ニーチェの名言

ニーチェのプロフィール

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ。ドイツの哲学者。プロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセン出身。音楽と国語の優れた才能を認められてドイツ屈指の名門校プフォルター学院に特待生として入学。卒業後ボン大学、ライプツィヒ大学で学ぶ。その後、バーゼル大学で教授を務めた。大学を退職したのち、在野の哲学者として執筆活動に没頭し、多くの著作を残した。主な著書に『ツァラトゥストラはかく語りき』『悲劇の誕生』『反時代的考察』『人間的な、あまりにも人間的な』『曙光』『悦ばしき知識』など。

ニーチェの名言 一覧

断言すると、賛同してくれる。


汝の足下を掘れ、そこに泉がある。


愛したいと激しく求める念が私のなかにあって、それ自身が愛の言葉になる。


人は、常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある。


樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、それは果実だと誰もが答えるだろう。しかし、実際には種なのだ。


総じて値段がつくものは、すべて価値のないものである。


いつまでもただの弟子でいるのは、師に報いる道ではない。


最上の愛の杯のなかにも、苦いものはある。


苦しみをともにするのではなく、喜びをともにすることが友人をつくる。


今のこの人生を、もう一度そっくりそのまま繰り返してもかまわないという生き方をしてみよ。


合理性ばかり追求して心の余裕をなくし、人間らしい事柄をも無駄だと見なしていると、結局は人生そのものを台無しにする。


高く昇ろうと思うなら、自分の足を使う。高いところへは、他人に運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない。


困難に潰されなければ、人はその経験によって強くなれる。


疲れを感じたら、あれこれ考えずに、休むか、寝てしまおう。


誰からも好かれなくてはいけないなどと思わず、人には普通に接していた方がいい。


男たちは、自分の職業が他のいかなる職業よりも大切だと信ずるか、自分で思い込ませる以外に、その職業をもちこたえることはできない。


この人生を簡単に、そして安楽に過ごしていきたいというのか。だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。そして、いつも群衆と一緒につるんで、ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい。


ときには、遠い視野というものが必要かもしれない。たとえば、親しい友人らと一緒にいるときよりも、彼らから離れ、一人で友人らのことを想うとき、友人らはいっそう美しい。


ものごとを完成させるには、才能や技量よりも時間による成熟を信じながら絶えず進んでいくという気質が、決定的な役割を果たす。


脱皮しないヘビは破滅する。


人間にとって必要なことはただひとつ、自分自身に満足するということである。


人の上に立つ者は、個人のありとあらゆる美点をこころに書き留め、それ以外のことは消すという親切な記憶を身につけるといい。自分自身についても同様でありたい。


一人では正しいかどうかはわからない。真理は二人から始まる。一人では自己を証明できない。しかし、二人になると、もう反駁できない。


天賦のこと、生まれつきの才能のことなど語るな。天賦のなかった偉大な人物はたくさんいる。彼らは偉大な能力を獲得し、いわゆる天才になったのである。


愚者は良い暮らしを得ても、それよりもっと良い暮らしを求める。


暇人を友とするのは危険である。彼はすることがあまりないので、友人たちについてあることないことをしゃべり、余計な口出しをする厄介者となる。だから、勤勉な者だけを友とするのが賢明である。


偉大さとは、方向を与えることだ。どんな河も自分自身によって大きく豊かなのではなく、多くの支流を受け入れて進むことによってそうなるのである。あらゆる偉大なる精神についても同じことがいえる。肝心なのは、のちに多くの支流が辿ることになる方向を示すことである。


私はひとつのモットーに思い至った。それは、与えられた生活を与えられるがままに享受し、決してこれから起こるかもしれない苦難を思いわずらうなということである。とにかくこれが、私がプフォルタで学んだ最大の人生訓だ。苦い思いに苦しめられたり、ひどいホームシックに心が苛まれたり、行く春に心を痛めたり、憂愁に思い沈んだりしたとき、このモットーがひとつの花飾りのように過去の廃墟の間を縫って延びてくる。
【覚書き|プフォルタとは全寮制の名門中高等学校プフォルタ校のこと】


