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いっこく堂の名言

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いっこく堂のプロフィール

いっこく堂、いっこくどう。日本の腹話術師。神奈川県生まれ、沖縄県育ち。日本映画学校(のちの日本映画大学)卒業。「劇団民藝」で舞台俳優として活動したのち腹話術師に転身。文化庁芸術祭新人賞、浅草芸能大賞新人賞、ゴールデン・アロー賞芸能新人賞を受賞。

いっこく堂の名言 一覧

確信を持って言えるのは、信じて続けていけば、絶対に何かが生まれる。投げ出すとラクにはなるけど、何も生まれないということ。


テレビとブームの怖さを実感し、ブレそうになった時、僕を支えてくれたのは芸人としての原点。それは人前で何かをして笑顔になってもらうという、子供の頃に感じた喜びです。


ずっと自分を信じてやってきたし、それがどんな反応だったとしても、全てにおいて自己責任がいい。昔から、常に「選んだほうが正解」だと信じているので、いったん決めたら全く躊躇はしないです。


独立したいと思ったら、すぐにすべきです。したいけど、どうしようなんて悩む人は、独立しないほうがいい。「したい! よし、やろう!」その瞬発力が強い人ほど成功しやすいと思います。


結局、人生は山あり谷あり。ずっとご機嫌に見えている人だって、そんなことはないわけですよ。自分を甘やかすことなく、何事も受け入れて、前を向き続けるしかないのです。


今までも幾度となく不安と闘いながらも、自分で考えた前を向く方法を実践し、解決してきました。落ち込んだことはたくさんあったけど、本気で辞めたいと思ったことは一度もありません。


腹話術は本当に奥が深く、面白い。自分にしかできない芸にはやりがいを感じるし、つらくても頑張って芸を進化させることが楽しいのです。


いま苦しい状況にある人も、くじけずにいてほしい。自分の気持ちさえ折れなければ、チャンスは何回でもやってきますから。疲れたときは腹話術でひと笑いして、自分のやり方を信じて挑み続けてください。


通勤電車に揺られる毎日を過ごしている人、街で僕に声をかけてくれた人。誰もが、目には見えない思いを抱えながら生きています。そんな多くの人たちに、一時でも癒しになるような時間を届けること。それが芸を生業にする人間の基本です。


腹話術の練習を始めた当時を振り返ってみて、僕の強みだったのかなと思うのは、遊ぶ気がなかったこと。沖縄から東京に出てきた時も、友達は新宿、原宿、六本木と飛び回ってました。でも、僕は興味がなくて。孤独が好き……でもないですが、コツコツと続ける作業が性に合っていた。


ある日、地方公演の後、内輪の宴会でモノマネを見せたんです。すると、ベテラン俳優の米倉斉加年さんが「おまえはひとりでやっている時の方が生き生きしているな」と言ってくれました。この言葉がぽんっと背中を押してくれて、新しいことを始める気になったんです。


最初はボランティアで老人ホームへ行きました。無料だし、自己流でも喜んでもらえるだろうと。ところが反応はいまいちでした。ショックで、挫折感もありました。ただ、「芸というものは、本人が世の中に認められていないと、人に喜んでもらえないんだ」と気づいた。この先、本当にひとりで勝負していくなら、売れなければいけないし、有名にならなければいけない。ボランティアで喜んでもらえれば……なんて考えは大甘で、もっと芸に厳しくならなければいけなかったんです。


入門書を読んでみると、腹話術とは腹話術師が1体の人形を使い、甲高い声で……という芸の型が書いてありました。だったら、人形を2体にしてみたらどうだろうか。低い声のキャラクターを出したらどうだろうか……。師匠のいない僕は、腹話術の常識から自由でした。


「腹話術をやる」と決めた後、その決意を劇団の先輩に打ち明けました。すると「昔の芸だ」「やりつくされて消えたものをやってどうする」と猛反対。露骨にあきれた顔もされました。それでも、僕には小さな勝算がありました。たしかに腹話術は衰退しています。しかし、「閉じた口から声が出ている」という芸の型は誰もが知っている。そこに強みを感じたんです。ゼロからすべて作るのは大変ですが、いまあるものをアレンジし、バージョンアップすればうまくいくのではないか、と。


挑戦心やモチベーションが高まるのは、バイオリズムが底辺まで落ち込んだ時ですね。あー、また最高の気分を味わいたいと、過去の自分を懐かしんじゃったりすることもある(笑)。もちろん、新しいことを始めるのは怖いけど、やらないと再びバイオリズムの頂点には行けません。進化しないと生き残っていけない。


何をやっていいか分からないって悩みをよく聞きますけど、何でも目の前のことを必死でやればいい。やったら絶対に光が見えてくる。やらなければ何も見えないままです。どんな仕事でもいろんな疑問が生じると思います。この仕事はいったい何に結びつくんだろうって。でも、目の前の出来事は全てつながっているんです。


