鍵山秀三郎の名言 一覧

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鍵山秀三郎のプロフィール

鍵山秀三郎、かぎやま・ひでさぶろう。日本の経営者。カー用品販売大手のイエローハットの創業者。東京都生まれ。疎開先の岐阜県の高等学校卒業後、上京。東京でカー用品販売のデトロイト商会に入社。10年程同社で実務を経験したのち、独立してイエローハットの前身であるローヤルを創業した。掃除にこだわりを持ち、清掃美化の啓蒙促進活動をしているNPO法人日本を美しくする会の相談役なども務めている。

大局の誤りは、小局の努力によってカバーすることはできない。


人生の修羅場・土壇場・正念場によって培われた忍耐は、私を人間としてたくましく、成長させてくれました。


事業を営む上で何を目標とするのかは、たいへん大切なこと。


心中の覚悟こそ真の原動力。


過去に感謝できる人は未来のことを考えることができる。過去に対する感謝もない人は未来を考えることができない。


誰にでもできることを、誰にもできないくらいやる。平凡なことを徹底的にやれば、非凡になる。


少しでも世の中をよくしていくために大切なことは、人と人が直接触れ合って、お互いに感受性を高めるということに尽きる。


大切なことは、学びを得たらそれを生かす努力をすること。


停滞ということは、そのこと自体がもう退化と等しい。


プライベートな活動からビジネスが生まれることも、その逆のこともある。


弱い者が本当に滅びてしまったら、強い者もまた生きられなくなる。


運命というものは最後になってみなければわからない。


希望が持てないのは昔だって一緒。でも毎日、今起きていることに真剣に取り組むことによって、希望が見えてくる。


人間は自分自身が手痛い目にあわないといけない。人間は自分の身上に何か起こらないとわからないもの。


小さいことをおろそかにするから、成果に結びつかない。


余裕をなくすと先のことを考えなくなる。これは政治にしても経営にしてもよくないことです。


一回の掃除では何も変わりませんが、積み重ねることで信頼に変わっていく。


たとえ小さいことであっても、正しいことをやり続ければ必ず大きな影響を及ぼすようになる。


常々言っていることですが、「大きな努力で小さな成果」です。成果がすぐ出ないからといって焦ってはいけません。


私はどんなことでも遠くのほうから始めます。たとえば、戦が始まったとして、はやっていきなり敵方の城の本丸に乗り込んだら、すぐにやられてしまいます。そのような性急なことをせず、外堀から埋めていく。遠くのほうから誰にも分からないほど少しずつ着手して、気がついたら、あっ、こういうことをやってきたのかというのがいい。いつも私はその手法なのです。


自分の任期中だけの成績を上げようとするのではなく、もっと大きな志を持って、あるべき正しい姿を貫き通してほしい。


みずからの心の平穏や幸福を願うならば、あらためて日常の些細なことに対してあるべき心、美意識を養うように考えるべき。


経営者が方針を誤れば社風は一変し、悲劇が起こりうる。


人生において真剣に何かをやろうとすれば失敗はつきものです。しかし繰り返される失敗に負けず、失敗を乗り越えた人のみが、知らないうちに自分の中のたしかな力や才能を自分で発見していくのです。


今の時代は、あまりにも結果を早急に求めすぎるためにテクニックに走り、じっくりと考える力や耐える力を養うことがおろそかになっています。人間として、一番大事な教育が欠落している。私には自分が根本から鍛えられる生き方をしない限り、自分の真の才能を見つけ出すことはできないのではないかと思えるのです。


私は、みずからの才能がなかなか発揮できないことを、環境のせいにしたり時代のせいにしたりしている限り、その人は絶対に日の目を見ないのではないかと思います。まずは自分を取り巻いている条件をすべて受け入れる。そしてその中で自分は何ができるかを焦らずに考えることが必要です。


