陰山英男の名言

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陰山英男のプロフィール

陰山英男、かげやま ひでお。日本の教育者。兵庫県出身。岡山大学法文学部法学科卒業後、アナウンサーを目指したが入社試験に合格できず挫折し、教職を目指す。佛教大学通信教育部にて教員免許を取得し、兵庫県内の小学校で教員となる。百ます計算などをはじめとして様々な工夫を行い大きな成果をあげた。その後、尾道市立土堂小学校校長、立命館小学校副校長、立命館大学教育開発推進機構教授、教育再生会議委員、大阪府教育委員長などを務めた。

重要なのは「give & given」の精神です。「give & take」というと見返りが前提ですが、そうではなく、自分がまずどれだけ多くのことを相手に与えられるかが一番重要。相手が何を返してくれるかは、相手次第であって期待はしないほうがいいのです。


世の中にインパクトを与える実践というのは、時間がかかる面倒なことです。世に出る人のほとんどは、人の嫌がる面倒なことをやっています。


評価されたければ評価される形を自分で作らなければならない。評価のものさしは、自分ではなく他人が持っているものですから、相手のものさし、相手がどういう事実を見たいと思っているかを理解しなければならないのです。


チャンスを与えてもらえるのも実力のうちであり、チャンスは自分でつかみ取りにいかなければならない。


重要なことは、自分がどれだけの時間でどれだけの仕事ができるかを正確に知っておくこと。この見積もりが甘いために残業せざるを得なくなっている人が多い。


よく「出すぎた杭は打たれない」と言いますが、現実は「出すぎた杭はもっと叩かれる」です。しかし同時に、「出すぎた杭は打たれて強くなる」ということを学びました。


やりたいことは、やらなければならないことの向こう側にあるんだよ。


周囲に評価してほしいと思っているうちは、周囲は絶対に評価しない。他人の評価など求めず、ただひたすら自分がやるべきことを追求し、「自分はこれでいいのだ」とある種の悟りの域に達したときに、周囲がその人を評価し始めるものなのです。


ゼネラリストを突き詰めると、スペシャリストにもなれる。


たとえ目の前の「やらなければならないこと」が気の進まないものであっても、その先にある未来を想像できれば、何でも面白がることができる。


苦手なことでも一生懸命学ぼうと努力している人は、周囲も一目置くようになるし、認められるようになります。すると自然に、「やりたいこと」をやれるチャンスも回ってくるのです。


世間から批判され、我慢するしかない時期もありましたが、ここまで辿り着いて思うのは、「最後に勝てばいい」ということです。


「誰かに叩かれたら、相手が自分の弱点を指摘してくれたのだと考えればいい」ということでした。そう捉えれば、「自分の弱みを改善していこう」とプラスに考えることができる。そこで「俺は間違っていない!」などと反論しても不毛な戦いになるだけですから、「良い学びのきっかけができた」と考えたほうが自分のためです。


「自分がやるべきことは何か」を考え続けた結果、私が出した答えは、「私は学校の教師だから、子供たちの学力を伸ばすのが仕事である」という非常にシンプルなものでした。でも、シンプルだからこそ強いし、人から批判されたくらいでは崩れない。もし自分の生き方や働き方に迷っている人がいたら、そうした唯一絶対の答えを見つける努力をすべきだと思います。


自分の考えにダメ出しされるのを嫌がる人も多いようですが、私はそれも喜んで受け入れます。指摘してくれるというのは、自分を成長させるチャンスを与えてくれているということですから、こんなにありがたいことはないと考えるべきです。


1日8時間勤務として、私たちは人生の3分の1を仕事に捧げているわけですから、その時間を楽しめるかどうかで人生の豊かさも大きく変わってくるはず。ぜひ皆さんにも、毎日を主体的に楽しむための戦略を持っていただきたい。


より自分の力を伸ばそうとするなら、高い目標を掲げること。私の場合、何かを学ぶと決めたら、「その分野のプロになること」を目標とします。自分にとって本当に大事なことなら、トップレベルを目指すべきだし、そうしないと学習しても面白くないからです。


世間が与えてくれた現状に満足し、周囲の人も「そのままの自分でいいんだよ」といってくれる。それは心地よいかもしれませんが、本当に幸せなことでしょうか。私は教え子たちに、「時代にだまされる生き方をするな」と伝えてきました。それはつまり、「他人の価値観で生きるな」ということでもあります。


