羽生善治の名言 一覧

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羽生善治のプロフィール

羽生善治、はぶ・よしはる。日本のプロ棋士。埼玉県出身。小学2年生で近所の将棋クラブの小中学生将棋大会に参加し負けたことをきっかけとして将棋にのめり込み始める。小学6年生で奨励会に入会したのち、中学生でプロに昇格。史上3人目の中学生棋士となった。その後、NHK杯戦優勝回数9回、オールスター勝ち抜き戦16連勝、通算600勝・800勝・1000勝の最速・最年少記録そのほか多くの記録を打ち立てた。史上初の永世六冠。

勝負の世界は、実際に戦ってみないことには、結果は分からない。


いいときは何事もうまくいくので、むしろ悪くなったときにどれだけ頑張れるかがその人の真価。


変化が速い時代に対応するためには、自分自身も変化することを恐れてはいけない。


もうこれ以上はやれないというところまでやれば、本番ではいい意味で開き直れる。


強さを手に入れるまでには、いい負けを重ねていく必要がある。


ちょっと疲れているぐらいのときのほうが感覚は研ぎ澄まされている。


時間と状況が限られた実際の盤面で選択を繰り返すこと、つまり実戦の積み重ねが直感を磨く道。


感情の起伏を完全になくすのは難しい気がしますが、感情が揺らいだときに自分なりに折り合いをつけることは大事なことでしょう。


調子は天気みたいなもので、晴れ続けることはないので、調子がよくない日は「そういう日もある」と割り切るようにしています。


先行きを心配しても仕方がない。折々に判断を下すときに、私は人間が本来持っている「野性の勘」を大切にしたいと思っています。


1回1回の対局は、未知の旅に出る、知らない何かを探しに出発する。私はそんなイメージを抱いて指しています。


仮説は外れることもあります。しかし、仮説検証を繰り返すうちに、次第に全体像をイメージする精度が上がっていく。


スランプと感じたことはありません。結果が出ない時期はありましたが、それは実力だと思っています。


細かいことに気づいていくようになれば、ミスにも気づくようになる。ミスに気づけることは、自分が以前よりも確実に進歩している証しでもある。


いかにして早く気持ちを切り替えるか、それが大事。終わったら、次の対局や次の目標、あるいは次の課題について考える。


巡り合わせのようなものもありますし、負けは結果ですから。チャンスがあればまた頑張ります。


直感は天性のものなのか、環境で育まれるものなのか、私にはよくわかりません。ただ、後から努力の積み重ねで磨かれるものではあると思います。


遠回りしながらも、もがいて身につけたものの方が、簡単に得たものよりも後々まで役立ちます。


成果が出ないときこそ、不安がらずに、恐れずに、迷わずに一歩一歩進めるかどうかが、成長の分岐点であると考えています。


ブラブラと何も考えずに外を歩くことが、一番のストレス解消法になります。


好きな言葉は「玲瓏」です。いつも透き通った心静かな状態でいたいと思っています。
【覚書き|玲瓏、れいろう。宝玉などが透き通り、曇りのないさま。麗しく照り輝くさま。音声が澄んで響くさま】


アイデアはいろいろな知識が組み合わさることで生まれてきます。最初の段階では、自分が取捨選択した知識を吸収することから始める。するとある臨界点に達したとき、それまで蓄積した知識と知識が結びついて、理解になり、湧き出るようなアイデアが次々と出てくるようになるんです。そうなるまでは、やはり辛抱強く知識を蓄積していくしかありません。


いまは誰もが情報を平等に手に入れられる時代ですから、自分が思いついたアイデアは、だいたい同じ時期にほかの誰かが思いついているものです。アイデアを寝かせていたら、先にほかの棋士に指されてしまいます。


私は「どんなことでもリスクのない状態はない」と考えています。現代は様々なリスクが定量化されているので、必要以上に数値にとらわれると臆病になってリスクが取れなくなります。でも、リスクのない状態はないと開き直ってしまえば、リスクをとることにためらいがなくなります。


正しいことをやっているが、成果が出ないときは、私は気分を変えるようにしています。気分転換は何でもいいのです。趣味を始めるでも、やめるでも。髪型を変えるでもいいのです。