我々は自分の趣味に合うものを褒める。つまり、我々が何かを褒めるとき、自分の趣味を褒めているのだ。


病気であることは教訓に富んでいる。健康であることよりも教えるところが多い。


ある人間の高さを見ようとしない者は、それだけしげしげと鋭くその人間の低さや上っ面に目を向ける。そして、そうすることで自分自身をさらけ出す。


常にいつも、汝自身であれ。汝自身の教師、彫刻家であれ。


学者は本をあちこちひっくり返して調べるだけで、しまいには自分の頭で考える能力をすっかり失ってしまう。本をひっくり返さなければ、何も考えられないのだ。


学問によって確認されるのは真理なのだろうか。むしろ、自分で自分を確認しているだけなのではなかろうか。


アメリカ人の息せき切った慌ただしい仕事ぶり、新世界の真の悪徳は早くも感染によって旧ヨーロッパを野蛮化し、まったく奇妙な精神喪失状態を蔓延させはじめた。すでに我々は休息をとることを恥じるようになった。ゆっくりと熟考することは、ほとんど良心の呵責を伴うようになった。我々は株式新聞に目を注ぎながら昼食をとり、時計を手にして考える。絶えず何かを逃しはしまいかと思う者のように生きている。何もしないよりは何でもいいからせよという原理がすべての文化の高級な趣味の息の根を止める。


人々とともに生きるのは難しい。黙っていることが難しいからだ。


結婚するにあたって、自分に問うてみなくてはならない。この女と老年になってまで、よく話し合うことができると信ずるか、と。結婚生活において、ほかのすべてのことは皆移り変わる。だが、交わりの大部分の時間は対話に属する。


数時間の登山は、ひとりの悪者とひとりの聖者をかなり似通った人間に仕立て上げる。疲労は平等と友愛の一番の近道だ。


儀式、官職や位階による服装、厳粛な面持ち、荘重な目つき、ゆっくりした歩き方、もってまわった話し方など、およそ威厳と呼ばれるすべてのものは、実は恐怖心を抱いている者たちの偽装である。


人間は赤い頬をした動物である。なぜ赤い頬になったのか。あまりにもしばしば自分を恥じねばならなかったからである。
人間は時折、自分を恥じねばならぬ動物である。


私の理想は、目障りにならぬような独立性、それとわからぬ静かな誇り、つまり他人の名誉や喜びと競合せず、嘲弄にも耐えることによって得られる、まったく他人に負い目のない誇りである。このような理想が、私の日常の習慣を高貴なものにせねばならぬ。


私は自分がショーペンハウアーを正しく理解したなどとは思わない。そうではなく、ショーペンハウアーを通して自分自身を少しばかりよりよく理解することを学んだに過ぎない。私が彼に最高に感謝するのはそのためだ。


論理は完全な虚構の見本である。現実の中には論理などは存在せず、現実はまったく別の複雑極まりないものである。我々は実際の出来事を思考においていわば簡略化装置で濾過するように、この虚構を図式化することによって記号化し、論理的プロセスとして伝達および認識可能なものとする。


どんな犠牲を払っても理性的であること、晴朗で冷徹、用心深くて意識過剰な生、本能を知らず本能に逆らう生はそれ自身ひとつの病気に過ぎず―――けっして徳や健康、幸福への帰路ではない。


我々の中で最も勇気ある者でも、自分は一体何を知っているかと問う勇気を持ち合わせている者はほとんどいない。


理解するとは、何か新しいものを、何か古い熟知の言葉で表現しうるということにほかならない。


独創性とは何か。万人の目の前にありながら、まだ名前を持たず、まだ呼ばれたことのないものを見ることである。人の常として、名前があって初めてものが見えるようになる。独創的人間とは、命名者である。


苦痛の中には快楽と同じほどの知恵がある。苦痛は快楽と同様、生を保存する最大の力に属する。苦痛がこうしたものでなければ、それはとっくに姿を消していただろう。苦痛が人を苦しめることはなんらその反証とはならない。苦痛の本質はそこにある。私は苦痛の中に帆を下げろという船長の号令を聞く。大胆な船乗りたる人間は、あらゆる種類の帆の操作法に長じていなければならない。さもなければ、迅速に対処する間もなく、たちまち大海に飲み込まれてしまうであろう。


最も後悔されることは何か?遠慮ばかりしていたこと、己の本当の欲求に耳を貸さなかったこと、己を取り違えること、己を卑しめること、己の本能を聞きわける繊細な耳を失うことである。こうした自己に対する敬意の欠如は、あらゆる種類の損失によって報復を受け、健康、快感、誇り、快活さ、自由、不動心、勇気、友情が損なわれる。