自分にとって必要だと自覚できることでないと、学び続けるのは難しい。教養や学力というものが、自分の仕事や生活とは別の次元にあるかのように捉えている人もいますが、私は「すべての知性は実用性を伴っていないと本物にならない」と考えます。


よく「ただの暗記学習では、本当の学力は身につかない。もっと思考学習を重視すべきだ」という人がいます。でも実際は、暗記した知識があるからこそ、思考も深まるのです。


いまの日本人の問題点は、AかBかの二者択一の思考に陥りやすいこと。「矛盾したものをどう両立させるか」ということは、人生を生き抜くための知恵でもあると私は考えています。


私は「書くことは思考である」と考えています。書くことによって、初めて本格的に脳は動く、と。


たとえ目の前にあるのが「やらなければならないこと」であっても、自ら面白がることができれば、それは限りなく「やりたいこと」に近づいていきます。


自分を変えたいと思ったら、いまからでも一度やってみたらいいと思います。


一度自分を突き抜けないといけない。あなたはあなたのままでいい、なんていっていると限界を超えられません。


私は「若いころに一度でいいからガリ勉をやっておくといい」と主張しています。ひとかどの仕事を成そうとする人は、若いころに過剰ともいえる勉強をした経験があるのです。クルマのエンジンを、最初に壊れる直前までフル回転させるのと同じように、ガリ勉の経験のある人は、強い精神力を身につけていると感じることが多いものです。


評論家みたいに調べたり、考えたりばかりではなくて、チャレンジしたいことがあれば、まずは行動してみる。結果が出なくても、そこには必ず新たな発見があるはずです。


陰山メソッドは戦略などという大それたものから生まれたものではありません。目先の問題に対処するために、少しでも良い方法だと思ったら何でも試してみようと、積極的に新しいことに挑戦してきて、結果的に学力向上につながったのです。


私は学生のころ、アナウンサーを目指していました。ところが試験に合格できず、しかたなく教師になったんです。最初から望んで教師になったわけではないのですが、成功体験を積み重ねて、仕事が面白くなりました。


あるとき、百ます計算の同じ問題を1週間くらい繰り返しやらせたことがありました。きっかけは、忙しくて毎日違うプリントを用意する時間すらない時期だったからなのですが、同じことを繰り返して効果はどうなのか、正直自分にもわかりませんでした。ところがその後、子供たちに計算テストをやらせたら、劇的に伸びていたんです。徹底的な反復学習によって学力は伸びるのだ、ということを発見した瞬間でした。


この経験から学んだのは、常識的な指導をしていても当たり前の結果しか出ないけれど、非常識なことに挑戦すれば非常識なまでに大きな結果が出るということでした。そういう手法は勉強でも応用できるんじゃないかと思い、実践するようになりました。
【覚書き|33歳時、生徒たちとゼロからバック転に挑戦したときを振り返っての発言】


最近は、自分は何が好きなのかさえわからない人が増えています。しかし、自分の価値観が確立しないと、生き方も確立しません。ぜひ、じっくり自分のことを考える時間を意識的につくってみてください。


「好きなことをする」という生き方は、本人に喜びを与えてくれます。一方で、ビジネスの本質を考えると、それは「多くの人に喜びを与えること」になります。でも、自分が生きる喜びを実感している人でないと、他人にそれを提供することもできないのではないでしょうか。つまり、「他人に喜びを与える」という行為は、「自分が好きなことをする」という延長線上にしか存在しないのです。


他人の価値観で生きるという傾向は、ビジネスの世界でも顕著になっています。マーケティングによって「世間はこういうものを望んでいる」と結論づけ、それに沿って製品開発をする。それはまさしく、他人の価値観で生きようとすることです。ソニーを始めとする日本企業が世界中を席巻していたころ、開発者たちは「自分がほしいから、こんな製品をつくろう」と考え、自分の価値観で仕事をしていました。他人の価値観に頼っているうちは、革命的な製品は生まれないでしょう。ここに日本低迷の大きな要因が潜んでいます。


いまの日本人は、「好奇心をもつ」という力そのものが弱くなっているように感じます。その原因は何か。私は「睡眠不足」だと考えています。冗談でいっているのではありませんよ。諸外国に比べ、日本人の睡眠時間が短いことは、各種の調査で明らかになっています。睡眠不足で頭がボーッとしている状態では、好奇心を発揮するのは難しいのです。