2体の人形を同時に操る技術、時間差の腹話術、腹話術では不可能といわれてきた「マ・パ・バ行」の破裂音も、長時間の研究と練習によって身につけていきました。どれも、みんな驚くだろう、喜んでくれるだろうという思いが原点です。


7年くらい前に、技術を囲っていると自分が伸びないと感じました。だったら手放そう、技術を公開していこうと。僕と同じようにできる人が出てきたら、追いつかれないようにもっと上を目指すだろうし、自分を甘やかさず、とことん追い込むことができるはず。そう決めてからまた、初心に戻って頑張れるようになりました。


僕にとってはどの出演機会も一世一代の大勝負です。ネタをしっかりやるのはもちろんですが、子供と遊ぶ時間もきちんととると決めていました。本当に子育てを始めてからなんです。世の中に少しずつ認められて、活躍の場が広がっていったのは。


劇団の先輩に「腹話術をやろうと思っています」と話すと、「腹話術? とっくに終わった芸をやってどうするんだ?」なんてバカにもされました。でも僕は、誰もが知っている芸なのだから、新境地を切り開けば絶対にチャンスがくると信じていました。


街を歩いていて「いっこく堂だ」と声をかけてもらうことがあります。「何かやって」と言われたとき、僕は気分の善し悪しにかかわらず、できるだけ応えるようにしています。声をかけてくれた人は一生懸命勇気を振り絞ってくれたはずだから。道ばたでちょこっと芸を見せたことで、少しでも相手の気持ちが晴れやかになってくれたら、嬉しい。


僕は今、腹話術界を牽引するリーダーは自分だという自負を持って仕事をしています。過去には、弟子になりたいという人が何人かいましたが、全て断っています。教えてできるものじゃない。僕がそうだったように、できる人は1人でも練習し、身に付け、発展させていくことができると思います。僕も更に新しいことを見つけ、チャレンジし続けていこうと思います。


プロ意識に火がつき、死に物狂いで頑張るようになってから、何時間練習しようかと考えて、最低でも睡眠時間ぐらいはやると決めたんです。とにかく寝る問も惜しんで、体調が悪かろうが何だろうが、毎日8時間の練習をやり続けました。もちろん、先の結果なんて分かりません。でも、振り返って考えるとあれでよかった。あの1年間で本当に多くの事をつかむことができましたから。


ほとんどの人が目に見えないところで、いろんな思いを抱えていますよね。大人だから心が強くなるわけじゃありません。気分がいいときは人に優しくできますが、落ち込んでいるときは難しい。それでも、みんな自分の人生に責任を持とうと一人で頑張っていますよね。僕ら芸人は、頑張る人たちを支える存在でいたい。だからこそ、自分の状態がどうあれ、普段通りの振る舞いをして、周囲を明るくしなければいけないんじゃないかと思っています。


始まりは一冊の本でした。28歳で腹話術を始めようと決めた時、最初に起こした行動は図書館に行くことです。蔵書の中に一冊だけあった腹話術の入門書を借りてきて、読み進めていきました。僕の収入源はテレビ局での大道具やダンボール工場のアルバイト。食うことより、芝居ができればいいと考える仲間のいた劇団も休団し、後には引けない状況で。僕にできることは練習だけ。1日8時間、入門書を片手に試行錯誤を繰り返す毎日でした。


何かを始める前、必ず最後に笑っている自分をイメージする。たった、それだけです。失敗しても「この失敗は成功のためのもの」と考える。いつか絶対に成功できる、細かな失敗や紆余曲折は当たり前なのだから、何でも受け入れるっていうポジティブな気持ちで。成功した時の笑顔を具体的に映像化し、毎晩、寝る前にイメージして、潜在意識に沈み込ませる、刻み込む意識でやってほしいです。そして、それを否定する自分がいたら、すぐに打ち消さないといけない。成功を本気で信じ続けること。努力を積み重ねてきた自分を信じること。それができれば絶対に大丈夫です。


ブレイクし始めた頃、大手の芸能事務所からオファーをいただいたのですが、自分の思うような方向へは行けないかもしれないと考え、辞退しました。もちろん大手芸能事務所に所属すれば、テレビタレントとして仕事が増えた可能性はあったと思いますが、僕はテレビよりもライブが好き。直接、お客様の驚いたり喜んでいる顔が見られる環境が好きなんです。


リーダーの位置を堅持するためには、忍耐力も大事です。年を重ねると厳しくしてくれる人がどんどん減っていきます。厳しくできるのはもう自分しかいないと、ある時気づいたんです。そして、自分を甘やかさないよう、10kmのランニングを毎日欠かさず続けています。さらに2~3年前から腕立て伏せ100回、腹筋30回を5セットすることを加えました。何事も継続することが大切だと思うんです。