私は目標を立てたことがありません。あえて言うなら、いまの自分自身が思い描いている50代、60代になっていないのが目標です。人生は、意外性や偶然性が混ざって進んでいくのが一番いいと考えていますので。


棋士は、最後は自分の責任で指し手を決めます。それなのに「こうだ」と教えてしまうのは、親切なようであっても、じつは親切ではありません。「もがく時間」はすごく大事です。わからない、迷っている、悩んでいる。そのような時間は、後々の財産になります。


人は追い込まれないと深く考えないし、そういうプレッシャーの中でしか真の実力は養えません。曖昧で答えのわからない状態というのは誰にとってもつらいものですが、私はそういう局面こそ強くなるチャンスだと常に考えるようにしています。


理にかなった手がわかるというのは大事な要素です。けれども、常に論理的に正しいのが最善手というわけではありません。ある局面を示し、どの手が論理的に正しいか尋ねれば、プロなら皆同じことを言うでしょう。つまり、論理だけで指していたら、相手にはこちらの手の内がすべてわかってしまう。それでは勝てないのです。


最後は直感で判断します。瞬間的にこれが正しいと感じるというのは、要するに、それまでの経験の積み重ねから脳がそう判断したということですから、ああでもない、こうでもないと理屈で考えた結果よりも、よっぽど信頼できます。実際、あとで振り返っても、直感で指した手が間違っていたというケースはあまりないのです。


最近は、どんなに反省したり注意したりしても、同じところで同じようなミスを繰り返すのは仕方がないことだと思うようになりました。ミスを犯さないようにしようとすると、かえって自分の長所まで消してしまうということにもなりかねません。


無難な判断ができるようになってきたと思ったら、安全運転ではなく、意識してアクセルを踏み込むようにすべきです。そうやってアクセルの踏み加減とリスクの按配を覚えていくのが本当の成長であり、正しい判断ができるということにもつながるのだと思います。


大局観を失って全体が見えていないと、直感は上手く働きません。逆に、いまどういう状況で、これからの局面はどちらに向かってどのように展開していくのかということがつかめれば、指し手は自ずから見えてくるものなのです。


経験には人をリスクから遠ざけるという負の側面もあるので、その点は注意が必要です。確実に80点取れる手ばかり指すようになると、確かに大きなミスはしなくなります。その代わり、挑戦しなければいまいる場所より先には進めません。時代は動いているのですから、3年もすると、確実に時代から置いていかれてしまうのです。


最善手を選ぶというのは、裏を返せば、数ある選択肢の中からそれ以外を捨てるということですから、知識や情報が増えれば、それだけ選択肢が増えて見切りは難しくなるのです。また、知らないことに対する恐怖や不安も大きくなります。見切りの技術や、恐怖や不安に打ち克つ精神力も同時に鍛えて、初めて知識や情報は自分の財産になるのです。


仮に批評や批判が的を射たものであったとしても、実践と、それを控室やテレビで見ているのとでは、プレッシャーも緊張感も違うのですから、もちろん参考にはしますが、かなり割り引いて聞いています。気にしすぎなのはよくないですね。


つい攻め込みすぎて逆襲されるというミスをよくする人が、そうならないようにと慎重に指すようになったら、おそらく別のところでミスを犯すようになるはずです。だから、ミスをなくすというより、自分のミスの癖を知っておけばいいと思います。


ミスがミスを呼ばないようにするには、お茶を飲んだり窓の外の景色を眺めたりして、ひと呼吸置くといいでしょう。それから、私の場合は、ミスをしたという事実を頭から消して、この局面から新たに始めるのだと考えるようにしています。もちろん、同じミスを再び犯さないよう反省はしなければなりませんが、それは対局が終わってからやればいい。実践中はひたすら前だけを見ていることが大切なのです。


順調なときというのは、いい循環が起こっているので、それほど深く考えなくても、わりと簡単に正しい手を選ぶことができます。しかし、ミスでその好循環が崩れてしまうと、盤上が混沌としてきます。それで新たなミスを起こしやすくなるのです。明らかにミスをしたとわかったら、そのミスが次のミスを呼ばないよう気を付けています。