経営者の方などがよく、「哲学書を読みなさい」とアドバイスをしますが、それは、リーダーになるためには哲学的な思考が必要だからです。私も学生時代に哲学書をたくさん読みましたが、あれは突き詰めていうと「人間を理解するための本」です。人間がどう考え、行動し、自分なりの価値観を形成していくか。その答えが哲学書にあるのです。だから、多くの人を動かす立場の経営者たちは、哲学書をよく読む。つまり実用性があるからこそ、哲学という教養を身につけるのです。こうして人生に役立ててこそ、本物の教養といえるのではないでしょうか。


海外の人たちが歴史や文化の話題に詳しいのは地理的な背景が大きく関係しています。とくにヨーロッパのように隣国と地続きになっている地域の人たちは、他国に攻め入られ、支配されるリスクを常に背負ってきました。だから自分たちを守るための知恵として、自国はもちろん、他国の歴史や文化を理解する必要性があったのです。一方、日本は島国です。他国に支配される可能性も少なく、自国のなかの価値観だけで生きていくことが可能でした。グローバル化が進んだ現在になって、その差が現われてきたわけです。


何かを学んだとき「面白い」という感情を伴えば、その知識は長く定着します。しかし、「面白くないが、テストのためにとりあえず覚えよう」と嫌々学んだことは、「早く忘れてしまいたい」という意識が働くので、テストが終わるとすぐに頭から抜け落ちてしまいます。


日本の大人たちの教養が低下しているとしたら、それは逆説的に「教養を必要としない社会になっている」といえるかもしれません。たとえば、テレビのバラエティ番組を観るのに、教養が必要でしょうか?漫然とテレビばかり観るような毎日を送っていれば、教養は必要になりません。身につけようと思わないのも当然です。それはビジネスシーンにおいても同様ではないでしょうか。


教養や学力というものを語るうえで、「好奇心」は大切なカギとなります。それを大人になっても持ち続けることが、教養を高めるためにもっとも重要だと言っていいでしょう。


一生懸命やっているのにわかってもらえないと思う瞬間は誰にでもあると思います。成果を出したとき、周囲からは賞賛よりも、妬みややっかみが先にくるという場合は多いものです。そうした嫉妬を超えて成果を出し続けて初めて、評価されるのではないでしょうか。最初に成果が出てから5年くらいはかかると思います。そこを耐え忍ぶ必要があるのです。


私はもともと、放送局のアナウンサーになりたいと思っていましたが、その夢は叶いませんでした。しかしそのときに、モチベーションを下げてしまうのではなく、「それより面白いことは何だろう?」と考えたのです。その結果、「アナウンサーにはなれなかったけれど、久米宏さんにインタビューされるような人間になろう」と考えたのです。ひとつダメでも、ほかにもっと面白いことがないかな、と考えてきた結果、いまの自分があるといえます。


やりかけたことが、方針変更により途中で頓挫することはありますが、モチベーションが下がったからやりたくないということはまったくないです。それは、面白いと思うことに積極的に挑戦しているからにほかなりません。人が一生でやれることは限られています。モチベーションが上がらないといって落ち込んでいる時間はありません。


どうしても仕事が楽しく思えないときもあるでしょう。そういうときはいっそのこと、仕事以外に楽しみを見出すのも一つの方法です。「早く帰って趣味に没頭したい」ということから、仕事へのモチベーションに変わることもあるでしょう。私生活の充実が、仕事のやる気やアイデアにつながることも大いにありますから。


自分のやりたいことでも、いま読んでいる本の話でも、何でもいい。雑記帳のようなものを使って書くといいでしょう。書くという行為そのものが脳の働きを活発にし、自分を前向きに変えてくれます。


教科書にはないちょっと変わった授業、いわば羽目を外した授業をしているときは、教えている自分としても楽しいですよ。というより、私自身が楽しいからこそ、やっているんです。私にとって「面白い」以上のモチベーションはないといえます。


失敗を恐れてやる気を失ってしまうという意味では、挑戦することや羽目を外すことを許さないような教育にも問題があるといえます。人はこれまで、ときには無謀ともいえる挑戦や、多少は危険なことにでもトライするなかで、次の時代へのエネルギーが生まれ、ブレイクスルーを成し遂げてきたと思います。しかし、「清く正しくなければいけない」というプレッシャーが強くなりすぎ、羽目を外すことができない大人が増えているように感じます。


