コシノジュンコの名言

コシノジュンコのプロフィール

コシノジュンコ。日本のデザイナー。大阪府出身。文化服装学院デザイン科在学中に装苑賞を最年少受賞。ブティック「COLETTE」を開店。ファッションブランド「JUNKO KOSHINO」を立ち上げた。ファッションだけでなく幅広いジャンルでデザイナーとして活躍。

コシノジュンコの名言 一覧

デザインとは、一言でいえば整理すること。まずゼロにして足して、一歩引いてまた足していく。デザインは、ファッションだけではなく、すべてに通じるものなのです。

人と同じことをやることには恐怖・反発を感じます。常に進化に進化・挑戦を続けています。同じことは繰り返しません。

仕事をする上で信用ほど大切なものはありません。そして信用を得ると、次の可能性が出てきます。私も仕事で京都の人たちと親しくなりましたが、そこから次の仕事が生まれてきます。

本物に触れる体験に加えて、世界を知ることも、「自分」をつくる上で大切。世界に出れば、本物を知る機会にも恵まれます。

対極にあるように見えても、意外な接点を見つけると、コラボレーションすることができる。そして、それがオリジナリティになる。

世界を相手に仕事をしている現場に行くと、生きた勉強をすることができる。

今日をおろそかにしたら、明日はない。

プレッシャーもありますが、少し背伸びをして新しい挑戦をすることで、必ず何かが生まれてくる。

依頼する前から勝手にこちらで判断したりせず、直接お願いすると、みんな理解してくださいます。怖がってはダメなのです。

仕事を負担だと思ったことはありません。負担と感じてやると逃げ腰になり、いい仕事などできないのではないでしょうか。

新しく挑戦するのはなかなか大変なことだと思われるかもしれませんが、私はこれまで常に「今からスタート」という気持ちで、どんな仕事でも、楽しく、面白がってやってきました。

たった一着だけでもいい。自分に合った居心地のいい服があれば、それを着てあらゆる場面に自信を持って臨むことができる。

今ではインターネットでたくさんの情報を得ることができますが、それは表面的な勉強にすぎない。わかった気になるだけ。血となり肉となる勉強は、やはり現場でしかできない。

長きにわたってファッションの最前線で活躍できたのは、今日という日を、毎日毎日大切にしてきたから。

「好きこそ物の上手なれ」と言うように、なにより「好き」が大事。その「好き」を突き詰めていくと、やがてオリジナルになっていく。得意なことを続けていくと、それが専門になる。

私のおじいさんは呉服屋で、母は洋装店を開きました。その血が私にも流れていて、ファッションの世界に飛び込みました。それは計算ではなく使命感です。

母がいて姉がいて私がいて妹がいる。皆ファッションの世界で生きています。でも同じことをやっていたら、何のために生きているのかと思ってしまう。ですからみんな人と違うことを一生懸命探しています。

私のファッションのコンセプトは「コントラスト」、つまり「対極の美」。右脳と左脳、東洋と西洋……。一見すると真逆のもののように思えますが、二つで一つなのです。その両極端なもののバランスをどう取るか。このバランスによって、時代を切り拓くデザインができるのだと思っています。

やったことがない仕事に取り組む時、私は「もしかしたら、それ得意かも」と思ってやってみます。TBSラジオで「MASACA」という番組を始めたのも、新たな挑戦です。毎週、「まさかこの人が」という著名人にご登場をいただいています。

私のブランドで大事にしているもの、それは洋服の「居心地」のよさです。着心地がよく、着ていてラクで、動きやすいのは当たり前。それ以上に、着ている本人にしかわからない心地よさを感じられる。そんな服を目指してつくってきました。ですから、私の服を着ると「元気になる」という人が少なからずいます。

好きになるものは、最初は遊びであることが多いかもしれません。遊んでいるうちに、それが好きになる。ですから、遊ぶことは、魅力的なブランドをつくる自分を育てる上で、とても大事。

私は、ファッション・デザイナーという「点」から仕事を始め、デザインの幅を広げて「線」をつくり、さらに「面」へと仕事を広げてきました。なぜそれができたのか。それはジャンルが違う人たちとチームをつくり、一緒に働くことができたから。

伝統芸能というのは、常に新しい挑戦があって現在まで続いている。若い人たちが活躍できる場を提供し、現代的なものにして前に進めてきたからこそ続いているのです。

「病は気から」と言うように、気持ちがダウンしている時には、何をやってもダメですが、自分にぴったりの服に出合うと、それだけで気持ちが自然に高揚し、いい仕事ができるようになるものです。そんな幸せを呼ぶ服を、私は「幸服(こうふく)」と呼んで、理想に掲げています。

私が自分の「好き」を大切にしているのは、母から受けた影響が大きかったと思います。母は洋装店を営んで多忙の身ではありましたが、好奇心の塊のような人で、何にでも興味を持ちました。そんな母の姿を見ていたから、私も自然に何にでも興味を持つようになったのだと思います。

まずいろいろなことに興味を持ち、やってみること。経験を積むことが大切。子供の頃や学生時代に興味を持ったり、好きになってやったことが、その後の人生で活かされたというのは、誰しも経験があるでしょう。

「自分は何をつくりたいのか」という、しっかりとした「自分」がなくては、ブランドをつくり、育てることはできない。ブランドをつくるということは、誰でもない「自分」をつくること。

