萩本欽一の名言 一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加

萩本欽一のプロフィール

萩本欽一、はぎもと・きんいち。日本のコメディアン。東京出身。高校卒業後、浅草の東洋劇場へ入団。芸を磨いたのち、浅草フランス座に出向し、のちにコント55号の相方となる坂上二郎と出会う。コント55号を結成し人気を博し、80年代には高視聴率番組を多数生み出した。

僕は「石の上にも5年」と考えて耐えました。なぜって、我慢こそが「運」を呼び込むからです。


80代になっても、90代になっても、生きている限り挑戦は続けますよ。チャレンジのない人生なんて、全然面白くないからね。


歳をとると、家庭菜園とか盆栽とか、じっとみてる趣味が多くなるけど、それじゃ駄目。歳とるほど無謀なことをした方がいいんだ。


だって、芸能界もテレビもお祭りなんだから、みんなが楽しく出てくれた方がいいでしょ。
【覚書き|テレビ番組内でよく若手に出番を与える理由について語った言葉】


それはもう成功しちゃったからつまんない。もっとムチャなことやろう。


「なりたい」じゃなくて「なる」という前提で人生を過ごしなさい。君はね、35歳になって新聞に顔が載るよ。だからその前提で生きていきなさい。有名な脚本家になるんだという前提でものごとを進めていきなさい。
【覚書き|脚本家・君塚良一に贈った言葉】


いま70代になってわかったのは、行く手が二つに分かれていることです。一方の道は人生でそれなりに成功し、そのご褒美に別荘を建てて、のんびりと余生を過ごす「老人」。片方は、自分がじいさんだとは思わない「年寄り」なんです。僕は老人にはなりません。やっぱり年寄りです。だって、こっちは「年が寄って」きたら、身をかわせばいいから。それで僕はいま大学に通っているわけです。


コント55号が売れて、5年ほどたち、30歳になったのをきっかけに、僕は1年間、これまでの活動を反省することにしました。有名になりたいっていう夢は実現したけれども、期待していたほど面白くはなく、ここで修正しないとまずいと思い、コント55号の活動も休止しました。そして、テレビで誰もやっていないことにも挑戦したいと思っていたら、僕が何よりやりたくないと思っていた番組の司会を頼まれた。その一つが、「スター誕生!」。ここでは、男女二人組の司会というスタイルを持ち込み、以後、これが主流になっていったんだから、これも一つの運なのでしょうね。


僕だって、最初からお笑いが好きだったわけじゃない。まして才能に恵まれていたわけでもない。自分はダメだと自覚したから、努力もした。普通の人より一歩、いや「二歩下がったところから頑張ろう」と決めたんです。


職業柄、僕は番組のロケなどで「名人」とか「名工」と呼ばれる人に会います。包丁を作る職人さんに聞いてみると、「小さい頃から好きで仕事に就いた」という人はいなくて、仕方なく家業を継いだという。だけど、努力して超一流になり「うん、やって良かったよ」と笑いながら話してくれます。


新着Tweet


おすすめ名言


萩本欽一の経歴・略歴

萩本欽一、はぎもと・きんいち。日本のコメディアン。東京出身。高校卒業後、浅草の東洋劇場へ入団。芸を磨いたのち、浅草フランス座に出向し、のちにコント55号の相方となる坂上二郎と出会う。コント55号を結成し人気を博し、80年代には高視聴率番組を多数生み出した。

ページの先頭へ