モチベーションに個人差があるのは、まず自己肯定感の有無が大きいのではないでしょうか。自分に自信のない人は、一度失敗すると「自分はダメな人間だ」と考えてしまう。自信がある人は、冷静に失敗の理由を分析して、次は成功させようと考えるものです。誰もが失敗を経験するのですが、そこから得るものが全然違うのです。


「やりたい」という熱意だけではなく、それが可能かどうか一歩引いてみることも必要。


東北大学の川島隆太教授の研究室にお邪魔し、子供たちの協力を得て実験をしたのですが、ドリルを聞かせるだけでは、脳はまったく活性化しませんでした。ところが、子供たちが聞きながらメモをとり始めたとたん、脳ががぜん活動を始めたのです。ここからわかるのは、聞くだけでは脳は何も記憶しないということ。書いて初めて、意味が脳に刻まれるのです。


目的意識は不可欠。そこがぼやけているなら、自分がいま、何のために何をすべきか考え、タスクを整理し直すこと。


私も何度も、与えて裏切られたことがあります。そういう人は縁がなかったと思えばいい。与え続けたときに、最終的に味方になる人は残ってくれます。わかりやすいのは長く付き合っている人を大事にするということ。与える人を選んだり、出し惜しみしたりしていると、逆に自分が選ばれなくなってしまうでしょう。


自分なりの意味づけができていれば強い。柱なり芯なりがブレなければ、どんな場所でも認められる人になれるでしょう。


私はその時代に正しいとされていた教育と異なる手法をとってきましたから、のちに文部科学省関連の仕事を始めた時に、「今まで敵対していた相手と組む理由とは何だろうか」と自分なりに考えました。そこで改めて気づいたのですが、私がやってきたのはただひとつ、「子供を伸ばすこと」これだけだったのです。確かに時代に逆らうこともしてきましたが、それは目的ではなく手段にすぎなかった。逆に言えば、「子供を伸ばす」ための手段としてなら、教壇に立つだけでなく、本を執筆したりインタビューを受けたり、文科省と仕事をしたり、政府と交渉したり、何でもしてきました。でも、大きな目的がまったくブレないから、いままでこうしてやってこられたのだと思います。


自分のやってきたことを一度振り返ってみて、自分の仕事とは何だったのか、見つめ直してみれば良い。自信が持てないと悩む人は、きっと一生懸命生きてきた人でしょう。そういう人なら、必ず振り返るべきものがあるはずですが、意外と自分ではわかっていないのです。


どんな仕事にも言えるのは、おいしい仕事ばかりをしていてはダメだということ。ここで言うおいしい仕事とは、短期間に成果が出やすい仕事のことです。こういう仕事は、その場は良くても後々の実績につながりません。


自分に厳しく結果を求め続ければ、誰から見てもわかるような形となって40代以降に結実するでしょう。そうなれば、周囲も認めざるを得なくなります。


一般のビジネスマンの方でも、誰しもメルヘンを信じたい気持ちは少なからずあると思います。たとえば、「一生懸命やったらいい結果が出る」と思いたいことでしょう。しかし、メルヘンに頼るとどうしても自分に甘くなります。自分に対する甘さを許さないという意味でも、本当に自分のやり方に自信を持つという意味でも、誰が見てもわかる数字を求めるべきではないでしょうか。


「しんどい仕事をしなさい」と言うと、何だか根性論のように思うかもしれませんが、そうではないのです。私も30代のときは、学校の中の「しんどい仕事」を全部引き受けました。そうすることで、その仕事がしんどい理由や、意外に効率化できることに気づき、合理化、効率化に特に注力することになりました。集中力を高める自分自身のトレーニングにもなったのです。


私が一般的な教師と決定的に違っていたのは、徹底的なリアリストであるということです。特に、私が30代・40代の頃には、「教育=情熱・愛・道徳・人間性」といった価値観が多数派でした。「テストの点で一点を追求するのはやめよう。もっと違う尺度で子供を伸ばそう」と言う教師も多かった。しかし、こういう主張は、私からすればメルヘンとしか思えない。私の場合は、自分の仕事を客観的に見るために、数字で考えることにこだわりました。点数というわかりやすい結果を求めた私は、いわばメルヘンの虚構を剥いで、ノンフィクションにしてしまった。