若いうちは時間がかかっても、考える習慣をつけた方がいいのではないでしょうか。若手の棋士にも、感覚的にどんどんいい手を指してくる、才気あふれる人がたまにいますが、勢いだけで指している人は、たとえ強くてもあまり伸びません。それよりも、この局面ではどの手を選ぶのが正解なのか、常に考えながら指す人の方が、たとえいまはそれが結果に結びついていないとしても、将来、確実に強くなるといっていいでしょう。


情報量が増えると判断の精度も上がるとは一概には言えません。たしかに昔に比べれば知識や情報が入手しやすくなって、それが若手の棋士のレベルアップにつながっているという側面はあります。しかし、知識や情報が増えるというのは、それだけ迷ったり悩んだりする材料も増すのだということを忘れてはいけません。どんなに最新の定跡や戦法を知っていても、勝負所で判断ミスを犯せば、その人は負けてしまいます。


将棋にかぎらず大局観というのは、正しい判断をするうえで大変重要だと私は思います。木を見て森を見ずではありませんが、仕事で難しい決断を迫られたら、そのことだけを考えるのではなく、一歩引いて、いまという時代の流れの中でその課題を考えてみると、案外答えが見つかりやすくなるのではないでしょうか。


プロ同士の対局では、5手先だって読めません。手堅くいこうと思っても、相手が思わぬ手を指してきて、あっという間にピンチになることもあるし、技をかけようとすれば、すぐ見抜かれて逆にこっちがかけられてしまいます。予定通りにいかないのは、将棋にかぎらずどの世界でも同じことだと思います。


将棋は二人で指すものなので、相手との駆け引きの中で自分を表現していく。その意味では、相手は敵であると同時に、作品の共同制作者でもあり、自分の個性を引き出してくれる人ともいえます。


(大名人と謳われた大山康晴第15世名人と対局したとき)手を読んでいる気配がまったくなく、ただ静かに盤面を眺めておられた。盤面という一幅の絵画を見て、「ここにこの駒があると、より美しくなる」といった感覚で手を指す。まるで大局観が違いました。自分の力ではまだ縮めることのできない、恐ろしく大きな差があるのだと実感しました。


いまの情報化社会では知識や計算は簡単に手に入る、出来るものです。だからもうあまりそれらに意味はない。これからの時代の人間にとって大事なのは決断する事だと思います。


僕の場合、たとえば難局で苦しんでいるときでも精神状態を極めてリラックスさせ、楽しもうと局面を眺めているとき、無意識にふっとそういう手が生まれるんです。


直感は数多くの戦いをこなし体系的に学ぶうちに、後天的に養われるもので、説明ができます。でも、ヒラメキは説明ができません。なぜか自分でもわからないが、ひらめいたとしかいえません。


師匠は特に教えてくれないんです。ほとんど技術的なことは全くといっていいほど教えてくれません。すべて自分で考えて自分に合った勉強方法を見つけるという感じです。どういう勉強方法をとるのかはそれぞれで、レベルによっても違い、また、その人に合った方法が必ずしもほかの人に合うとは限りませんからね。


年齢や環境のことなど基本的な部分はかなり大きいのも事実です。後はその人の性格とか努力が大きいですよね。本当に2、3年でパッと変わってしまう人っているんですよ。急に力が上がってくる、そういう人がいるんです。だからそれは本人のいろいろな意味での努力でしょうね。


本当に勘は大きいですよ。結局序盤の定跡などは皆プロですから同じですし、研究している量も同じです。終盤、例えば5手詰め、7手詰めなど詰ます力は同じですよね。違うといったら中盤の場面ですね。よくいい手か悪い手か判断がつかない場面での着手、その手がいいのか悪いのかは後で調べてみなければ分からないんですけど、そのあたりの勘に頼んで指さなければならない2、3手で決着がついているということが非常に多いんです。


相手のことを知るよりも、自分白身が強くなればそれで済む世界だし、それを日指した方が本筋というか、王道という気がしたんです。


混沌としていて何をやったらいいかわからないという場面に出合ったとき、確信も持てないし自信も持てないのは当然です。それでも、とりあえず「なんとなくこっちじゃないかな」という方向に進んで、そこでズレていると思ったら軌道修正をして、まだズレていると思ったらさらに軌道修正する。その方向性だけ誤らなければ、先がみえなくても、比較的迷わず、遠回りせずに進めるのではないでしょうか。


