金杉恭三の名言

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金杉恭三のプロフィール

金杉恭三、かねすぎ・やすぞう。日本の経営者。「あいおいニッセイ同和損保」社長。東京出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、大東京火災海上保険(のちのあいおいニッセイ同和損保)に入社。常務、専務などを経て社長に就任。

上手にリスクを避けていては成長できない。新しいこと、難しいことにチャレンジして、失敗することが成長につながる。


失敗して初めて、人間は成長する。なおかつ、失敗をリカバリーできれば満足感を得ることができる。


私どもの生き方は独自性、先進性、特徴のあるビジネスモデルにある。


自分の性格を変えるのは無理ですが、良い方を多めに出すようにコントロールすることが大事。


地場の土地の歴史、人とのつながりを含めて捉えていくことが営業のポイント。


目指す企業像は、明るく元気な社員がお客様を全力でサポートする会社。


自分の性格は陽気であり、せっかちであると思っています。スピード感はあるのだと思いますが、それが拙速にならないように気をつけています。


仕事が変わったときに大切なのは、「仕事を知る」こと。部下に話を聞き、自分で勉強すること。


いきなり「何の保険が売れるのか」と考えず、人やお金が動く中でどのようなビジネスができるのか模索していく。


目標とする人は渋沢栄一です。よく、経営は理想を語ってしまいがちですが、同時に「算盤」の重要性も明確に言ってこられた。博学であると同時に、実務における度胸、見識をお持ちであることに非常に感銘を受けています。


座右の銘は「言葉は神なり」です。言葉は、言い方次第で人を幸せにしたり、悲しませたりします。そして口にしてしまった言葉は取り消すことはできません。言わなければ伝わらないと同時に、相手の気持ちをしっかり考えた上で言うことを心がけています。


人事部長に就任した時も、100人近くの部員全員と面談し、問題点や課題を聞くと同時に仕組みを理解することに努めました。また、外部の勉強会にも積極的に参加してきました。その後、役員になり、いま社長になっても、その姿勢は変わりません。


仕事はビジネスライクに、ただ決められたことだけでやっていてはいけない。常にその時の状況によってお客様がどう感じるかをしっかり見ていかなければならない。


私が大学を卒業したのが1979年ですから、第2次オイルショックの後で、やや就職難の時代でした。生意気な方だったので(笑)、仕事は厳しい方がいいと考えていました。その時に、ある方から「大東京火災海上保険という損保会社があるよ。大変厳しい会社だ」と言われ、入ってみると確かに厳しい会社でした(笑)。


危機時に、物事を倭小化して考えたくなるのが人間の性ですが、そうではなく、起きたら最悪のことを考えようと。これは前任の鈴木(久仁)に学んだ姿勢です。


以前は全国から人を集めて局地的災害に一気に対応してきましたが、今は常に遊軍的な人材をリザーブしたり、機動的に対応するためのスペースをあらかじめ用意するなど、災害発生時への備えをしています。


よく周囲から「大手4社の一角」と言っていただき、大変ありがたい話ですが、私は実はそれは違うのではないかと思っています。私どもは4位の会社ですし、上位3社は皆さん財閥系の会社さんです。ですから当社は上位3社と違う、特色、個性ある会社であるべきですし、だからこそ今まで生き残ってくることができたと思っています。


かつての男性中心の組織は、リーダーが「エイエイオー」と声をかければみんな同じように動いた。しかし、女性に力を発揮してもらうのに画一的なやり方は通用しない。大切なのは一人一人に合わせたきめ細かいマネジメントだが、そうしたマネジメントは、おのずから男性社員の個性を伸ばすことにもつながっていく。女性の活躍はいわばリトマス試験紙なので、しっかりやっていきたい。


マスコミには「大手4社」といっていただけるが、私は「3+1」でいいと考えている。上位3社にボリュームで肩を並べることも大切だが、それを追求するあまり大手意識になって発想が画一化されていくのは困る。もともと個性的な社員が多い会社なので、さらにそれを伸ばしていくことが大事だ。


少子高齢化の影響は間違いなくある。その一方で、技術革新や社会構造の転換によって新しいマーケットが広がると考えている。変化をつかんでチャンスに変えることが大切だ。


金杉恭三の経歴・略歴

金杉恭三、かねすぎ・やすぞう。日本の経営者。「あいおいニッセイ同和損保」社長。東京出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、大東京火災海上保険(のちのあいおいニッセイ同和損保)に入社。常務、専務などを経て社長に就任。

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