「30代でやっておくべきこと」「40代で伸びる人」などの本がたくさんありますが、実際には年齢できっちり分けられるものでもないような気がしています。積み重ねたことの集大成を示せるかどうかが大事ではないでしょうか。


突然、予想していなかった仕事が飛び込んでくることはよくありますよね。そのとき、スケジュールがびっしりと埋まっていると対応できません。午前と午後に1時間程度は余裕を作っておくべきです。仕事が入ってこなければ、その時間に別の仕事をしてもいいし、休憩してもいい。


手帳にToDoリストの項目が入りきらないときは、思いきって何かを諦める。本当はやらなくてもいいこと、あとでやればいいことや、今、他の人の力を借りられることがないか、改めてToDoリストを見直してください。


高いパフォーマンスを出せるように身体のコンディションを整えることも欠かせません。そのためには休養が不可欠。仕事とは別の活動をすることが、本当の意味での休養になる。


仕事で一番大事なのは、情熱や熱意よりも、「要領が良い」ことです。この言葉にネガティブな印象を持つ人も多いでしょうが、そういう人は価値観の転換をしていただきたい。一定の時間内で多くの仕事量をこなし、質の高いアウトプットを出すために必要なのは、要領の良さに他ならないのですから。


今はネットが普及し、昔に比べて情報の伝達スピードがとんでもなく速くなりました。「初動のタイミング」や「初速のわずかな差」で勝負が決まるビジネスも多い。


先手を打って動かないと、状況はどんどん悪化していく。「今はリスクを取りたくない」と動かない決断をしている人は、立ち止まっている間に状況が悪化していくことに気づいていません。「動かないことが最大のリスク」と分かっていないのです。


「先行き不透明な時代」と言われることがありますが、僕からすれば、それは「先のことを考えないただの言い訳」でしかありません。高齢化やグローバル化など、容易に「こうなる」と推測できることは意外と多い。


政治や経済といった「世の中の流れ」をつかむことが重要。「世の中の流れ」が読めなければ、「会社の流れ」も「職場の流れ」も、正確に把握できない。「世の中がこうなっていく」ことを、今後10年ぐらいは知っておくべきです。


仕事の場合、1人だけ速すぎても成果は出にくい。周りの人の状況やスピードに合わせつつ、最速で動くことが大切。それができるのは、仕事の流れを見極めているからでしょう。


脳を高速で回すには、「簡単な問題」を「速く解く」トレーニングが最適です。子供の基礎学力向上のために勧めている手法の1つに「百ます計算」がありますが、大人がやっても効果があります。筋トレと同じく、脳のトレーニングの1つとして、導入するといいでしょう。


「仕事が遅い人」は、だいたい何でも後手に回ります。問題が深刻になってから動き出す。一方で「仕事が速い人」は、「ここでこれをやっておくと後が楽」と先々を見据えて素早く動く。


「集中している状態」を作れるかどうかが重要。集中している状態になると、脳は高速で回ります。脳が高速で回れば、様々なことを速く処理できますよね。仕事が速い人は、「脳を高速に回した経験」がたくさんあり、「高速で回る脳」が出来上がっていると言えます。


疲れて頭が回らない状態で働くのは非効率。例えばアイデアを出す時は、ただ時間をかけても意味がない。出てくる時は一瞬だから。「良いアイデア」は、脳がものすごくクリアな状態で生まれます。そんな状態を作り上げるには、やはり「休息」が必須。


効率を常に意識して働いている人、特に「どんな状況で仕事の効率が落ちるか」をよく知っている人は仕事が速い。彼らは「頭の回転が悪くなる」ことに敏感で、そうならないように努めます。睡眠時間や睡眠の質、休みの日の過ごし方といった「休息時間」を大切にする傾向があります。


学習とは脳を上手に使うトレーニングだというのが僕の持論なんです。そういう点でいうと、英語も脳の言語領域をどのようにトレーニングするかという方法であると。だから本気で英語を身につけたいなら、毎日やること。これに尽きます。その意味ではやはり留学して、英語を使う環境に身を置くことは効果的でしょう。


