野村忠宏の名言

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野村忠宏のプロフィール

野村忠宏、のむら・ただひろ。日本の柔道家、医学博士。奈良県出身。天理大学体育学部体育学科武道学コース卒業、奈良教育大学大学院修了、弘前大学大学院医学研究科博士課程修了。アトランタ五輪、シドニー五輪、アテネ五輪で金メダルを獲得。

アテネ五輪を目指して乗り越えた地獄のような日々が、自分の心を最高にたくましく、強くしてくれた。


本気でやりたいことが見つかったら、楽しくなくてもいい。楽しいよりも、やりがいが大事。ぜひ、本気の覚悟を持って、自分だけの金メダルを勝ち取ってほしい。


自分で限界を決めてはいけない。かすかに残されているエネルギーを絞り切って、限界を突破した時に、さらに強い自分と出会える。


自分の人生は自分にしかつくれない。リスクのない挑戦なんて面白くない。一歩を踏み出し、続けてみないと見えない世界がある。


結果を出せば、「野村は終わった」と言っていた人も「野村はやると思ってたよ」に変わる(笑)。そういった意味でも、やると決めたら、結果にはシビアにこだわって欲しい。


「自分流」を追求するのは、基本を身につけてから。


本当に歓喜が湧き起こるような達成感や充実感というものは、やはりリスクを負って自分流を貫いた時にこそ、味わえるもの。


楽しいだけの人生はむなしい。どんな困難であっても、本気で突き詰めていけば、その先には楽しさ以上のものがある。


試合を怖いと思うのは、なにも悪いことではありません。というのも、怖いから、その怖さを埋めるためにいっそう努力しようと思うからです。


日々の練習を本番と同じ気持ちで手を抜かずに行うことで、本番でも100%に近い力を発揮しやすくなる。


「土台」「軸」「心」が揃って初めて、スランプは乗り越えられる。


孤独と向き合うことは、どの世界でも、トップに立つ者、先頭を走る者が直面するものなのかもしれない。


相手に投げられた時に、純粋に「悔しい」という思いが今も湧いてきます。それは「まだうまくなりたい」「強くなりたい」という成長意欲の表れだと思っています。


一瞬だけ復帰を後悔しました。だけど、自分で決めた挑戦なのだからやり抜こうと開き直りました。結果としてオリンピックに出られなくてもしょうがない。この挑戦は人のためのものではない、自分だけのための挑戦じゃないかと。


目標達成のために何をすべきか常に考え、長い時間をかけて一瞬で決まる勝利への努力を続ける。その一瞬のご褒美はとてつもなく大きく、楽しいという感情を軽く超える素晴らしい宝物をもたらしてくれる。


好きなことで独立しても楽しいだけではなく、継続するなかで苦しみが必ず生まれます。もしかしたら、その仕事が嫌いになるかもしれない。どんな状況であっても、小さな成功でも悔しさでもいい、自分を奮い立たせてくれるモチベーションの種をつくり続けることです。


柔道は、技の美しさを競う競技じゃない。大事なのは「ルールの中で勝つ」こと。柔道はルールの中で一番を目指す競技。ルールを前提に練習法や戦略を練り上げ、稽古を重ね、試合に臨む。そして、勝利を目指す。


私の場合は、相手が誰であっても、自分の柔道を貫くという基本姿勢があります。相手のよさを消すのではなく、自分のよさを最大限出し切るのが私のスタイルです。


私は基本的には対戦相手の研究はしません。私はビビリで怖がり。対戦相手のことを知りすぎると、相手に過剰に意識がいって、自分の柔道ができなくなってしまう懸念がある。それなら、相手を知ることより、自分の柔道を磨くことに神経を集中したほうがよいと思うのです。


練習を積み重ね、試合に挑み、私はこれまで柔道の競技の世界を生きてきました。それは非常に厳しい世界でした。しかし、そこで私は、単なる楽しさを超えた大きな成長やこの上ない感動を得ることができました。


期待されないより期待されるほうがずっと嬉しいし、ありがたいのですが、プレッシャーにもなります。そうした中で戦い、勝ち続けることは、やはりきつい。言葉にすると陳腐になるけれど、勝つための努力や練習は、心身ともにしんどかったのが正直な気持ちです。ただ、そうした諸々のことを含めて、「やりがい」だとも思っていました。


私は試合の前日は怖くてたまらないため、ほとんど寝ることができません。いろいろ考えていると、寝つけなくなってきます。実際、試合前日はいつも、2、3時間ウトウ卜しただけで、試合に臨んでいました。一時期は「寝なきゃ、寝なきゃ」と焦っていましたが、途中から「寝られなくて当たり前」と思うようにしました。怖くて当然だと考えを切り替えたのです。


オリンピックに出るような選手は子供の頃から強く、注目されていた人が多い。でも私は、ずっと弱かった。体は小さく、力もそれほど強くない。そうした中で、どんな柔道をしたらよいのか、いろいろ模索してきました。


私は決して最初から才能があったわけでなく、周囲の支えがあってここまで成長でき、今なお競技を続けることができています。自分にとって財産になる人との出会いや言葉を大切にし、その道をとことん追求することが、成功へのカギなのかもしれません。


ビジネスの世界でも、最後の最後に結果に残すために必要なのは、「妥協しない気持ち」ではないでしょうか。その気持ちは一朝一夕では身につかない。普段からの意識の差が、勝敗を分けるのではと思います。