語学が苦手にも関わらず、アメリカ、フランス、ドイツ、ベルギー、フィリピン、中国、韓国など18か国ほど海外の舞台に立ってきました。国によっては、腹話術を知らない人たちもいますが、どんなエンターテインメントでも現地の言葉を少しでも使うと、絶対に喜んでもらえるでしょう。だから、最初のネタは必ずその国の言葉で演じています。事前に、自作のネタをその国の言葉に訳して発音を吹き込んでもらい、丸暗記します。その通りに覚えて発音するので、お客様は、言葉が話せると思い込み、話しかけてくるので大変です(笑)。どの国にも日本語にはない独特の発声法がありますが、特に難しいと感じたのは、韓国語、ドイツ語、フランス語ですね。


33歳の年に子供が生まれ、自然と子育ても一生懸命やろうと決めたんです。夜中に何度も起きてあやすこともしたし、おむつも率先して替えました。今はもうできないけど、ミシンで子供の服も縫っていましたよ。どんなことでも、仕事にもいい影響をもたらすと信じてやってみる。子育てや家事が仕事に役立つとは、普通は思わないでしょう。でも、何事も一生懸命やり続けると運が近づいてくるんですよ。ちょうどその頃、全国の鑑賞団体の間で次々公演が決まり、その後テレビの出演が決まっていきました。


最初は、ボランティア活動を兼ねながら腹話術の腕を磨いていこう、アルバイトをすれば何とか食っていけるだろう、という軽い気持ちでした。で、介護施設や福祉施設を回ったのですが、ある時受け入れ施設のスタッフさんから終演後に言われたんですよ。「あんた、アガってたわね」って。芸のボランティアは、趣味の延長でやっている人も多いでしょう。同じ素人芸だと思われてしまったんですね。そもそも喜ばれていないことが本当に悔しくて……。自分が売れて、世間に認められたら多くの人が喜んでくれるはず。だったら認められてやろうじゃないかと、初めて強く思いました。


劇団の先輩、米倉斉加年さんに、「1人でやるほうが生き生きしている」と言われ、1人で芸をやっていく道を選びました。中学2年の時の話になりますが、テレビのニュースで女性警察官が交通安全の腹話術をしているのを見て、「これをやりたい!」と強烈に思ったんです。警察署に人形を売ってほしいとすぐに問い合わせたくらい(笑)。不思議なのですが、その思いが15年後に鮮やかによみがえってきたのです。


当時は劇団の仕事だけでは食べていけないのが当たり前。アルバイトをしながらやっていました。舞台俳優時代の約6年は、芝居だけで生活できるとは全く思っていませんでした。だから売れなくてもいいけど、どうせやるなら誰かに少しでも喜ばれたい、自分を見て楽しんでもらえたら嬉しい。いつもそのことだけを考える、無欲の日々でしたね。


小学生の頃は明るかったのですが、中学は一転、真っ暗です。言葉の行き違いで野球部のボス格の友達に嫌われて、グループから干されてしまった。翌日から誰も喋ってくれない。3年近く続いたいじめはきつかったですよ。それでも根が強いのか、親にも相談しませんでしたし、野球部は辞めませんでした。負けてたまるか、と。支えになってくれたのは、一回り年の離れた弟の存在ですね。家に帰ると、手を引いて散歩をして、救われました。この経験があったことで、他の子よりもちょっと早く、人の気持ちを考えられるようになったと思います。一人で耐える強さも身についたのかもしれない。でも、「いじめの経験があって良かった」とは言えないですよ。きっと、いまも何もしていないのにいじめられている人がいると思うから。その渦中にいる人に、「その経験も後々よかったと思えるよ」なんて語りかけるのは傲慢です。


腹話術という芸への評価は想像以上に厳しいものがありました。93年ころです。あるイベントに出た時、控室でピエロ芸人からこんな話を聞かされました。「向こうでイベント会社の社長が言っていたけど、腹話術って最低ランクの芸なんだってな。ギャラも大して取れないだろ?」と。ちなみに、ピエロをやるその人のギャラは、僕より2万円も高かった。その2万円の差もそうですが、「腹話術って最低ランクの芸なんだってな」と。そう言われてしまう状況にいらだちましたね。それでも舞台公演を中心に活動を続けるうち、ニッポン放送主催の「OWARAIゴールドラッシュチャンピオン大会」で優勝。僕は一気にたくさんのテレビ番組に出ることになりました。


いっこく堂の経歴・略歴

いっこく堂、いっこくどう。日本の腹話術師。神奈川県生まれ、沖縄県育ち。日本映画学校(のちの日本映画大学)卒業。「劇団民藝」で舞台俳優として活動したのち腹話術師に転身。文化庁芸術祭新人賞、浅草芸能大賞新人賞、ゴールデン・アロー賞芸能新人賞を受賞。