世界中をみれば、英語のネイティブより非ネイティブのほうが圧倒的に多いわけです。それを考えれば、発音なんてそれほど気にしなくていい。


受験英語ってバカにしちゃいけないと思いますよ。コミュニケーションツールとしての英語といえば聴くことと話すことですが、本当に高度な英語が必要とされるビジネスパーソンや学者の場合、文語つまり文書や論文を読み書きする力も重要になりますよね。このときに役立つのが受験英語なんですよ。いま日本の英語教育においてマイナスといわれているものが意外にプラスだと、海外で仕事をするようになってわかりました。


言葉は生ものだから、場面に適した使い方というものがあります。それを考えると、本や映画から学ぶのもいいですね。映画のDVDを英語の字幕で観てみるのをお勧めします。映画に出てくる単語は、実は知っている単語がかなり多いのです。でも意味がわからないのは、日本語の同音異義語と同じでひとつの単語にいろんな意味があるから。それを映画の場面のニュアンスと合わせて習得していくわけです。


留学が難しいなら、外国人の友達をつくって話すようにすればいい。僕も留学生と話すことを積極的にしています。留学生は日本に関心が高いですから、日本のことについてたくさん質問してくる。いい練習になります。


本当に英語ができないと困る人というのは、日本には少ないと思います。その一方で、僕みたいな田舎の小学校の教師でも、何かのきっかけで海外での講演を求められることもある。みんなが必要になるというわけではないけれど、絶対に必要ないと言いきれる時代でもなくなってきているわけです。ですから、いつどこかで必要になったときに、本格的に入り込めるように英語の準備をしておくべきだと思います。


英語学習はきっちり継続することができれば一番いいんですが、とりあえず緩く長く続けるというのも効果があると思います。これは多忙なビジネスパーソンの方にもいえますが、緩く続けられえる状態というのは、逆にいえば、「英語ができなければ仕事にならない」というような切羽詰まった状況ではないということですよね。そういう状況で根を詰めたら、挫折のもとです。ダラダラと続けるのも努力のうち。いざ本当に必要になったときには、それにふさわしい短期間での学習方法というものもあるでしょう。


英語を聴く力はすぐに伸びます。もちろん、意味がわかるためには語彙が必要になるのは前提条件ですが、技術論としては、一見難しそうで簡単だったのは聴き取ることでした。一番難しいのは話すことですね。これはなぜかというと、日本語と英語では語順が違うから。単語を知っていても英語を話せないのは、語順の問題なんですよね。ただ、英語の語順というのは大事な順に並べればいいだけなので、とても合理的なんです。慣れてくるとすらすら出てくるようになります。


読む、書く、聴く、話すの4つを比較すると、書くことが一番脳を動かすんです。聴くことが一番動かない。よく「シャワーのように英語を聴きなさい」といったりしますけど、聴くだけではなく、書くことにも注目してほしいですね。


私のように英語とは無縁の教師であっても、海外から講演を求められることもあるわけで、絶対に英語は必要ないとは言いきれない時代です。また、英語が出来れば確実に、情報量や意思疎通を図れる人が段違いに増えます。英語ができることによって得られるものは多いのです。


私は何かに秀でた人間ではありません。学歴は大卒ですが、東大や京大などに入る学力はありませんでした。それでも、東大や京大出身者ばかりが顔を並べるような政府機関の会議にも呼ばれる立場になりました。これも普通の人ならコンプレックスを感じて萎縮するのかもしれませんが、私は何でも面白がってしまうので、「こんなに頭のいい人たちの集まりに、岡山大学出身の自分が入っているなんて面白いなあ」と思います(笑)。私に他の人より優れた力があるとすれば、それはやはり「面白がる力」かもしれません。


バッシングに対して我慢するだけではいつか潰されてしまうので、一方で着実に実績を作らなくてはいけません。私が潰されなかったのも、子供たちの学力が向上したという事実があったからです。


私にも、苦手なことやあまり好きではないことを勉強しなくてはいけない時期がありました。でも私は、それをつらいとは感じませんでした。なぜなら、「やらなければいけないこと」を乗り越えた先にある、「将来成功した自分」をイメージして面白がっていたからです。


人から見れば多くのことに手を出していると思うかもしれませんが、私としては「周囲が求めることに応え、穴を埋める存在になる」という、非常に合理的な生き方を追求してきただけなのです。その結果、教師としてユニークなポジションを得ることができたのは、自分でも面白いなと感じています。「家を売る教師」なんて、日本中を探しても私くらいでしょう(笑)。「自分には突出した強みがない」と考え、ゼネラリストを目指していた人間が、最終的には唯一無二の個性を手に入れたのだから不思議なものです。