これから日本がどうなっていくかはわかりませんし、わからないことは考えない。それは、思考をストップさせるという意味ではありません。わからなくても、とりあえず目の前で何かを選んでいかなくてはいけないし、進まなくてはいけないからです。


対局では一生懸命に先を読んでいます。しかし、それでも読みが当たらない、あるいは、わからないというケースも非常に多いのです。10手先をきっちり予想するのも極めて難しい。自分と相手の2人が5回ずつ指すだけなのに、です。これが世間一般の事象となると、まず自分では決められないことや介入できないことが多いですし、自分が決めたあとにいろいろな人が手を出してきて状況が変わっていきます。そうなると、2手先、3手先でも、どんな局面になっているのかわかりません。それを考えても仕方がないのではないでしょうか。


先のことを考えるのは、楽しいといえば楽しいものです。でも、だいたいは、考えてもそのとおりにならない。いろんな人がいろんなことを予想していますが、まずそのとおりにはなりませんよね。あまり予想なんかしても仕方がないとさえ思います。


将棋では、対局後に「今日は完璧だった」「ノーミスだった」ということはほとんどありません。たいてい反省点があります。それを前提にしているので、何事も、あまりにきっちりしたやり方を追求してもうまく回らない、という感覚があるのでしょう。ミスをするのが前提、といったらおかしいかもしれませんが、そういうことも当然あると考えていますし、ミスをしたときに修正ができること、できるだけ動揺せず、ミスの前とあとで同じスタンスで対処できることをいつも考えています。


反省の仕方ひとつにしても同様です。ミスをしたり負けたりしたときに、あとから振り返ると、たいてい似たようなところでミスをしているものです。反省はするけれども、それでも、また同じミスをすることはよくあります。そこで「二度と同じミスはしない!」と決意しても、人はすぐ忘れるじゃないですか(笑)。そして、また同じミスをしますよね。結局、癖だから仕方がないのでしょう。ただ、そういう自分の癖を知っておけば、同じミスはするものの、回数は減らせます。完全になくせれば一番いいのでしょうけれども、なかなかそうもいかないなら、頻度を低くすればいい。同じミスを繰り返すとしても、それが月に一回なのか、年に一回なのかでは、まったく影響が違います。一年に一回のミスを三年に一回にできれば大きな成長といっていい。そのくらいの考え方がちょうどいいのではないかと思います。


棋士の生活はマラソンに似ています。一般に、競技生活が長いですから。私はプロになって26年目ですが、「まだあと30年あります」といわれたら、気持ちが萎えてしまいます。あまり先のことまで考えると、道のりが途方もなさすぎて辞めたくなる。むしろ「とりあえず1キロ走ろう」という気持ちでやっていくほうが、自然に続けられるのではないでしょうか。


この先どうなるか、どう行動するかということは、そんなに深くは考えていません。ただ、そのときそのときの情勢に合わせていこうとは思っています。将棋のスタイルにしても、将棋界の情勢に合わせて変えていこうと思っています。とくに、いまからこうしようという考えはありません。


どんなに場数を踏んでも、動揺するときは動揺しますよ。対局中に動揺してしまったときは、その場面でどうしたらいいかを考えることに集中します。一番困るのは、何をやったらいいのかわからなくなってしまうことです。逆に、気持ちがどんなに揺れていても、次の一手を選べればいいのです。何かしら具体的な次の行動が見つかれば、それが安心にもつながります。


プロですから勝負して勝つことは大前提であるにしても、完璧や完全はあり得ないし、ある程度はダメでも仕方がない。ときには負けても仕方がないと、どこかで考えているほうがストレスも小さいでしょう。


将棋は、突き詰めると自己否定につながるところがあります。どの手を選ぶかはすべて自分の責任ですから、ミスをしたり失敗したりするのもすべて自分のせい。そう考えていくと、「結局、自分はダメなんだ」ということになりかねません。自己否定に陥らないためにどうするかというと、ある種のいいかげんさ、適当さが非常に大事なのかなと思います。


まったく新しい戦法が現われたときに「こういう新しい戦法が出てきたときには、一生懸命研究すれば、半年ぐらいで理解できるようになるかな」「このテーマなら理解に一年はかかるな」といった目星をつけられるようになりました。これは過去に何かを成し遂げたときの「経験の物差し」があるからです。そうすると、少なくとも目星をつけた一年なり、三年なりのあいだは、不安にならずにやるべきことに邁進できます。


