清水信次の名言

このエントリーをはてなブックマークに追加

清水信次のプロフィール

清水信次、しみず・のぶつぐ。日本の経営者。ライフコーポレーション創業者。三重県出身。旧制大阪貿易語学校(のちの開明中学・高校)を卒業後、太平洋戦争で中国に出征。戦後は19歳で食品流通・貿易業で起業し、食品スーパーの「ライフ」を創業。同社を日本最大の食品スーパーマーケットチェーンに育て上げた。そのほか、日本スーパーマーケット協会会長、日本チェーンストア協会会長、社団法人全国スーパーマーケット協会名誉会長、日本小売業協会常任理事、国民生活産業・消費者団体連合会初代会長、財団法人国策研究会会長、中内学園流通科学大学理事なども務めた経営者。

重要なのは、目の前のことよりも本質をとらえること。


どうすればお客様に支持されるのか。それが経営の根幹。それを忘れた途端に経営はおかしくなる。


私にとっての海図はお客様。いくらいい店をつくろうと、いい商品を置こうと、お客様がつかなくてはつぶれてしまう。


今、世界は海図なき時代に突入した。だからこそ、指導者たちは、確固たる信念で海図をつくり、それに基づいて手を打っていかなければならない。


経営トップに必要な要素は3つ。「手腕・力量が十分であること」「識見が備わっていること」、そして最も重要なのが「人徳があること」。


人間には器量というものがあって、それを超えたら破滅する。多くの人が、この見分けがつかない。


生きるために必死に働いたことが今につながっている。


うちは貧しかった。だから、両親から教えられなくとも、真面目に働くというのは当たり前のことでした。


安穏と余生を楽しむつもりはさらさらない。まだまだやらなければならない大事なことがあるからだ。
【覚え書き|83歳のときの発言】


お金をためる方法は追っかけないこと。幸せも同じだね。追っかけなければついてくる。


自分を飾りたててはいかん。身の丈に合わないことを追求すると破綻する。世の中には適正規模ってものがある。


苦労したり悲しんだりもする。でもどう生きるかってことを突き詰めていけば、意味のあることができるのじゃないかな。


生まれた時代や境遇は、天から与えられた運命。それを嘆いても仕方ない。むしろ感謝して、身命を惜しまずに精いっぱいやるほかない。


僕が主張をするのは、公平性を欠くなど問題があるからです。僕が損をするとか得をするというのは関係ないのです。


筋が通らないことには反対してきました。自分の損得ではなかったからでしょうか、対立した人との信頼関係を築くことができました。


人と同じことをしていては治りが遅いので、リハビリも人一倍頑張ったし、社会復帰も早めた。戦争で亡くなった多くの戦友のことを思えば、何のこれしきと思うからだ。
【覚え書き|心臓の手術をしたときを振り返って】


大事なのは「己を知る」「足るを知る」「留まるを知る」「物事には必ず終わりが来ると知る」こと。それを熟知していれば身を滅ぼしたり会社を滅ぼしたりすることはない。


人間には成長できる人とできない人がいます。本人に成長する能力があれば、器量も大きくなりますが、これはよほどの例外。


戦争で多くの友人を亡くしたし、自分自身も死ぬ運命を何度も助かっています。85歳を過ぎて、目の前に冥途が見えてくるのに、自分の都合だけで行動することはありません。


僕は自分を偉いと錯覚したことはありません。剣道でも勉強でも自分よりできる人間がいたし、流通業界には伊藤雅俊さん、岡田卓也さん、中内功さんらがいるんだから。


僕には社内にモノを言ってくれる人がいました。社外の交友関係でも、旭化成の宮崎輝さん、小松製作所の河合良成さんといった大先輩が「一番大事なのは己を知り、足るを知り、とどまるを知ることだ」「必ずものごとには終わりがある」「お金も権力も自然に集まるのはいいが、追いかけるのは危険だよ」などと言ってくれました。


事業を軌道に乗せるまで、いろいろな人に助けてもらいました。何もない若造でしかない僕を多くの人が信頼してくれました。戦争に負けて、世の中どうなるかわからないときに、僕のような向こう見ずが飛び込んできて、いろんな話をするのが珍しかったのでしょう。僕も取り入ろうという野心もなく、天衣無縫でした。
【覚書き|19歳で戦後の焼け野原で事業を開始した当時を振り返っての発言】


闇商売で何回か警察に捕まりました。のちに、東京でパイナップルやバナナの貿易を始めたときも、警視庁や東京地検に事情聴取されました。しかし、隠し事をせず、ありのままを話したら一回も罪に問われませんでした。生きていくための闇商売は別にして、法に触れることは絶対にやりませんでした。
【覚書き|太平洋戦争終結直後の動乱期について語った言葉】


アメリカにトランプ大統領が誕生し、昨年はイギリスがEU離脱を決めたことで、世界がどう動くか、固唾を飲んで見守っているが、こういう時こそ右往左往してはいけい。情報過多に振り回されるばりでは、判断を誤る可能性がある。


我々の業界では、トップランナーだったダイエーを筆頭に、多くの会社が経営不振に陥り、合従連衡(がっしょうれんこう)が起きた。生き残った会社との差は、トップが経営の根幹ともいうべき将来の海図を持っていなかったように思う。


人間だって動物だからね、自然に生きることは大事だと思う。神経を研ぎ澄まして、自分で危険を察知して、エサやねぐらを探して、周囲のちょっとしたことに即座に対応する。そういうふうに生きていれば運も開けてくるよ。


織田信長ほどの人でも自分の器量を超えたところで明智光秀に討たれたし、豊臣秀吉のように草履取りから天下を取った人も自分の器量を超えて朝鮮出兵して自滅してしまった。徳川家康は自分の器量を心得ていたから、天下を取った後250年も幕府が続いた。大体の場合、潰れる会社はトップが己を知らない。


僕らは戦争に負けてヤミ市の露店商から闘って進んできた野武士集団でしたが、そのまま突っ走って自滅した人たちはたくさんいます。戦後の焼け野原のような悲惨なところから事業を起こして成功するのは野武士集団ですが、世の中が成熟してくると、正規軍の将校でないとできないことが出てきます。自分が変われないなら、外から正規軍の将校を連れて来るしかありません。


社長をやりながら、自分自身のキャパシティーを計算してみました。それで、ライフのトップとしての自分の器の限界は100店舗、売り上げで言えば2500億円前後だと思ったのです。それ以上は自分の能力が及ばないから、誰か社長をやれる人がいないといけないという考えは常に頭の隅に置いていました。


このエントリーをはてなブックマークに追加

清水信次の経歴・略歴

清水信次、しみず・のぶつぐ。日本の経営者。ライフコーポレーション創業者。三重県出身。旧制大阪貿易語学校(のちの開明中学・高校)を卒業後、太平洋戦争で中国に出征。戦後は19歳で食品流通・貿易業で起業し、食品スーパーの「ライフ」を創業。同社を日本最大の食品スーパーマーケットチェーンに育て上げた。そのほか、日本スーパーマーケット協会会長、日本チェーンストア協会会長、社団法人全国スーパーマーケット協会名誉会長、日本小売業協会常任理事、国民生活産業・消費者団体連合会初代会長、財団法人国策研究会会長、中内学園流通科学大学理事なども務めた経営者。

ページの先頭へ