我が子に読書習慣をつけさせたいと思ったら、親が働き掛けることは重要です。とくにいまは本以外の娯楽がたくさんありますから、親の働きかけがないとなかなか難しいのではないでしょうか。


活字嫌いの子については、よく私も親御さんから相談されることがあります。その場合、本をそっと目のつくところに置いておき、しばらく放っておくこと。子供というのは、暇があれば手近にあるものを読むものです。それが30分とか1時間読んでみると面白さに浸れるようになるのです。このアドバイスを受け入れて実践してくださったご家庭で、数年後に、やっと読むようになりましたと報告がありました。


限られた時間で読書から最大限の効果を生むためには、いまの自分に何が必要かを考えることだと思います。そこから導き出される本が本当に必要とする本です。


私の場合、高校時代に哲学書を読んだことは、答えの出ない問題に挑戦する訓練になりました。抽象的な言葉のやりとりだけで真理を探っていく哲学は、教育の現場でも、何か提言するときでも、ものごとを探るベースになっています。


親が押しつけて「ためになるから本を読みなさい」といっても、子供はまず読みません。人生を豊かにするためのひとつの営みとして、自然に親しむように誘導してあげて欲しいと思います。「いつでもどこでも本に目が行くよう、小さな本棚を家のなかにいくつもつくる」というコンセプトを知り合いに話したところ、子供の目につく場所に本棚を置いてみようと、トイレのドアの正面に本棚を置いてみたそうです。するとトイレから出たあとは必ず本に目が行き、自然と読むようになったそうです。


家庭においては読み聞かせをして、本を身近に置いておく、ということをしていました。一番重視したのは、読みたくなるであろう本を身近に置いておくことです。たとえば、まだ小さいうちには絵本をたくさん。小学生のころには子供向けの新聞を購読していました。また、夏休みには家族そろって図書館に通って、一人4冊まで借りられたので家族5人で全部で20冊、いつも目いっぱい借りてきました。その20冊をすべて並べておく本棚をつくっておくんです。それを目につくところに置いておき、好きなときに好きなだけ読む。全部必ず読まなければならないというわけではありませんが、そうしておけば全然読まないということはないものです。


私も自己啓発本を読むことはありますが、それは社会人になっても道徳の本を読んでいるようなものだと思います。それ以上に、私の生きる原理、仕事の原理には面白いということがあります。その面白いことをどう膨らませ、どう役立てるのかが重要です。


教師にとって面白いものは、子供にとっても面白いんですよ。自分自身が知的好奇心の塊となり、知的欲求にしたがって読書をしてみると、それは教育書よりも教師の仕事に役立ちました。


教師になってすぐ、安月給にもかかわらず、ひと月に5万円くらいを書籍購入代に充てていました。30過ぎぐらいまでこうして多読した時期が続きましたが、そのうち私も家庭をもって子供ができたため、あまり本にお金をかけられなくなりました。そこで、もっとストレートに子供に関わりつつ、読む本を最小限にしようという方向に切り替えました。


私の場合、最も多く本を読んでいたのは高校生時代で、とくに哲学書をたくさん読みました。サルトル、ハイデッガー、ニーチェなど。当然、難しいのでわかった気になっていた部分は多々ありますが、それでも大学受験の際に倫社の受験勉強をしなくてすんだくらいです。このとき、難しい言葉に耐えながら読む力が鍛えられたと思います。


私たちが生活していくうえで、昔のように読書時間を多く持てないことも事実です。たとえば明治の文豪のような読書の仕方、文章の書き方は理想的ではありますが、真似できるものではありません。また、いまはパソコンがありますから、知識量も100年前に比べて何百倍にもなっています。そうすると読む本を必然的に絞らざるを得ません。となると、どのような方向性で読むのかが大事になります。


陰山英男の経歴・略歴

陰山英男、かげやま ひでお。日本の教育者。兵庫県出身。岡山大学法文学部法学科卒業後、アナウンサーを目指したが入社試験に合格できず挫折し、教職を目指す。佛教大学通信教育部にて教員免許を取得し、兵庫県内の小学校で教員となる。百ます計算などをはじめとして様々な工夫を行い大きな成果をあげた。その後、尾道市立土堂小学校校長、立命館小学校副校長、立命館大学教育開発推進機構教授、教育再生会議委員、大阪府教育委員長などを務めた。

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