同じお金を使うにしても、すぐ効果の出ることに使うだけではダメなのです。むしろ5年後、10年後に効果が出てくるようなことにこそ使うべきです。


私は元々意気地がなく、だらしない少年でした。それが戦争時の疎開先で大変な苦労を経験したお蔭で、弱い私が強くなれたのです。


不幸というものは、いつもいきなり背中から襲ってくるものです。予告なしに訪れるものであるからこそ、日常の気構えが必要なのです。


自分にとっての幸せの価値を見失わず、いつもたおやかな心で生きていこうとすること。それが理想の人生に近づくための心がまえではないでしょうか。


幸せに生きるためには、いま生きているこの瞬間、この日をいかに過ごすかが大切です。


人は追いつめられると、今まで気づかないことが見えてくる。その結果、続々とヒット商品が生まれたり、新しい戦略に転換したりと活路を見出すことができる。


人は時として、絶体絶命の窮地に陥ることがあります。私も幾度となくそのような経験をしてきました。その中で、忍耐の大切さを学びました。


私にとって忍耐とは、弦を限界まで引っ張り続け、思い切り矢を放つ感覚に似ています。私自身はどんな屈辱にも耐える自信があります。


私は社風を最優先に考えました。社風が悪かったら、どんなに利益を上げても、社員は本当の意味で幸せにはならない。つまり、会社の存在価値とはその会社が存在することによって、世の中がよくなるということです。


私が若者たちに言いたいことは、自分自身を個人として確立して、自分で自分の将来をつくり出すんだという意識を持つことです。そのために、今年、今月、今日、何を努力するのかを自分で決めるよりしかたがないのです。


私どもより先輩ではるかに力があった同業者は、みんな消えてなくなりました。最終的には、どんな正しい志を持つかが大事ではないかというのが私の考えです。


「凡事徹底」というのが私の信条です。掃除にしても仕事にしても、平凡なことを積み重ねて徹底していくと、何事も行き届くようになるということです。


自らに厳しい人ほど、人に優しくなれる。そして厳しいことをやってきた人ほど、小さな喜びを大きく感ずる。


企業の効率主義は決して悪いことではありません。しかし、度の過ぎた効率主義はその企業を社会悪へと走らせます。企業の経営者が度の過ぎたことを社員に要求し始めると、その社員はとんでもないことを始めるわけです。


私どもはフランチャイズチェーン展開もしておりますが、こちらから加盟をお誘いした企業はほとんどありません。当社の社員の立ち居振る舞いや、仕事の進め方を見て、取引をしたいとおっしゃってくださった企業ばかりです。このような信頼を築いてこられたのは、掃除をはじめ、凡事を徹底してきたことが大きいと思います。


企業としては、すべての時間を利益の追求に費やしたいと考えがちですが、それでは会社としての魅力はないし、社員の成長も限られてしまう。会社の利益に直接結びつかないことでも、会社のためにプラスになることであれば、できるだけ引き受けていく。そうすると会社にも社員にも幅が生まれ、豊かな心で仕事を進めていくという社風が醸成されます。


世間一般では、一流大学を出た人がエリートとしてもてはやされていますが、私は全くそういうものに価値を認めません。いい習慣をどれだけもっているか、それが私の一つの価値基準です。


それぞれの家庭に家風があるように、会社には社風があります。私はこの社風が、経営をしていくうえで最も大切なものだと考えています。私は売上や利益の規模だけがいい会社の尺度だとは思いません。


社会のルールに反しなければ事業が成立しないのであれば、そんな会社はないほうがいい。私は自分の子供にしても、有名大学を出てエリートになって欲しいとは思っていません。その社会のルールに反したような生き方はしてもらいたくない、ただそれだけですね。有能であって人に迷惑をかけるくらいなら、無能で人に迷惑をかけない人になって欲しい。これが私の基本的な考え方です。


いつの時代も異端な生き方は、人から理解されるようになるのには時間がかかります。私がやってきた掃除は、いま学校関係者のなかでその重要性が理解され、教育活動の一環に取り上げるところが増えてきましたし、地方自治体などでも注目するようになりましたが、社会に認知されるようになるまで30年かかっています。それもやっと理解され始めたというところです。それほど時間がかかるものです。