まずは勇気を出して自分自身を信ずることだ。自分と自分の内臓を。


自分に命令する力のない者ほど、自分を命令する者を求める。


すでにホメロスにおいても、叙事詩的物語の規則が認められ、ホメロスはその範囲内で踊らねばならなかった。


君には人生の重荷が重すぎるというのか。それなら、君はその重荷をもっと増やさねばならない。


人間は晴れ晴れとした健やかな愛をもって自分自身を愛することを学ばねばならない。これが私の教えである。自分自身を堅持し、あちこち彷徨うことがないようにである。


隣人を自分自身と同じように愛するのもいいだろう。
だが、何よりもまず自分自身を愛する者となれ。


道徳家が誰かをつかまえて、「君はかくかくであるべきだ」と言ったとしても、それは物笑いの種になるだけだ。個人は前から見ても、後ろから見ても、一個の運命であり、ひとつの必然である。その必然は万物と結びついており、個人に対して「変われ」と言うことは、万物に対して変われと要求すること、過去にさかのぼってすら変われと要求することに等しい。


私はお前たちに私と同じ冒険を、あるいは冒険とは言わぬまでも同じ孤独を勧めるなどと思わぬがいい。なぜなら、自分自身の道を行く者は誰にも会わないからである。自分自身の道とはそうしたものである。誰もそこでは助けに来てくれない。危険、偶発、悪意、悪天候に遭遇したならば、自力で切り抜けねばならない。自分の道をまさに自分のために進んでいるのだから。


私はひとりでいることにすっかり慣れ親しんでいるので、決して自分を他人と比較するようなことはせず、静かな楽しい気分で自分との対話に打ち興じ、笑いさえ交えて孤独の生活を紡ぎ続ける。


もっと喜び楽しむことを学ぶこと、それこそ他人を苦しめたり、苦しめようと考えたりすることを忘れさせる最善の方法である。


あなたにとって最も人間的なこと、それは誰にも恥をかかせないことである。


すべてのものを裸にして見ないこと、すべてのものに近づきすぎないこと、すべてのものを理解し知ろうとしないこと、これは今日の我々には嗜みの問題である。我々は羞恥心をもっと尊重しなければならない。


自分自身に対する極度の清潔癖が私の生存の前提条件となっていて、不潔な条件の下では命すら危ない。だから、私はいわば絶えず水の中で、もしくは完全に透明な光輝く元素の中で、泳いだり、浸ったり、ぱちゃぱちゃしている。そのため、私にとって他人との交際は少なからぬ忍耐の試練となる。


君は奴隷か?それなら君は友とはなれない。
君は暴君か?それなら君は、友を持てない。


もし悩む友人がいたら、彼らの悩みを休ませる憩いの場となってやるがいい。それも、堅い寝床、いうなれば野戦用のベッドになってやるがいい。


一般的にいって、本当の友情は喜びと悲しみを共にすることによってのみ結ばれるものです。自分の生活上のいろいろな出来事が他の人のそれと接触すると、魂もまた互いに結ばれ、外的な結合が緊密になればなるほど、内的結合もますます堅くなっていくからです。


おのれの友のうちに、おのれの最善の敵を持つべきである。君が友に敵対するとき、君の心は彼に最も近付いているのでなければならない。


どれほど良いことに見えても、「~のために」行うことは、卑しく貪欲なことだ。


人々は何らかの不潔なことを考えることを恥としないが、それが自分のものだと言われていると感じて恥じている。


のがれよ、私の友よ、君の孤独の中へ。強壮な風の吹くところへ。蠅たたきになることは君の運命ではない。


仕事が自分を強くする。


人生について考えるのは暇なときだけにせよ。人生のことを考えてもよいが、それは休暇のときにすることだ。普段は仕事に専念しよう。自分がやらなければならないことに全力を尽くそう。解決すべき問題に取り組もう。それが現実をしっかり生きることだから。


愛からなされることはいつも、善悪の判断の向こう側にある。


一日一日を始める最良の方法は、目覚めの際に、今日は少なくともひとりの人間に、ひとつの喜びを与えることができないだろうかと、考えることである。


夫婦とは、長い会話である。


人間の偉大さを私が表わす言葉は「運命愛」である。必要なことは、運命をただ耐えることではなく、ましてや無関心でいることでもなく、愛することなのだ。


ニーチェの経歴・略歴

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ。ドイツの哲学者。プロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセン出身。音楽と国語の優れた才能を認められてドイツ屈指の名門校プフォルター学院に特待生として入学。卒業後ボン大学、ライプツィヒ大学で学ぶ。その後、バーゼル大学で教授を務めた。大学を退職したのち、在野の哲学者として執筆活動に没頭し、多くの著作を残した。主な著書に『ツァラトゥストラはかく語りき』『悲劇の誕生』『反時代的考察』『人間的な、あまりにも人間的な』『曙光』『悦ばしき知識』など。

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