五輪の舞台では全国民が見守る中で戦うわけですから、想像以上の恐怖心とプレッシャーを抱えます。四六時中、競技のことしか考えないようでは、押し潰されてしまう。集中する時は集中し、遊ぶ時は思いっきり遊ぶといった「切り替え力」は重要です。


五輪でメダルを獲得する選手は切り替えがうまいんです。練習以外の時間はしっかり遊び、リフレッシュする。ただ、練習になると皆、すさまじい集中力で取り組みます。この「切り替え力」が長けている選手ほど、結果を出しています。


競技者としての私は、楽しむことに重点を置いていません。実際、私は試合の大小を問わず、大会の前日は常に不安で眠れない。真夏にエアコンもない道場で1時間以上も組み合ったり、ケガで練習できない日々が続いたりするのも辛い。「99%は楽しくないものだ」と覚悟のうえで、柔道に取り組んでいます。


つまらないプライドや見栄と決別できたからこそ、誰もが難しいと思われた、アテネ五輪での3連覇につながったのは確かです。振り返れば、アテネへの挑戦を最後までやり遂げたことで、自分の人生観が大きく変わったと思います。


気持ちの持ちようは大きい。ただ、気持ちだけでは、結果は変えられないとも思います。若い頃から地道に築いてきた経験という「土台」、そして「何が何でも五輪で金を獲得する」といったブレない「軸」が必要です。


アテネ五輪以降、五輪に出場できず、「野村、最近、見なくなったな」「絶頂期に引退すればよかったのに」「晩節を汚す」などという声もあるかもしれません。でも、それは周りの意見や評価であり、大事なのは、「やりたい」「続けたいと思えるか」という自分の本心です。


復帰を決めた時点で、最終目標は「アテネ五輪での金」だと覚悟を決めていました。時間をかけて考え、自分で決めたからこそ「責任を持ち、逃げ出すな」と改めて言い聞かせて。そして、「敗北が怖い」と感じている自分が変わるための方法を、ひたすら考えたのです。


「年だからもうダメ」と諦めるのか、悔しさを原動力にして「何くそ」と思いながら前に進むのかという二者択一であれば、私は後者を選びたい。何があっても前に進もうとする姿勢こそ自分の価値だと思っています。


「もう限界です」と細川(伸二)先生に伝えると、「お前はそんなもんか」とくる。休ませてはくれないんです(笑)。世の中にはそこで「はい、僕そんなもんです」と引く人間と、「なめんなよ」と前に出る人間がいます。もしもあの時僕が引いていたら、細川先生に見捨てられていたでしょう。面白いもので、「なにくそ!」と練習を再開したら、結局、次の1本もやり切れる。


天理大学時代、当時の試合形式の乱取り練習は6分×13本だったのですが、僕は「残り何分?」「あと何本?」という意識で乱取りをこなしていました。するとそれを見抜いた細川(伸二)先生は「そのやり方は駄目だ。限界がきたら休んでもいい。ただし、最初の1本から全力を出し切れ」と。その後、1本1本を必死に取り組むようになってから、劇的に自分が強くなっていくのが分かりました。細川先生は、無駄をそぎ落とした意味ある努力の重要性を教えてくれたのです。


しばらくは2連覇の余韻に浸りながら流れに任せてみたのですが、1年経っても何も変わらない。それで、語学留学のためにアメリカへ。金メダリスト、柔道選手という自分が長年背負ってきたものをいったん降ろしてみたかったのです。練習で体をいじめ抜く必要もない、プレッシャーもない。人生で初めて経験する、とてもやさしい時間でした。最初は本当に楽しかった。ただ、楽しいだけの毎日は飽きるんですね(笑)。徐々に、戦う選手たちの活躍がうらやましく思えてきたんです。これまで柔道を続けてきて、楽しいと思えることってほとんどなかったのですが、それよりも大事なことがあることに改めて気づいたのです。


本来の僕は「ビビリ」なんですよ(笑)。だからこそ勝つための徹底した準備をします。でも、この時は気持ちがマイナスに働いて、持ち前の攻撃的な柔道ではなく負けないための柔道になっていたようです。それで何が残るかというと、逃げて負けた惨めさだけ。だったら負けても納得できる攻めの柔道をすべき。そう気持ちを切り替えてから徐々に勝てるようになり、最終的にアテネへの切符を勝ち取ることができたのです。


世界トップレベルの柔道では、「投げよう」と自分が思った瞬間に、その意思が相手に伝わるものです。それが伝わらずに技を成功させるには、投げようと思って投げるのではなく、「ここだ!」と思った瞬間に、ふさわしい技ですでに投げていることが必要です。お互いに「気づけば投げている」「気づけば投げられている」感じです。ある種、無意識の反応ですね。こうした柔道をするには、「脱力」の技術や感覚を身につけることが大事だと思います。


投げられるのがとにかく嫌だったというのも、私の特徴かもしれません。指導する先生には「投げられてもいいから思いきりいけ」とよく言われましたが、私は投げられるのが嫌で仕方がなかった。だから、投げられそうになると、相手にしがみついてでも、投げられまいとしていました。のちに「投げられない野村」「一本を取られない野村」とプロの人たちに評していただけるようになったのも、子供の頃から、こうした自分なりの姿勢を貫いていたからかもしれません。


野村忠宏の経歴・略歴

野村忠宏、のむら・ただひろ。日本の柔道家、医学博士。奈良県出身。天理大学体育学部体育学科武道学コース卒業、奈良教育大学大学院修了、弘前大学大学院医学研究科博士課程修了。アトランタ五輪、シドニー五輪、アテネ五輪で金メダルを獲得。

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