変化が激しい時代だから経験はムダなのかというと、そうではないと思います。新しい局面に対処しなくてはならないとき、「過去にこういうやり方で遠回りしてしまった」「こういう方法でブレイクスルーできたことがある」といった経験にもとづく方法論が役に立つからです。あるいは、何をやったらいいのかわからないときに、過去の成功や失敗の経験が進むべき方向の指針になることもあるでしょう。


直感は便利で使い勝手のいいものではあるのですが、あまりに頼りすぎるのは危険です。いいところは突いているけれど、正確さに欠ける、ということになってしまいますから。本当はロジックと直感の両方を伸ばしていくのがいいのでしょうが、このふたつは「片方を伸ばすと、もう片方が疎かになる」という関係にある気がします。「最近、直感が冴えてきたな」と思うと、読みが雑になる(笑)。そのあたりをどうコントロールするかは、私も悩ましいところですね。


直感とロジックの関係は、地図を使って目的地にたどり着くプロセスのようなものです。たとえば日比谷公園にいきたいとして、東京中をくまなく歩きまわるわけにはいきません。まずは地図で目星をつけて、近くまで電車やクルマでいく。そのうえで、最後は自分で一歩一歩歩いていかなくては目的地には着かない。直感とロジックの関係はそういうものだと思います。


私が直感に重きを置くようになったのは棋士になってある程度経験を積んでからのことです。10代でプロになったころは、ロジックが8~9割を占めていました。というのは、直感的に判断しようにも、直感のもとになる経験がないからです。そこで、いわば物量作戦のように、考えられる手をしらみつぶしに考えていくしかなかった。それが、10年、15年と経験を積むうちに、思考の最初の段階でおおざっぱに「だいたいこのあたりかな」と予測して、そこから細かいところをロジックで詰めていくという方法に変わっていったのです。


局面をみて最初に思いついたことは、ある意味で邪念がないアイデアです。もちろん必ず正しいとはかぎりません。しかし、自分の発想や考え方が端的に現われているアイデアのはずです。さらにじっくり考えるにしても、そこから出発して考えを組み立てていくほうが自然で、やりやすいのです。


情報収集をしすぎたり、対策を練りすぎると、かえって時代に取り残されてしまうことになりかねない。「捨てるべきときには、過去の蓄積を惜しまずに捨てる」という覚悟が重要。


やる気の源は、発見し続けること。


若いときは勢いで将棋を指すことができました。けれどもある程度経験が蓄積されると、過去の成功体験や失敗体験が足かせとなって、思い切った決断ができにくくなるものなんです。経験によって状況を把握する力が高まる半面、迷うことも増えてくるんです。そのときに手堅い将棋をするのもひとつの手ですが、そればかり続けていると確実に時代から取り残されることになります。そこで、迷いに対しては意識的に見切りをつけ、アクセルを強めに踏んで前に進もうとする。それぐらいでちょうどいいのではないでしょうか。


失敗覚悟でトライする必要があります。実戦でトライすることで、その戦型の可能性や修正点、あるいは「こういう手もあるんじゃないか」という新しい発想が生まれてくる源にもなります。失敗が自分を成長させるための糧となるんです。ですから、頭の中であれこれ考えるよりは、まず試してみることが大切です。


将棋の水準は日進月歩でレベルアップしていますから、最低限求められる基礎を抑えるために、かなりの時間を割かなくてはいけないのも事実です。


限られた時間のなかで、すべての情報を把握するのは不可能です。とくに、最近の将棋はものすごく細分化していて、様々な戦型の開発が、同時並行的に複数の棋士によって行われています。なかにはプロの棋士である私ですら、「この型については、質問されても困る」といったものもあります。ですから、自分にとって重要だと思われる情報を、的確に取捨選択していくしかありません。


ツキや運、つまり流れやバイオリズムは、たくさんの要素が絡み合って変化していくもの。これは天気のようなものなので、晴れの日もあれば曇りの日もある。一喜一憂しても仕方がない。


将棋の世界でも、実戦を重ねれば、「過去に類似したケースがあったな」「ここから抜け出す方法はまだたくさんあるな」といった具合に、経験が生きてくる場面はあります。ただ、「経験したこと」が、その後の出来事に直接、役立つわけではありません。自分なりに過去の経験を咀嚼して、きちんと消化し、違ったものに変換させて、未来に活かすのです。