結果や成果さえ出せばいいという風潮が最近は強いですが、私はその過程こそが大切だと考えています。基本を徹底する。そんな社風を持つ会社が増えれば、日本が抱えている問題も少しは良い方向に向かうのではないかと思うこのごろです。


社員は規則によって仕事をするわけではありません。命令でもやりません。社風に従って仕事をしていくものです。ですから、少しでも社会を大事にしていこうという社風であれば、社員もおのずからそういう動きをするようになるものです。


終戦後、私たちはいろいろなことを望みました。ご飯をお腹一杯食べたい、一日一個の卵を食べたい、毎日牛乳を一本飲みたいとか。あの当時望んだもので、叶えられなかったものは何もない。望んだものはすべて手に入った。しかし、豊かさを手に入れる一方で、私たちは人に対する思いやり、公徳心といったものを失ってきてしまいました。比重としては失ったものの方が重かったかもしれないですね。豊かさを手に入れたのだから、もう一方の暖かな心を失わなければ、私たちは本当の幸せを手に入れることができたわけです。


一流大学を出た政治家と新幹線で乗り合わせたことがありますが、彼らは向かい合わせに椅子を倒し、飲み食いをした後、椅子を元に戻すわけでなく、後片付けもせずに降りていった。こんな人間はどんなに有名でも、地位が高くとも、人間としての評価はできませんね。世の中を良くしたいのであれば、人のものまで持って降りるくらいの気持ちが欲しいと思います。


私どもの会社では、弁当を取れば残ったものはゴミとしてきれいに分別し、容器は洗って返す。「なんでそんなことまでするんですか」という人もおりますが、これすべて人格づくりと思っているんです。社員に人格、人柄が下劣になるようなことはしてもらいたくないし、またさせたくないからです。


人々の荒んだ心、それが犯罪を多発させ、社会的コストを増大させていることは確かです。企業はリストラをして100億円、200億円の合理化を成し遂げたかもしれない。しかし、それはそれ以上、いやその何倍もの社会的コストを増大させているかもしれません。企業はそれを知るべきですね。社会的コストはなかなか計算ができません。それだけになかなか気がつかないのですが、社会全体のコストを下げるような生き方をしなければいけないと思います。そのためには何といっても、穏やかで優しい人間の心を育てることが一番大事だと私は思うんです。


よその会社のように、その人の上げた売上高、利益額といった数字で評価したりすることはありません。その人がいかに誠実に仕事に取り組んでいるか、誠実にお客様に奉仕しているか、そういったメンタルなものを主たる評価基準にしています。


長いことやっていれば社風や社員が変わってくることは確かです。しかし、自分が払っている努力に対しての効果は遅い。だから皆何でも途中で止めちゃうわけです。8年ほど前のことですが、私は森信三さん(明治生まれの哲学者、教育者)のこんな言葉に出合いました。「教育とは流水に文字を書くようなはかない業である。だがそれを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」もっと早くこの言葉を知っていたら、私は迷わなかったかもしれません。ただそれを知ったのは最近のことですが、自分がやってきたのはこのことだ、森信三さんの言ったことを、私は本当に身をもってやってきたのだと思いました。


現在、41都道府県に「掃除に学ぶ会」が結成されています。私は、その横断組織ともいえる「日本を美しくする会」の会長ということになっているのですが、昨年12月11日も「日本を美しくする会」と「広島掃除に学ぶ会」が広島県警と連携し、暴走族らの少年少女たち26人と一緒になって、公園のトイレ掃除を行ってきました。最初、少年少女たちも「だましやがったな」「こんな話聞いてねえよ」と怒ってましたが、私たちが黙々と掃除する姿につられて掃除を始めました。それも本当に一生懸命にやってくれたのです。彼らの一人がポロッと「こんな大人もいるんだな」と洩らしていたそうですが、それを聞いて私が感じたのは「少年少女たちの根底にあるのは大人への不信感。それが暴走という行為につながっている」ということです。心しなければならないと反省させられました。