パリの人たちに本格的な着物を見せたいと思ったのは5年前。その間、館長が3人代わり、今回、ようやく実現しました。これも思いを口にしたことから始まっています。大琳派展の時も、これだと思ったらすぐに相談する。それで物事はスタートします。

これからもいろいろなことをやっていきたい。例えばデザインの力で福島のお手伝いをする。私が今身に着けているイヤリングは、福島の漆粘土を私がデザインしたもの。伝統工芸とコラボすることで新しい付加価値を生む。こういうことをもっとやっていきたい。

ファッションに関係ない仕事でも、「もしかしたら得意かも」と思って引き受ける私ですが、「これは向いていない」と思った仕事もありました。日本経済新聞の夕刊に週1回700字程度のコラムを書く仕事でした。原稿をウンウンうなりながら、何とか書き上げても、すぐに次の週の執筆が来てしまいます。さすがに、これは向いていないと思い、「何で私に執筆を任されたのですか?」と担当者に聞いてしまいました。すると、「世界中に行かれていますし、お知り合いも多い。その一部でも、ご紹介いただけたらと……」。なんだ、そんなことでいいのかと思ったら、書きたいことが次から次へと出てきました。チャンネルがきちんと合うと、できるようになるものです。

「JUNKO KOSHINO」というブランドは、常に面白がってつくりあげてきました。でも、このブランドは、私一代限りのものだと考えています。ファッションブランドの中には、デザイナーを変えて継続しているものもありますが、私がつくりあげた。「JUNKO KOSHINO」というブランドで、私を超えることはできません。それよりも、私のブランドとは違うことで超えてもらいたい。若い人たちには、そちらに期待しています。

外国に行ったからこそ、気づくことも少なくありません。「日本らしさ」というのもその一つでしょう。国内から見る日本と、外国から見る日本はかなり違います。その意味では、ずっと国内に留まっていると、日本のことを「知ったつもり」になってしまう恐れがあります。それでは日本ならではのブランドをつくるのは、難しいのではないでしょうか。

私がパリ・コレクションに初めて参加したのは、1978年のこと。ファッションは西洋のものであり、パリに行かないと本物に触れることはできないという思いがありました。その後、中国、ベトナム、キューバなどで、その国で初めての大きなファッションショーを開催しました。それぞれの現場で、そこでしか考えられないことを考え、そこでしかできないことをやり、そこでしか学べないことを学ぶ。日本に閉じこもっていたのでは、決してできない貴重な体験を積み重ねてきたと自負しています。

ある時、アサヒビール社長・樋口廣太郎さんと一緒に、「三大テノール」と呼ばれたオペラ歌手のプラシド・ドミンゴさんと食事をする機会がありました。私が一人で行くと、樋口さんがこうおっしゃったのです。「何でこんな時に子供を連れて来ないんだ」と。理由がわからないまま、とにかく電話で息子を呼び寄せたところ、樋口さんは息子にドミンゴさんと握手をさせました。ただそれだけです。それだけなのですが、息子にとっては、握手をしたことで、ドミンゴさんは「知っているおじさん」になったのです。アメリカのビル・クリントン元大統領が、高校生の時に当時のJ・F・ケネディ大統領と握手をしたのは有名な話ですが、一流の人物とほんの少し接するだけでも得るものは大きく、「自分」づくりのよい経験となることを教わりました。感受性の強い若い頃なら、なおさらのことでしょう。

私の母の教育方針は「子供は放っておいても育つ」という放任主義でした。そもそも子供に「こうしなさい」と言っても、親の言うことなど聞かないのが普通でしょう。それよりも、親の姿勢や行動を実際に見せ、子供自身に気づかせたり、発見させたりするほうが、よほど本人の身になります。私も息子が小さい頃から世界中を連れ歩き、私の仕事や世界の現場を見せ、いろいろな体験をさせてきました。どう感じ、どう受け止めるかは、本人の感性によりますが、大事なのは本物を体験させることです。

母は毎朝早く起きて深夜2時、3時まで働く毎日でしたので、一体いつ寝ているのか不思議に思ったぐらいです。おかげで私たちにも、何でも早くやる習慣が身につきました。食事はパパッと手早くおいしいものをつくるのが普通だと思っていましたし、洋裁でも生地は一気にスパッと切るものと考えていました。いちいち測らなくても、サイズ通りにピタッと合うのが当たり前だったのです。

母の影響を受け、私たち三姉妹はみんなファッション・デザイナーになりました。しかし、個性やファッション性、オリジナリティは、それぞれに全く違います。三姉妹の共通点は、「親が一緒」という一点だけ。興味を持つものも、好きになるものも、全然違いました。この一人ひとりの生きてきたストーリーの違いこそが、それぞれの特徴となってオリジナリティを形づくっているのです。

はじめは福島の伝統工芸を世界に発信する「フクシマ」ブランドを作るプロジェクトでしたが、ブランドありきではなく、伝統の技術を生かし、そこにデザインをプラスすることで、新しい感性の民芸品が出来上がってきました。これからも会津木綿を使った若手デザイナーによるコンペなど、伝統工芸とデザインのコラボレーションを進め、福島の人たちを支援していきます。

コシノジュンコの経歴・略歴

コシノジュンコ。日本のデザイナー。大阪府出身。文化服装学院デザイン科在学中に装苑賞を最年少受賞。ブティック「COLETTE」を開店。ファッションブランド「JUNKO KOSHINO」を立ち上げた。ファッションだけでなく幅広いジャンルでデザイナーとして活躍。

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