歴史を100年、200年単位でさかのぼり客観的に見ると、確実な時代など1度もない。今の時代が特殊なのではなく、「不確実な状況」というのは、歴史的に見れば普通の状況。


ミスには2種類あります。1つは「自分が認識できるミス」、もう1つは「認識できないミス」です。正しいことをやっているつもりでも、「後から見れば間違っていた」というケースはよくあります。とすれば、少なくとも今の時点で「ミスに気づいている」ということは、それほど深刻な状況ではない、ということでもある。むしろ、気づかずミスすることの方が怖い。


自分に合った「成長の仕方」が、人それぞれにあると思います。例えばどんなにすごい人や事例を見ても、自分が同じことができるか、同じパフォーマンスを上げられるかと言えば、そうではない。結局は、自分なりのやり方やスタイルを見つけるほかありません。


自分なりに何かをやってみて、微調整を繰り返していく。これを習慣化すること。そうやって修正していけば、目標や目的に近づける。柔軟性を持って振り返りながら検証し、対処していける。


私たち日本人には、「自己肯定感」が欠けている人が多いのではと思います。個人レベルでも組織レベルでも、そういう傾向がある。だからこそ、最も補わなければいけない部分なのでしょう。


他人のやり方を真似すること自体はいいことだと思いますが、そのまま真似ても、うまくいくとは限りません。しかしそこに「何かしらのヒント」はある。自分ができる部分を取り入れたり真似たりして試行錯誤を繰り返しながら、成長していけるでしょう。


切り替えが必要な時というのは、「考えていることが頭から離れなくなる」時です。切り替えるためには、何か違うことをする。そうすれば、少なくともその時間は、頭の中からその「考えていること」が離れる。運動、カラオケ、何でもいい。「考えていること」からいったん離れてみると視点が変わり、気分も変わって、新たな気持ちで物事に取り組める。


メンタル面で切り替えなければならない時には、気分転換するようにしています。髪形を変えたり、部屋の模様替えをしたりして、何かしら生活にアクセントをつける。部屋の片づけをしたりもします。


負けた時には、何が悪かったのか。どこに問題があったのか。自分なりに総括し、必ず反省と検証をします。ただいったん終わったら、あとは過ぎ去ってしまったこととして、次に向かっていく。


タイトル戦であと一回負けたらタイトルを失う状態をカド番といって、昔はカド番のたびにプレッシャーを感じていました。でも、いまは慣れてきて、「もし負け越したら次に勝ち越して返り咲けばいいや」と考えられるようになった。もちろん負けないために全力を尽くすのですが、気持ちはとても楽観的です。


意識しているのは、一生懸命やることでしょうか。もちろん何を一生懸命やるのかという中身も大事なのですが、精神状態についていうと、一生懸命にやり尽くしたという事実が大きい。


将棋の対局は時間が長いので、何かアクシデントが起きて心が乱れても、わりとリカバリーしやすいです。テニスの試合を見ていると、不利な場面で審判にクレームをつけて試合を止める選手がいますよね。なぜ判定が覆らないのに文句をいうのか。あれは心を落ち着かせるための時間稼ぎでしょう。心がざわついても、時間が解決してくれることは多いと思います。


将棋でも、心や体の状態と判断力は密接に関係しています。私の場合、バロメーターは、答えを見つけることが時間的な制約があって難しいときに、踏ん切りよく手が選べるかどうか。思い切って選べる日は調子がよくて、逆に迷ったりためらう場面が多い日は心や体の状態がよくなかったりします。


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羽生善治の経歴・略歴

羽生善治、はぶ・よしはる。日本のプロ棋士。埼玉県出身。小学2年生で近所の将棋クラブの小中学生将棋大会に参加し負けたことをきっかけとして将棋にのめり込み始める。小学6年生で奨励会に入会したのち、中学生でプロに昇格。史上3人目の中学生棋士となった。その後、NHK杯戦優勝回数9回、オールスター勝ち抜き戦16連勝、通算600勝・800勝・1000勝の最速・最年少記録そのほか多くの記録を打ち立てた。史上初の永世六冠。

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