毎朝、立派な経営理念や社訓を唱和させている会社がありますが、では会社がその通りになっているかといえば、全然そうなっていない。むしろ掲げている理念とは違うことをやっている会社の方が多い。私は立派な理念を掲げるよりも、毎日の仕事、社員の生活を通しての行いが、社会の規範やルールに反しない、社会に迷惑をかけない、ということの方が大事だし、またそういうことに気をつけて仕事をやってきたわけです。社会には規則にはなってないが、やってはならないことがたくさんあります。立派な経営理念を守るよりも、社会のルール、規範を自然に守れる人間、社員であって欲しいというのが私の願いです。


人の心は見えているものに似てきます。会社周辺がゴミだらけで平気であるというのは、心の中もそうだということです。しかし、掃除を続けていると、それが放っておけなくなる。近所の人に役立っているという意識と、掃除をより美しくするために道具や段取りを工夫していく。このふたつが相まって、社員の心の成長につながっていくんです。


掃除をしたからといって売り上げが上がるわけでなく、それは迷いましたよ。ただ迷う度に考えました。「他に何かいい方法があるのかと」。あれば私もそっちへ行ったと思います。しかし、私のような何の取り柄もない男がやれるのは掃除ぐらいしかなかった。なければ結果が出る出ないにしろ、これをやり続けるしかない。ある程度までやり続けますと、今度は止めるのが惜しくなる。長年努力を積んできているわけですから、結果が出る出ないは別にして、自分が過去にしてきた努力は簡単に無にできるような努力ではないはずだと。また、長年続けてこられたのは工夫をしてきたことですね。もっと使いやすい箒はないか、どうすれば便器の汚れが簡単に取れるかなど、工夫をする。それが長続きさせる秘訣ですね。


掃除には大切な意味があります。実に多くの気づきをもたらしてくれるのです。同僚に誘われて最初は煙草を吸いながら嫌々掃除をしていたような人が、吸殻を捨てなくなる。掃除をすると、近所の人に喜ばれるため、もっときれいにしようと様々な工夫もするようになる。こうした変化は仕事の仕方にも着実に反映されていきます。
【覚書き|社員たちが毎朝90分近くかけて店だけでなく近所の道路や公園まで掃除する理由を問われて】


一番大事なことは、他人から指示、指導されて事をなすのではなく、やはり自らが望んで自分に命令をして活動していくということ。これが人間としての本当の活動であり、そのことによって、真に成長し続けることができるのだと思うのです。


昨年末、さる県の知事から電話があり、私のある行動に対して、日本を代表するたいへん有名な方のお名前が付いた賞を贈りたいという打診がありました。私は自分一人の業績ではないと申し上げ、辞退しました。栄誉なことですが、私には興味のないことなのです。私はただ自分の志に従って精進して活動しているのですから。


組織の中で幸せになれるかどうかは、その人が謙虚で純粋な気持ちで仕事に向かっていけるかどうかにかかってくる。


いろいろな考え方、いろいろなタイプの人が集まって、ある目的のために協力してやっていくのが会社であり、組織です。


実は私は採用面接に立ち会ったことがないのです。なぜかといいますと、私が採用面接に出てしまうと、どんなに気をつけていても、つまるところは自分の好きな人を入れることになるからです。「それのどこがいけないんだ」と言われるかもしれませんが、私にはそれが好ましくないと思えたから、とお答えするしかありません。


もし正しくありたいと願う人がいるならば、ぜひ古典を学んでほしいと思います。なぜかというと、古典とは失敗のケーススタディの宝庫なのです。こういうことをすると滅びる、こういうことをすると人から叩かれるということが、いっぱい登場するからです。


