と「豊かさ」が、「得」ではなく「徳」の多寡で測られるようになったとき、その人の視野の中に、肉眼で見える世界だけでなく心の世界も入ってくるようになるのである。


頑固で融通が利かない人、固定観念に縛られて変化に適応できない人は、ストレスに見舞われやすいし、既成概念にとらわれてしまって新規なアイデアも湧きにくい。一方、瞬間瞬間の出来事や体験に対して、価値判断をせずに、意図的に注意を払うことができるようになっていくと、自分のフィルターを通してではなく今ここで起こっていることをあるがままに平らかな心で受け取れるようになる。すると、どんな出来事に直面しても、自身の色メガネや既成概念にとらわれない柔軟な発想で、事態を肯定的にとらえることができ、ストレス緩和効果や創造的なアイデアの発現が促されるのである。


瞑想とは、自分自身の心に気を配り、健全な関心を持って、どんな症状が生じてきてもひたすら見守り受け止めていく訓練である。そこから自分の心についての理解も自ずと深まっていく。それはまず、自身に大きな安心と自己信頼感をもたらす。また、こうして自身の心の内部で醸成された関心は他者へと向かい、相手を理解し共感していく力へと発展していく。


仏教では、物事にとらわれてしまうような関心のあり方、たとえば「気がかり」になってしまったり「心配」してしまったりするのではなく、平静な心で「気にかけ」たり「心配り」ができるようになったりすることを勧めているのである。なぜなら、いったんとらわれてしまうと、それは一気に「気疲れ」、すなわち心の苦しみになってしまうからである。


仏教で推奨される心のあり方として「捨(ウペッカー)」と呼ばれるものがある。これを「捨てること」=「無関心」ととらえて「仏道を歩む者はあらゆることに無関心になることが望ましい」と誤解されている向きもある。しかし、実際のところ「捨」とは、「無関心」ではなく「無執着」の意であり、何事にもとらわれず落ち着いて物事を平静に見守れる心境のことである。


人間誰しも老病死は避けられない。日々、思うようにならない多くの出来事にも遭遇する。そうした現象に翻弄され、悩み苦しんだりすることができる一方、同じ現象にも苦悩することなく、楽しく人生の滋養分にしていくこともできる。


通常私たちは、五蘊を「私である」「私のものである」と認識してしまうため、その衰えに苦しみ、やがて滅びゆくことに怯え、不安を抱くことになる。しかし瞑想を深め、それらを「私ではない」「私のものではない」と看破し「無我」を悟ると、五蘊が衰滅しようがそれが「私の死」とならない。苦しみも不安もまったく生じなくなる。
【覚え書き|五蘊(ごうん)=人間の五つの要素。「色・受・想・行・識(肉体・感受作用・表象作用・意志作用・認識作用)」】


プラユキ・ナラテボーの経歴・略歴

プラユキ・ナラテボー。日本人のタイ上座仏教僧。埼玉県出身。上智大学文学部哲学科卒業後、タイのチュラロンコン大学大学院に留学し「農村開発におけるタイ僧侶の役割」について研究。瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとで出家。タイのスカトー寺副住職を務め、自らの修行と瞑想指導に取り組んだ。著書に『「気づきの瞑想」を生きる タイで出家した日本人僧の物語』『苦しまなくて、いいんだよ。』ほか。

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