どんなによい畑だって3年も放っておいたら、雑草だらけになるのと同じように、人間の心も手入れしないと草だらけになります。草が生えると、道徳は廃れ、ゴミを投げるようになる。自分が常に正しくいられるためには、自分の心の雑草を刈ってゴミが入らないように、いつもきれいにしておくことが大事です。


国や社会、個人の進退でも理想を語ることは簡単です。しかし、理想とはあくまでも理想であって、時間をかけて到達するものです。それをいますぐやれると言うことは欺瞞にほかなりません。子供が飛行機の操縦士になりたいと言うのは将来の夢です。それをいまもう、すぐにでもなれるかのようにそそのかしてはいけません。正しい努力のしかたこそ伝えるべきなのです。


良心が咎められるような仕事をさせられていては、元気になるわけがありません。私はいまの企業の多くが、目の前の売上のために自分の良心を売るような仕事を社員にさせている、企業がいわば犯罪人製造株式会社になっているのではないかという危惧を抱いています。


大切なのは努力することです。努力をしなかったら何も始まらない。だから私は、掃除の実践を通じて努力のしかたを伝えているのです。掃除を通して精進することで、どんな人でもある一定の水準まで向上できる。その人たちが努力をすれば何とかなるという確信が持てれば、いかなる境遇になっても絶望しないですむ。


残念なことに格差は開きつつあります。しかし、そこで諦めたり、へこんだりしてはいけません。そもそも格差はけっして悪いことではなく、憎む必要もありません。格差があるから挑戦していこうという人も出てくるのです。みんなが完全に平等だったらがんばる人はいなくなるでしょう。


東日本大震災でも、パニックにならず節度を守った日本人は立派でした。いまあらためて言えるのはそれも国力であるということです。それを支えているのは昔の武士道精神や寺子屋教育といった、日本の優れた精神文化です。その伝統はかなり失われていますが、まだ少しは貯金があります。


中国の孟子は、教養のある人というのは、頭のいい人のことを言うのではなく、思いやりのある人だと言っています。そういう意味からしますと、超一流の大学を出ていても、知識人かもしれませんが教養人とは言えないわけです。


いま、世の中に閉塞感が漂っているとよく言われます。それは誰がつくったものでもない。必然だと思います。なぜならば、一人一人が、自分さえよければいいという考えになってしまったからです。


幕末・明治時代の臨済宗の禅僧に今北洪川(いまきたこうぜん)という人がいました。この人の言葉に「百萬経典(ひゃくまんきょうてん)日下(にっか)の灯(とう)」という言葉があります。百万本の経典を読んで勉強しても、ただ頭の中に知識として持っているだけで活動しなければ、太陽の下のろうそくの火にすぎない。つまり、役に立たないことです。


最近、私が憂えていることがあります。それは日本全体の、というより世界全体の潮流なのですが、自分の責任に帰すべきことを他人の責任に転嫁する例をたくさん見かけることです。個人のレベルに限らず、国同士でも「自国は悪くない、他の国が悪い」と言ったりしているぐらいです。誠に悪しき潮流です。その悪しき潮流を変える元になりたいという願いから、私はいまの活動に取り組んでいるといっても過言ではありません。こういう道義的な問題の解決を政治家に求めたり、行政に求めたりしても何も変わりません。


自分の損得や経済第一ではなく、使命感を持って大事なことを守ろうとする人たちが健在である限り、日本は大丈夫。


いくら経済や金融のシステムを発展させても、システムそのものは根本的な問題を解決してくれません。要はシステムを利用する人間の問題です。


私は、「平凡な人を非凡に育てましたね」と言われました。しかし、そうではありません。「平凡な人が平凡な仕事をしても成り立つ会社にした」だけなのです。だから、平凡な人が非凡な仕事をしたわけでもなく、平凡な人が非凡な人になったわけでもありません。経営者である私自身も非凡ではありません。ですから人に非凡なことは求めませんでした。自分だってそうではないのですから。平凡な人でも気を入れて、責任感を持ってふつうに仕事をしていたら、経営は成り立つものです。


私が考える責任感の本質とは、自分以外の守るべきものを持つことにあります。


公益社団法人のACジャパンが、思いやりが大事だといったテレビコマーシャルをさかんに流しています。もちろん間違ってはいないのですが、お金を使ってまで宣伝することではないと思うのです。それよりもなぜ思いやりの心が育たない社会になったのか。その仕組みを解明し、根本的な原因を追究していかないと、あのようなコマーシャルをいくら放送しても意味がないのではないでしょうか。


聖書の中に「汝の行動は汝の預言者」という言葉があります。まさしくその通り。今とっている行動そのものが未来を予見している。


現代は日本に限らず、人類は助け合うという「衆の世界」から「個の世界」に移ってまいりました。自分だけが今の「快」「心地よさ」「好都合」を追求していれば幸せというふうに勘違いしている。いくら追求してもそこに幸せはない。


好都合と不都合とがあったとき、重要なのは好都合が正しく、不都合は正しくないと決めつけないことです。そもそも、本質的にどうあらねばならないのかという判断ができないから間違うのです。ときに不都合だけれども正しいことがあるものです。


私は企業内においては、個人の競争をあおるような体制ではないほうがいいと思っています。集団で利益をあげていくという体制にしなければ、社内の雰囲気はよくならないと思います。


最近は何でも比べたがるようになりました。たとえば、自分があるものを持っていても、隣の人がもっといいものを持っていると、自分がみじめに見えるのではないかと気にします。おかしなことに、自分が持っているものに目がいかないで、いつも人の持ち物にばかり目を奪われるのです。まるで、獣が獲物を狙うかのようです。


目の前の好都合こそ正しく、幸せにつながると勘違いしている人たちは、好都合の条件ばかりにとらわれてしまう。だから、世の中全体が自分勝手になってきたわけです。


目的や目標は日常でなすべきことをきちんとやれば、自然に見えてくると思います。普段やるべきことをやっていない人が掲げるのは欲望です。多くの人が挫折してしまうのも、自分の欲望を目的・目標と勘違いしているからではないでしょうか。


私にとって掃除は、人から押しつけられたものではなく、自分の中から出てきたものだからこそ、辛くても耐えられるのです。


ある大学教授からは「掃除は経営者の仕事ではない。掃除は社員にやらせて、もっと経営者らしい仕事をしろ」とまで言われました。その考えには、いまでも納得できません。社員は就業規則に従い動くのではなく、会社の社風に沿って動きます。社風が悪い会社では手抜きが横行するし、逆に社風が清廉な会社だと、社員もそのように動く。その社風をつくるのは経営者の役目です。だから、社長自らトイレ掃除をして、何が悪いのかと。


昔は慢性的な人手不足だったので、社員を募集しても、いろんな会社を転々としてきたような人ばかりやってきます。そうした人たちはルールを守るとか物を大事にする意識が薄く、営業車でよく事故を起こしました。そこで始めたのが車の掃除です。うちではみんなで一台ずつ、流れ作業できれいにしていきます。このやり方がよかったのか、事故は激減しました。営業車がきれいになると、車の停め方から客先での態度まで、社員の行動がひとつひとつ変わってきます。それを見たお客さんも、「あそこの社員は違うね」と言ってくれるようになる。そうやってイエローハットは少しずつお客様から信頼してもらえる会社になっていったのです。


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鍵山秀三郎の経歴・略歴

鍵山秀三郎、かぎやま・ひでさぶろう。日本の経営者。カー用品販売大手のイエローハットの創業者。東京都生まれ。疎開先の岐阜県の高等学校卒業後、上京。東京でカー用品販売のデトロイト商会に入社。10年程同社で実務を経験したのち、独立してイエローハットの前身であるローヤルを創業した。掃除にこだわりを持ち、清掃美化の啓蒙促進活動をしているNPO法人日本を美しくする会の相談役なども務めている。

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